マシュマロ’sエンディングノート

~At the end of a marshmallow-like life~

身体が気温の変化についていけない(短めブログ)

2020-05-21 | 日々の暮らし
昨日から今日にかけて、気温が20度を下回り、身体がついていけません(苦笑)
結局、本日も頭痛と怠さで、午後は横になっていました。

と、今の世の中、体調が悪いとウイルス感染を疑われるかもしれませんが、発熱もなく、咳や鼻喉の痛み、味覚の変化などはなく、ただ頭痛とそれが原因と思われる怠さのみなので、大体寝ていればある程度は回復します。
働いているときは、頭痛薬や鎮痛剤などを服用して、何とか一日を乗り切っていたのですが、今はもう体調に合わせて生活をしています。

健康のためにと、雨の日以外は午前中に散歩をするのですが、効果はまだ出ないようです。
散歩から帰って、捨て曜日活動(ごみ回収日の前日を私は「捨て曜日」と名付けています)を少ししたのですが、母が使っている棚を1段分処分したら、もう疲れてしまいました(苦笑)

本日処分をすることにした不要品を、メモをしておきます。

 ・父が描いたラフ画や年賀状のデザイン絵(全てポストカードサイズ)とポストカード用ポケットホルダー
 ・使わない認印と朱肉と印鑑ケース
 ・安いアクセサリー(母のモノ)
 ・クリアファイル(配布物系)
 ・アクセサリーケース(オルゴール付き)
 ・「御仏前」と書かれた弔事袋
 ・A4ポケットホルダー
 ・全く使っていないノート類

以上です。

今日は力尽きているので、ここまでです。
明日は、体調が戻っていますように...

小さな不要品を処分(記録メディアとジッパー付きビニール袋)

2020-05-20 | 日々の暮らし
本日も、何を書こうか考えていたら、夜になってしまいました(苦笑)

今回は、久しぶりに小さな不要品を処分した話を綴ります。

記録メディア
数年前まで、スポーツ観戦の際に写真を撮っていました。
試合中の姿を撮影するので、大体連写(笑)
ですから、枚数が大変なことになります。
当然、メモリもあっという間にいっぱいになります。

私が、オートマチックの一眼レフから、デジカメでの撮影に切り替えた当時は、本体も記録メディアの容量も少なくて、容量の大きな商品は、結構高額でした。
すぐに容量が足りなくなるので、まあまあの容量の記録メディアを数枚持ち歩いていましたのですが、ケチっていたために、いちばん容量の多いメディアでも、せいぜい512MBなどでした。

その後、数GBのメディアが手ごろな金額で購入できるようになりましたが、今度は所持していたデジカメが容量の大きい記録メディアに対応しておらず(苦笑)
もう、そのころになると、持ち歩くのが重たいので、だんだんと写真を撮らなくなってきました。
ここ2~3年は、スマホで十数枚撮る程度になってしまい、デジカメもずっとクローゼットに眠ったままです。

写真をよく撮っていた頃に持っていた、記録メディア。
バックアップ用やデジカメに最初から付属していたモノも含めて、容量がMBのモノが6個、残っていました。
まだ、書類程度なら全く問題なく書き込めますが、今は容量がそこそこ大きい記録メディアを使用しているので、いちいち別の記録メディアに保存しません。

記録メディアは、1つ1つが小さいし、カードタイプになると薄いので、日ごろ邪魔に感じることはまずありませんし、正直使っていないモノは、存在すら忘れています。
時々、整理しようと取り出すたびに、そろそろ処分しないといけないな、と思いつつ、保管に場所を取らないために、いつの間にか処分することを忘れていました。

今週は、ちょっとしたモノを中心に処分することにしたので、やっと記録メディアも処分です(笑)
全て初期化済みですので、今度外出する際にリサイクル(金属部分の再利用)ボックスへ持って行きます。

シッパー付きビニール袋
ジッパー付きビニール袋の類って、便利ですよね。
密閉できるし、ちょっとした小物を保管することもできるし、簡易な防水ポーチとしても使えるし、万能です。

ところが、万能だと思い込んで、アレもコレもと保管していたら、いつの間にかあらゆるものがジッパー付きのビニール袋に入っている状態に(苦笑)
保存しているつもりのときは、特に何も感じないですが、その中身が不要になり、処分することになった場合、いちいちジッパーを外して中身を出すのが、結構億劫なのですよ。
そして、何故か思考の悪い癖が出てしまい、中身を処分した後、空になった袋で別のモノが保管できないか、考え始めてしまいます(苦笑)
しかし、そこは他の収納家具やインテリアと同じで、中身がなくなったらもう外側もお役御免なのですよね。
キレイな状態だったとしても、中身を処分したらジッパー付きビニール袋も処分しなくてはいけません。

今回は、記録メディア数枚が入っていた袋と、アクセサリーを入れていた袋を処分することにしたのですが、全部で10枚以上はあったと思います(笑)
サイズは、いちばん小さいタイプですが、これ、100円均一ショップで買おうとすると、50枚とか100枚とか入っているので、実はあまり消費できないアイテムのひとつです。

いろいろなモノを、結構あっさりと処分しているような印象があるかもしれませんが、私には収集癖があります(苦笑)
マニアではないけれど、そこそこカード類を集めている時期がありました。
プロ野球チップスとかJリーグチップス、買ってしまいます(笑)
一時期は、こんなに集めてどうするの?というくらい、たくさんのカードを所有していましたが、カードに写っている人物からサインをもらったモノ以外は、全て処分しました。
それでも、多分20枚ぐらい持ってますが...

そのカード類も、トレーディングカード用のビニール袋に入れたりしていたので、使いきれないビニール袋がたくさん余っていましたね。
ジッパー付きであろうとなかろうと、ビニール袋やポリ袋って、気を緩めるとすぐに増えてスペースを占領しがちなので、本当に水際対策が重要なアイテムですね(笑)


明日は恒例の捨て曜日(捨てるモノを決める日)
小さなモノを中心に、要不要を決めようと思っていますが、記録メディアとジッパー付きビニール袋を処分したので、今回は「保存・保管に使っている何か」をターゲットにします。

自分の部屋はもちろんのこと、母が使っている部屋のモノも、おそらく要らない保存・保管用の何かがあるはず(笑)
とにかく、思い付く限り不要品を炙り出す一日にしようと考えています。
不要品探偵は、明日も手をゆるめませんよ(笑)

ティーセットに関する思い込みを捨てる話

2020-05-19 | 日々の暮らし
今回は、何をブログで綴ろうかな、と考えていたら、いつの間にか夜になりました(笑)
夕飯を食べるときは、いつも飲み物を用意していますが、大体は日本茶か水です。
使う食器は、ガラスコップだったり、マグカップだったりするのですが、ここ数日は湯飲みを使っています。

今夜も、湯飲みを用意しながら、ふとティーセットに関することを思い出したので、今回はそのことについて綴ります。

ティーセットは何客ありますか?
私の家には以前、たくさんのティーセットと日本茶の茶器セットがありました。
ほとんどが貰い物で、両親が購入したモノはなかったようですが、ノリタケのアウトレット品などがたくさんありました。
親戚が、かつてノリタケで働いていたので、規格外品をいただいたりしたそうです。

ティーセットは、大体が5客セットで揃っていましたが、規格外ということと引っ越しを何度かしていることで、4客しなかったり、カップはあるけどソーサーがなかったり、その逆だったりと、きちんとそろっているティーセットは少なかったです。
しかしながら、種類がたくさんあったため、おそらく30客くらい持っていたと思います。

また、日本茶の茶器セット(湯飲み・フタ・茶托・急須)は、2~3種類はあったと記憶しているので全部で15客と、単品で購入したり、貰ったりしたモノを合わせると、こちらも30個以上は湯飲みがあったと思います。

それに加えて、おそらくどこの家庭でも似たような現象が起きていると思いますが、マグカップってこれでもか!というくらい、異常に多くなりませんか?(笑)
我が家にあるマグカップは、家族それぞれが気に入って購入したモノに加えて、コーヒーや紅茶などについてくるノベルティのマグカップが、食器棚に所狭しと詰め込まれていました(苦笑)

我が家の現在のティーセットや茶器セット
我が家の現在のティーセット、茶器セット、マグカップの数ですが、

 ・湯飲み小 1個
 ・湯飲み大(寿司屋で出てくるアレ) 1個
 ・マグカップ 5個(うち2個はセットで柄が一緒)
 ・カップアンドソーサー 2客
 ・デミカップ 2個
 ・カフェオレカップ 2個

全部で10個ですね。
これに、ガラスコップが3個加わります。
来客用のティーカップ&ソーサーや茶器セットは、ありません)

上記以外は、全て処分しました。
もちろん、ノリタケの規格外品のティーセットも。
処分方法は、全て「廃棄」です。
ノリタケの規格外品などは、メルカリやネットオークションなどに出品すれば、まあまあの価格で買ってくれる人もいたかもしれないのですが、食器は梱包の手間が大変なことと、売れるまで家に置いておかなければならないことが、精神的に負担だったので、全て捨てました。
ちなみに、我が自治体では、食器は家庭ごみなので、捨てると処分場で高熱で燃やされ(溶かされ)ます。

主に使っているモノ
マグカップのうち、2つは不思議の国のアリスグッズで、見た目が可愛いので、コーヒーや紅茶はアリスのマグカップで飲んでいます。
母は、専用のマグカップがあります。
残りふたつのマグカップは、カップスープ用です。

湯飲みは、以前は寿司屋仕様のモノを使っていましたが、洗いにくいので小さい湯飲みを使うようになってきました。

カップ&ソーサーのセットは、1客は私が気に入って買ったモノで、もう1客は母が残しておいてほしいと言ったモノで、すこし変わったデザインの陶器製です。
母のお気に入りは、全く使う気配がありませんが、私のお気に入りは、かっこつけて飲みたいときに使います(笑)

デミカップとカフェオレカップは、名前どおりの使い方をしていません。
デミカップは、つまようじ差しにしたり、スティックシュガーを差したりして使っていて、カフェオレカップは口が幅広なので、小さめの丼として使っています(笑)

ティーセットや来客用茶器類の思い込み
来客用に、と、カップ&ソーサーや茶器類を5客セットで購入している方、結構多いのではないでしょうか。
また、引き出物や返礼品として、5客セットなどをいただくことも、たまにありますよね。

私は、つい最近まで、複数のお客様にお出しするカップ&ソーサーや茶器は、全て揃っているモノを出さなければ、失礼にあたる、となぜか思い込んでいました。
そして、ほんの数か月前までは、茶器セットを処分せずに取っておきました。
もちろん、来客があった際に、それにお茶を入れておもてなしするためにです。

しかし、いつまでたっても5人もの来客などないし、そもそも我が家には来客が数年に一度、あるかないかです(苦笑)
だから、昨年のある日、思い切って来客用のティーセットや茶器類は持つまい、と決めて茶器セットを処分しました。
そして、もし来客があっても日本茶は絶対に出さないこととし、コーヒーや紅茶は、現在あるマグカップやカップ&ソーサーをうまいこと組み合わせて使うつもりでいます。
もし、それで客人が気分を害されたのなら、その方にはもう来訪していただかないようにします(笑)
ただ、そう決めてから以降、一度も来客がありませんが(苦笑)

そして、今ティーセットや茶器に関して思っていることは、

「5客10客と揃える必要はない」

ということです。

頻繁に来客がある家庭では、揃えておいてもいいと思いますが、年に1度か2度程度しか来客がないのであれば、揃えた5客10客がスペースを取りすぎて、邪魔になるだけですからね。
いつ来るかわからない客人のために揃えるのではなく、1客ずつがバラバラでもいいから、自分の好きなデザインや色柄のモノを持つ方が、自分の毎日のティータイムが楽しいです。

紅茶文化の英国では
ティーセットや茶器セットって、5客揃っていることが当たり前だと思っていましたが、英国では実は5客10客の柄やデザインが揃っていなくても、まったく気にしないのだと、テレビの番組で言っていました。

紅茶の歴史が長いイギリスでは、アンティークのティーセットもたくさんあり、長く使っていると、亀裂が入ったり割れたりして、ソーサーだけ残ってしまったり、カップだけが残ってしまうので、そういう場合は、柄が揃っていなくても、別のソーサーやカップを合わせて使うのだそうです。

また、数客全てのデザインを揃えるより、カップ&ソーサー&ケーキ皿といった3点セットで、お気に入りの1セットを買うことを好むとも言っていましたね。
ですから、数人が集まってお茶の時間を過ごす際は、いろいろなデザインや柄のカップ、ソーサー、ケーキ皿がテーブルに並び、それぞれのデザインや色柄を楽しみながら、そして食器について語り合いながらお茶を飲むのだそうです。

そういえば、趣は全く違いますが、茶道では茶碗の絵や模様を褒める、というお作法がありますね(ありますよね?)
日本茶にしても、紅茶にしても、使う器も含めて楽しむことが、大切なのかもしれません。

こだわりの1客
昔、職場の大先輩に、コーヒー専門の喫茶店へ連れて行ってもらったことがあります。
店内は長細い作りで、カウンター席とテーブル席が数個あるだけでしたが、マスターのこだわりが感じられるセンスのいいお店でした。
カウンターに座ると、正面には壁一面に棚があり、隅から隅までカップ&ソーサーで埋められていましたが、全て違うデザインで、コーヒーをオーダーするとマスターが気まぐれに1客を選んで、それにコーヒーを注いでくれる店でした。
聴くと、マスターが1つ1つ買い揃えたらしく、海外へ行って買い付けたセットもありました。

コーヒーにこだわりがあるのはもちろん、カップ&ソーサーにもこだわりがあるその様子は、正直かっこいいと思いましたし、自分もセンスのあるセットを集めてみたい、と思いました。
もっとも、モノが増えてしまうので、結局集めませんでしたけどね(苦笑)

そのコーヒー店とは別に、紅茶を専門とする私が大好きな喫茶店があるのですが、そこも食器にこだわりがあります。
オーナーが女性なのですが、イギリスがとても好きで、留学もしていたとのこと。
ですから、今でも新しい食器や紅茶を、直接買い付けに渡英するそうです。
渡英しているときは、お店が休みになるので、わかりやすいです(笑)

こちらの喫茶店も、ティーセットのデザインが何種類もあって、数人で訪れると、全員違うデザインの食器で紅茶や食事がサーブされるので、友人と訪れると、食器やカップの色柄や絵についての会話が自然と弾みます。
紅茶の銘柄や食事内容だけではなく、全てにおいてこだわりがちりばめられているお店なのだな、と最近になって納得した次第です(笑)

お茶の時間はそのすべてを味わう時間
紅茶、コーヒー、日本茶問わず、お茶の時間というのは、本来その全て(お茶の銘柄や味、食器、テーブルコーディネート、部屋や店の雰囲気など)を味わうのが、きっと通の楽しみ方なのでしょうね。

私はというと、家に居るときはお気に入りのマグカップ、カップ&ソーサー、湯飲みを使って飲みますが、そのほかは何も考えていません。
自室の机でパソコンのキーボードを叩きながら、無意識に飲み物に手を伸ばして飲むだけの毎日です。
お気に入りの器で、好きなモノを飲む。
それだけで、十分だと思っていました。

しかし、英国の紅茶の楽しみ方や、茶道の作法を思い浮かべると、本当はもっと拘った時間の過ごし方をした方が、もっと幸福度が上がるのかもしれないな、と思います。
とはいえ、やはりいつもどおり、お気に入りの器で好きなモノを飲むだけになってしまいますけれどね(苦笑)
もう少し、自分に余裕があったら、雰囲気作りにもこだわりを持つことができるのかもしれませんね。
ということは、今はまだ余裕がないということかな(笑)
いつかは、ステキなお茶の時間を過ごせるようになりたいですね。


今回は、ティーセットの話から、ティータイムの過ごし方まで、大した内容でもなくつらつらと綴ってしまいました。
でも、お茶の時間って実は重要な時間ですよね。
この時間がほんの数分あるだけで、なんとなくストレス解消になりますからね。
お茶の時間、拘るべきは自分の主観(笑)
お客様を喜ばすためではなく、自分が目いっぱい楽しむ時間にしていきたい、そう思います。

母の体調は毎日変化するという話

2020-05-18 | 母のこと
ブログでは、何度も母の病気について触れてきました。
今回は、そんな母が最近はどのような様子で過ごしているのか、を綴ります。

しつこいようですが母の病気について
もう、何度も触れているので、聞き飽きた(読み飽きた)かもしれませんが、再度確認で(笑)
母の主な病気は、糖尿病(2型)です。
また、糖尿病の合併症で心臓の病気もあります。
現在は、全て服薬治療になっています。

他に、白内障の手術をしたことによる、定期健診にも半年に一度、通っています。
白内障とは別に、糖尿病網膜症も発症しており、視界はぼやけているそうです(本人談)
そして、昨年は胃のポリープが出血し、それが原因と思われる極度の貧血を起こしました。
ポリープは、胃カメラを挿入しての切除手術を受け、無事に終わりましたが、糖尿病、心臓病の薬の他に、貧血の処方薬を服用することになり、以後糖尿病と心臓病と貧血の処方薬を服用しています。

体調が悪いときの母の様子
体調を崩す主な原因は、おそらく貧血です。
顔面が蒼白になり、下瞼の粘膜を確認すると真っ白になっていることがあります。
本人は、突然気分が悪くなった、と感じるようなのですが、おそらくもう少し前から、変調は出ているのだと思います。
ただ、母本人がそのことをまるで意識せずに生活をしているので、ふとしたこと、例えば急に勢いよく立ち上がった場合などに、数歩歩いたら貧血状態でふらふらし始める、といった具合です。

本日は、月1回の定期健診日だったので、時々母がふらついたりする、貧血だろうか、低血糖が原因だろうか、とかかりつけ医に質問してみたところ、貧血だろう、とのこと。
順調に貧血が回復すれば、薬を1種類か2種類は減らせるのですが、難しそうです。

調子がいいの?
本日の定期健診は、本当は先週行く予定にしていましたが、雨が降っていたので本日に延期したにもかかわらず、また雨が降ってしまいました(苦笑)

母は、あまりにも先の予定を伝えると、忘れてしまう為、数日前から病院へ行く日を伝えます。
しかし、カレンダーに記入しているにもかかわらず、覚えているときと覚えていないときがあり、覚えていない日の朝は、病院へ行くと言うと、かなり面倒くさがります。
面倒くさいのは、着替えなどの支度です。
心臓が悪いためか、少しの動作でも息切れしたり疲れたりしまので、着替えたり、駐車場まで歩いたりするのが、とても嫌みたいです。

嫌がる理由にはもうひとつあって、それは体調がかなり悪いときです。
体調が悪いときは、ほぼ一日中横になっていますし、食欲もありません。
服薬しているので、3度の食事はしなくてはいけないのですが、無理やり何かを口にしてから、服薬するという感じです。
とにかく、体調が悪いときは動きたくない、の1点に尽きるので、そのような日は延期できるように、毎回薬の残りに余裕がある日にちを設定して、病院へ行かせるようにしています。

今回は、どうも2日前くらいから体調がまあまあだったようで、まあ、息切れだったり、疲れやすかったりということは、毎回なのですが、今朝は私が起床したら、すでに着替えて待っていました。
しかし、病院の診療開始時間は9時なので、朝食を摂らせた後は、しばらくテレビを見ていました。

体調がまあまあのときの特徴としては、

 ・病院へ行く日だと覚えている(認識している)
 ・着替えや支度を積極的にする
 ・座ってテレビを見ている
 ・食欲が普通
 ・少し前の言動を忘れない
 ・家の中の移動が少し速めになる

といったところです。

体調が悪いときの特徴は、

 ・病院へ行く日だということはうっすら覚えているか、完全に忘れているかのどちらかである
 ・着替えや支度を極端に面倒くさがる
 ・食欲はない
 ・午前中はほぼ動けない
 ・少し前の言動を忘れる
 ・家の中の移動がかなりつらそう
 ・テレビは横になって見ている

という感じです。

調子の善し悪しが、どうも記憶力に影響しているような気がしています。

調子がいいと余計なことまで始める(苦笑)
体調がまあまあのときは、じっとしていることに飽きてしまうようで、あちこちの収納を開けては、私がせっかく整理した状態を崩して回ってくれます(笑)

まあ、母には母なりの使い勝手の良さなどがあるので、移動させたくなるようなのですが、私としてはもう家の中のモノはいじってほしくない、というのが本音。
母が入院したり、母がこの家からいなくなった時を想定すると、私があちこちいろいろなモノを探す羽目になるので、なるべく収納は私が把握した状態をキープしておいてほしいところなのです。
しかし、母にしてみたら、あっちに置いた方が便利かな、こっちに置いた方が取りやすいかな、と思って行動しているわけですから、母の調子がまあまあのときほど、バトルになりやすいです(苦笑)

自分で全部できるまで回復するのは無理そう
何度かの入院を経て、そのたびに母の身体は衰えていきました。
結果、今は長時間の家事は無理になってしまったし、散歩もできないくらい、足腰が弱っています。
また、最近は左上腕部が痛むようで、腕を高くあげたり、左腕を伸ばしてモノを取ったりするのが辛いようです。
左腕に力を入れるのもつらいようで、左手で支えて右手で何かする、という行為ができません。
しかし、調子がいいときは、身体を少し動かしたくなるようなので、無難な収納の整理を始めるみたいです。

もう少し、母自身が健康に気を遣ってくれる性格だったらよかったのですが、自分を過信しすぎていて、何もしなくても健康は保てると思い込んでいたようなので、今の状態は自業自得とも言えます。
病気になった今でも、そういう部分があり、私がいくら塩分や糖分は控えなければいけないのだ、と言っても、理解しようとしません。
味がないと美味しくない、といって、醤油をドバドバかけたり、コーヒーに砂糖を入れるときに、平気でスティックシュガー(普通のモノ)を3本くらい入れたりします。
半分の分量のスティックシュガーは、5~6本入れていますね。
病気ではなくても、その場に居たら止めるレベルです。

このような具合に、母はいまだに自分の身体の深刻さが解っていないので、今の状態よりも回復するのは、正直難しいと思っています。
昨日、いきなりこんにゃくを買ってきてくれ、と言い出すので、何故かと聞くと、ダイエットするのだとか。
母は、偏食と不規則な食事時間が影響してか、太っていますが、特にお腹周りのサイズがアメリカンサイズです。
それを、浴室の鏡で見て、かなり気になったようです。
というか、何故昨日いきなりそう思ったんだよ、もっと前に気が付いていただろう?と、心の中で突っ込みましたが、とりあえず「あなたのお腹は、こんにゃくでは痩せないよ」と返事しておきました(笑)
特定の食品に頼る前に、まず食事の時間を守らないと意味がないので、そのことも伝えましたが、おそらく痩せたいという気持ちは、今夜にでも忘れてしまいます。
毎回そうなので...

ご近所のおじさんに言われた
このご近所のおじさんは、マンションの同じ階の住人ですが、とても気さくで誰にでもフレンドリーに話しかけれくれる人で、私が20歳のときから仲良くしてもらっています(笑)
というか、初めて会ったときは、まだ子ども扱いされていたので(おじさんの長女が私より3歳くらい下でした)、いまだに私に声をかけてくれるときは、50を過ぎているにもかかわらず、少し子ども扱いです(笑)

このおじさん、私の母の体調の変化を覚えてくれていて「最近(私の母は)散歩にも出てないやろ?」「元気にしとる?」と気にかけてくれます。
そして、ご自身のお母様を介護した経験から、散歩に出なくなるとあとは衰えていくばかりになるから、覚悟しておいた方がいい、とも言われました。

たしかにそうだと、私も思います。
一番身近で母の様子を見ていましたから、遅かれ早かれ、寝たきりになる可能性が高いのは、かなり前から感じていましたし、当然覚悟もしています。
ただ、もし介護になった場合に、まず最初に何をして、継続してすべきことは何なのか、といったことが、全て想像の範囲でしかありません。
そろそろ、施設見学とかも視野に入れておいた方がいいかもしれないな、と思いつつ、なかなか行動に移せません。
今は、思い立ったらネットで検索する程度で、情報らしい情報は得ていない状況です。

不謹慎ですが
母は、現在支援認定も介護認定も受けていません。
支援や介護の認定基準を見ると、どうも私の母は当てはまりません。
ポリープで入院したときも、看護師さんでソーシャルワーカーも兼務されている方とお話しする機会があったのですが、家での様子を詳しくお話ししたところ、私の見解どおりの答えが返ってきました。
ということは、やはり今の母の状態では、介護どころか支援対象にすらならないので、何かのサポートを受ける際に、減免措置や補助金制度や保健適用ができないということになり、かなりの出費をしなくてはなりません。
また、支援や介護の認定をされていない人が受けられるサービスは、ほとんどない状況です。

これが、どういうことかというと、私しか家族がいない母の面倒は、私が見る以外にない、ということなのです。
以前から、無職ニート家事手伝い、などと言っていますが、私もできれば収入を得たいと思っています。
しかし母の体調は、もし何かあったときに、命に関わる状況になりやすいので、眼を離すことが難しい状況にまでなっています。
そうすると、私はほぼ24時間、母の様子を把握しておく必要があるということになります。

もちろん、すぐにどうということはないので、短時間の買い物程度は大丈夫ですが、泊りがけや夜遅くまでの外出は、何かあったときに対処が遅れるので、控えるしかありません。
働くにしても、家を空ける実時間は数時間だけ、というシフトにしてもらわないといけません。
そんな人、雇う方は要らないですよね(笑)
そう思うと、なかなか仕事探しに着手できないというのが、私の現状でもあります。

もし、私が月収の多い仕事に就いていたら、家政婦を雇うこともできますが、それだと介護は業務外でしょうから、結局私が家に居る時間を長くする以外に、今のところ方法を思いつきません。
ですから、本音を言うと、母には支援や介護の認定が下り、行政のサービスを受けられる状態にまで衰えてもらえないだろうか、もしそれが無理なら、散歩に出られるくらいの健康を取り戻してくれ、と思っています。
本当に不謹慎なのですが、中途半端な状態なので、私も困るばかりです(苦笑)

まあ、それでも命があるだけ、ありがたいと思うべきなのかもしれませんね。


本日は、母の体調変化の話を綴ってみましたが、私の母のような状態の人って、結構多いのではないかと思っています。
数値化されない、隙間人口ですよね、きっと。
健康な人は、健康診断でわかりますし、介護を受けている人の人数は、行政が把握しているはず。
しかし、行政のサポートや助成金を受けられない、でも人の手を借りなければ生活が難しい、という人がどれだけ居るかなんて、だれも調べられないし、だれも知らないと思います。
でも、そういう状況の人は、たしかに存在しますから、もう少し何とかなる世の中にならないかな、と考える日々です。

政府の支援マスクが届いた話

2020-05-17 | 日々の暮らし
今朝は、またまた気圧の変化による頭痛で、午前中はずっと横になっていました。

午後になって、母が散歩に出たいというので、付き添いましたが、足が動かないといって、すぐに帰宅することに。

郵便受けに届いていた
帰り際に、マンションエントランスの郵便受けを覗いたら、届いていましたよ。



政府が現在、全戸に配布中のマスクです。
予定どおり2枚(笑)
少なくても多くても問題ありますが、ちゃんと2枚入っていました。

すでに配布されている関東近郊では、汚れやカビ、ほつれや破れなどの不良品が一部の世帯に送られてきたというニュースもありましたが、今回届いたマスクは不良品ではありませんでした。

大きさ
一部の方は、小さすぎて使えない、という感想のようでしたが、実際どのくらいの大きさか、見てみましょう。



開いた状態の、私の左手のひらとだいたい同じくらいの大きさです。
私の手は、どちらかというと小さい方で、指も短いです。
ちなみに、ゴム手袋は一般的なSサイズがフィットします。
その私の手のひらに、すっぽり収まるサイズですので、小顔の人や子どもは、鼻を覆ったとしても、きちんと口元まで覆えるサイズです。
しかし、顔が大きい方や顎が長い方は、口元しか覆えないかもしれません
ただ、このサイズ、決して小さすぎるわけではなく、市販されている一般的なガーゼマスクと同じ大きさでした。

昭和生まれのマスクに関する感想
このガーゼマスクは、昭和の時代から使われている歴史の長いマスクです(笑)
もしかしたら、大正時代とかでも使っていたかもしれませんが、私が物心ついたころのマスクは、このガーゼマスクしか、世の中には売られていませんでした。

このころは、まだ口と鼻を覆うという認識がなかったように思います。
風邪気味でマスクをして学校に行く際も、口元だけ覆って鼻はフリーな状態で着用していました。
使い捨てマスクが多く出回るようになってきたのは、花粉症の人が全国的に増えてきたからでしょう。
花粉症の場合は、口元どころか鼻も眼も守らなくてはいけないので、今のように鼻から顎くらいまでを覆える面積になったのだと思われますが、ガーゼマスクだけの時代は咳をした際の飛沫だけを防ぐといった認識で使っていたかと思います。
当然、風邪やインフルエンザの予防としてマスクを着ける習慣などはなく、病気に罹ってから着用するモノでした。

ですから、国会で首相がガーゼマスクを着用している姿を、揶揄している人を多く見かけましたが、もしガーゼマスクしかなかったら、首相の付け方しかできないので、問題は首相の付け方ではなくて、マスクの機能性だと思います。

とはいえ、いまさら違う形状でガーゼマスクを作ることは、難しいというのならば、もう仕方ないですよね。
マスク製造の工場が、この作り方しかできません、というのであれば、受け入れるしかないですから。
聞くところによると、ガーゼマスクの縫い合わせは、人の手によってミシンがけされているとのことなので、無理に機能性を考えた形に変えろ、とは、とてもではないですが言えません。
ましてや、今回は非常事態ですから、文句を言える立場にはありません。

だけどやっぱり機能性を上げてほしい
といいつつ、本音のところでは、ガーゼマスクの機能性はどうにかならんかな?と思っています。
今回のパンデミック以前は、ガーゼマスクはほとんどの薬局で一番取り扱いが少なかった商品ですし、正直ガーゼマスクをわざわざ買う人を見かけたことは、ほとんどありませんでした。

COVID-19が国内で流行し始めたころから、不織布のマスクが店頭から軒並み消えていきましたが、最初の頃はガーゼマスクだけ売れ残っている状態だったのですよね。
しかし、いよいよマスクなしで外出するには、あまりにもリスキーになってきたので、その後ガーゼマスクも店頭から消えました。

5月17日現在、徐々に店頭に不織布のマスクが並ぶようになってきていますが、特殊加工された布製で洗って繰り返し使えるマスクも、増えてきました。
また、手作りする人も増えたので、マスクが不足しているという事態からは脱している印象です。

実を言うと昨日使い捨てを買っていました
そろそろ、ガーゼマスクが届く頃かな、とは思っていたのですが、いつになるかもわからないし、我が家にもガーゼマスク(配布物と同じ大きさ)は2枚あるので、いつ届いてもいいかな、と思っていました。
それに、もし店頭に使い捨てマスクが並ぶようになったら、とりあえず買っておこうと考えていたところ、昨日買い物へ行った際に、スーパーにありました。
7枚入りで290円でしたので、ひとまず購入した矢先の、ガーゼマスク到着でした。

我が家のような家庭、たくさんあるのでしょうね。
今の時点で、まだ品薄感がある店舗が存在しますが、マスクがまったく手に入らない状況とは言えなくなってきました。
しかも、手芸が得意な方は、自分や家族の分まですでに作って使用していますから、正直ガーゼマスクの需要は減りつつあるように思います。

それでも、政府が支援として配っているわけですから、ありがたくいただいておこうと思います。
ただ、今は使わずに、備えとして持っていようと思います。
マスク工場の方々には、全世帯分のマスクを作っていただいて、感謝しています。
ありがとうございました。


ということで、今回はマスクが届いたので、リポートしてみました。
まだ、マスクが届いていない地域もあるとのことなので、たまたま私のブログを見ることがありましたら、参考にしてください。

運動は嫌いではないけれど運動会は嫌いだった話

2020-05-16 | 日々の暮らし
昨晩、何気なく見ていた英語レッスン的な動画に嵌り、午前中はずっとそのチャンネルをみていました。
が、しかし、今回綴る話は、英語とは全く関係ありません(笑)

動画を見た後、SNSのタイムラインをみていると、各地の小中学校で運動会が中止検討されていて、子どもたちが可哀そうという親がいる一方で、中止になる方がホッとするという子どもや親御さんもいる、という内容がありました。
今回は、運動会についての私見を綴ります。

体育の授業はそこそこ好き
私は、運動が苦手というほどでもなければ、得意というほどでもありません。
時には、運動音痴と見られたり、時には(技術に関して)上手だと評価されたり、おそらく私を知っている人たちの、私の運動能力に関する印象は、バラバラです(笑)

何故、そういう印象なのか、といえば、得意種目と不得意種目が半々だったからでしょう。
また、得意な種目だからと言って、抜群に上手だったわけではないので、まあ運動能力に関しては、ほとんどの人が「マシュマロさんは運動が得意だったっけ?不得意だったっけ?」と言うでしょう。
つまり、運動能力に関しては、全く印象に残らない程度しか持ち合わせていない、ということだと思います(笑)

幼いころからそんな感じでしたから、学校の体育は、楽しみなときもあれば、憂鬱なときもありました。
ドッジボールやバスケは大好きでしたが、体力測定やサーキットトレーニングは大嫌いでしたね。
多分、単調な運動が嫌いです(笑)

歳を重ねて、いわゆる「スポ根」と「チーム競技」が嫌いという自覚が生まれ、中学では付き合いで卓球部に入ったことはありますが、すぐに辞めてしまい帰宅部に、そして高校生のときは、文系の部活に所属しました。

しかし、ただ机に座って勉強するだけだと、こちらも当然飽きてきます(笑)
ですから、体育の授業は、私にとって適度に身体を動かせる「息抜き」の時間という認識です。
そんな心持ちで授業を受けるから、ますます「スポ根」と「チーム競技」が嫌いになったのでしょうね。
体育の先生が聞いたら、怒りそうですね(苦笑)

運動会(体育祭)は嫌い
体育の授業は、それほど嫌いではなかったのですが、運動会(体育祭)は嫌いでした。
特に、練習が大嫌いでした。
自分の中では、運動会(体育祭)は日ごろの運動能力の発表の場だという認識でしたから、わざわざ練習する意味が解らなかったのです。
また、体育の先生に怒鳴られながら、入退場や整列の練習、好きでもないダンスの練習をさせられ、結構な時間を割かれて、ウンザリしていましたね。
こんな運動会なら、ない方がいいのにな、と毎年思っていました。

中学校に入ると、体育祭とは別に「スポーツ大会」というイベントが加わりました。
「体育祭」と何が違うん!?という感じなのですが、体育祭はいわゆる運動会で、紅白に分かれたり、4ブロックに分かれたりしますが、スポーツ大会は主に競技別大会で、それぞれの競技で順位を競います。
体育館では、バスケ、バレー、バドミントン、卓球などが行われ、外のグラウンドでは、サッカー、野球が行われていましたね。
この形は、高校に入ってからも同じでしたが、高校生ともなると、体育祭よりもスポーツ大会に熱が入りがちです。
部活で培った技術を、部活部外者に見せつけてドヤ顔できるのも、スポーツ大会の魅力だったかもしれません(笑)

この、私の中学、高校のときの話をきいて、疑問に感じることはありませんか?
私は、中学に入って、すぐに疑問が湧きましたよ。

 「なぜ、運動会とスポーツ大会を別々にする必要があるん?」

私は社会人になって、数年間だけ教職に就いたことがありました。
もちろん、その間、運動会というイベントも、教師の立場として経験しましたが、指導者の立場になっても、運動会とスポーツ大会を別々に開催する意味や必要性がわかりませんでしたし、いまだにわかりません(苦笑)
私の個人的な意見としては、

 (中学と高校は)スポーツ大会だけでいいやん

です(笑)
そして、

 運動会は低学年だけでいいやん

です(笑)

私が教職についていた頃に感じたのは、運動会のような形式が必要なのは、せいぜい小3くらいまでということです。
就学前には、保育園や幼稚園で多少の集団行動は習うと思いますが、なかなか身につかない年齢でもありますので、大体3歳以降から5~6年くらいかけて身に付ける必要があるかな、と思っています。
(ただし、その集団行動の習得そのものが必要か、と問われると「yes」と断言できるだけの材料はありません)

しかし、10歳も過ぎるとそれぞれの運動能力に差が出てきて、一緒の種目を競うことが難しくなってきますし、この年齢になると、ちょっとしたプライドも成長してきますので、苦手な種目で恥をかきたくない、という思いも強まります。
また、競技がはっきりしていれば、目標も生まれてきて、自分の技術を上げる楽しみがあると思うし、チームメイトと目指すべき順位を共有しやすいので、個人的には運動会よりもスポー大会(競技別大会)をメイン行事にしたらいいのに、と思っています。

私は少なくとも、運動会は大嫌いでしたが、スポーツ大会は得意な競技を選べるので、好きでした(ちなみに、得意なのはバスケ、卓球、バドミントンでした)

現役教師に思いをぶつけてみたところ
実は、5年位前だったか、現役の中学校教師である友人と会っているとき、たまたま運動会の話が出てきたので

「運動会って、必要なん?」

といったことがあります。
答えは、

 「要る!ないと困る!」

でした。
何故?と問いかけると、少し考えて再度「必要!」と言いました。
おそらく、友人も運動会の必要性を、論理的に説明できないのだと思います。
はっきりした答えが返ってこなかったので、私は「スポーツ大会だけでいいやん?」と言ったところ、友人はすこし考えこみ始めました。
さらに「今の中学は授業時間が足りないといっているのだから、スポーツ大会と統合したほうが、授業効率もいいのでは?」という意見もぶつけてみましたが、結局はっきりした結論がないまま、最後にまた「要る」とだけ、友人は言いました。

私が気になったのは、友人が「ないと困る」と答えたことです。
運動会がないと困るのは、一体誰?
もしかして、教員側?
だとしたら、その運動会、絶対に不要です(笑)
したいなら、教師だけでやれ、です(苦笑)

大人の都合で開催する運動会は要らない
運動会って、毎年開催して当たり前のような空気がありますが、どうも学校側の押し付け感が強くて、抵抗があります。
もし、毎年開催するのならば、申し訳ないですが、まず開催するかどうかを、児童会や生徒会と教師側で協議する場を設けてあげてほしいです。

学校という場所には、大きいところでは何百人と在籍しています。
その全員が、運動が得意なわけではないし、運動会を楽しみにしている人数も調査するわけではないので、どのくらいの人数がいるか、誰も把握していません。
もしかしたら、運動会を楽しみにしていない人数が、上回っている可能性だってあります。
それでも、毎年開催して当たり前、という流れが出来上がっているのは、一体誰のための行事なのかな、と。

とかく、大人はルーティンを好み、イレギュラーを嫌いがちです。
特に、人を指導する立場の人は、新しいことにチャレンジすることに慎重になります。
もし、今までと違うことをして、大きなリスクを被ることになったら、という心配が勝り、責任という重圧に耐えられないので、マニュアル化された既存のことを、間違いがないように進めていこうとしがちです。
また、新しいことを始めるのは、時間と労力が必要です。
簡単に変更することは、なかなか難しいことでもあります。
そういったことが、おそらく「運動会中止」という考えを除外してしまう原因かもしれません。

でも、やはりそれは大人の都合でしかありません。
そこに、児童生徒の意見は反映されていないし、ましてや聞き取り調査など、戦後以降一度もなかったのではないでしょうか(している学校もあるかもしれませんが)

今の時代、選挙権は18歳から行使できることになりました。
それは、政治的な判断ができる年齢だと認められるからこそ引き下げられたともいえます。
そして、子どもは大人が思っている以上に判断力もあるし、意見もしっかりしています。
学校行事は、全て児童生徒のためにあります。
決して、教師のための行事ではありません。
だからこそ、児童生徒との意見交換や協議は必要だと、私は常々思っています。

ただ、この私の意見を発表できる場は、どこにもありません(苦笑)
ですから、仕方なくこのブログで発信してみようかな、と思った次第です。


今回は、運動会というピンポイントなテーマに沿って、自分なりの意見をまとめてみましたが、あまりまとまっていないかな?(苦笑)
私には子どもが居ないので、単なる机上の空論でしかないのですが、ただひとつだけはっきりわかっているのは、

 運動会が嫌いな人は結構居る

ということ。
運動会が来るたびに、憂鬱になる人もいることを、学校側に理解してほしいですね。

漫画家・野間美由紀先生のミステリー作品が大好きです

2020-05-15 | 老後

gooニュース『漫画家・野間美由紀さん 虚血性心疾患のため59歳で急逝 現在も連載中だった』


昨日、この訃報をツイッターで知り、悲しくて切なくて未だに落ち込んでいます。
突然の旅立ちに、動揺しています。

野間先生の作品を初めて読んだのは、中学生の時で『パズルゲーム☆はいすくーる』の初回でした。

1度読んですぐに好きになった漫画
当時、漫画雑誌『花とゆめ』をよく友人たちと一緒に読んでいました。
社会人になってからは、漫画雑誌を読まなくなったので、最近の傾向は知らないのですが、当時『花とゆめ』は他の少女向け漫画雑誌とは路線がかなり違っていて、新鮮かつ斬新な内容が多かった記憶があり、読んでいてとてもワクワクしたのを覚えています。

そんな漫画雑誌で、ある日始まったミステリ漫画。
もともと、ミステリ小説が好きだったことと、当時はミステリを題材にした漫画はありましたが作品数が少なく、全くのオリジナルストーリーのミステリ漫画が始まり、『花とゆめ』を買うのがますます楽しみになりました。

『パズルゲーム☆はいすくーる』の魅力は、ミステリーとしてしっかりとしたストーリーでありながらも、舞台が高校なので、謎やトリック、犯行の動機が意外なほど単純で高校生らしかったりするのですが、それがかえってリアリティに結び付いているところでした。
また、ストーリーとはあまり関係なく、主人公の2人(大地と香月)のラブラブなシーンが描かれているところも、思春期だった私には適度な刺激(笑)と同時に、なぜ今ラブラブなシーン???となり、斬新なラブコメ感が大好きでした。

つい最近、野間先生のnoteを読んで、なるほど、だから唐突にラブシーンになるわけか、と納得しました(笑)
ミステリと恋愛の要素の振り分けというか、バランスのとり方が独特なのだな、と私なりに解釈しました。
この記事、とても面白いので、是非読んでいただきたいです。
もちろん、野間先生の他の記事もお勧めですよ。

野間先生の巻末エピソード漫画で知ったこと
多くの野間先生のファンは、かの米米CLUBがライブハウスなどで活動しているころから知っていて、いよいよメジャーデビューとなったときも、野間先生の漫画で知ったのではないでしょうか?
というか、私はそうです(笑)
確か『パズルゲーム☆はいすくーる』でバンドが出てくる回は、米米CLUBのビジュアルがモデルになっていましたよね(と、ファンの方がこのブログを読んでいることを想定してみる)

『パズルゲーム☆はいすくーる』がコミック化されたとき、巻末に掲載されるエピソード漫画で、米米CLUBのことを最初に描かれたのは、まだメジャーデビューする前の米米CLUBで、たしか当時マイナーでのCDプレスはしていた記憶があります。
いま、もうコミックを手放してしまったので、詳細を覚えていないのですが、確かそうだったと思います。
特に、私が記憶に残っていたのは、シュークリームシュ(米米CLUBメンバーでダンスユニット)のMINAKOさんのこと。
野間先生はお気に入りだったらしく、漫画からもかわいらしい女性ダンサーなのだろうというのが、伝わってきました。
メジャーデビューして、メディアに出るようになってから、初めてきちんと姿を見たのですが、想像どうりのかわいらしい女性で、野間先生は見る眼があるなあ、と生意気にも思ってしまいました(笑)

あと、印象に残っているエピソードで、有名な某宝石店で起きたトラブルのお話があるのですが、私は基本的にアクセサリーに興味がなかったので、そこで初めて〇ァ〇ドー〇青山を知りました(笑)
以来、百貨店のジュエリー売り場を通るたびに、その宝石店ブランドが目に入ってしまうようになりました(笑)

野間美由紀先生が好きな理由
社会人なると、少しずつ漫画を読む機会が減り、野間先生の『パズルゲーム』シリーズも、途中で読まなくなってしまいましたが、野間先生はデジタル機器やSNSなどをいち早く利用しておられて、作品は読んでいなかったのですが、SNSはフォローして、いつも更新を楽しみにしていました。

SNSが普及していない時代から、野間先生の暮らし方や仕事に対する姿勢に、憧れるし尊敬もしています。
巻末のエピソード漫画などで、趣味である編み物やお料理のお話が出てくると、この方は今でいう「丁寧な暮らし」を、何の気負いもなく実践されているのだな、連載を持って忙しいはずなのに、凄いな、と。
そして、私もこんな風に器用で丁寧に暮らせる人になりたいな、と何度も思いましたが、私には無理だと知り、時短、効率化、手抜きが大好きな人間になってしまいました(苦笑)

SNSが普及してからは、野間先生がアップする画像やつぶやきを見るのが大好きになりました。
丁寧な暮らし方をしていて、それなのにお仕事にはいち早くデジタル技術を取り入れて、背景の有料配布なども積極的にされていて、ガジェット類も最新のものを導入して、古い習慣を大事にしつつも、新しいモノでご自身の役に立つモノは積極的に取り入れる姿勢は、本当に尊敬しています。
また、そのお姿がまったく押し付けがましくないところも、大好きなところです。

野間先生の作品はもちろん、野間先生のお人柄や暮らし方が、大好きです。

また読み始めよう
野間先生は、旅立たれる前に連載がスタートしていました。
たしか、コミックの最新刊も2月ごろに発売されています。

私はここ十数年、野間先生のコミックは購入していなかったのですが、『パズルゲーム』シリーズは何らかの形で未読分を読みたいと思っていました。
しかし、まさかこんなに突然に旅立たれてしまうとは思いもしなかったので、なぜもっと早くに読もうと思わなかったのか、と後悔しています。
この後悔が、いったい何なのかはわかりません。
ただ、ご存命中に読んでおきたかった、ただそれだけなのです。

『パズルゲーム☆はいすくーる』は、全作品読み終えてますが、派生したシリーズは未読がほとんどです。
全て集めてしまうと、本棚がなく保管場所に困ってしまうので、デジタル化された作品を少しずつ購入しようと思っています。


野間先生が考えるミステリ作品、本当に大好きです。
野間美由紀先生、いままでステキで面白いミステリ漫画を、ありがとうございました。
もう、新しい作品はこの世界では読めないけれど、もし、私が旅立ったときに同じ世界に行けたなら、その世界で新作を読みたいです。
野間先生の作品があるだけで、きっとその世界をたのしく過ごすことができるから。
私は、野間先生に安らかにお休みくださいとは言いません。
次の世界でも、暮らしとお仕事を楽しんでください、と言いたいです。
いえ、もうすでに次の世界で、有意義なときを過ごし始めている、そう思っています。

朝の散歩で気になっていたベーカリーに寄ってみた話

2020-05-14 | 日々の暮らし
本日は、散歩の話と初めて入ったベーカーリーのお話です。

散歩は気まぐれに
これまでの散歩は、時間帯もコースも決めずに、しかも毎日ではなく思い付いた日だけにしていました。
というのも、買い物へは徒歩で行くようにしていたので(重たいモノを買う日は車)、特に散歩を意識的にすることはありませんでした。

ところが、COVID-19の影響で非常事態宣言が出され、外出を控える日々が続いたので、全く散歩をしていないことに気がつきました。
これではいかん、と思い、朝の時間に散歩をすることにしました。

朝に散歩をする理由
朝の散歩って、とても健康的な気がしませんか?
でも、正直朝の時間帯に散歩をするのは、多分人生初かもしれません。
もしかしたら、幼いころに母としていたかもしれませんが、覚えている限り昼過ぎのおやつの時間前に散歩していたことが多かったです。
というのも、母は朝が弱く結構遅い時間まで寝ていることが多かったからです。
家事は、昼食前後に洗濯や掃除をして、午前中は家族の朝食を作り終えた後に、再度寝ていたと記憶しています。

実を言うと、私も朝はあまり活動的ではありません。
今は、母の薬の時間や朝食の支度(と言っても大したことはしませんが)をする必要があるので、毎日7時に起床していますが、それがなかったら、もう少し遅くまで寝ていると思います。

そんな私が、午前中に散歩をしようと思ったのは、2つの理由があります。
1つ目は、午前中は気温があまり上がらず、日陰も多いので歩きやすいから(午後は、陽も高く気温も上昇して暑い)
2つ目は、歩いている人が比較的少ないからです。
歩いている人が少ないのは、外出自粛生活の影響も大きいですが、平時でも朝の通勤時間帯を避ければ、昼間より人出が少ない気がします。

散歩は1人が大好き
私は、1人でのんびりと、景色を見ながら歩くのが好きです。
日ごろも、通勤時間や買い物のときに、あちこちを見ながら歩いていることが多いです。
毎日通いなれた道でも、あったはずの家がある日突然解体されたり、新しいお店ができたりするので、その背景をいろいろと想像しながら楽しんでいます。

昨年のいつ頃だったか忘れましたが、最寄り駅を利用した際に、以前はバーのようなお店だった場所が、空き店舗に替わっていました。
その後、次に入るのは何だろう、と思っていたのですが、いつの間にかのぼりが立ち、ベーカリーが開店していることを知りました。

新しいベーカリー
このベーカリー、営業が始まったのは今年の2月で、まだ3ヶ月も経っていません。
駅前で、立地条件はいいのですが、ビルの入り口から少し奥まった場所にあるので、入るときに少し勇気が必要ですが、ずっと気になっていました。

今回、朝の散歩へ出ようと思った際に、そうだ、新しくできたベーカリーでパンを買ってみよう、と思い立ち、小銭だけをポケットに入れて、駅前へ向かいました。
駅までは、徒歩で10分強。
信号待ちを含めると、12~13分と言ったところでしょうか。
散歩にちょうどいい距離(笑)
美味しかったら、定期的にリピートするかもしれません。

最近は、遅い時間帯に開店するベーカリーも多いので、もしかしたらまだ開店前かもしれない、と思いつつ駅前へ向かうと、すでにのぼりが立っていました。
開店時間は朝の7時と書かれていて、門前払いをされずに済みました(笑)

ビルの入り口を入ると、1.5m先くらいにさらにガラスで仕切られた店舗が見えました。
店舗入り口に向かい、ガラス越しに店内を確認すると、約6畳ほどのスペースに陳列棚をコの字型に設置して、所狭しとパンが並べられていました。

店内に入ると、まず目につくのがマフィン。
陳列棚のスペースを考えると、かなり多くのマフィンが並べられています。
種類も、プレーンやチョコレートチップなどにとどまらず、いろいろな種類があり、ざっと確認しただけでも7種類はありました。
マフィンに力を入れているベーカリーだということが、よくわかります。
通常、6畳ほどの店内であれば、マフィンの種類はせいぜい3種類くらいで、他のパンを多く売りたいのが心情だと思うのですが、これほどマフィンを推してくるのならば、買わないわけにはいきません(笑)
まずは、初来店したということで、プレーンマフィンと紅茶のマフィンをトレイに取りました。

その後、どのようなパンがあるのか、ひととおり確認しましたが、結構種類が多かったです。
多かったので、どれを買おうかかなり迷いましたが、ハムエッグサンド(ロールパンで挟んだ商品)とシナモンロール、そして、テーブルロール2個入りを1袋、買うことにしました。

会計をしている最中に、サンドイッチがなかったような?と思っていたのですが、会計を済ませて帰ろうとすると、レジ横に冷蔵のショーケースがあり、そこにサンドイッチがありました。
サンドイッチは、そのベーカリーのパンが自分の口に合うかどうかを決めるのに、割と重要な商品だと思っています。
サンドイッチがおいしくないと、なかなかリピートする気になれません。
サンドイッチが美味しいということは、食パンも美味しいということ。
逆に、食パンが美味しいベーカリーはサンドイッチも絶対に美味しいです。
ですから、初めて行くベーカリーでは、なるべく食パンかサンドイッチを買うようにするのですが、見つけるのが下手過ぎて、ロールパンのサンドイッチを購入してしまいました(苦笑)

結論を言うと、サンドイッチもマフィンも美味しかったです。
ランチの時間に食べようと思っていたのですが、つい我慢できずに、食べてしまいました(笑)
店員も、物腰の柔らかい方(男性)だったので、買い物がしやすかったです。

リピートしたいので頑張って営業してほしいベーカリー
新しくできたベーカリーが入っていた場所、実はこれまで何度も入居店舗が入れ替わっていました。
時には不動産関連の事務所、時にはナイトバー、時にはライブハウス的な店舗と、とにかく数年の間にいくつものお店が入れ替わっていた場所なので、このベーカリーも、いつ出ていくかわかりません。
また、今はCOVID-19による営業縮小や自粛で、廃業するお店が増えています。
小さなベーカリーなので(ちなみに支店1号のようで、本店が他の場所にあるらしい)、少し心配でもありますが、頑張って営業を続けてほしいな、と思います。
今後は、時々散歩がてら買いに行こうと思っているので、散歩の楽しみがひとつ増えました。


本日は、散歩の話と新しいベーカリーの話でした。
朝の散歩のついでに、ベーカリーでパンを買う。
なんとなく、ステキな一日の始まり、って感じですが、この後はダラダラと過ごす予定です(笑)

外出自粛が私にもたらしたことについて

2020-05-13 | 日々の暮らし
タイトルの印象から、とてもまじめな内容を思い起こさせるかもしれませんが、大した内容ではありません(笑)
本日は、私が外出自粛生活を始めた結果、ちょっとこれは続けられないな、ということが判明した話です。

外出自粛要請と緊急事態宣言から今日までのこと
もともと、無職でニートで家事手伝いだったので、外出自粛要請が出る前と後の暮らしぶりは、ほとんど変化がありませんでした。
あるとしたら、買い物へ行く日を確定したことと、買い物内容は数日分を想定して買うように心がけ始めたことです。
その後の、緊急事態宣言が出てからは、買い物へ行く回数を減らし、週に一度程度にして1週間分の飲食料品をまとめ買いするようになりました。

一時期は、ネットスーパーの利用を始めようとしていたのですが、みな考えることは同じで、直近の配達日が1週間以上先しかないという状態になり、利用をやめることにしました。
その代わり、COVID-19感染拡大の影響で、在庫を過剰に抱えてしまった生鮮食品や地域の農産物をセットにしたセール商品をネット購入し、我が家の食料品を充実させることにしました。
その後、野菜や魚、ハム・ソーセージは十分な数量になったので、お菓子や特産品がセットになっているネット商品も購入し、おやつも確保できました(笑)

外出自粛で増えたこと
本を読む時間や、テレビや動画を視聴する時間が増えた以外に、暮らし方そのもので増えたこと。
それは、買い物へ行く回数が減り、食材や食料品をまとめ買いするようになったため、3食全て自炊調理するようになったことと、それに費やす時間です。
外出自粛要請が出される前は、できる限り調理をしなくて済むよう、デリカテッセンやレトルト食品やインスタント食品を、思い付きで買いに行っていました。
しかし、数日間は外出しないようにするとなると、生鮮食品も多めに買うため、その消費に忙しく、結局3食全て自分で調理する日が増えてしまいました。

そして、アクティブな人間ではない私には、外出自粛の弊害などないと思っていたのですが、最近になって、私の生活リズムに弊害が出ていることに気がつきました。

外出自粛の弊害
外出を自粛していることで、さまざまな弊害が出ている人も多いと思います。
それは、きっと、仕事のことだったり、家族との関係性だったり、割と深刻な事態になっている人も、多いと思います。
そんな方たちがいる中、私に起こっている弊害など取るに足らないことなのですが、私にとっては、かなりのストレスに繋がっています。
その弊害とは、

 自分で作る料理に飽きた

もう、本当に外出自粛生活で頑張っていらっしゃる方たちには申し訳ないのですが、私、自分で作った料理に、とうとう飽きてしまいました(苦笑)

そもそも、レパートリーが少ないので、いくら食材を豊富に用意したところで、仕上がる料理は同じになってしまうのですよね。
例えば、具が日替わりのみそ汁、変わった具材のシチューやカレー、家にある食材で作った炊き込みご飯など、とにかく毎回作る料理名が、基本的に同じになってしまいます。
それ以外は、ただ焼くだけ、ただ炒めるだけ、というように、あまり考えなくて済むような調理をしていて、手順が多い料理は、もうずっと食べない状態が続いていました。

ならば、視聴している動画やテレビ番組で、目新しレシピでも探して、アレンジすればいいのでは?と思うでしょう?
しかし、そういう問題ではないのですよ。
手の込んだ料理をしたとして、いざ食べる際には、調理で疲れた状態で食べるため、割と義務感(成功したか失敗したかの確認)で食べているようなところがあって、手放しに喜んで食べるということができないのですよね。

私は、料理はそこそこのレベルで作れていると思いますが、好きではありません。
できることなら、人が作った美味しい料理をいただきたいです(笑)
ですから、外出自粛生活に入る前は、日常的にデリカテッセンや弁当を購入する機会も多かったですし、何かの用事で外出した際は、とりあえずどこかに立ち寄って、ランチやカフェタイムを楽しんだり、ファストフードを買って帰ったりしていました。

今は、そういう暮らしを自粛しなければならないし、そもそも自分が行きたい場所や店が閉館中や休業中の場合もあり、外出目的が自動的に削除されていっている状態です。
そして、たまにしか外出していなかった私も、さすがに食料品や日用品の買い物を週に一度だけだと、知らず知らずのうちにストレスが溜まっていっている感覚が湧いてきました。

最初は、外出しないことがストレスだと思っていたのですが、最近になって、料理が作りたくなくなってきていることや、誰かが作った美味しい料理食を食べたいと強く感じ、ストレスの原因は、これじゃないだろうか?という結論になりました。

週一の買い物をやめてみた
先週、金曜日に買い出しに行ったので、次の買い物は金曜もしくは木曜に前倒しするつもりでいました。
しかし、料理をしたくない自分に気が付き、気が付けば野菜ももう小さなにんじんが1本残っているだけとなり、予定していなかった火曜日(昨日)に、ついに買い出しに行くことにしました。

そして、スーパーで購入したモノは、

 手抜きの味方『冷凍食品』(笑)

かなり久しぶりに、調理済みで温めるだけの冷凍食品を買いましたよ(笑)
もちろん、半調理済みの冷凍野菜も買いました。
そして、これまた久しぶりにデリカテッセンも購入。
おかげで、昨日今日と食事の支度が断然楽ちんになりました(笑)

炊事のストレスは溜めてはいけない
家事全般、きちんとしようと思えば思うほど、ストレスになりますよね。
家事が大好きでもない限りは、ほとんどの人は少しでも効率化や手抜きをしたいと思うはず(違う?)
私の場合は、洗濯は嫌いではなく、掃除はそもそも嫌いなので、手を抜くことばかり考えていますが、炊事(食事作り)に関しては、人間食べないと死ぬと思っているので、割と栄養面やバランスを気にすることが多いです。
特に、母の病気もあり、手抜きの味方である冷凍食品(調理済み)やデリカテッセンも、毎食は使えないと思っていて、1日1回以下を心がけているようなところがありました。

まとめ買いをするようになった最近は、もちろん調理済みの冷凍食品を買っておいてもよかったのですが、購入した野菜で自作の冷凍カット野菜を作っていたため、冷凍庫が渋滞していたので、買い控えていました。
また、さすがに自作の冷凍カット野菜も日持ちの点では長持ちしないので、なるべく毎食使うようにしていたため、デリカテッセンや調理済み冷凍食品は、それらを消費してから購入しようと思っていました。
そして、結果的に3食手作りにならざるを得ませんでしたが、それが今思うと、いつもと違う生活だったこともあり、ストレスに繋がったのだと思います。

手抜き解禁
振り返ると、この外出自粛生活では、思いのほか暮らしが丁寧になっていたと思います(笑)
たまに、母の要望でピザの宅配を頼んだりしましたが、それ以外はほぼ私の手作り料理ばかりで、まさか、自分で自分が作った料理に飽きる日が来るとは、考えていませんでした(笑)

昨日購入して食べたデリカテッセン(揚げ物)は、本当に美味しかった。
人が作った料理、最高です(笑)

ということで、なんと、偶然にも福岡では明日、緊急事態宣言が解除されるとのことなので、市町村単位でも解除発表されると想定して、買い物の回数を週に2回に復活して、食材や食料のネット購入は、一度止めることにします。
そして、またデリカテッセンやテイクアウトの食事を増やして、炊事(料理と後片付け)の時間を縮小していきたいと思います!(笑)


なんだか、今回もくだらない内容ですみません。
でも、自炊が増えて、自分に合う暮らし方がはっきり自覚できたので、今後もし同じような事態になった場合は、なるべく自炊が増えない方法を、考えておこうと思いました。
多少割高にはなりますが、テイクアウトやデリバリーに頼って、ストレスを解放するようにすることが、今では健全な姿だと思っています(笑)

捨て曜日に処分したモノ(使わないタオル)

2020-05-12 | 日々の暮らし
本日は、家庭ごみの回収日でしたので「捨て曜日」だった昨日、新たに不要品を処分しました。
今回は久しぶりに、捨てたモノの話を綴ります。

捨て曜日に処分したモノ
今回は、使っていないタオルを処分することにしました。

使っていないタオルとは、未使用だが使い切れていなかったモノ、しまい込んでいた年月が長すぎて、シミが付いてしまっているモノ、雑巾にしようと思って取っておいたモノなどです。
おそらく、50枚以上はあったかと思います。
一番大きいサイズの指定袋がいっぱいになるくらいですから、もっとあったかもしれません。

さて、その大量のタオルを、なぜ今まで持っていたか、という理由をお話しします。

タオルを残していた理由
これまで処分する基準として、使わないモノ、使っていないモノ、好みではないモノは、処分対象としてきました。
また、当然のことながら、破損、汚れ、ほつれなども、処分対象でした。

その基準で行くと、今回処分した大量のタオルは、とうの昔に処分しておかなければいけないモノでしたが、頭の中にいろいろな可能性が浮かんできて、処分せずにいました。
その可能性とは、1つは使い捨てタオルとして利用できる点で、2点目は将来母が自宅介護になった際に使える点でした。

具体的に説明をすると、使い捨てタオルというのは読んでそのままですが、特に汚れがひどい箇所や車の足回りを拭いたり、適度な大きさに切って、ちょっとした箇所を拭くのに使おうと思っていたからです。
実際、数十枚は適当な大きさに切って、台所の油汚れを拭くのに使っていましたし、窓のサンやベランダの溝など、特に汚れがひどい箇所を拭いて、1度きりで捨てて使っていました。
台所で使っていた、タオルの切れ端においては、キッチンペーパーを消費しなくて済んでいたので、節約にもつながっていたと思います。

母の介護に使用するというのは、具体的には食事の際に食べこぼしを拭いたり、涎掛け代わりに使ったり、少し汚い話になりますが、トイレを失敗した際のことを想定していました。
そうなると、おそらくタオル類はいくらあっても足りなくなるかもしれない、と思っていたので、とりあえず使い捨てタオルとして消費しながら、母の介護に備えるつもりで、ずっと持っていました。

ところが、そうして使っていても、いつまでたってもタオルが減らないのですよね(苦笑)

タオルを処分することにした理由
今回、家族2人が使う分だけ残して、あとは処分してしまおうと決めた理由は、いくつかあります。

1つ目は、切ったタオルの切れ端は、思ったほど使い勝手がよくないと感じながら使っていたからです。
油汚れを落とす分には悪くはないし、キッチンペーパーを消費しないという点では重宝したのですが、なんとなく手になじまない感覚がありました。
また、無くなったら、自分で十数枚のタオルを、裁ち鋏でひたすら切らなければならないので、その作業が面倒に思えてきたし、時間も取られてしまうので、いかがなものか、と感じ始めていました。

2つ目は、母の介護が始まるかもわからないし、いつになるかもわからないのに、タオルをそれまで持ち続けていたら、それこそ私に何かあった際に、家の中を整理する人が大変だと思ったからです。
タオルは、1枚の重量はなんてことありませんが、50枚以上あるとちょっとした家具並みに重たいです。
もし、他人が処分するとなると、絶対に舌打ちするレベルで重たいです(苦笑)
ですから、他人に迷惑をかけないという意味もあり、処分する決心がつきました。

3つ目は、タオルが占領していたスペースが、勿体ないと感じ始めたからです。
今となっては、我が家の収納スペースは余裕があるので、タオルを収納していても、他の必要なモノを圧迫してしまうことはありません。
しかしながら、その使わないタオルを押し込んでいるスペースが空になれば、いろいろな使い方ができるようになります。
今まで、収納が難しかったサイズのモノが納まるかもしれませんし、空なら空のままでも生活に支障はありません。
また、今使っていない部屋(がらんとしている)に、いずれ私の自室にある家具などを移動させようかと考えているので、スペースは空いていれば空いているほど、都合がいいです。

このような感じで、大量のタオルを取っておくメリットが、私の意識の中で薄れてきたので、今回思い切って処分することにしました。
ただ、現在使っているタオルのストックとして、数枚だけ残しています。
また、ごみ袋には全部は入らなかったので、残りは次回の捨て曜日に処分する予定です。

タオルを残してもいい環境の人
今回、私は大量のタオルを処分することにしましたが、残しておいた方がいい環境の人もいるかと思います。

 ・子どもがまだ小さい、あるいはやんちゃであちこち汚す(笑)
 ・家族を介護したり補助についたりしていて、タオルは何枚あっても足りない
 ・仕事柄、身体が汚れやすい
 ・仕事や趣味で使っている道具などのメンテナンスに、必要
 ・動物と暮らしていて、トイレ掃除や動物の身体の汚れを拭くのに、何枚でも必要

この他にも、私が思いつかないようなシーンで、タオルが必要な人がいるかと思います。
しかし、上記に当てはまらない人や、いつも無意識にタオルに替わるモノで対処してしまっている人は、タオルを大量に持っておくメリットは、まず無いといっていいと思います。
持っておくとしたら、フェイスタオルとハンドタオルを数枚ずつで十分です。
洗濯する頻度に合わせた枚数を持っておけば、困ることはありません。

ジム通いやスポーツをしている人は、プラス数枚必要になる程度で、タオルはそこまで大量に持っていなくても、十分過ごせます。
また、家族が多い場合は、1人が使う枚数を把握して、人数分を持っておけば問題ないと思います。
私が、処分していいというタオルは、いつ何の目的で使うか、はっきり定まっていないタオルのことですから。

ちなみに、バスタオルは個人的には不要だと思っていますが、友達が頻繁に泊まりに来たり、家族が2世代3世代同居の場合は、あった方が何かといい面もありますね。
それから、スーパー銭湯に通うのが好きな女性も、バスタオルはあった方がいいですよね。

タオルを溜めない努力
タオルの中でも、とくにフェイスタオルと言われるサイズ(長さ80cm程度、幅が33~35cm程度)は、よく粗品やおまけなど、無料でもらうことが多いですよね。
また、何かの返礼品としてもらうことも、よくあります。

しかし、自分でお気に入りのタオルを揃えて使っていたり、今使っているタオルがまだ替え時ではなかったりすると、貰い物のタオルは、どんどんタンスの引き出しやクローゼット、押し入れに溜まっていきます。
気が付くと、何十枚にもなっていて、私のように50枚超えになります(笑)

もし、できることなら、全く貰わずに済ませ、必要な時だけ手に入れられたらありがたいのですが、気を遣って受け取ってしまったり、こちらの意思確認なく配送されてしまったりするので、なかなか枚数をコントロールできません。
寄付やリサイクルのシステムがある自治体であれば、それほど悩むことなく手放して、タオル枚数を安定させることができますが、そういった方法がとれない場合は、捨てるか人にあげるかしかできません。
だったら、やはり水際で押さえる、というと大げさですが、できる限り自分の意思とは関係なく入ってくるタオルは、少なくするか無くす努力が必要です。

一番手っ取り早いのは、手渡しされる場合に思い切って断ることです。
これは、何かを買ったり入会や契約をした際に貰う、粗品系に有効です。
次に取る方法としては、貰ったらすぐにリサイクルや寄付に回す。
これは、配送されてくるタオル(粗品、記念品、返礼品など)に適用するようにしておくといいですよね。
ただ、記念品や粗品は、企業ロゴが入っているモノも多いので、その場合は思い切って捨ててしまうか、即座に雑巾として使いましょう。

しかし、ここで一番努力すべきは「新しいから勿体ない」や「貰ったモノだから使わないと悪い」という気持ちを、最初に捨てることです。
上記の方法は、当たり前といえば当たり前の処分方法です。
不要なのだから、それなりに処分するのは、他のモノもタオルも同じです。
であるにもかかわらず、タオルが溜まってしまうのは、他でもない「勿体ない」「せっかく貰ったから使おう」と思ってしまう気持ちが強いからです。

もし、貰ったタオルが極上で、今まで使ったタオルの中で一番肌触りもよく、水分の吸収率も高い、ということであれば話は別ですが、まずそういったことはありません(笑)
ですから、例え誰か親しい人や目上の人に貰ったからと言って、無理に使う必要はないし、ましてや勿体ないなどとは思わなくても大丈夫です。
そもそも、タオルを使うシーンをくれた人に見せることなんて、よほどのことがない限りありませんよね?(笑)
ですから、処分してしまっても黙って知らんぷりしておけばいいと思います(苦笑)

勿体ないと思う気持ちは、もともと代用がきかないモノや、代用品があってもすぐに買いなおしや補充ができないモノを、大切に最後まで使いましょう、という気持ちのことだと思います。
新品でいただいたモノだから、勿体ないわけではないのですよね。
誰かから貰ったという付加価値は、最初から除外してもいいと思います。

タオルを無駄に増やさないための、最大の努力は「自分勝手になりきること」です。
要らないから、貰わない。
貰っても、使わないから処分する(リサイクル、寄付、廃棄)
その気持ちを、強く持つことが、タオルを増やさない最大の秘訣だと、私は思っています。


昨日、タオルをごみ袋に入れて、夜遅くにごみステーションへ持って行きました。
気持ち的には、とてもすっきりしています。
これで、また一つ厄介なモノが家の中からなくなりました。
ここのところ、日中に気分が優れないことが多かったのですが、今朝は少し身体が軽く感じられたのは、もしかしたら厄介モノを処分できたおかげかもしれません。
身体が軽く感じられたので、久しぶりに午前中に散歩しました。
家の中が軽くなると、身体も軽くなるのでしょうか?
だとしたら、まだまだ不要品はたくさんあるので、それらもどんどん処分していかなくては!(笑)