子供の頃「こんな大人にはならない」と思ったこんな大人が、どんな大人だったか憶えていますか。
私が小学生低学年の頃に思っていた「こんな大人」は、「人の気持ちに鈍感な大人」でした。
大人から聞かれる質問で、一番嫌だったのが「学校は面白い?」で、同じくらい嫌だったのが「お父さんとお母さん、どっちが好き?」でした。
当時の私にとっては、学校へ行くことは苦行であり、それでも義務を遂行しなければいけないと、日々ギリギリのところで生きていたのでした。また、当時の私は、父より母の方が好きで、それに対して強い自責の念を持っていたのでした。だから、子供を辛い気持ちにさせる、こんな質問をする大人にはならない、と思っていました。
でも、自分が大人になってみると、この二つの質問に喜んで答える子供が多いことに驚きました。そうしてみると、私が子供の頃に心に誓ったことは、極めて見当違いだったことになります。
守屋元事務次官は、十年前は「沖縄の基地問題は、沖縄戦・米国占領・基地負担という本土が経験していない歴史を背景にした県民感情が絡む。政府のトップダウンではうまくいかない。地元の合意形成を積み上げないと。」と言っていたそうです。それが2003年に事務次官就任後には「沖縄には強行にやらないと、だまされるばかりだ。」と変わったそうです。
何が守屋元事務次官を変えたのでしょう。どんな挫折があり、誰にだまされたのでしょうか。今朝の読売新聞には、「権力欲や利権力が変えたのか」と書いてありましたが、私には、守屋元事務次官がマスコミの言うような怪物ではなく、一人の小さな男の子のように見えました。