マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

なくても困らないモノの残し方(大切な人のモノ編)

2020-05-25 | 終活(モノの整理、心の整理、社会的整理)
なくても困らないモノの残し方、今回で一応一段落です(笑)

前回の『頂きモノ編』をアップした後、やはり頂きモノは基本的には残したらいかんと思うから、わざわざ残し方について綴る必要はなかったな、と思いました(笑)

ということで、今回の残し方は『大切な人のモノ編』です。

※前回までの3記事は、以下にリンクを貼り付けています(タイトル『』をクリック)
『なくても困らないモノの残し方(趣味のモノ編)』
『なくても困らないモノの残し方(思い出のモノ編)』
『なくても困らないモノの残し方(頂きモノ編)』前回
『なくても困らないモノの残し方(大切な人のモノ編)』←最後のテーマはコレ

『大切な人のモノ』とは
大切な人のモノって、定義がかなりあいまいで幅広いですよね。
ただ、大切に思える人というのは、関係性が一番強くかかわってくると思っています。
今回、前提として『大切な人』を、以下のような関係性の人たちとして、話を綴りたいと思います。

『大切な人』とは
 ・家族(血縁関係に拘らず、家族の形となっている関係の人)
 ・恋人や配偶者
 ・親友
 ・親交がある尊敬する人物

ざっくりと4つの関係を想定しています。
ただ、どの関係をとっても、あやふやでいつ崩れるかわからないのが人間関係ですから、あくまでも話を進めるにあたっての定義といたします。
なお、全く親交のない尊敬する有名人や著名人は、今回外して考えます(カテゴライズは、私の場合『趣味のモノ』にしますね)

さて、本題ですが『大切な人のモノ』が現在手元にあり、処分しようかするまいか、悩んでいるモノがありますか?
また、何故手元にそれがあるのですか?

やはり最初はカテゴライズから
前々回に綴った『思い出のモノ』は、今回の『大切な人のモノ』と少し重なる部分があります。
互いの贈り物や、一緒に購入したり作ったりしたモノなどは、思い出の品でありながら、大切な人のモノでもあったりしますので、どちらにしようか迷う場合は、フォーカスするのは人物なのかモノなのかで、決めていいかもしれません。

大切な人のモノを思い浮かべたとき、私の場合は以下のようなモノを想像します。

 ・遺品
 ・相手の家族のモノ(家族ではない大切な人の場合)
 ・相手から託されたモノ(大切に持っていてほしいと言われたモノ)
 ・相手が大切にしているモノだと知っているモノ(身に付けていたり、毎日手入れをしていたりするモノ)
 ・相手が手にしたときに喜んだモノや気に入っているモノ

もちろん、所有品全てが『大切な人のモノ』になるわけなので、1つや2つで済むわけはありませんし、上記のようなカテゴライズで収まるわけはありません。
しかし、いざ片付けてモノを減らすとなると、大切な人のモノだからという理由だけで持ち続けるのは難しいのも現実ですから、気持ちの上では厳しい判断かもしれませんが、気持ちに整理が付いたら、まずはカテゴライズから始めてみたらいいかな、と思います。

まずは相手の気持ちを知る
大切な人のモノを片付ける立場になったとき、その人がまだご存命であり、意思決定ができる状態であれば、必ず相談から始めましょう。
自分に用がなくても、相手は一生大切にするつもりかもしれませんから。
そして、相談した結果、相手が処分を迷った場合はそのまま残し、数日あるいは数か月してから、また同じ相談を持ち掛けてみましょう。

私の経験から言うと、人から言われて処分を迷うモノは、大体時間が経つと手放せるようになります。
他人から、処分するかしないかを問われると、きっと客観的な視点が本人に生まれるのだと思います。
私が、頻繁に片付け動画を見るのも、そういう効果を期待してのことです。
実際に、片付け動画を見たおかげで、処分する決心がついたモノもありますから。

ですから、今生きて生活をしている人のモノは、必ず所有者本人にしっかりと確認するところから始めて、そのあとの行動に移りましょう。
もし、それが面倒だと感じる場合は、日ごろからお互いのモノをそれぞれの判断で処分してもよい、というルールを決めておいたらいいかもしれません。

例えば、独立した子どものモノ。
実家に、大量のモノを残す子どもはたくさんいます。
親からしてみれば、大切な子どもが残しているモノは、全て大事だと思ってしまい、いつまでも置いたままです。
また、親や配偶者が施設に入所した場合も、同じことが言えます。
施設には、限られたモノしか持って行くことができないので、おそらく大量の私物が家に残り、不要品を見分けることは本人以外は難しいことが多いです。
子どもの場合も、大人の場合も、もし本人が家からいなくなり、一部の私物が残るのであれば、事前に話し合いをしておくことが必要です。

では、ここからは、相手の気持ちがきちんと把握できた後の、モノの残し方について、私見を並べていきます(笑)

子どものモノの残し方
親にとっては、子どものモノはどんなに見た目がガラクタやごみに見えても、すべてが大切なモノですよね。

とある既婚の女性タレント(子だくさんなご家庭)と、スポーツ選手の母親が、生まれて初めて取れた耳垢や鼻くそさえもいとおしいから保管したい(している)と、テレビで言っていました。
正直なことを言うと、子どもを持たない私は「不衛生すぎる」と、まず衛生面が気になり、まったく共感できませんでしたが、本人たちはいたってまじめに語っていました。

このように、大切な子どものモノは、すべて持っていたいと思う場合でも、よほどの豪邸に住まない限りは保管が難しいので、いつか減らさなければならないときがやってきます。
そんな時は、今までのようなカテゴライズでは、納得して処分するのは到底ムリでしょうから、本人が絶対に取って置いて、といったモノだけを残す努力をお願いします(笑)
そして、もう誰しもが同じことを言うかと思いますが、処分すると決めたモノに関しては、画像を残しましょう。
何なら、動画でもいいですよ。
動くおもちゃなどは、動かしているところを動画に収めて、あとはクラウドサービスに保管しましょう。
これで、実体を処分したとしても、画像や動画は残りますから、気持ちとの折り合いも付きやすいですね。
耳垢も鼻くそも、衛生面が気になるので、画像で残してください(笑)

施設に入った家族のモノの残し方
必要なモノだけを施設に持ち込んだら、家に残っているのは本人にとって実質不要品です。
しかし、家族は本人ではないので、自分のモノ以上に判断を迷うと思います。

この場合も、まずは本人が残しておいて、といったモノだけにフォーカスして残したらいいと思いますが、高価な品物だったり、自分が家族と過ごした際の思い出の品などが見つかったりすると、手放し難いですよね。
ですから、この場合は自分の気持ちが割り切れるようになるまで、まずは待ちましょう。
そして、片付けたい気持ちが強くなってきてから、片付けに着手してください。

子どものモノと違って、大人のモノは、全て画像に残すのはどうかと思います。
だって、本人が使っていた下着とか部屋着を画像で残しても、見返さないでしょう?(笑)
ですので、最初はまず、これは買い替えができないな、と思えるモノを残しましょう。
理由は、後先考えずに処分してしまったら、後悔の念が大きいからです。
自分のモノであれば、後悔してもあきらめがつきますが、家族のモノだとどうしても、処分してはいけなかったかもしれない、といつまでも気になってしまいます。
ただ、日常的にどこにでも売ってそうなモノは、処分してしまって怒らせたり悲しませたりしても、新しいモノを買ってあげたら機嫌もよくなると思いますので、本人が特別に思っていないモノに関しては、それでいいと思います。

ただし、いつでも買うことができるモノでも、配偶者の形見だったりする場合は、絶対に他者が処分してはいけませんから、所有者本人への相談は必須です。

大切にしてね、と言われたモノの残し方
これ、意外と難問なのですよね(笑)
宝石や金、骨とう品や美術品などのように、いずれ資産として運用できるモノであれば、迷わずに済むのですが、そうではない場合が、本当に難しい。

具体例として、昔女友達と議論になったことをお話ししますね。
そのときの議論は、

 「元彼に貰った指輪を、手放すか持ち続けるか」

でした(笑)
ひとりは、今の彼に申し訳ないから、人にあげたり売ったり、価格がそれほど高いモノでなければ捨てる、と言いました。
ひとりは、私が貰った時点で私のモノだから、気に入っていれば持ち続ける。
高価なモノであれば、いつか売却してお金にもなるから、持ち続けると(笑)
どちらが正解かは、私もわかりませんが、どちらの意見も尊重できるのは、元彼から貰った指輪やアクセサリーは、売却するのが一番、ということかな(苦笑)
ちなみに私は、別れが確定した時点で、元彼に返却します。
本人が拒否しても、無理やり返します(笑)

まあ、どのみち元彼に未練が残っていない場合の話ではあるのですけれどね(笑)
でも、もし未練が残っていた場合は、どうしますか?
おそらくですが、それは当然、手放せないと思うので、まあ気持ちの整理が付くまでは、目につかないところに保管しておいて、としかアドバイスできないかな。

恋人ではなく、友人や尊敬する人物から貰ったり預かったりしたモノも、最終的な判断を自分に託されたら、これもまた残すか処分するか、難しいですよね。
いずれ必ず返してくれ、と言われているのなら残しますが、そうではないモノ、例えばお互いの記念品として同じモノを持っておきましょう、となった場合などですよね。
しかし、自分の中ではもう思い出だけで十分になっていて、モノは残っていなくてもいいかもしれません。
こういう場合は、相手に忖度するかどうか、というところかと思いますが、処分した際の後悔の度合いが大きそうなうちは、残しておいた方がいいでしょうね。

でもまあ、いずれにしろ、今生きている人のモノは、本人に確認する勇気を持つのが、一番の解決方法ですね。

遺品の残し方
これも、故人を偲ぶとなかなか残すモノと処分するモノの判断が進まないと思います。
私の場合は、他界した父のモノがこれに当てはまるわけですが、基本的には何も残さなくていいと、自分は思っています。
しかしながら、母は違いますから、母の希望したモノだけを残している状況です。

遺品の価値は、金銭的なことだけにとどまりません。
故人との思い出がたくさん詰まったモノは、処分したくないですよね。
ですから、まずは、誰の基準でモノを残すか、を遺族間で話し合いましょう。
遺族全員の希望を聞いてしまうと、結局ほとんどのモノが残る事態になってしまいますから、まずは誰の意見を尊重するか、を決めましょう。
そして、その人物が決まったら、その方が希望するモノだけを残しましょう。
(ただし、かなりの時間をかけて話し合うことになる覚悟は必要)

それは、母親かもしれないし、故人の長子かもしれないし、故人の兄弟姉妹かもしれないし、いろいろなパターンが想定されますが、もし自分に決定権を任せられた場合は、次のステップとして、自分の価値観を再確認しましょう。
価値観とは、すなわち故人との思い出を優先するか、モノの市場価値だけにフォーカスするか、という部分です。
ここがブレると、残さなかったモノに対して後悔と未練が生まれてしまいますから、心を無にしてドライな心情で市場価値に目を向けるか、故人との思い出を遺品と共に残しておきたいと思うのかは、はっきり自分の中で決めておきましょう。
自分の価値観さえ確認できれば、あとは残すモノを大切に保管したり飾ったりすればいいだけです。

と、まあ、言うのは簡単ですが、そこに至るまでのプロセスは、かなり大変ですよね(苦笑)
ただ、遺品に関して私が言えることは、本人の意思は確認できない、ということ。
生前に、何かしらの意思を示していたモノであれば、それに従えばいいですが、そうではないモノは、今生きている人が判断していかなくてはなりません。
そして、もし、その遺品が原因で、生きている人たちの暮らしが荒れてしまうようであれば、モノを残しておく必要はないのかな、と思います。
モノが原因で、問題が発生しているのであれば、モノは早めに手放した方がいい。
そうしないと、今の自分の人生を楽しむ時間が削られてしまいますからね。
亡くなった人に気を遣って、今の世が生きづらくなるのは、どうなの?と思うので、もしも、思い出だけで十分だと思うのであれば、その記憶だけ残したらいいと思っています。


さて、これで4つの記事に分けた『なくても困らないモノの残し方』シリーズは、一応終了なのですが、私的には、モノを残す場合でも処分する場合でも、持ち主本人の意思を優先したらいい、という結論です。
自分以外の人の所有物について、あれこれ悩むのは、はっきり言って時間のムダだし、人生のムダにもつながります。
自分で判断できないモノは、とにかく持ち主や託してきた人に確認する。
故人であれば、故人のモノの要不要を判断する人を1人だけ決める。
自分に決定権があるのなら、自分が決めたルールで残すモノを選別する。
処分できないのなら、まず残すモノを決める。
いずれ、残したモノを手放すときも来るでしょうから、うじうじ悩むのならはっきりした意思で残したらいい、そんな風に思っています。