寓居人の独言

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芋大明神と天保の飢饉

2015年10月18日 22時44分05秒 | 日記・エッセイ・コラム

  江戸時代には天候不順のために繰り返し大飢饉が起こったと

伝えられている。各藩および代官所は飢饉に対する対策を講じ

たものもいた。が、多くは職務に忠実なために食料の備蓄や対

策を講じないままにしていた。

 さて、私は昨日17日(土)に法事があって、上野原市にある竜泉

寺というところへ行った。この寺は西暦12××年に開かれた古い

寺だそうです。現住職は28代目に当たると言われるが昔の住職

は結婚を許されなかったために代を重ねることはなく実際は何代

目に当たるのか不明であるという。

 この寺の庭に芋大明神という石碑があった。芋大明神とは珍し

いので法事が終わってから石碑の由来を伺ってみた。

 住職の話は次のようなものであった。頃は江戸時代、天明年間

の頃甲府代官所の代官中井清太夫は民心の安寧と管内の住民

の安全を日頃から考えるような人だった。

 中井代官は過去の飢饉についてその悲惨な話を聞いていた。

それでもしに飢饉なったときどうしたらよいかを考えて、一つの対

策を考えた。その提案を幕府に願い出て許可をもらい、遠く長崎

から種芋を買って上九一色村で栽培し種芋を増やして甲府代官

所管内の農家に配って育成を奨励した。
 その種芋は土地・気候にあったのか順調に成長した。そして鋳

物備蓄ができた頃に天明の飢饉が発生した。甲府代官所管内は

その芋によって1人の犠牲者も出さずにすんだ。

 さらに中井清太夫代官は田地の開墾を奨励し、新しい宝の収穫

に対する年貢を免除したという。このように中井清太夫代官は住

民のことをいつも真剣に考えており、よかれと思うことを実施した。

そのために任地を離れるとき住民は、国境まで見送ったという。

 このときの種芋は、現代のジャガイモであったという。中井清太夫

は後任者に讒言(ザンゲン)され幕府官僚の任を解かれ故郷で生

を終えたという。しかし同僚たちは中井清太夫の業績を讃え、その

子息を幕府に任官させたという。

 善政を行った人には人民はその子孫まで尊敬の念を持ち続ける

ものだと言うことですね。その功績を讃えて芋大明神といった。芋と

は中井清太夫のことであり、讒言によって罰を受けた人の名前を出

すわけにいかなかった人民の智恵で芋大明神と名付けたという。

 例によって蛇足です。ドイツを旅行して分かったことは、ドイツ人は

ジャガイモとキャベツをよく食することです。それは上記のことと同じ

ようにヨーロッパを襲った飢饉の際にジャガイモが有効であると言う

ことを知り、ジャガイモを植え人民に食料として食べるように奨励した

が、人民は初めてものを食することに抵抗したという。そのため貴族

が率先してジャガイモを食したという。これとよく似た話はヨーロッパ

の他の国でも起きたという。特にイギリスが有名ですね。

 ドイツでコテージパイとか名前は不明ですがジャガイモと小麦粉と

かデンプンを混合してソフトーボールほどの大きさに丸めたものを蒸

かしてスープ皿に盛ったものが有名です。