絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

恒例「六年生を送る会」

2007年03月14日 09時12分52秒 | Weblog
昨日は小学校の「六年生を送る会」があり、朝から学校へ。
もちろん六年生の保護者が多いのだが、他の学年の保護者も
子どもたちの頑張って準備した出し物を観に来る。

これで通算5年間、毎年毎年みている。
今年度のはじめには、うちの学校どうなるのか!?というくらい
子どもたちはうるさかったが、昨日は随分と静かだった。
先生方のご指導のおかげか、それともやはり興味のあるものに
対しては静かにできるということなのか?

毎年思うことは、それぞれの学年に担任の先生たちの
カラーがでる、ということだ。
見ごたえのあるもの(歌でも劇でも)は、
ああ、やっぱりあの先生だもんね、という感想になる。
どれだけ影響力があるのか、どれだけ指導が入ったのか
そんなことを思う。

自分の子どもの学年についていえば、
指導はほとんどなく、自分たちのやり方のみで
劇をやった、という。さもありなん。。。
なにいってるんだか全くわからない寸劇の集合だった。
しかし、子どもたちはそれでもじぶんなりに
一生懸命考えて、自分たちの力でできる精一杯を
演じているのだった。
中身はどうあれ、基本的な「大きい声でゆっくりという」
とか、そういうことくらい指導があってもいいんじゃないかと
いつもながら『指導する側』の姿勢に
つい思いが及ぶ。

学校のこういう発表の場にいくと、いつも思う。
「ああ、この子たち、もっとできるのになぁ」とか
「充分にやる気はあるのに」とか。

子どもたちが持っている何かを充分に発揮できるように
教師は存在するのじゃないのか・・・
子どもの伸びていく姿を目の当たりにするからこそ
「教育」の喜びがあり、また醍醐味があるんじゃないのか?
学校はただの「お預かり」じゃないだろうに。。。
子どもの成長をやりがいと感じる「熱い」先生はどこにいる?

こんなこというと失礼だけど
使命感より権利行使の「普通」の人ばかりだなあ。。。