族旅行に行ったホテルで別室を取らずに政治上の
話(会議?)をしたという舛添東京都知事。そして政
治の話をしたのだからこれは政治活動であるという。
その相手について質問されると機密に関することな
ので、明らかにできないと説明?していましたね。そ
してこれは自分の政治信念だといっていました。
そしてリオ五輪が済むまで進退表明を待ってほしい
という。いろんな説明責任を避けてまで五輪に拘るの
は何故なのだろうか。
下種の勘繰りをすると、今までのようにまた家族と
一緒に豪遊したいということなのかあるいは東京都知
事として招待されているのを今になって断れない。し
かし知事を辞任するとリオへ行けなくなってしまうか
らなのか。
舛添知事が政治的信念という言葉を口にするたびに
その意味が分からなくなってしまうのは私だけだろう
か。私にはむしろ思い込みか執念としか思えない。
信念というのはもっと崇高なものではないのだろう
か。しかし舛添氏は自分なりの信念だというのだろう。
ある最近放映されたドラマの中で、弁護士が言った
言葉「冤罪を無くしたいという信念だよ」。そこには
正義感が含まれています。
舛添氏の言う信念の中には正義感を感じられません。
都議会で舛添都知事の不信任案が可決された場合、
舛添知事の取る手段は、議会の解散、知事辞任、そし
て同時にその両方を実施する。一番ありそうなことは
都議会の解散かもしれませんね。選挙期間中に都知事
としてリオ五輪に出席するという筋書きになるのでは
ないでしょうか。そこまでの執念がないことを期待す
るのはどんなものでしょうかね。