フルート吹きのほっと一息

フルートのこと、音楽のこと、作曲家のこと。そして愛犬トム君との日々。
一緒に楽しんでくださると嬉しいです

恩師 増永弘昭 8

2006年06月06日 | 恩師 増永弘昭先生
使っていたエチュード

♪ Andersen 0p.21  24の練習曲 
音符が読みにくくて根気がいりました。
ロマン派のエチュードです。
練習しても練習しても上手く吹けない曲も、
拍子の捉え方を変えることを教えられて、
吹けるようになることがしばしばありました。

♪ Furstenau Op.107-1,2  26の練習曲 
カデンツァの歌い回しはこれで教わりました。
今ではすっかり得意なパターンです

♪ H=P・シュミッツ フルート教本 1 & 2
・・・ 前述

♪ シュミッツ・増永共著 フルートの歌わせ方
読めばどうやって練習すれば良いのかが、
書かれている本です。やるやらないは本人次第……

レッスンを受けたエチュードはこの6冊。
あとは沢山の曲、曲、曲。
私が、札幌に戻って来てからは
Jeanjeanのエチュードで
音色の練習をしなさいと言われたのですが。
あー。やってない。

そのころ言われたことは
「音程を探してはいけません。
倍音を和音としてとらえるように」

写真はヒダカミセバヤ。
高山植物です。葉っぱが花びらのよう

タラモポテト

2006年06月05日 | ヨウコのレシピ
初めて食べたのはギリシャに行った時でした。
とってもおいしかったのですが、もう覚えてない。
また行かなきゃー。ふふっ

 今日の手抜きレシピ  
わたし風タラモサラダ

ジャガイモ2個をレンジでチン!
マッシュして
タマネギマリネのみじん切りを混ぜ
たらこ一腹分位を混ぜ込む。(皮はとってね)
ポッカレモンをたら~っとまぜて出来上がり。

おいしいでーす

タマネギマリネは作り置きしておくとよいの。
サラダ油を大さじ4
酢 大さじ5 塩小さじ1 胡椒少々
バジルやオレガノを入れても美味
スライスしたタマネギ一個半くらい漬けておく。

油もいろいろ種類があるし、
酢もバルサミコとか、純米酢とか柿酢とかいろいろ。
健康と風味をテーマにいろいろ試してみると
おもしろいでーす。

恩師 増永弘昭 7

2006年06月04日 | 恩師 増永弘昭先生
H=P・シュミッツ先生の講習会は二度参加しました。
夏の軽井沢でのものです。
増永先生が企画し通訳し、(株)村松フルートのサポートです。
おそらく最後の二回だったと思います。

国内の優秀な若手の演奏家がモデルとなり
作曲者について、時代背景について、解釈について
朝、昼、晩と一日三曲、一週間にわたって行われていました。

その頃の私の演奏レベルでは、とてもとても・・・
お話にならない位内容が難しいものでしたが、
20年近く立った今、その時の楽譜への書き込みがとても
役に立っています。

シュミッツ先生はバロック音楽の権威として有名ですが、
フルトヴェングラーの時代のベルリンフィルの
フルート奏者でしたから、(オーレル・ニコレの前任)
実はロマン派の曲の解釈が一番面白い。

従って増永先生のロマン派のレッスンは面白かったのです。
器用にさらさら速いテンポで演奏するのではなく、
大河のような流れをつくることを見せ、教えて頂きました。


恩師 増永弘昭 6

2006年06月03日 | 恩師 増永弘昭先生
私は増永先生と15年間の師弟関係だったのですが
振り返ると最初の3年位はともかく音。音。音。

モーツァルトのアンダンテは3年おきくらいで3度
ビゼーのメヌエットも3度は教えて頂きました。

何年かあけて同じ曲のレッスンを受けると
我身の演奏能力の変化がよく分かります。
以前に教わったことを吸収して身についていれば、
次の段階のレッスンが待っていました。
ですから、アンダンテもメヌエットも3度めの
レッスンの時はうれしかった。
違う次元に足を踏み入れるような感覚でした。 

近現代のややこしやーな作品ではなく、
上記の様なスタンダードな名曲を持っていくと
先生は「あぁ」と一言。

全てを見渡し、均整を取り完全な形に作り上げて行く。
シュミッツの教えをそのままに伝えて
くださったと深く感謝しております。

C・P・E・バッハとハンブルガーソナタ

2006年06月02日 | 作品あれこれ


J・S・バッハは沢山の子供を残しました。
多くが音楽家になりましたが、その中でも一番出世をしたのが、
次男坊のエマニュエル・バッハです。


当時の王様、フリードリッヒ大王は大変な音楽好きで
宮廷に楽団を抱えていました。エマニュエルは運良くその楽団の
チェンバロ奏者として採用されました。しかし残念ながら
エマニュエルはこの待遇に不満を持っていました。


王はクヴァンツや○○の←忘れた……作品を演奏しましたが、
エマニュエルの作品はあまり演奏しなかったのです。
つまり彼を作曲家として優遇していなかった。
この原因は王のフルートの演奏技術によるところだと思われます。
エマニュエルの作品は難しかったのです。


エマニュエルは長く宮廷で楽師として勤めましたが、
ストレスが爆発したんでしょうね。
父バッハと親しかったテレマンに窮状を訴える手紙を書きました。
そして後にテレマン自身にテレマンの後任として強く推薦され、
ハンブルグに移り住みました。


ハンブルグでのエマニュエルは固定された役職は無かったものの、
フリーの音楽家として大活躍をしました。また、ハンザ同盟の
発祥の地ハンブルグで財界人との付き合いも多く、
エマニュエルは経済的にも恵まれたそうです。


フリードリッヒ大王のもとでの
古めかしい音楽のスタイルから離れ、
新しい風に吹かれたエマニュエルは
バロック音楽からの脱出をはかり、
形式にとらわれない自由な音楽を作り始めたのです。

残念ながら現在の評価は中途半端なもので、
非常にバロック的な音楽の中に説明のつかないフレーズが
紛れ込んでいるという感じも否めないと思いますが、
実際に演奏するとエマニュエルの情熱のほとばしりを
沢山感じることができます。

ハンブルガーソナタはそんなエマニュエルの
晩年の作品なのですが、非常に若々しい作品です。
全ての呪縛から解き放たれて宝石が
水しぶきを浴びてきらきらと太陽の下で輝いている。
そんな色合いを持っています。
演奏していると生きていることの喜びが伝わってきます。

ベルリンの歴史博物館に収められている
<サンスーシ宮のフィリードリッヒ大王>には
チェンバロの前にはC.P.Eバッハ、右端には
王のフルートの師であったクヴァンツの姿が見られます。
一度本物を見てみたいものです。

 

ハンブルガーソナタ と 友情

 

友人シズちゃんの質問にお答えしてみました。