マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

母への怒りと処分することにしたモノ(耐熱ガラス保存容器)

2020-05-07 | 母のこと
今朝、我が家で起きた事件(?)がきっかけで、耐熱ガラス保存容器を処分することにしました。

耐熱ガラス保存容器
ここのところ、キッチン周辺のモノは処分していなかったのですが、大きいサイズと中くらいのサイズの耐熱ガラス保存容器を処分することにしました。
残す耐熱ガラス保存容器は、大体一人分の料理が入る程度の大きさのモノのみです。

そもそも、何故大きい保存容器を残していたかというと、単純に多めの料理を作ったり盛り付けたり、保存したりする目的でした。
しかし、今回また母の行動によって、もう大きいサイズの食器や保存容器は、全て処分しようと決めました。

母の問題点
母は、ごはんの食べ方に問題があります。
例えば、夕食時に多めに炊いたご飯を、翌日の朝食や昼食時に食べようと思い保存する場合に、冷蔵庫に入れておいたとします。
母は、夜中にお腹が空いて冷蔵庫のモノやインスタントを食べてしまう癖があります。
ですから、冷蔵庫へ入れておいたご飯を食べていることもあるわけです。
ところが、その食べる方法が、本当に腹立たしいというか、本気でやめてほしいと何度も訴えたのですが、自分のことしか考えていない食べ方をするわけです。

実際、今回起きたことを例として挙げますが、昨晩多めに炊いたご飯を、約2人分保存容器に入れて、冷蔵庫へ入れていましたところ、今朝、どうもその保存容器の中に異変が見えます。
見た瞬間「やられた!」と思ったのですが、なんと、その保存容器のごはんの上に、乾燥マッシュポテトが無造作に混ぜてあったのです。
想像できますでしょうか?
白ご飯の上に、ろくに戻してもいないカラカラの乾燥マッシュポテトを入れて、ぐちゃぐちゃに混ぜて、置いてあるのです。

見た感じから、おそらく醤油か何かはかけた様子。
実際、箸をつけたかどうかはわかりませんが、ほとんど残っていたところ見ると、おそらく美味しくなかったのでしょう。
そりゃそうです。
分量も量らずに、パサパサのマッシュポテトをご飯に振りかけて、醤油で食べるのですから、美味しいはずがありません。
ちなみに、残っていた乾燥マッシュポテトは、ポテトサラダ2~3人分くらいは作れる分量でしたが、その残りを全部使ってしまっていました。
母は、結局全部は食べずに放置していたため、ごはんの水分がマッシュポテトに取られて、保存容器に入っていたのは、固くなったごはんとパサつきが残った乾燥マッシュポテトが混ざった、とんでもない食べ物?でした。

今回だけではなく、母は残してあるごはんが入った容器に、直接おかずや乾物を放り込んでレンジで温めて、食べる癖があります。
そうする理由は、まず他の容器を出したくないから、そして、おそらく白ご飯だけを食べるのが嫌だから。
しかし、残っているおかずを入れるならまだしも、料理に使う予定で買っておいた乾物を水で戻すこともせずにぶち込んで、レンジで温めてしまいます。
しかも、今回は二人分のごはんを全てそのようにしてしまい、ほとんど手を付けずに残しているではありませんか。
食べる分だけを別容器に移して、きれいなご飯を残しておいてくれたら、私が食べることができたはずなのですが、結局、カチカチのごはんとパサパサのマッシュポテトの塊が大量に残る結果になり、私の怒りは沸点へ。

日ごろから、その食べ方はやめて、食べられる分だけを取り分けてくれ、とお願いしているにもかかわらず、何度も繰り返す始末。
今は、自分と家族の命も守らねばならず、買い物の回数も減らしているというのに、食品ロスを生み出す母の行動は、本気で腹が立ちました。
パサパサのマッシュポテトが混ざったカチカチのごはんなど、私が残りを食べてあげましょう、なんて気になるわけがありません。

だから、やめる
朝から、母に声を荒げて、このことについて「いい加減にしてくれ」と言いましたが、母は「もう食べないから捨てて」と平気で言います。
時には「私のお金(母の年金)で買っているのだから、何をしようと勝手だ」とも言います。
しかし、そういう問題ではありません。
私は、食べもしないモノを作り、それを平気で残す母の態度や行動を改めろと言っているのです。
お金があるから、自由にしていいわけではありません。
今のご時世、食べるモノは大切に消費してほしいのです。
たくさん作っても、全部食べてくれるのなら、それでいいのです。

しかし、それを言っても母は理解ができません。
認知症になっているからではなく、もともと母がそういう考えの持ち主だということは、ここで一旦補足しておきます。
そういう母ですから、いまさら何を言っても無駄なのだとは、私もわかっているのですが、久々にやらかしてくれたために、怒りを抑えることができませんでした。

以前、プラスチックの保存容器を処分した話をしたかと思うのですが、その際は、母が冷凍していたパンを一日で消費してしまったため、保存容器を使う意味がないと、腹立たしさの勢いで捨てました(苦笑)
今回も、似たような理由で、大きい保存容器は処分することにしました。

そもそも、私が大きな容器に大量のごはんやおかずを保存しておくから、このような食品ロスを生み出すのです。
母も、残っている料理や食料が少なければ、それなりの量しか食べないし、変な料理(?)も少量で済み、訳の分からない食品ロスは、最小限にとどめられます。
ですから、今後はまず、おかずの作り置きはしない(以前から実行はしています)ことと、今回は新たに、ごはんは都度食べる分だけしか炊かないことにしました。

はっきり言って、ガス代もかかるし、私の手間も増えます。
毎食、ごはんを炊かなければいけませんからね。
しかし、訳の分からない、食べられなくなるような料理(?)に替えられてしまい、挙句の果てに捨てることになるくらいなら、母が言う「私(母)のお金」はガス代に消費することにしました。
なんだったら、少量炊きの炊飯器の購入も考えています。

そして、乾物や保存食を無駄に使ってしまうこともやめてもらいたいので、今後は乾物などは一切買わないようにするつもりです。
本当は、乾物がある方が調理の際に便利なのですけれど、食材を無駄にされるくらいなら、最初から買いません。
代わりになるものは、いくらでもあるし、乾燥野菜は生の野菜に換えて、都度調理することにします。

私の手間を減らす方法を模索中
しかしながら、私の手間が増えてしまうと、今度はそのことでストレスが溜まりそうです。
そもそも、料理を多めに作ったり、ごはんを多めに炊いたり、乾物を利用していたのは、調理の回数や手間暇を省略するためだったのですが、今回の母のことがあり、手間を減らせる別の方法を考えることにしました。

いちばん簡単なのは、すべての料理をインスタントやレトルト、料理の持ち帰りやデリバリーにすることですが、それは経済的にも無理です。
しかし、私はいずれ仕事を再開しようと考えていますから、その時は毎食ごはんを炊いたりおかずを作ったりする時間が確保できないと思います。
その時のことも想定して、しばらくは手作り食とインスタントやレトルトのベストなバランスを、研究しておこうと考えています。

受け入れがたい母の考え方と価値観
このブログを開設する際に、なぜたくさんのモノを処分し始めたか、という理由に触れていたかと思います。
その理由のひとつとして、母との関係性がありました。

私は、おそらく小学校高学年になったくらいから、母の価値観や考え方に疑問を持ち始めていましたが、子どもだったために、自分でもよくわからずに高校卒業をするくらいまで、モヤモヤした気持ちを抱いていました。
大学に通うようになり、それまでに経験した人間関係だったり、自分とは違う価値観に触れる経験が増えて、自分なりの価値観や考え方を、はっきりと言葉や形にできるようになっていきました。
すると、母と自分との価値観の違いや考え方の違いが、かなり大きなものであるということがわかってきました。

今回の食事に対する態度、行為に現れているように、母はかなり自分本位に暮らしています。
ですから、母が家事を担っていた時は、常に父も私も文句ばかり言われていました。
そのくせ、私や父が家事を手伝おうとすると、邪魔だから手を出してくれるな、という人です。
自分本位なので、時には矛盾した考え方を押し付けてくることもありました。

ひとつひとつは、小さな出来事だったと思います。
しかし、長年一緒に暮らしてきた中で、私もうっぷんが溜まっていった結果、とある日に母の言動を許せなくなりました。
そして、母から買い与えられたものは、時間がかかってもいいから、すべて処分してしまおうと決め、それがモノを処分し始めたきっかけのひとつとなりました。

今でも、正直なところ、母の考え方や価値観は全くもって受け入れられない自分がいます。
そして、それはもう、本人に訴えても修正できないのだということも、理解はできています。
しかし、やはりこちらにも我慢の限界というものがあります。
母の行動、言動、考え方、価値感は、いまさら修正できないとなると、もう環境や常態化した習慣を変えていくしか、方法がありません。
ですから、今回は大きな保存容器を処分することで、母の悪い癖(行動)を最小限にすることにし、今後も母の悪い癖が発動した際は、まず使用品の見直し、そして処分や買い替えをしていくことで、私のストレスを減らそうと考えています。

母との今後の接し方
実の母に、これだけ怒りが湧くのですから、私は他人と暮らすことなど、本当に無理だと思いました(苦笑)
まあ、実の母だからこそ、怒りが湧くのかもしれませんが。
受け入れがたい考え方や価値観を持った人と、一緒に暮らすというのは、とても大変なことです。
おそらく、母も私に対して、いろいろ思うところがあるでしょう。
口には出しませんが、気に入らないことも多いはずです。

そんな二人が、心穏やかに暮らすには、あまり接点を持たないことが、大切だと感じています。
特に、ニュースは一緒に見てはいけません(笑)
報道に対する意見を言ったり聴いたりすると、ますます価値観と考え方の違いに、イライラが募るからです(苦笑)

私は、この先、母を介護する日が来るかもしれません。
どのような状態での介護になるかは、想像がつきませんが、世間で言う介護疲れを起こす可能性だって十分にあります。
しかし、自分の身内に手をあげたりするようなことは、絶対にあってはいけません。
それは、人道的に許されることではありませんから。
ですから、私は今から、母に対し、怒りや不満、ストレスを感じるような出来事が起こらないよう、暮らし方を工夫していく必要があると思いました。
そのひとつとして、モノの処分は有効な方法のひとつだと思います。


今回は、少し内容がヘビーになってしまいました。
本当は、違うテーマにしようと思っていたのですが、自分の感情を吐き出す手立てとして、ブログに綴るのも1つの手段かな、と思い、ちょっと自分の家庭の闇をご紹介しました(苦笑)
まあ、今後も同じような怒りや不満は、絶対に出てくるのですが、一旦これにて、気持ちを収めたいと思います。