昨日のテーマが「国歌」でしたので、同じ音の「国家」について。
日本に生まれたひとがはじめて「国家」らしきものに出会うのは、小学校ではないでしょうか。義務教育です。
小学校1年生のときに、先生から日本は世界2位の経済国であることを教えてもらい、何か誇らしいような、いい国に生まれたのだなと思った記憶があります。
義務教育がなければ、いまの自分はありません。
この表現や感覚は、いまの大学生くらいの年代の人たちには、ちょっとわかってもらえないかもしれません。
「三丁目の夕日」は1958年の東京を描いたものですが、私の出身地である鳥取のような地方では、時差をともなって「三丁目の夕日」のまだ豊かではないが、暖かいつながりのある地域コミュニティが1960年代後半まであったと思うからです。
出生地が東京なのか地方なのかに関係なく、あるいは親の年収に関係なく、平等な教育機会があった日本という国家。
現在、教育水準と所得の階層化が進もうとしています。
個人的には、教育よりも、日本の歴史・伝統・文化の方に関心が強いのですが、これらも国家と深く関係しているものばかりです。
奈良の大仏建立、和歌(私の好きな古今和歌集も)の編纂なども国家事業でした。
歌舞伎を観るとき、あるいは座禅にいくとき、日本に生まれてよかったと思う気持ちは、国家に愛着をもつ気持ちなのでしょう。
資本主義と自由も、当然国家のあり方と強く関係していて、日本は好ましい国家といえるでしょう。
日本の長い歴史では、「砂浜の足跡」の国家バージョンストーリーがあるとすれば、オリジナルバージョンの神の足跡に相当するのは、「天皇」の足跡なのでしょう。
日本に生まれたひとがはじめて「国家」らしきものに出会うのは、小学校ではないでしょうか。義務教育です。
小学校1年生のときに、先生から日本は世界2位の経済国であることを教えてもらい、何か誇らしいような、いい国に生まれたのだなと思った記憶があります。
義務教育がなければ、いまの自分はありません。
この表現や感覚は、いまの大学生くらいの年代の人たちには、ちょっとわかってもらえないかもしれません。
「三丁目の夕日」は1958年の東京を描いたものですが、私の出身地である鳥取のような地方では、時差をともなって「三丁目の夕日」のまだ豊かではないが、暖かいつながりのある地域コミュニティが1960年代後半まであったと思うからです。
出生地が東京なのか地方なのかに関係なく、あるいは親の年収に関係なく、平等な教育機会があった日本という国家。
現在、教育水準と所得の階層化が進もうとしています。
個人的には、教育よりも、日本の歴史・伝統・文化の方に関心が強いのですが、これらも国家と深く関係しているものばかりです。
奈良の大仏建立、和歌(私の好きな古今和歌集も)の編纂なども国家事業でした。
歌舞伎を観るとき、あるいは座禅にいくとき、日本に生まれてよかったと思う気持ちは、国家に愛着をもつ気持ちなのでしょう。
資本主義と自由も、当然国家のあり方と強く関係していて、日本は好ましい国家といえるでしょう。
日本の長い歴史では、「砂浜の足跡」の国家バージョンストーリーがあるとすれば、オリジナルバージョンの神の足跡に相当するのは、「天皇」の足跡なのでしょう。