Last Updated: March 5,2021
WHOが新型インフルエンザA(H1N1)の世界的大流行宣言(pandemic (H1N1)2009)を行った後、各国の感染者数や死者数が大幅に増加しているにもかかわらず、世界的感染リスク問題について国際機関が正確かつ疫学面の専門的な情報を一元的に提供する機関がなくなるというまさに筆者が従来から指摘してきた問題が現実となった。(筆者注1)
すなわち、WHOは本ブログで本年4月30日以降筆者が最優先で取り上げてきた新型インフルエンザの感染リスク(重症例や死者)の情報において先導的役割を担ってきた。しかし、本来一番の役割が期待された「フェーズ6宣言」以降は急速にその機能・役割が縮小し始めているように思える。
その例証として次のような点があげられる。(1)WHOは加盟国の保健機関からの情報に基づく正確なデータを数日おきに公表してきたが、加盟国が調査や公表を中止していないにもかかわらず、その公表の廃止を宣言した(地域の問題とするにはH1N1の世界的感染リスクはあまリにも大きい)、(2)従来行ってきた定期的な公表に替えて「政策意思決定覚書(briefing note)」(筆者注2)が7月8日に第1号が出された後、合計7回出されているが、当初読んだ際、北半球が冬季に入る第2波感染拡大を阻止するための世界的な取組みの現状分析とはいえない内容と感じた。しかし、その後の最近の“briefing note” が取り上げているテーマを読む限り、主要国の秋に向けた坑ワクチンの製造準備にむけた体制整備問題がWHO等国際機関の重点課題になっていることは否めない。
筆者は多忙のためしばらくの間WHOの活動をフォローしていなかったが、7月31日に米国保健福祉省(HHS)から受信したメールでWHOがまとめた新型インフルエンザH1N1の世界的感染拡大状況(7月27日付)のデータの更新(update 59)を確認したことからあらためてWHOの取組み姿勢が変わったことを知った。(筆者注3)
すなわち、WHOのデータ収集・公表は個別国の集計方法から今後多少の時差はあるもののWHOの世界6つの地域事務局(regional office)(アフリカ、アメリカ、東地中海、欧州、東南アジア、西太平洋)(筆者注4)からの集計という方式に切り替えたといえる。(筆者注5)
このような状況を踏まえ、WHOの集計機能等を補完すべく本ブログは今回以降、(1)WHOの公表データに加え、地域的な保健機関すなわち欧州保健機関(ECDC) や汎米保健機関(PAHO)の情報等に基づき大規模感染拡大国における保健機関の公式感染者・死者数および「パンデミック2009」に関する最新情報や新たな感染リスクの実態の紹介、(2)感染リスクに関する国際機関における新たな研究やWHOや主要国における坑ウイルス・ワクチン等の確保対策の分析、(3) 主要国における新型インフルエンザA(H1N1)に限らず感染症問題に関する情報提供の実態等を中心に内容を再構成のうえ、引き続き情報提供することとした。
今回は、2回に分けて掲載する。
1.わが国の最新情報
2009年7月24日現在の厚生労働省の発表では、日本の新型インフルエンザ感染者数は、5,022人(7月6日比+3,155人)である。なお、厚生労働省新型インフルエンザ対策推進本部事務局による情報収集方法が変更となったため、(日本国内では、7月24日午前6時の時点で、5,022例(検疫対象者36例を含む)の確定例を最後に、全数の報告は終了しており、7月25日以降更新はない)旨国立感染症研究所のサイト上で説明されている。
この全数調査報告の終了の意味について感染症の専門外の筆者が問題指摘するまでもなく、米国・カナダを除く海外の主要国で全数調査を中止した国の例は少ない。
また、厚生労働省は7月22日付「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律施行規則の一部を改正する省令」に基づき、従来行ってきたH1N1に関する全数調査から、(1)クラスターサーベイランス(集団感染の発生件数等調査)、(2)入院患者数調査に置き換える旨都道府県等の新型インフルエンザ担当日局長宛施行通知を行っている。特に(2)に関し年齢層別、性別、基礎疾患を有する場合、集中治療を要する場合等の割合を開示するなど、やっと欧米の主要国並になったと思える点もあるが、基本的にメデイアを含む国民や医療関係者に十分な情報提供を行っていない点は変わらない。(筆者注6)
なお、各都道府県別発生状況等の最新情報は厚生労働省サイト「新型インフルエンザに関する報道発表資料」で確認できる。
2.WHO公表の世界的感染者数・死者数
WHOの公表確認感染者数および死者数(2009年7月22日世界標準時9時現在)(update59)のとおり、累計確認感染者数は134,503人(7月6日比+39,991人)、死者数は816人(7月6日比+387人)である。
3.WHOの「世界的流行(H1N1)2009 briefing note」が取り上げたテーマ
(1)7月8日第1号:今回のテーマは、わが国でもすでにメディアが報道しているH1N1ウイルスの坑ウイルス薬タミフルの耐性問題である。デンマークや日本からの報告に基づきWHOとしての公式見解が出された点にその意義があろう。
なお、さる7月4日に厚生労働省が行ったタミフル耐性遺伝子変異に関する発表の内容は今回のWHOの発表内容と整合性が取れており、この点は一応理解できる。しかし、一方で同省はWHOの「フェーズ4」の時点の5月1日付で医薬品関係団体宛通達で政府備蓄の坑インフルエンザ薬が3,168万人分あり、さらに2009年度中に2,293万人分追加備蓄する予定と発表し、その後新型インフルエンザの年内生産量につき6月19日に発表した2,500万本(1mlバイアル(容器)入り)(成人2,500万人投与分)、6月26日の「新型インフルエンザ対策担当課長会議資料」で示されている2,540万本から7月3日には一挙に約1,000万人の大幅減産を記者発表している。
また、7月10日付で厚生労働省は政府において備蓄した抗インフルエンザウイルス薬(タミフル、リレンザ)の都道府県への放出手順について事務連絡通達を各都道府県の衛生主管部(局)抗インフルエンザウイルス薬備蓄担当者宛発している。
一方、7月31日の朝日新聞朝刊が報じているとおり、米国保健福祉省疾病対策センター(CDC)は、新型インフルエンザワクチン接種に関する諮問委員会(CDC’s Advisory Committee on Immunization Practices)が7月29日の会合で行ったワクチンの接種に関する優先該当者を明確にした勧告書を公表した。早ければ8月から一部実施される接種について5グループについて優先的接種の方針をまとめたものである。(筆者注7)
米国はパンデミック対策のうちワクチン備蓄を国家の基本的重要戦略と位置づけ、その製薬メーカーとの契約内容についてわが国の厚生労働省にあたるHHSの情報公開やリリースはわが国とは比較にならない。
(2) 7月13日第2号:
7月7日に開催された「専門家諮問会議(Strategic Advisory Group of Experts)」におけるパンデミックの現在の流行の現状、季節性インフルエンザワクチンとA(H1N1)の潜在的ワクチン生産能力およびワクチンの使用に関する選択肢などに関する検討結果とWHO事務局長に対する推奨文の内容。
(3) 7月16日第3号:
新型インフルエンザの実験室を介した確定感染件数の把握の限界とWHOにおける世界的な確認感染者数の表の提供の停止および新たな感染拡大国に関する情報提供の継続。
(4)7月24日第4号 :
感染拡大年令層や重症化例の年齢層の上昇変化情報とWHOネットワークにおける新ワクチン候補種の季節性インフルエンザ比でみた生産率の向上動向。
(5)7月31日第5号 :
妊娠第2期または後期の妊婦の感染拡大と胎児死亡や自然流産の危険性、および症状発現時後48時間以内のタミフル投与に関するWHOの推奨。
(6)8月6日第6号 :
1957年や1968年の大流行時ワクチンの開発が間に合わず最終的に5千万人が死亡した。今回の新型インフルエンザワクチンの規制機関による承認手続きに関する見直し動向および予防接種問題。
(7)8月6日第7号 :
WHOの世界的ワクチン開発・製造にかかる役割すなわち、①新種ウイルスの特定、②ワクチン痘種(vaccine virus)の準備、③ワクチン株の検証、④ワクチン試験のための試薬の準備、および製薬メーカーの役割。
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(筆者注1) わが国のH1N1の専門研究機関である国立感染症研究所感染症情報センターサイトでも「7月7日以降のWHOによる更新情報はありません」と記載されているのみである。では、わが国の関係機関や一般人はどのように海外情報を入手すべきか。このような「関心の風化」とその反面における世界的感染拡大危機を一番恐れるのは筆者だけでなかろう。
(筆者注2) WHOの“briefing note”とはどの様な位置づけの覚書といえるのか。WHOのサイトでは明確な定義づけは行われていない。通常「ブリーフィング・ノート」は「参考情報として」または「意思決定のため」に作成される。過去7回のテーマや内容を読む限りこの両者を含んでいるように思える。いずれにしてもWHOの機能や権限からみて単なる参考情報だけではない極めて戦略的な性格を持つものと考える。
(筆者注3) わが国の新型インフルエンザの研究機関である「国立感染症研究所」感染症情報センターの世界的感染情報はWHOが7月6日の最終更新後、情報掲載を停止していたが、WHOの再度更新し始めたことからリンクを始めている。
(筆者注4) WHOの6地域事務局の具体的担当エリアを参照されたい。
(筆者注5) 欧州保健機関(ECDC)は独自に毎日更新する国別で世界的感染者・死者数統計を行っている。7月31日付けの朝日新聞がWHOの統計でなくEWCDCの統計値を引用したのもうなずける。なお、わが国の国立感染症研究所のウェブサイトではECDCの世界統計はWHOのみでECDCはリンクしていない。しかし、米国CDCが国際的な統計についてWHO以外にH1N1に関する情報源としてECDCとリンクしている点は見逃せない。
また、それ以上にECDCのデータの最新性、信頼性がポイントになろう。そこで筆者自らECDCのデータ(8月2日付け)と個別国の最新公表データを比較してみた。メキシコを初めカナダ、米国等米国大陸の国々のデータはPAHOのデータより新しいものであった。また、オーストラリアについても8月2日の同国政府の公表データが反映されていた。
(筆者注6) 筆者がこのような情報開示にこだわる理由は、本ブログの読者は良く理解されていると思う。英国の保健保護局(Health Protection Agency:HPA)の例でわが国と比較しつつ説明する。
(1)HPAサイトでは7月2日以降、毎日から週単位の公表に変更している。公表方法はメデイア向け(Press releases and media updates on Swine Influenza)と感染症専門家向け(Surveillance and epidemiology)に別れ、前者においては記事にしやすいよう冒頭に“KEY POINTS”としてこの1週間のH1N1の感染者の増加傾向、ウイルスの変種・坑ウイルスの動向、地域・年令別の感染傾向等を解説している。(筆者注6-2)
(2)7月30日号のメディ向け本文で特徴的な点を紹介しておく。6月下旬から7月上旬にかけて全年齢層10万人に対するインフルエンザ様疾患感染者数は221人から225.6人に急増したが学校が夏休みに入ったこと等から5歳から14歳以下の年齢層は減少傾向にある。同時期における年令層別の10万人あたりインフルエンザ様疾患感染者数は1歳から4歳が約550人と最も高く、1歳未満が約500人、5歳から14歳以下が約450人であり、逆に65歳から74歳未満は約50人となっている。
7月28日現在のイングランドの重症入院患者数は793人、死者数は27人である。最後にECDCの集計にもとづき1,000以上の確認感染者数の国の累計感染者(7日前比の増加率)、累計死者数を記している。
(3)感染症専門家向けのサイトはさらに週別と日別(7月30日まで)に分れて詳細な分析を行っているが、専門外の筆者が解説するのは無責任なことでありあえて略す。
なお、わが国の厚生労働省のH1N1の全数調査中止に関するメディア報告(毎日新聞)を読んで気になった点がある。1つは「感染症法施行規則」は不正確である。本文のとおり「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律施行規則」である。第2に現時点でも本文で解説しているとおり、EU、オセアニア、南米の国々では全数調査は引き続き行われており、全数調査の中止は決して世界の大勢ではない。
(筆者注6-2) 2010.12.3 米国NCBI(National Center of Biotehnology Information:米国バイオテクノロジー情報センター)は「UK newspapers' representations of the 2009-10 outbreak of swine flu:one health scare not over-hyped by the media ?」論文の公表している。
(筆者注7) 8月5日、米国製薬大手メーカーのバクスター・インターナショナルが新型インフルエンザ・ワクチンの商品製造(commercial batches)が終り、8月に最終的な臨床試験(治験)開始し、保健衛生当局の承認後に出荷する旨発表した。参考までに米国の新型インフルエンザ戦略の予算的裏付けは、2005年8月に世界4カ国で鳥インフルエンザH5N1の人への感染が112例確認されたことを受けた緊急立法の2法「2005年緊急追加予算計上法(PL-109-148)」および「2006年緊急追加予算計上法(PL-109-234)」に基づくものである。米国の製薬メーカーと政府の協力関係は当然であり、その契約内容は公開され、また保健福祉省は毎年連邦議会に予算執行状況等を詳細に報告している(2009年1月の議会報告参照)。
バクスター社の発表内容のポイントは次のとおりである。
①ワクチン薬のブランド名は「セルバパン(CLEVAPAN)」で、同社が製造特許権を持つ「ヴェロ細胞培養技術(Vero cell culture technology:アフリカミドリザル腎細胞由来株)を使用している。筆者なりに補足するとワクチン製造技術には有精卵を孵化させてワクチン原液を製造する“egg-based technology”とヒトに対して感染性のあるウイルス、細菌等を保有していないこと、ヌードマウスへの腫瘍形成能を持たないことが確認され、世界保健機構(WHO)によって使用が認められている培養細胞株技術(cell-based technology)がある。後者の1つがバクスター社の“Vero cell culture technology”であり、 インターフェロンを生産しないため、様々なウイルスを感染させることが可能、またヒト、牛、豚のウイルスなど非常に幅広い種類のインフルエンザウイルスに対して高い感受性を示すといったことが特徴としてあげられる。(北里研究所生物製剤研究所サイトより引用)
②本年8月に成人、高齢者と子供を対象に安全性や免疫原性について臨床試験を行う。
③バクスター社は本年5月前半にCDCからA(H1N1)の試験とその評価のためその株(strain)を入手、6月3日から商業生産を開始した。大量のセルバパンはチェコのボフミルの大規模生産工場で製造後、各国への分配前に最終製剤(formulation)、調合(fill)および最終処理をオーストリアのウイーンで行う。
④バクスター社は新製薬の販売承認機関である欧州医薬品審査庁(European Medicines Agency:EMEA) が定める“mock-up vaccine(筆者注:対象とするウイルス株が特定されていない場合に、モデルウイルスを用いて作成されたワクチン。主として、治験等の薬事承認を得るための申請データの作成に用いる)”免許に要する製造品質や製造過程を適用している。
〔参照URL〕
http://www.who.int/csr/don/2009_07_27/en/index.html
http://ecdc.europa.eu/en/files/pdf/Health_topics/Situation_Report_090805_1700hrs.pdf
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