松山城の第2弾です。
松山城の天守は、「連立式天守」という独特の配置らしいです。
もちろん、松山城以外にもあるのですが…。
天守のほか、小天守や櫓(やぐら)がつながれたような形になっているようです。
ここを落とすのは、なかなか気合が必要です!?
さあて、ミッション開始だぁ。
まず、本壇に乗り込もう。
天守への入り口に到着。
大天守の1階部分(地下らしい)は石積みの基礎になっているようだ。
当時から使われている鉄の扉。
何と、開きっぱなしだったので、難なく侵入成功!
しかも!靴箱やスリッパまで用意してくれていた。
「お・も・て・な・し」というところか。
ここから、急な階段(というより、はしごに近い感覚)を登ると、天守にフロアに出た。
さらに櫓廊下を進んでみる。
由緒ある刀や槍なども、惜しげもなく展示されていた。
この展示スペースは、十間廊下(じっけんろうか)と呼ばれている場所だ。
初代城主の「よしあきくん」こと加藤嘉明さんは、信長の亡きあと、秀吉を支えた一人。
秀吉と柴田勝家の「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」では、賤ヶ岳七本槍と呼ばれたうちの一人でもある。
だからかどうかわからないが、槍も多く展示されていた。
もちろん、鎧兜(よろいかぶと)も展示されている。
これらの展示物を含め、大胆にも撮影OKというのだから少々驚き。太っ腹だ。
ところで、平和な江戸時代と言えども、城は城だ。
それらしい設備は、戦の匂いがプンプン。
「石落とし」もあった。
床の明るく見えるところが、石を落とすところだ。
石垣をよじ登っていたりすると、頭上から石が落ちてくるので気を付けよう!?
ここは、小天守。
大天守3階からの眺めは、さすがに気持ちがいい。
西の方を見ると、瀬戸内の島々が見える。
その向こうは、長州・山口県だ。
松山城の大天守を制圧した気分(笑)
城主は、ここでどんな生活をしていたのだろう。
えっ?みんなで並んでテレビ観てた?
そんなはずはないですね。
上から櫓門を見ると、天守のある本壇へは、なかなか入りにくい仕組みになっていることがわかります。
入城料を払ったからすんなり侵入できましたが、そうでなければ古太郎には無理だったかもしれません。
十分見ごたえのあった天守でした。
あとは、城山を下山して昼食でも…。
ということで、今回はここまでです(^^;
ご覧いただき、ありがとうございました。
次回、松山城の第3弾に続きます。