マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

運動は嫌いではないけれど運動会は嫌いだった話

2020-05-16 | 日々の暮らし
昨晩、何気なく見ていた英語レッスン的な動画に嵌り、午前中はずっとそのチャンネルをみていました。
が、しかし、今回綴る話は、英語とは全く関係ありません(笑)

動画を見た後、SNSのタイムラインをみていると、各地の小中学校で運動会が中止検討されていて、子どもたちが可哀そうという親がいる一方で、中止になる方がホッとするという子どもや親御さんもいる、という内容がありました。
今回は、運動会についての私見を綴ります。

体育の授業はそこそこ好き
私は、運動が苦手というほどでもなければ、得意というほどでもありません。
時には、運動音痴と見られたり、時には(技術に関して)上手だと評価されたり、おそらく私を知っている人たちの、私の運動能力に関する印象は、バラバラです(笑)

何故、そういう印象なのか、といえば、得意種目と不得意種目が半々だったからでしょう。
また、得意な種目だからと言って、抜群に上手だったわけではないので、まあ運動能力に関しては、ほとんどの人が「マシュマロさんは運動が得意だったっけ?不得意だったっけ?」と言うでしょう。
つまり、運動能力に関しては、全く印象に残らない程度しか持ち合わせていない、ということだと思います(笑)

幼いころからそんな感じでしたから、学校の体育は、楽しみなときもあれば、憂鬱なときもありました。
ドッジボールやバスケは大好きでしたが、体力測定やサーキットトレーニングは大嫌いでしたね。
多分、単調な運動が嫌いです(笑)

歳を重ねて、いわゆる「スポ根」と「チーム競技」が嫌いという自覚が生まれ、中学では付き合いで卓球部に入ったことはありますが、すぐに辞めてしまい帰宅部に、そして高校生のときは、文系の部活に所属しました。

しかし、ただ机に座って勉強するだけだと、こちらも当然飽きてきます(笑)
ですから、体育の授業は、私にとって適度に身体を動かせる「息抜き」の時間という認識です。
そんな心持ちで授業を受けるから、ますます「スポ根」と「チーム競技」が嫌いになったのでしょうね。
体育の先生が聞いたら、怒りそうですね(苦笑)

運動会(体育祭)は嫌い
体育の授業は、それほど嫌いではなかったのですが、運動会(体育祭)は嫌いでした。
特に、練習が大嫌いでした。
自分の中では、運動会(体育祭)は日ごろの運動能力の発表の場だという認識でしたから、わざわざ練習する意味が解らなかったのです。
また、体育の先生に怒鳴られながら、入退場や整列の練習、好きでもないダンスの練習をさせられ、結構な時間を割かれて、ウンザリしていましたね。
こんな運動会なら、ない方がいいのにな、と毎年思っていました。

中学校に入ると、体育祭とは別に「スポーツ大会」というイベントが加わりました。
「体育祭」と何が違うん!?という感じなのですが、体育祭はいわゆる運動会で、紅白に分かれたり、4ブロックに分かれたりしますが、スポーツ大会は主に競技別大会で、それぞれの競技で順位を競います。
体育館では、バスケ、バレー、バドミントン、卓球などが行われ、外のグラウンドでは、サッカー、野球が行われていましたね。
この形は、高校に入ってからも同じでしたが、高校生ともなると、体育祭よりもスポーツ大会に熱が入りがちです。
部活で培った技術を、部活部外者に見せつけてドヤ顔できるのも、スポーツ大会の魅力だったかもしれません(笑)

この、私の中学、高校のときの話をきいて、疑問に感じることはありませんか?
私は、中学に入って、すぐに疑問が湧きましたよ。

 「なぜ、運動会とスポーツ大会を別々にする必要があるん?」

私は社会人になって、数年間だけ教職に就いたことがありました。
もちろん、その間、運動会というイベントも、教師の立場として経験しましたが、指導者の立場になっても、運動会とスポーツ大会を別々に開催する意味や必要性がわかりませんでしたし、いまだにわかりません(苦笑)
私の個人的な意見としては、

 (中学と高校は)スポーツ大会だけでいいやん

です(笑)
そして、

 運動会は低学年だけでいいやん

です(笑)

私が教職についていた頃に感じたのは、運動会のような形式が必要なのは、せいぜい小3くらいまでということです。
就学前には、保育園や幼稚園で多少の集団行動は習うと思いますが、なかなか身につかない年齢でもありますので、大体3歳以降から5~6年くらいかけて身に付ける必要があるかな、と思っています。
(ただし、その集団行動の習得そのものが必要か、と問われると「yes」と断言できるだけの材料はありません)

しかし、10歳も過ぎるとそれぞれの運動能力に差が出てきて、一緒の種目を競うことが難しくなってきますし、この年齢になると、ちょっとしたプライドも成長してきますので、苦手な種目で恥をかきたくない、という思いも強まります。
また、競技がはっきりしていれば、目標も生まれてきて、自分の技術を上げる楽しみがあると思うし、チームメイトと目指すべき順位を共有しやすいので、個人的には運動会よりもスポー大会(競技別大会)をメイン行事にしたらいいのに、と思っています。

私は少なくとも、運動会は大嫌いでしたが、スポーツ大会は得意な競技を選べるので、好きでした(ちなみに、得意なのはバスケ、卓球、バドミントンでした)

現役教師に思いをぶつけてみたところ
実は、5年位前だったか、現役の中学校教師である友人と会っているとき、たまたま運動会の話が出てきたので

「運動会って、必要なん?」

といったことがあります。
答えは、

 「要る!ないと困る!」

でした。
何故?と問いかけると、少し考えて再度「必要!」と言いました。
おそらく、友人も運動会の必要性を、論理的に説明できないのだと思います。
はっきりした答えが返ってこなかったので、私は「スポーツ大会だけでいいやん?」と言ったところ、友人はすこし考えこみ始めました。
さらに「今の中学は授業時間が足りないといっているのだから、スポーツ大会と統合したほうが、授業効率もいいのでは?」という意見もぶつけてみましたが、結局はっきりした結論がないまま、最後にまた「要る」とだけ、友人は言いました。

私が気になったのは、友人が「ないと困る」と答えたことです。
運動会がないと困るのは、一体誰?
もしかして、教員側?
だとしたら、その運動会、絶対に不要です(笑)
したいなら、教師だけでやれ、です(苦笑)

大人の都合で開催する運動会は要らない
運動会って、毎年開催して当たり前のような空気がありますが、どうも学校側の押し付け感が強くて、抵抗があります。
もし、毎年開催するのならば、申し訳ないですが、まず開催するかどうかを、児童会や生徒会と教師側で協議する場を設けてあげてほしいです。

学校という場所には、大きいところでは何百人と在籍しています。
その全員が、運動が得意なわけではないし、運動会を楽しみにしている人数も調査するわけではないので、どのくらいの人数がいるか、誰も把握していません。
もしかしたら、運動会を楽しみにしていない人数が、上回っている可能性だってあります。
それでも、毎年開催して当たり前、という流れが出来上がっているのは、一体誰のための行事なのかな、と。

とかく、大人はルーティンを好み、イレギュラーを嫌いがちです。
特に、人を指導する立場の人は、新しいことにチャレンジすることに慎重になります。
もし、今までと違うことをして、大きなリスクを被ることになったら、という心配が勝り、責任という重圧に耐えられないので、マニュアル化された既存のことを、間違いがないように進めていこうとしがちです。
また、新しいことを始めるのは、時間と労力が必要です。
簡単に変更することは、なかなか難しいことでもあります。
そういったことが、おそらく「運動会中止」という考えを除外してしまう原因かもしれません。

でも、やはりそれは大人の都合でしかありません。
そこに、児童生徒の意見は反映されていないし、ましてや聞き取り調査など、戦後以降一度もなかったのではないでしょうか(している学校もあるかもしれませんが)

今の時代、選挙権は18歳から行使できることになりました。
それは、政治的な判断ができる年齢だと認められるからこそ引き下げられたともいえます。
そして、子どもは大人が思っている以上に判断力もあるし、意見もしっかりしています。
学校行事は、全て児童生徒のためにあります。
決して、教師のための行事ではありません。
だからこそ、児童生徒との意見交換や協議は必要だと、私は常々思っています。

ただ、この私の意見を発表できる場は、どこにもありません(苦笑)
ですから、仕方なくこのブログで発信してみようかな、と思った次第です。


今回は、運動会というピンポイントなテーマに沿って、自分なりの意見をまとめてみましたが、あまりまとまっていないかな?(苦笑)
私には子どもが居ないので、単なる机上の空論でしかないのですが、ただひとつだけはっきりわかっているのは、

 運動会が嫌いな人は結構居る

ということ。
運動会が来るたびに、憂鬱になる人もいることを、学校側に理解してほしいですね。