昨日よりは今日、今日よりは明日、というように進歩していくこと、前進していくことを、私はずっと理想だと思ってきました。
しかし、最近、本当にそうなのだろうか? と懐疑が芽生えているのです。
進歩というからには、発展段階説や理想像や目標とするもの・人などがあると思うのですが、ホンネでは、そんなもの何もありはしないと思ってしまうのです。
昭和の時代には、芸能、スポーツなどで、スーパースターがいました。
相撲、プロレス、野球、歌謡など。自分とはかけ離れた才能があり、異次元の人たちが、確かに存在したように思うのです。
現在でも、イチローなど驚異的な才能を発揮する人たちがいますが、それは特定分野での才能であり、総体としては、異次元の人たちとは思えないです。
日本経済が右肩上がりであれば、イチローも、かつての銀幕スターのような、特別なスーパースターになっていたかもしれません。いまでもスーパースターですが、若干ニュアンスが違います。
進歩主義の崩壊が、スーパースターの死の要因だと思えてなりません。
成熟した社会の中で、成長期とは異なる価値観、目標、ライフスタイルの熟考が、ひとの幸福を最も左右するファクターだと思いました。
しかし、最近、本当にそうなのだろうか? と懐疑が芽生えているのです。
進歩というからには、発展段階説や理想像や目標とするもの・人などがあると思うのですが、ホンネでは、そんなもの何もありはしないと思ってしまうのです。
昭和の時代には、芸能、スポーツなどで、スーパースターがいました。
相撲、プロレス、野球、歌謡など。自分とはかけ離れた才能があり、異次元の人たちが、確かに存在したように思うのです。
現在でも、イチローなど驚異的な才能を発揮する人たちがいますが、それは特定分野での才能であり、総体としては、異次元の人たちとは思えないです。
日本経済が右肩上がりであれば、イチローも、かつての銀幕スターのような、特別なスーパースターになっていたかもしれません。いまでもスーパースターですが、若干ニュアンスが違います。
進歩主義の崩壊が、スーパースターの死の要因だと思えてなりません。
成熟した社会の中で、成長期とは異なる価値観、目標、ライフスタイルの熟考が、ひとの幸福を最も左右するファクターだと思いました。