市の図書館の方から電話で、来週対面朗読の要請がありました。
今回は、資料が間に合わないため初見での朗読になるらしい。
(冷や汗たらたらですね
)
ところで、4月の演奏会の曲をどうしましょ。
この前弾いた「春の朝」にしようかな?でもまた先生に代えられるかも・・・。
今まで稽古したものは皆どれも弾けるようにしておかなくちゃ。
(そうでないと、レパートリーがない)
「春の朝」の曲あたりから、すごく一絃琴の「歌」に悩むようになりましたが
最近、清虚洞系ではない先生を知り、いろいろ歌について尋ねているうち
だんだんと、もやもやが晴れてきた気がしています。
うちの先生は、一絃琴独自の歌い方とか言われるけど
実はそんなものは存在しない、あるのは、従来の邦楽の歌であり
その歌い方や節回しなのです。(それが最近わかってきました)
だから、独自のものはどこにあるのかと探求するのではなく
邦楽の古典芸能をよくみてよく聞き、歌を模索することにしようと思います。
「歌は心そのもの」とその先生はおっしゃいます。
その方に『一絃琴の真髄はあなた自身で模索していきなさい』といわれ
それまで霧の中を彷徨って、自分がどこへ向かっているのか
全然分からない気がしていましたが
急に目の前のもやもやが晴れて、視界が開けた感じになったのは
ほんとうにフシギな感覚です。
つまり、自分以外の人にそれを請うのではなく
自分の中にそれを見出していきなさいということらしくて
なぜか、すごくすっきりした気持ちになったのでした。
(やっぱ、「先達はあらまほしきものなり」です)
江戸末期にこの琴の名手であった真鍋豊平は
男性にしてはかなりの高音まで切々と歌うことのできる人だったのでは
ないかと想像します。とても美しく情感たっぷりの曲も多いので・・・
人生の悲哀を声に託して・・・どの邦楽にも通ずることかもしれませんね。