寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

執念と信念

2016年06月15日 09時39分05秒 | 日記・エッセイ・コラム

族旅行に行ったホテルで別室を取らずに政治上の

話(会議?)をしたという舛添東京都知事。そして政

治の話をしたのだからこれは政治活動であるという。

 その相手について質問されると機密に関することな

ので、明らかにできないと説明?していましたね。そ

してこれは自分の政治信念だといっていました。

 そしてリオ五輪が済むまで進退表明を待ってほしい

という。いろんな説明責任を避けてまで五輪に拘るの

は何故なのだろうか。

 下種の勘繰りをすると、今までのようにまた家族と

一緒に豪遊したいということなのかあるいは東京都知

事として招待されているのを今になって断れない。し

かし知事を辞任するとリオへ行けなくなってしまうか

らなのか。

 舛添知事が政治的信念という言葉を口にするたびに

その意味が分からなくなってしまうのは私だけだろう

か。私にはむしろ思い込みか執念としか思えない。

 信念というのはもっと崇高なものではないのだろう

か。しかし舛添氏は自分なりの信念だというのだろう。

 ある最近放映されたドラマの中で、弁護士が言った

言葉「冤罪を無くしたいという信念だよ」。そこには

正義感が含まれています。

 舛添氏の言う信念の中には正義感を感じられません。

 都議会で舛添都知事の不信任案が可決された場合、

舛添知事の取る手段は、議会の解散、知事辞任、そし

て同時にその両方を実施する。一番ありそうなことは

都議会の解散かもしれませんね。選挙期間中に都知事

としてリオ五輪に出席するという筋書きになるのでは

ないでしょうか。そこまでの執念がないことを期待す

るのはどんなものでしょうかね。