for today 科学に目を向けよう

短文


我是三四六岁 
(旅の相棒募っています 乙女)

イランツアー  

2018年05月20日 07時17分56秒 | 旅行

いろいろなことが落ち着いてきたので、以前から出かけたかったイランのツアーを探してみた。個人なら街の生活や人々の暮らしが

見えそうだから、楽しみにもしていたが、言葉の事情でツアー参加になり、世界遺産巡りとなった。旅行ガイドとして持って行ったのは、

「ペルシャ細密画の世界を歩く」で、バス移動の時に車内でイランを掴もうとしていた。

かつてこのブログで書いたモンゴルを中心とした歴史で興味を持ったのは「イル ハン国 」の存在だった。

素人理解では、このイル ハンの痕跡はどうやらタブリズ辺りを中心にしてその文化を輝かせたように受け止めた。が、今回の旅程には

訪問地に入っていなかった。

イランに出かけて、まず第一声に言えるのは、にこにこっと駆け寄り、写真を撮りたがる o-mo-te-na-shi であった。顔立ちは、民族が混血したためだろうか、

彫りは深く目鼻ははっきりしていて、眉も豊かで、化粧をして目立たせる必要もないと、学生さんからもうかがっていた。

イランを旅行するとスカーフを身に着けるけれど、4月のちょうどよい時期にしても、がさばらないシルクのスカーフの首元がアジア人には

なんと暑苦しいことかと、麻や綿素材をお勧めします。イランのエスファファンは、東京と同じ頃の気候らしいと情報があったが、やっぱりアジアの気候とは違うのだと実感していた。

ブラウス一枚で快適なのに、すぐ前の宝石博物館で待っている婦人はスエードのロングコートを来て、スカーフで頭からすっぽり包まれていたからだった。

 

 

 ·真ん中の男性は英語で話しかけてくれました。

 

 


グローバル化とファッション

2018年05月17日 12時00分44秒 | 日常の発見

出先の帰り、ショッピングセンターで最上階から目星の物を探してから、徐序に下に降りてきた。

吹き抜けが十分あり、フロアー全体が見渡せる作りになっていた。たいていがどこにでもある店が入っていた。

目を引く店舗があり、フロアーに進んでいった。

色鮮やかな色彩の洋服で、今どきの肩空きブラウスの原型版とも呼べそうなディアンドルに合わせるブラウスがあった。

刺繍があったり、レースがついていたのもあった。かなりのお値段札が付いて、現地ではデンマークショップ(?)とでも呼ぶような

エコ扱い商品のように見えたから、「中古」と記されたにしても、値段には少々驚いた。他にもリゾート向きのカラフルな発色の服があったり、

レトロデザインの洋服もあった。

目新しい物好きな人には貴重な品かもしれない。

が、今のグローバル化日本を思えば、母国とは違った気候で暮らしている外人もかなりいるのだから、エコ外国産商品も

ひょとしたらご商売向きになるかもしれない。アジア人には新鮮味を覚えて購買に繋がっているだろうと、後になって眼を細めた。

GDPが低下したそうだ。その一因にリサイクル商品が挙げられていた。

ゲーム理論というのがあったけれど、波があるから循環・循環とはファッションを含め、飽き状態からの解消、耐久財の保管庫期間循環、それこそが理論?

何の刺激で循環が変わり目を迎えるのだろうか。

 


に・さん音節・さんもじことば

2018年05月17日 06時36分36秒 | 日常の発見

でお互いにコミュニケーションできる場合もあるだろう。それもごくシンプルなことばで。

挨拶も交わせる おはよ ごめん  どうぞ  やった  そうね  そうか ほんと うそお サンキューなどと、

まだまだあるかもしれない。

コンビニで品物をもって代金を払おうとしていた。すると、後ろ隣から20代の男性が「並んでいるんですけど」と少々怒ったような

声を投げかけ、慌てて列に回ったこともあった。レジから少しばかり離れたフロアーには、人の立ち位置を示すマークがついているのをその時に初めて知った。

「うそお・ごめん・ほんと」などと漏らし会話でつなげるかもしれない。

母の日に出かけた帰り、降りた電車からは、いつものようにわざわざ最後尾に回ることもなく、見まわすだけで、人の流れの途切れに従ってエスカレーターや階段に

たどり着いて、別のホームに移動するために列に入ろうとしていた。

「どうぞ」という声がして、その声の前に立ち、エスカレーターを踏み、列に加わった。

私にとってはその声が目新しく新鮮で、エスカレーターが終わって別のホームに移動するときに思わず後ろを振り向いた。

その人は日本の女性でもなく、タイやべトナムからやってきた人のように見えた。日本人だとばかり思い、振り向いてみたかったのだ。

もう「どうぞ」などという言葉を私たちは忘れている。それに、日本語には「please」を言ったり譲ることもなく、静かで、秩序を飲み込み、便利に暮らしている。

「すみません」発動なのだろうかと、それとなく言葉環境を巡らしている。

それにしても「どうぞ」の一声が休日の帰り、なんと心地良い響きだったか。

「ありがとう、嬉しかったわ!」

 

 

 

 


有難いメッセージ

2018年05月08日 20時22分29秒 | 日常の発見

に出合った。前の車の車内には、後ろのドライバーがよくわかるように黄色のプレートに黒い太文字で

「高齢者」と書かれたメッセージがあったからだ。

かつて、方向指示器を出さずに侵入されたり、急に減速されて急いでよけたところ、後続の車から怒鳴られたこともあった。

方向指示器を出す間もなく確かめる間もなかったからだ。初めてのことで、怒鳴り声には怖くもなったけれど、怒鳴った方もびっくりして怖かったのだ。

(怒鳴りたくもなったとは、私自身も怖さに反応して避けたからですが、できないし、しないわねえ。ああ、こんな時損だと感じるのは、私ひとりでもないはず!怒鳴り声が怖いよのよ!)

その時減速した運転者はいわゆる高齢者、80代ぐらいに見える男性だった。交差点のない四つ角あたりだったから減速したのかもしれない。日常の活動時間と場所には気を付けるべきだとひとり考えていた。

と、思い出しながら、目の前の車は後続の運転者にきちんと知らせていたので、プレートに新鮮味を覚えた。

だれも車の事故は起こしたくはない、巻き込まれたくもない。どんなことにお互い注意すればよいだろうか。

メッセージがあった時、多少の注意が生じる。車間距離とスピードに注意するぐらいしか私には浮かばない。

そうあったら、別の道を進む?でも、あちこちにあれば、ひとりで瞬間に上空を走りたくもなるだろう。

※ だいたい交差点か四つ角辺りで運転手との不具合を経験している。注意注意。

90代の女性ドライバーによる信号にたいする予想確認だろうか、50代の死亡・歩行者への障害事故を起こし、過失致死と報道。

ドライバーなら同じようなアクションは事故にならなくても経験しているだろう、身を引き締めて車に乗ること。

若葉マークのドライバーが目の前に方向指示器を出さずに侵入。怖い。怖がれているだろう、と気を付ける。車間距離をとると、こんなこともある、あああ。

 

 


グローバル化とクロスカルチャー

2018年05月05日 08時45分59秒 | 日記

クロスカルチャーという言葉の定義は全く分からないけれど、人が移動することで生じる文化の融合という意味で

使おうとしている。

それまでにない文化発信が移動先の土地で新鮮味を帯び、影響を及ぼしているのは確かだ。それがグローバル化と言えるかもしれない。

とすると、更に独自性を保つには土着を掘り起こす必要性が生まれるかもしれない。

そんな繰り返しと表現が私たちの視覚をとりまく文化なのではないだろうか、と歴史的美術を見ては

それとなく考えに至った。ど素人の日常生活にはどうでもない見解。