寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

執念と信念

2016年06月15日 09時39分05秒 | 日記・エッセイ・コラム

族旅行に行ったホテルで別室を取らずに政治上の

話(会議?)をしたという舛添東京都知事。そして政

治の話をしたのだからこれは政治活動であるという。

 その相手について質問されると機密に関することな

ので、明らかにできないと説明?していましたね。そ

してこれは自分の政治信念だといっていました。

 そしてリオ五輪が済むまで進退表明を待ってほしい

という。いろんな説明責任を避けてまで五輪に拘るの

は何故なのだろうか。

 下種の勘繰りをすると、今までのようにまた家族と

一緒に豪遊したいということなのかあるいは東京都知

事として招待されているのを今になって断れない。し

かし知事を辞任するとリオへ行けなくなってしまうか

らなのか。

 舛添知事が政治的信念という言葉を口にするたびに

その意味が分からなくなってしまうのは私だけだろう

か。私にはむしろ思い込みか執念としか思えない。

 信念というのはもっと崇高なものではないのだろう

か。しかし舛添氏は自分なりの信念だというのだろう。

 ある最近放映されたドラマの中で、弁護士が言った

言葉「冤罪を無くしたいという信念だよ」。そこには

正義感が含まれています。

 舛添氏の言う信念の中には正義感を感じられません。

 都議会で舛添都知事の不信任案が可決された場合、

舛添知事の取る手段は、議会の解散、知事辞任、そし

て同時にその両方を実施する。一番ありそうなことは

都議会の解散かもしれませんね。選挙期間中に都知事

としてリオ五輪に出席するという筋書きになるのでは

ないでしょうか。そこまでの執念がないことを期待す

るのはどんなものでしょうかね。 


ミョウガを食べると

2016年06月07日 13時00分36秒 | 日記・エッセイ・コラム

 数週間前まで我が家の西側の小道に蕗が出ていました。

蕗は近くの人が来て刈り取っていきました。この人たちは

毎年同じ時期になると姿を見せる人たちです。

 私は終戦後の食糧難の時に、蕗をたっぷり入れた雑炊を

食べたものです。

 その蕗が生えていたところに、今はミョウガが生えてき

ました。ミョウガはあまり食べる人がいないので、とって

いく人がいません。それでどんどん増えてしまい、写真の

ようになってしまいました。

 昔からミョウガを食べると物忘れがひどくなると言われ

てきましたが、今はそんなことなないことが判明していま

す。その上にミョウガの香りい成分に集中力を増す効果が

あることが明らかになりました。

 ミョウガは薬味としても利用されています。

 

 

 

 


舛添さん矜持を正してください

2016年06月07日 09時37分22秒 | 日記・エッセイ・コラム

 

 舛添さん、甘言を弄して恥の上塗りをせずに矜持を正し

ましょう。報道によれば、113万円の支出は私的なものと

指摘されました。あなたは私費からその分を慈善団体へ寄

付するといいました。これは筋が違いませんか。元に戻す

のが筋でしょう。ここでも、あなたは格好をつけようと筋

違いのことをするのですか。

 金銭に関する不正をしても返金して謝れば済むという一

部の政治家の思考にはついていけませんし、そのような行

為を社会が認めている風潮がありますがこれは直さなけれ

ばなりません。

 舛添さん、もろもろの疑惑を都民に与え、何回も何回も

謝罪し、ぺこぺこと何回も頭を下げる姿を自分の子供に見

せるのは辛いでしょうね。そんな姿を私も見たくありませ

ん。私だけでなく、都民の皆さんも見たくないでしょうね。

それにそんな人にこれからの東京都を任せることはあり得

ないのではないでしょうか。

 舛添さん、もしあなたにまだ熱い信念があるならば、今

が矜持を正さなければならないときでしょう。そして都民

の信任を得なければならないのですよ。他の政治家の手本

となる行動をとることを進めます。


ピアノを弾いてみたい

2016年06月06日 11時17分51秒 | 日記・エッセイ・コラム

 音楽との出会いは、古い話では母親の子守歌や童謡

でしょうかね。そして学校の校歌を初めとする音楽。

親に連れていかれた映画の中で歌われた主題歌(例え

ば、ラバウル小唄、轟沈、加藤隼戦闘隊等)、そして

愛国行進曲、軍歌と続きました。

 高校時代の歌謡曲は同級生がNHKのど自慢で優勝し

てからは歌謡曲に興味が出てきました。

 クラシック音楽との出会いは、中学3年生の時の学芸

会でベートーベンの弟子という役で出演した時に聞いた

「月光の曲」が最初かもしれません。あの時のピアノの

響きは生涯忘れません。少し大げさに言いますと、私の

精神を揺さぶったという表現ができると思います。レコ

ードの雑音も気にならなかったくらいでした。

 そして高校の同級生の家で聞かせてもらった、パテイ・

ページの歌っていた「テネシーワルツ」。これにも深い感

動を覚えました。

 大学に入って同級生の下宿で聞かせてもらった「ツゴイ

ネルワイゼン」。ヤッシャ・ハイフェッツのヴァイオリン

演奏には神の業を聴きました。

 その後は錦糸町公園の野外音楽堂で聞いた鈴木秀太郎さ

ん独奏の「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲」も強

烈な印象を受けました。何しろ初めての生演奏を聞いたも

のでしたから。

 生演奏と言えば、パリのレストランで知り合ったクラリ

ネット奏者、この方はウィーンコンクール?で1位無しの

2位になった方で岡田某氏のホテルの一室でアメリカの方

(申し訳ありませんが氏名は忘却しました)と2人で演奏

してくれたのを思い出しました。

 そしてダンスの時代がやってきました。1960年代、タン

ゴ、ワルツそしてスローフォックストロット、ラテン音楽と

興味が移っていきました。

 しかしですよ、楽器の演奏には手が出ませんでした。唯一

ハーモニカを吹けるようになった中学生の頃が懐かしいです

ね。女子同級生の家の垣根の外で吹いた曲がなんだったのか

は忘れましたが、届いたのかどうか永遠の謎です。

 我が家にはもう40年以上も前に妻の希望で買ったピアノが

あります。人差し指だけでいくつかの曲を弾く?ことができ

ますが、それ以上にはなりませんでした。今でもピアノだけ

は両手で弾けるようになりたいと思います。

 それも叶わぬ身なれば、せめて世界の名演奏家の弾いた曲

を聴くことにしましょう。グルダの演奏するモーツアルトの

「ピアノ協奏曲第20番」を聴きながら書きました。


異次元世界への招待(5)

2016年06月06日 11時08分01秒 | 寓話

 と言って主任教授室を後にした。

 佐々木は分厚い資料を早く見たいと思いながら自分 

の室へ戻った。早速ファイルを開くとはじめに

 首相のプロジェクト参加依頼状

 内閣府係官のプロジェクトの主旨説明書

 プロジェクトの構成と目的

 プロジェクト参加の条件

  拘束条件

 守秘事項

 出張の必要な場合の条件

 報酬

 等々

 これまでの経緯

 失踪者の住所・年齢・学歴・専門・職業経歴

 失踪事案発生時の様子(日時)

 その他の参考事項

  佐々木はこれらの書類を読んでいくにしたがって、

これは大変なことを引き受けてしまったと感じてき

た。過去の拉致失踪事件とは全く性格の違う事件が

多発していることを初めて知った。しかもその原因

はもとよりどんな目的でどこへ行ったのか全く不明

だと言うことに一種の恐れを感じた。しかし何があ

ってもこの失踪事件の謎を解けという内部からの衝

撃が湧いてきた。

  ファイルの最後にある参考事項に目を通していくと

、佐々木は何か自分の感じたことと似ていることが

書かれているのに気がついた。何人かの人はどこか

らか雑音が聞こえてきてその雑音が次第に日パンに

発生しだしたので家族にそのことを話しており、家

族の勧めで耳鼻科の専門医師を受信していた。その

耳鼻科医師の診断は各種検査を行ったが聴覚系の基

質的な異常は発見されなかったと報告されていた。

またある人は身体少なくとも衣服の上から接触され

ている感覚を持ったという。これらの人たちも精神

科を受診しており、精神的には何も異常が発見され

なかったと報告されていた。これは佐々木澄夫自身

の場合とほとんどいや全く同じ現象ではないかと思

った。自分もいつか失踪することになるかもしれな

いという予感を持った。 

  佐々木は自分に起こっていることを出来るだけ詳細

に記録しておくことにした。そして友人の馬場にも話

しておいた方がよいと思い昼食を一緒に食べたいと電

話をかけた。


よかった良かった、よく無事で

2016年06月03日 11時56分01秒 | 日記・エッセイ・コラム

 北海道で親に置き去り?にされて6日が経ち、ほとんど

タイムリミットと思われていた7歳の男児が無事保護され

たというニュウースがTV画面に出とき本当によかったと安

心しました。

 どんなに寂しかったでしょうね。お腹も空いただろうに

どうやって過ごしたのだろうとか、体調を崩していないか

等々心配が尽きませんでした。

   田野岡大和君、君はよく頑張りましたね。起きてしまった

ことは不幸な出来事でしたが、君は精神的にも強く低温や空

腹によく耐えることができました。この経験は君の将来で良

い方向で生かしてください。そして社会でやってはいけない

こととやらなければいけないことの区別をできるようになっ

てください。子供の時のいたずらでも同じことが言えます。

いたずらも度が過ぎると今回のようにたくさんの人々の手を

煩わせることになります。今度のことでどれほどの人に時間

と労力そして経済的な負担をさせたかを覚えておきましょう。

   大和君これからも元気で物事をよく考えて行動する少年に

なることを期待していますよ。 

 


大学は出たけれど(現代版)

2016年06月02日 22時24分30秒 | 日記・エッセイ・コラム

 いつ頃のことか私にはわかりませんが、「大学は出たけれど」

と題名の映画があったそうです。調べてみると第1回目の作品は

小津安三郎監督、高田稔、田中絹代、飯田蝶子、笠智衆さんらが

出演した1929年のサイレント作品だそうです。この記事は、

映画についての話ではなくもっと現実の話です。

 報道によると、大学で借りる奨学金は4年間で約4百万円(A)

に達するということです。大学院まで進学するとこの金額にさら

に5百万円(B)が加わるということです。大学および大学院を

卒業して就職できたとして毎月手に入る給料は20万円前後だとし

たらどうでしょう。自宅から通勤する人にはまあ何とか生活して

いけると思いますが、地方から転居した人には生活するのが精い

っぱいの金額になってしまうでしょうね。しかし借りたものは返

却しなければなりません。毎月2万円ほどを返却するとすると、

ますます生活を圧迫してしまいます。

 それで最近の若い人たちの結婚の条件の中に、奨学金返済が必

要かどうかということが重要な条件の一つになっているというこ

とです。笑い話とも言えないですね。もっとひどい場合には、自

己破産申請をすることもあるということです。

 これでは奨学金を利用する意味がなくなってしまいますね。借

りた奨学金は生活を維持するために使われるそうです。奨学金制

度の所期の目的からズレたとはいえ、なんともやり切れない話で

す。

 私が学生の頃、なかには奨学金を貯蓄しているという学生がい

ました。ちなみに私は奨学金を借りすことなく過ごしてきました。

それは上に4人の兄と一人の姉がいたものですから経済的に困って

いないだろうという理由でした。

 今は大学の数が増え、高等学校卒業生のかなりの人たちが大学へ

進学するということです。自己破産を招くような奨学金制度の見直

しをすると同時に大学へ何のために行くのかを考える時期になって

きたのかもしれませんね。

 


異次元世界への招待(4)

2016年06月01日 23時59分35秒 | 寓話

 翌日、佐々木は北館主任教授に政府のプロジェクトに

参加したい旨を伝えに行った。北館主任教授は、

「ありがとうございます。私の役目を果たすことが出来ま

した。早速政府の担当者にその旨を伝えます。政府の仕

事、特にこの仕事をやるようになりますとかなり頻繁に

会議が開かれることになるように聞いています。そこで

授業のことですが、今何コマ授業を担当していますか」

「はい、講義の方は毎週2回です。それと大学院生の研

究指導、これはゼミナールも含まれていますがと卒業研

究の四年生のぜミナールがあります。それぞれ毎週1回

です」

「結構授業を担当していますね。わかりました、授業の方

は佐々木先生の推薦される方がいましたらその方にお願

いしましょう。しかし大学院生の研究指導は先生に担当

して頂かなければならないでしょう。時間割の都合があ

るようでしたら申し出て下さい。それと四年生のゼミナ

ールは...」

「四年生のゼミナールは大学院生に見て貰うことも可能で

すが」

「そうお願いできるようでしたらそうしていただけるとた

すかりますね。肝心なところは先生に押さえて頂かなけ

ればならないでしょうが、大きな問題がないようですね。

授業に関しては全面的に支援することが出来るでしょう。

ご安心下さい」

 佐々木は政府プロジェクトがそんなに急に発足するとは

思っていなかったし、かなり切迫している問題が発生して

いるのかもしれないと思った。それはそうだろう。優秀な

若手の研究者が何の理由も無く数十人が失踪すること自体

があり得ない話なのだから。それにしてもこんなにとんと

ん拍子にことが進行するとは思ってもいなかった。いった

い何が起きているのだろうか。少し不安を感じたが、未知

なるものへ挑戦することにはなれているし、訳の分からな

い変事を解明してやろうという気持ちの方が強かった。

「北館先生よろしくお願いします」

「佐々木先生、あなたは自然科学者だから未知なるものへ

の挑戦を恐れることはないでしょうが、何かとんでもない

ことが起こりつつあると言うことはいえると思います。言

うまでもないことですが常に冷静に行動することを期待し

ています。それではこの資料に目を通しておいて下さい。

今週中か来週初めには政府の方から招集があるとおもいま

す。よろしくお願いします」

 北館主任教授は分厚い資料の綴じ込みファイルを佐々木

に渡した。

「できる限りの努力をしますのでよろしくお願いします」

 「お願いしますよ」

 佐々木澄夫は渡された資料を持って立ち上がった。

「それでは、失礼します」

 と言って主任教授室を後にした。