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歴史街道を歩く会 12月例会  長久手古戦場跡をウオーキング

2016年12月17日 23時04分20秒 | 歴史街道を歩く会

歴史街道を歩く会の12月例会です。会の年間計画で、何処へ行くかと言う事になりました。かつて一宮友歩会で長久手市を歩いた事が有りましたので、そのコースを提案しました。その時は地下鉄藤が丘駅から長久手市内を歩き、長久手古戦場公園を通った後に日進市の岩崎城址公園に寄りました。そして地下鉄赤池駅にゴールしました。これだけのコースはロング過ぎますので、今回は長久手古戦場駅までとしました。

長久手市は久手の文字を使っていますが、元々は長湫と言う字でした。この湫の字には沼とか湿地と言う意味があります。ですから長い沼が有ったのでしょう。
平成の大合併であちこちに新しく市が誕生しましたが、長久手市は人口増加で誕生した市です。市を人の衣服に例えると平成の大合併で誕生した市は服がダブダブですが、長久手市は人口が増えて誕生した市ですから体に合った服を着ている市だと思います。歩いていて保育園や児童館、それに消防署を目にしました。市役所は町役場の時の建物です。市役所を新しくするより、他の施設を優先している。そのように見えました。
長久手が若い人が多く住んでいる街だと言われています。実際、歩いていて何組もの若い親子を目にしました。イオンモールが新しく開店しました。そしてイケヤが、やがてオープンします。若い人が住む街であり、ますます人が集まる市になって行く事でしょう。




今日、歩いたコース地図です。

地下鉄藤が丘駅 → 木下勘解由塚 → 堀久太郎秀政本陣跡 → 岩作城跡 → 石作神社 → 
色金歴史公園 → 床机石 → 展望テラス → 伴若狭守盛兼の墓 → 安昌寺 → 首塚 → 
イオン長久手店 → 勝入塚 → 長久手市郷土資料室 → 庄九郎塚 → リニモ長久手古戦場駅




地下鉄藤ヶ丘駅に着きました。
駅の北側へ出て、これからウオーキングの開始です。




名古屋市を歩いて来て、鴨田川の橋を渡ります。
ここから先が長久手市となります。




マンションに囲まれた一角。
ここに木下勘解由戦死処と言う石碑が有ります。




石碑が有り、その傍らに説明板が設置して有ります。
主君が逃げるのを助けた後、徳川軍の兵に周りを取り囲まれ、槍隊に串刺しにされた姿を想像します。




すぐ近くには塚のような所が有ります。
プレートに木下周防守戦死の地と書かれています。




長久手市文化の家の横を歩いていきます。




堀久太郎秀政本陣跡に来ました。




堀久太郎秀政本陣跡には石柱が立っていて、説明板も設置して有ります。




後ろから歩いて来る女性たち。
香流川の横を歩いています。



歩いて来て、珍しい形の建物が有りましたが、保育園でした。
その隣の建物ですが長久手市青少年児童センターでした。




信号待ちで立ち止まりましたら、前を長久手市のコミニティバスが通過して行きます。




長久手市役所の前を通過します。




長久手市役所の敷地の中なのですが、岩作城址の石碑が有ります。
岩作と書いてヤザコと読みます。
この市役所の場所が、かつてはお城だったのでしょう。



こんな事

市役所の横を通り抜けた時、ミンナに一言、話しをしました。

今回の12月例会を行うに当たって、現地を下見しました。その際に資料を求めに長久手市役所へ寄りました。受付で歴史的なウオーキングをするので、資料が欲しいと申しましたら「たつせがある課」に行ってと言われました。「たつせがある課」ン?。となりました。聴きなれない言葉ですが、「たつせがある課」で資料をいただいた時に、その名に付いて聞きましたら、何でも市長の発想なのだそうでした。普通は、たつせが無いという言い方をします。その逆を言っている訳です。多くの市に有る商工観光課的な部署なのでしょう。この課が持つ資料以外のものを、生涯学習のようなセクションへ職員を行かせ、資料を揃えてくれました。
「たつせがある課」と言うユニークな名の部署は日本中でも、長久手市だけなのでしょう。お陰で資料が整い、助かりました。
このような、ユニークな名の課が有ることをミンナに話したのです。




石作神社に来ました。
この地の名は岩作ですが、神社は石作です。



石作神社の境内です。
広い境内です。
四季桜なのか、桜の花が咲いていました。





色金山歴史公園に来ました。




床机石の説明を読んでいます。




こちらが床机石とその説明です。




展望テラスに向かいます。




展望テラスに上がってみました。




展望テラスからの眺望です。
下見の時には手前の木の枝が邪魔していましたが、今では落葉して視界が広がっています。
前方に名古屋の東山タワーが見えます。この右には名古屋駅の高層ビル群も見えました。



伴若狭守盛兼の墓です。




次に、安昌寺へ来ました。
長久手の合戦の後、累々と屍があり、この寺の和尚が、なきがらを弔ったと首塚の説明板に書かれていました。




首塚まで来ました。




首塚の説明板と 観光情報のガイドです。




首塚には、古い石碑が有ります。




街道を歩く会としてのウオーキングですが、今回の唯一の街道です。
岩作街道です。





街道を歩きますが、街道らしい道でして直線の道路ではありません。




ガラス越しに行灯が見えます。
岩作あんどんの会と読めます。




イオン長久手店に入ります。
実は、昼食は色金山歴史公園で取る予定でしたが、イオンが開店したのであり、イオンに入りたいと言う声が有りました。それで、自由時間を設け、の入口に指定した時間に集合する事としました。




イオン店内です。
まだ、つい先日開店したのであり、多くの客が訪れています。




店内を廻りました。
ここはお酒の売り場です。




こんなお酒を見つけました。
長久手の古戦場に来たのでして、「小牧長久手合戦」となっています。
これは、買って帰ると好いと思い、買いました。
でも、ラベルを見てみましたら、江南市の酒蔵でした。




イオンの出口に集合し、全員が揃って古戦場公園へ向かいました。
古戦場公園で最初に寄ったのが勝入塚です。




こちらが勝入塚。そして説明です。
入道して勝入斎を名乗ったと有ります。その前は池田恒興を名乗り大垣城主だったと説明が有ります。大垣城は戸田の殿様くらいしか知りません。戸田公が入城する前の領主だったのでしょう。



公園内の一角に有るのが、長久手市郷土資料室です。
これから入ります。




長久手の合戦をジオラマで表しています。
秀吉側と家康側の隊列の進攻を時間を推移させて表現しています。




ジオラマを見入る女性たち。




壁には合戦の詳細が紹介してあります。



こちらは両軍が進軍したコース。
初めは、双方の睨み合いから、やがては戦へとなりました。





陣鐘と軍貝です。
鐘を鳴らし、法螺貝を吹鳴させて兵士の士気を高揚させました。
鐘の音。法螺貝の音。そして兵隊たちの喚声。漂う硝煙臭。
そんな戦場(イクサバ)の様子が想像できます。


「小牧・長久手の戦い」の特別展が明日までの期間で開催していました。




立派な石柱が設けて有ります。
古戦場公園から出てきました。



一旦、古戦場公園から出て来たのですが、公園内の庄九郎塚に立ち寄りました。




庄九郎塚とその説明板です。
庄九郎は幼名で之助と名乗りました。短い生涯をここで閉じました。残された子が元信なのですが、叔父に当たる池田輝政に使えました。
池田輝政は姫路城を築城した人物です。
このように関連付けて考察できるのも歴史の面白い所です。




今日のウオーキングのゴール。
リニモの長久手古戦場駅に来ました。




リニモの列車が来ました。
列車の左側。大きな建物はトヨタ博物館です。




感想
歴史には想像するロマンがあります。
今でこそ、住宅やマンションが立ち並んでいますが、合戦が有った頃は何も無い原野だったと想像します。そんな原野を家康軍と秀吉軍が激突しました。
戦の後の荒涼とした風景。野晒しの累々とする屍。そんな状態を見かねて寺の和尚が供養しました。
関が原の合戦の前の大きな戦。そのような場所を訪ねる事が出来ました。改めて知識を深める事が出来ました。

コメント
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