去年の11月の下旬に新しいビルに職場が移って、うれしがっていたくせに日が経つにつれて、仕事へのパワーがなくなってきてしまった。そう、気が抜けてきたというか、やる気がだんだん失せてきたというか・・・
なんでだろう?こんなにも新しい場所にいて。
古い骨董品のような前の建物はあっという間に壊されて、その様子は隣にそびえるその新しい社屋の窓から見おろせて、「あ~あのあたりは私がいつも座っていた場所だ」とか「あそこでお弁当を食べたな~」とか、そういう空間がケーキを切り分けるかのようにばっさりと無くなっていく。2階建てのその鉄筋でできた建物も案外あっという間に粉々となる。
その建物は私が生まれる前からあって、その間にきっといろんな人の人生がそこにあって、建物としての生きざまもそこにあって、だからなんだか温かさがあって・・・薄暗くても使い勝手がよくなくても、なんか懐かしさがあって・・・
今の建物は色も今風にきれいで、ガラス張りの休憩する場所があって、すごく広くて・・・でも、何か落ちつかない。新しいのはいいけれど、なんだかそこにまだ心が宿ってないそんな感じだ。
きれいだけじゃだめなんだよね。心がそこにあたたかく存在してないと。
かっこいいだけじゃだめだんだよね。人を思いやる懐をもってなければ。
ついつい新しいものやきれいなものに目がいってしまうけれど、古いものにも少しくすんでしまったものにも素敵なものはあるんだ。
もう20年以上はたっている今で言うならスキニーパンツを最近押し入れの引き出しの奥から出してはいてみた。「あれ、まだいけるじゃん」って喜んで一日はいていた。
家族には「本当にそれはお気に入りなんだ」って感心された。
そう、私は妙な古いものを大切にもっていたりする。昔の『りぼん』の付録のノートとか、高校時代に「ある人と再会ができますように」って底に「会」っていう字をマジックで書いた小さなこけし(なんでこのこけしを持っているのかわからないけど、きっとその会いたかった人と関係しているんだろうね)とか・・・見事再会できて、今度はその人からもらった斑尾高原スキー場からのおみやげのウサギのついたストラップとか、高校生の時に友達が作ってくれたフエルトのマスコット人形とか、誕生日にくれた「トムとジェリー」のカップアンドソーサーとか。中学生の時に千本中立売近くにあった(今もある気がするけど)文具屋さんで買ったペンとか、その近くのアクセサリー屋さんで買った髪飾りとか・・・
新しいカップアンドソーサーとかはよく割ったりして、すぐに消えてしまうのになぜか古いものの方が長く残っていたりする。不思議だな~。
すべての新しいものが悪いわけではないよ。そこに心を寄せていけばきっと素敵なものになっていくわけだから。
この今ブログを書いているマックももうずいぶん買ってから経ったけど、相変わらずかわいいやつだ。だんだん見れるHPも限られてきたけれど、それでもこの子が好きだ。
あと、家には古いステレオがある。ほとんど物置き状態でかわいそうなんだけど、まだレコードは聴ける。だから、ときどきレコードを聴く。たまに針が飛んだりしても、なんかあったかい音を出すんだよね。今はDJさんとかがレコードを使っていろんな音を作り出すけれど、私はなんだかレコードが可哀想に思えることがある。それとももう聴かれなくなったレコードは新しい人生を歩めて喜んでいるのかな?
結論的に・・なんでもすぐにお払い箱にする人はいやだな。あと、人を年令で判断する人。
あ~それにしても、仕事に力が入らない。どうしたらいいんだろう・・・そういえば最近ビルの外に出る機会が少ない。だから、郵便のおじさんや倉庫のお兄さんたちの笑顔が見れない・・・
そういうのもやる気を無くすひとつの要因なんだろうね。
「笑顔」・・・大事なもの
なんでだろう?こんなにも新しい場所にいて。
古い骨董品のような前の建物はあっという間に壊されて、その様子は隣にそびえるその新しい社屋の窓から見おろせて、「あ~あのあたりは私がいつも座っていた場所だ」とか「あそこでお弁当を食べたな~」とか、そういう空間がケーキを切り分けるかのようにばっさりと無くなっていく。2階建てのその鉄筋でできた建物も案外あっという間に粉々となる。
その建物は私が生まれる前からあって、その間にきっといろんな人の人生がそこにあって、建物としての生きざまもそこにあって、だからなんだか温かさがあって・・・薄暗くても使い勝手がよくなくても、なんか懐かしさがあって・・・
今の建物は色も今風にきれいで、ガラス張りの休憩する場所があって、すごく広くて・・・でも、何か落ちつかない。新しいのはいいけれど、なんだかそこにまだ心が宿ってないそんな感じだ。
きれいだけじゃだめなんだよね。心がそこにあたたかく存在してないと。
かっこいいだけじゃだめだんだよね。人を思いやる懐をもってなければ。
ついつい新しいものやきれいなものに目がいってしまうけれど、古いものにも少しくすんでしまったものにも素敵なものはあるんだ。
もう20年以上はたっている今で言うならスキニーパンツを最近押し入れの引き出しの奥から出してはいてみた。「あれ、まだいけるじゃん」って喜んで一日はいていた。
家族には「本当にそれはお気に入りなんだ」って感心された。
そう、私は妙な古いものを大切にもっていたりする。昔の『りぼん』の付録のノートとか、高校時代に「ある人と再会ができますように」って底に「会」っていう字をマジックで書いた小さなこけし(なんでこのこけしを持っているのかわからないけど、きっとその会いたかった人と関係しているんだろうね)とか・・・見事再会できて、今度はその人からもらった斑尾高原スキー場からのおみやげのウサギのついたストラップとか、高校生の時に友達が作ってくれたフエルトのマスコット人形とか、誕生日にくれた「トムとジェリー」のカップアンドソーサーとか。中学生の時に千本中立売近くにあった(今もある気がするけど)文具屋さんで買ったペンとか、その近くのアクセサリー屋さんで買った髪飾りとか・・・
新しいカップアンドソーサーとかはよく割ったりして、すぐに消えてしまうのになぜか古いものの方が長く残っていたりする。不思議だな~。
すべての新しいものが悪いわけではないよ。そこに心を寄せていけばきっと素敵なものになっていくわけだから。
この今ブログを書いているマックももうずいぶん買ってから経ったけど、相変わらずかわいいやつだ。だんだん見れるHPも限られてきたけれど、それでもこの子が好きだ。
あと、家には古いステレオがある。ほとんど物置き状態でかわいそうなんだけど、まだレコードは聴ける。だから、ときどきレコードを聴く。たまに針が飛んだりしても、なんかあったかい音を出すんだよね。今はDJさんとかがレコードを使っていろんな音を作り出すけれど、私はなんだかレコードが可哀想に思えることがある。それとももう聴かれなくなったレコードは新しい人生を歩めて喜んでいるのかな?
結論的に・・なんでもすぐにお払い箱にする人はいやだな。あと、人を年令で判断する人。
あ~それにしても、仕事に力が入らない。どうしたらいいんだろう・・・そういえば最近ビルの外に出る機会が少ない。だから、郵便のおじさんや倉庫のお兄さんたちの笑顔が見れない・・・
そういうのもやる気を無くすひとつの要因なんだろうね。
「笑顔」・・・大事なもの