今朝、地震の夢を見た。それはともかく、ブロッコリー事件があってから、食料品を買うため新たに通う事になったドラッグストアのレジで割り込まれた。レジまであと2~3メートルの所で、その女性は入り口側(清算後の場所)から来た。レジまではどちらも同じ距離だったが、向こうは速足でレジに付いた。(こういうことは以前もあったが、その時は相手は品物を清算後の場所に置いたので、こちら向きの店員さんは気付かず、こちらが先になったが、)今回は完全に先を越された。しかし、よく見るとその女性は赤ちゃんを抱えており、更に見ていると、店のポイントカードも無く、しかも現金で支払っている。そのあと、駐車場から出るときクルマが同時になったが、県外ナンバーだった。まあ、そういうことなら余裕がないのは良く分かる。あの時は我慢して黙っていてよかったと、つくづく思った。
ネットで取り寄せた品物に関して「発送しました」という返信メールが来た。翌朝、確認すると、配達中の表示が出ているのに、いつも宅配便は、その日の夜にしか来ない。そうか、退職する前は、昼間に配達に来てもらっても、いつも留守だったから再配達になってしまっていた。その経験から、配達する担当者は、どうせ、あの家は日中留守だろうから一番最後に回ろうと思っているのだな。そう考えて、今度配達に来たら「朝からずっと家にいて待っていたのだ」と言おうとするのだが、あの配達に来た時の、疲れ果てた顔を見ると、いつも言えなくなってしまうのだ。
40年以上前、高校生の頃にアルバイトで山小屋にいた。知らない先輩アルバイトが社会人となって小屋の主人に感謝の意味を込めて、海で獲れた魚の刺身を、わざわざ山小屋まで大変な苦労をして持ってきた。しかし、小屋の主人は、その刺身に、なかなか手を付けようとはしない。手を付けても、わずかなひとかけらを、食べたか食べないかだ。それが終わると、他のアルバイト達も食べてよいことになっていた。しかしながら明治生まれの小屋の主人は、山から外へ出たことがなく、魚の刺身など食べたことが無いから、とても苦手だったのだ。それを見た先輩アルバイトは、自分が持ってきた刺身では量が少ないと勘違いしたのか、ご丁寧に後日再度、刺身を持って来たではないか。そして私は、小屋の主人がなかなか手を付けないのを見かねて、腹が減っていたのも手伝って、先に箸をつけてしまった。小屋の主人は怒鳴ったが、そのとき私は、小屋の主人は刺身を食べられないのだ。と言った。そのときから、刺身を二度も持ってきた先輩アルバイトは、二度と来ることは無かった。そして後日、私は小屋の主人からも、その先輩アルバイトからも、両方から感謝されたのだった。
石川県津幡町(つばたまち)では、いろいろな場所に「犬の置物」がある。玄関先などに置いてあるもので、一般家庭でも良く見かける。これは昔、地元津幡町で堤防の決壊を犬が吠えて回って教えてくれたと言う話から、その犬を称えて作られたものだと言う。それが本当なら、犬も人間並みの知能を持っていることになる。
そうか、「犬は自分の事を人間だと思っている」という話を聞いたことがあるが、そうなんだろうと思う。
私が子供だった頃、父親が趣味で狩猟をしていた。それに関して、もうかなり昔の事なので暴露するが、父の事ではないが、父の狩猟仲間は、立山の麓で熊を獲って生計を立てていた最後の人だ。その猟犬10数頭は全て血統書付きの柴犬だが、犬は消耗品扱いであり、年を取って不要になれば躊躇なく山で捨ててきたという。そんな犬たちは自分の事をどう思って生きて、飼い主をどう思って見ていたんだろう。そんな事を考えると本当に悲しくなる。
こちら金沢では、これからの季節、どんより曇った鉛色(なまりいろ)の空が、ほとんど毎日続く。むしろ晴れる日は少なく、毎日が「雨」か「雪」か「曇り」のどれかなのだ。金沢と言うより、北陸、または日本海側のほとんどがそうだろう。そんな気候風土では、このブログでよく見かけるような、華やかに画面を飾る美しい花や、元気に外を飛び回るペットの写真などを撮影するのは、なかなか難しいものだ。さあ、これから何をテーマにしようか?