丁稚どんの教えてくれた『四条河原町阪急』の閉店のニュースにはしみじみ感慨深いものがあり。
働いていたのは2年弱だったけれど、やっぱりキラキラした思い出がある。
ただし・・・この日が来るのも想定できそうな店だった。
私が入社したのは店が四条河原町に出店した翌年。
前年にオープンしたここは、梅田本店からの配属替えになった人と、途中採用組がいたのだと思う。 店員のほとんどを占める女子は、この年は短大若しくは専門学校卒、という人ばかりで、翌年入社の4年制大卒のみ、という私たちよりは先輩なんだけど、年下という人が圧倒的だった。
これは、思った以上に軋轢になっていた。
デパートの主な仕事である接客、販売というのは勿論、ある程度のテクニックも必要と言えば必要だが、いきなり売り場に立っても全くできない、という職種でもない。 売り場に立つ前に長い研修期間もあったので、別に先輩たちよりうんと遅れを取っている、という仕事でもなかった。
が、一応、先輩は先輩だし、先輩らも注意することがあっても年上の私たちに、どことなく気を使ってるふうだったし。
でも、デパートってほんとにキラキラしてた。
店は出来て間なしなのでまだ綺麗だったし、当時珍しかったシースルーエレヴェーターや、私服制も話題になった。 入社初年度はともかく、2年目からは年俸制、という画期的なシステムも取り入れてたし、4大卒を取ったのは『即戦力』が欲しかったというのもあながちPRの為の言葉でもなく、すぐにバイヤーになって、買い付けを任されることもあった。
ま隣の高島屋には真っ向勝負では規模から言ってもその地に根付いた時間から言っても完全に負けるので、なにか勝てる要素をもってこようと、それなりに若い店は必死だったのだと思う。 いろんな新しい企画を毎週のように出すように言われたり、ディスプレーも凝ってみたり。
でも、やっぱり余りにも競合、競争相手が大きすぎた。
阪急になくて高島屋にあるものは山ほどあったけど、その反対はほとんどなかった。 阪急ブレーブスが強くて、お陰で野球のセールでとても忙しい思いをしていた、私たちのいた頃が多分、maxだったんじゃないかと思う。
あとはリニューアルを重ねても、私から見ても魅力のない店になり下がっていた。 近くに洒落た服飾の店も多いし、だいたい消費不況の今、あの中途半端さはダメだろうなって、感じてた。
閉店の会見で「売り場面積も狭く、百貨店としてやっていくには無理と判断した」って(笑) 今頃気づくか??と突っ込んだのは言うまでもない。
今夜MステにJu-kenさん出るようです~(嬉)
働いていたのは2年弱だったけれど、やっぱりキラキラした思い出がある。
ただし・・・この日が来るのも想定できそうな店だった。
私が入社したのは店が四条河原町に出店した翌年。
前年にオープンしたここは、梅田本店からの配属替えになった人と、途中採用組がいたのだと思う。 店員のほとんどを占める女子は、この年は短大若しくは専門学校卒、という人ばかりで、翌年入社の4年制大卒のみ、という私たちよりは先輩なんだけど、年下という人が圧倒的だった。
これは、思った以上に軋轢になっていた。
デパートの主な仕事である接客、販売というのは勿論、ある程度のテクニックも必要と言えば必要だが、いきなり売り場に立っても全くできない、という職種でもない。 売り場に立つ前に長い研修期間もあったので、別に先輩たちよりうんと遅れを取っている、という仕事でもなかった。
が、一応、先輩は先輩だし、先輩らも注意することがあっても年上の私たちに、どことなく気を使ってるふうだったし。
でも、デパートってほんとにキラキラしてた。
店は出来て間なしなのでまだ綺麗だったし、当時珍しかったシースルーエレヴェーターや、私服制も話題になった。 入社初年度はともかく、2年目からは年俸制、という画期的なシステムも取り入れてたし、4大卒を取ったのは『即戦力』が欲しかったというのもあながちPRの為の言葉でもなく、すぐにバイヤーになって、買い付けを任されることもあった。
ま隣の高島屋には真っ向勝負では規模から言ってもその地に根付いた時間から言っても完全に負けるので、なにか勝てる要素をもってこようと、それなりに若い店は必死だったのだと思う。 いろんな新しい企画を毎週のように出すように言われたり、ディスプレーも凝ってみたり。
でも、やっぱり余りにも競合、競争相手が大きすぎた。
阪急になくて高島屋にあるものは山ほどあったけど、その反対はほとんどなかった。 阪急ブレーブスが強くて、お陰で野球のセールでとても忙しい思いをしていた、私たちのいた頃が多分、maxだったんじゃないかと思う。
あとはリニューアルを重ねても、私から見ても魅力のない店になり下がっていた。 近くに洒落た服飾の店も多いし、だいたい消費不況の今、あの中途半端さはダメだろうなって、感じてた。
閉店の会見で「売り場面積も狭く、百貨店としてやっていくには無理と判断した」って(笑) 今頃気づくか??と突っ込んだのは言うまでもない。
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噂が、とうとう現実になったということでしょうか???
昨今のデパート事情を考えても、原因はいろいろあったのでしょうけど・・・。
昔の職場が無くなるのは、やっぱり寂しいニュースでした。。。
二年弱の勤務とはいえ、鮮明に記憶に残っているってことは、かなり充実した時間だったんでしょうね。
職場が消えるのは寂しいですね。
京都店は若者向きだったと知りませんでした。
大阪の梅田界隈は、デパートの増床ラッシュと、新たな出店でデパート戦争になります。
今の阪○は増築中の為か、落着いて食事出来る店も無く品数も限定されてて、気が向かない。
増床増床で、お互い潰し合いにならないのかしら?
私、噂知らなかったよ(苦笑)
実は、地下鉄が出来てから、四条河原町には非常に行きにくくなってね、阪急も高島屋もご無沙汰気味でした。 地下鉄からだと大丸が便利でね。まぁ、行きやすくてもほんとに買うもののない店になってました。 毎日のように食べていたコロンバンのクロックムッシュも食べられなくなるわ~・・・と食べ物の思い出だったりして。
もともと本当に小さな店だったので、ターゲットを絞り込まないと大店舗とは競えないと思ってたんでしょうね。
働いていた時は、自分も若かったので何ともなかったのですが、歳をとってみると、あの店では何も買えないの。 かといって、若むけのファッションビルも多いし、だいたいユニ●ひとり勝ちの現状じゃ、売れないでしょ。
えっ? なかったですか? 私が勤めていたころはありましたよ。で、早出早帰りの日は退店してから入りなおして食料品買って帰ったものです。 従業員だから、顔見知りだし、試食のものとかたくさん食べさせてもらったり(笑) すごく充実した食料品売り場だったんですよ。
若く、美しく、私が一番モテた時期
俺が仕事教えてもらってる先輩は高専卒だから社歴はだいぶ上だけど歳は同じくらい。
経験が物言う世界と言っても過言ではないから社歴がすべて。
東大博士卒の後輩がいるけど、所詮新卒のぺーぺーなので、歳はだいぶ上だけどそんなの気にならない。
アイスクリームの天ぷらがメニューにありましたな~
で、河原町通りのほうにはパブ風のレストラン・・・
おちゃこはんグループが男前のウエイター君からかいに有休(ありきゅう)の時に行ったはりましたで♪
逆の向角(北西)はネクタイ屋はん・・・
ここで、おちゃこはんの小さい方のお姉ちゃまがバイトしたはった♪
海南堂書店の隣の方にフルーツ屋はんがあって
その2階がママ一人でやってる可愛い喫茶店・・・
黒百合ちゅうてましたな~
パラパパはんとの待ち合わせ場所どした♪
あっ、これ以上ばらしたらおちゃこはんにしばかれるし・・・さいなら~♪