絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

死語かと思ったが

2007年03月19日 14時22分24秒 | Weblog
しつこく学校の話題で申し訳ありませんが、、、

今回このことがなければ、いつも学校でのことを
おやつ食べ食べ言う、うちの子でさえ
こんなに事細かには話さないので、
先生が日常的に教室でやっている子どもに子どもを
ジャッジさせるやり方に、私も気づかなかっただろう。
全く!自分がどういうことをやっているのかわからないんだか

正直いって、この人は、しばらくしたらまた違う形で
『非教育的』な行動をとるだろう。
それは防げるのか?
教室には、文字通り子どもしかいないのだ。
私的感情で子どもを怒ってもだれも止める人はいない。。。

この先生の怒る基準は、うるさい今の時代、
教師も結構気をつけてよもやそんなことはしないだろうと
私が思っていた「えこひいき」というやつだ。
それは、この人の人間性だから止められるはずがないのだ。
子どもがよく、先生は女ばかりえこひいきする!と
しきりに言っていたときがあったが
そんなことない、あんたも悪いんでしょ、と言って
先生を信用していた、あるいは先生との関係が悪くならないよう
悪く取らないようにしていた自分がばかだった。
もっとはやく気づいて、この先生に対してもっと強烈な
指導が入るように対応するべきだったと反省している。

先生だって人間だから間違える、失敗もする、
それは基本的に子どもに愛情を持って真摯にやっている人
だけに許されるエクスキューズだと思う。
こんな、こどもを傷つける指導なんて、許されるわけがない。

今の状態では、先生は信用できないから、
心を許してなんでもべらべらしゃべるんじゃないよ、と
子どもに言わなければいけないことになる。
先生の目にどう映るかわからないから、
正しいことも黙っていなさい!といわなければならなくなる。
いったいぜんたい、どういうことなのだ

もう後、残り3日、しかし来年もこの人は教師である、
再来年も、その次の年も。。。
指導がまずいくらいでは首にはならない。
(そんなこといったら半分くらい教員がいなくなる)
担任を降ろされることもない。
その間、子ども達はこの人の気分に左右される指導を
うけ続けるのか?