絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

鼻をかむ音

2007年03月18日 16時23分16秒 | Weblog
まだまだ続く、この手の話。。。

うちの子のクラスに、すごーーーーく花粉症が
ひどい子がいる。
その子はもうこの時期、鼻が真っ赤だしマスクだけでなく
花粉症のサングラスみたいなのもしている。
みんながそのこがひどい状態なのを何年も前から知っている。
薬も飲んでいるけど、だめらしい。

そのこがある日医者に行って遅刻してきたらしい。
教室に入ってきて、友だちと二言三言はなしながら
ランドセルを置きに行き、しばらくして
大きい音で鼻をかんだ。
ちょうどそのとき、だれか女の子が発表している
場面だったらしい。
「うるさいなあ!!もっと小さい音でかみなさいよ!」
と先生が言った。そしたらその男の子がなんか先生の悪口を
小さい声でいったらしい。それが先生に聞こえ、またまた
怒られた。。。

そのとき男の子達が口々に抗議したそうだ、
つまり鼻を大きい音でかむのは花粉症だから
仕方ない、みたいなことを。
そしたら黙ったらしいが、先生にはアレルギーの子の
気持ちがわからないんだよって、うちの子が言っていた。
(うちもひどい花粉症のため)

あ~あ、なんたることか!


冷静に話しても

2007年03月18日 14時14分58秒 | Weblog
金曜日の1時間に渡る話は、結局先生も次から注意すると
いう事になったけど、その、注意するという舌のねも
乾かないうちに、今度はうちのを見ていると
将来が危ぶまれる、とか、他の子に優しい言葉がないとか
(つまり女の子との口喧嘩の場面ばかりみているので)
このままではいかん、とかいろいろと
まるでわかったようなことを言い出してきた。

なんなのだろう?気が済まなかったのか?
いまはそのことでなく、ドリル事件のことや先生の指導に
付いて話しているのに、なにか反論したかったのか
「あの子は家の人が知らないこんな悪い面がある」と
言いたかったのか、よくわからないけど。。。

うちのが友だちがいやな思いをしないように気配りしたり
いろいろ相手のためにしていることなどは
先生には決して見えない部分なのか?
「先生は神さまじゃないですから、先生の見たある一場面が
その子のすべてではないでしょ?親にも同じことが
言えますが、悪いところを矯正してやろうとするような
目線で教育の対象を見るべきではないと思いますよ。」
と言ってはみたものの、なんかひどく虚しい気分に襲われた。


今日もどうしてもその話になり
こんな場面ではどうだったのか、こういうときには先生は
どうしたのか?とかいろいろ子どもと話した。

子どもがいうには、男対女になっているのは
先生が女の子が悪い場面でもいつも男の子を叱り、
どんなに説明しようとしても男子の話は聞かず
結局女子の作り話を事実として男子が悪かったという
ことにするからだ、とのこと。

年度初めの家庭訪問で先生が言ったことで
ものすごく気になったことがあったが、それは
「高学年の女子の扱いには気をつけるように
年配の先生からは言われている」とか
「全うなことを言っても、保護者が聞き入れない
時代なので、どんな人ともぶつからずにうまく
やっていくのが今の時代の教師像ではないかと思う」
という二つの点だった。
それをこの人は忠実に実行しているんだなと
感じた。つまり、ややこしい女子を怒ったりしない。
(悪くても)
うるさい親の子どもにはきついことを言わないようにする。
同業者である教員の子どもにはきつくあたらない。
などなど…

こんなの書いていても全くまったく虚しいことだ。
この先生の親も教員だそうだ。
たぶん現職だろう、だからそんな姑息なやり方になるのだ。
つまりベテランのずるさそのものだ。
先生は若いんだから、ベテランの真似でなく
まっすぐ子どもとぶつかっていったらどうですか?
真摯な気持ちでやって下さいよ。
と、いってみたけど、そんなことに思い及ぶひとならば
はなからこんなことにはならないはずなのだ。

いつもいつもことあるごとに「勝手だね!」と
教師とクラスメートに言われ続けてきた子達は
どんなにいやだろう。。。
どんなに卑屈な気持ちになるだろう。。。
いつもいつも先生からしかられるたびに
「ねえ、ねえ、みんなみてみてあの態度,どう思う?」
といわれて、他の子からダメだしされ続けた子どもたちは
どんなにどんなにくやしいだろう。。。

ほんとに「ふざけるな!!!」と
その子ども達を代弁して言っておこう。。。

うちの子どもいわく、もしこのクラスに
先生の不公平や理不尽に抗議する何人かの男の子達が
いなくて、みんなが黙って先生に従う子どもばかり
だったら、いまごろ学校に来れなくなる子どもが
いたと思う、と。
なるほど、ほんとにそうだ。
よく「こころの病にならなかったことだ」



小学校で

2007年03月18日 02時04分08秒 | Weblog
ここ何日か更新が滞ったのは、子どものことで
また『事件』?が起きてそのことで毎日家族で
話し合ったりしていたからなのです。

六年生を送る会が火曜日にありまして
その次の日、水曜日のことでした。
子どもが学校から帰ってきて、ランドセルを
あけるなり「あれ?なんで、○○のドリルが入ってるの?」
といっているので「隣なの?」と聞くと
「すぐ隣じゃないけど、横の班」と言います。
「間違って入ったのかな?」
「机が離れてるから入るはずないのに。」
「電話してあげたら?探してるよ。」
「うん、・・・明日でいいや」
「ふーん」

で、そのあとは、夕飯やらでばたばたと忙しく
していてこのことをふたりともすっかり忘れてしまい
結局次の日の朝、これを返したのですが
それをみた先生が渡し方が気に入らん!と怒り出して
きて、この女の子に謝れ!という話になりました。

うちのにしたら、身に覚えのないことで
(つまり荷物が交じり合う可能性のない席だから)
ドリル配る人が間違えたんだか、女の子が落としたのを
拾ってくれた人が間違えてうちの机に置いたのか
なんにしろ、わるいことをしたわけでもないのに
「ごめんなさい」を結局言わされたのでした。

学校から帰るなり、今日こんなことがあった、
というので、どういうことなのかすぐ学校に電話しました。
すると、担任は平然と、渡し方が悪かった、ごめんねこれ
といって渡すべきだったという。
「へ?それってどういうことですか?」
というと、悪いとかそんなことではなく
「ごめんね」という言葉を添えて渡したほうが
これから長い人生生きていく上で人間関係が
スムーズに行くと思いますから!という。
(子どもには、「あんたがごめんねを言いさえすれば、
それで○○さんの気が晴れるんだから」と言ったそうです)

はあーーーーーー????なんじゃそれ!!!
「え?悪いことをしたわけでもないのに謝るんですか?
そんなのおかしいと思います」と言っても
なんかかんかどっかの指導マニュアルからとって
きたような言葉で反論してきました。

「そんな社交辞令のごめんねなんて、子どもに教える
ことじゃありませんよ」というと今度は
昨日のうちに連絡してあげなかったことをとりあげ
思いやりがないだの、人に優しくしないだのと
糾弾してきました。
こちらもバタバタしていて忘れていたことが
そんなに責められることなのでしょうか?
これがもし誰かが故意にドリルをうちの子の荷物に
入れたのだとしたら?身に覚えのないことでも
入っていたらそれは自分の罪なのか?

この先生のやったことは結局屁理屈をつけて
子どもを怒りたかっただけなのです。
ドリルがなくてコピーをとってあげた、
そういう自分の用事が増えたことも、
うちの子が昨晩のうちに知らせていたら、なかったとか
ドリルを誰かが隠したんじゃないかと先生自身が
気をもんだとか、つまり私的感情で「自分に対して」
謝らせたかっただけなんじゃないかと正直思います。

あと、4日でこの担任も終わりですが
何をどう考えても納得いかないので、金曜日の放課後
学校へ出むいて行きました。

そのときはまだ6限目が終了してなかったので
校長先生にも話そうかと思ったらもっとややこしい
保護者の面談中なので、仕方なく教頭先生に
おおまかなことをしゃべって時間をつぶしていました。
教頭先生いわく「僕だったら、謝らないね」
「指導の基準が根本的におかしいんですよ。
あれこれ問題が生じてきたときが学びのときなのに
まったくそういう前向きの指導がないんですよ。
世話かけないで!と子どもに愚痴っているんですよ」
「それはいかんね~(名古屋弁)」

そのあと、1時間くらい話しました。
私は正直言って、今回のこと以外のことも
子どもから教室の細かい様子を聞いて本当に本当に
心底ぞーーーーーーーーっとしました。
というのも、この先生、わざわざ自分が子どもたちを
注意するとき、自分の責任で叱らず
子どもらに「あれ、みてみて、どう思う?この態度」
といってその子どもの悪いところを皆にジャッジさせて
いたのです。
注意のたびに子どもら同士の糾弾が行われるので
毎日が子どもによる子どもの裁判、状態になっていて
こんなのでいいクラスになろうはずがないってなもんです。

ウーーーー、すごく長くなってしまった。。。。
続きはまた明日。