5月2日はhideと清志郎の命日だ。毎年この日になると同じことを書いてる気がするが、二人とも奇しくも同日に亡くなったのだから仕方がない。
hideが亡くなってもう21年、忌野清志郎でもう10年。時の経つのは早いなぁ。
1989年に始まった平成、6月に美空ひばりが亡くなった。
昭和の歌謡音楽史は美空ひばりの出てくる前と後ろで分けられると思う。演歌からポップスまでジャンルまたいでなんでも歌える歌唱力。圧倒的な存在感。すごい人だったと思う。ラストソングは秋元康作詞の「川の流れのように」で、これは平成になってすぐの1月に発売されたはずだ。52歳で死去。月並みだが早すぎるなぁ。
平成4年(1992年)には尾崎豊が亡くなった。彼も男性ボーカリストとして一つの時代を築いた人だと思う。それまでロックを歌うソロシンガーはたくさんいた。佐野元春にしろ、大沢誉志幸にしろ、一部では熱狂的なファンがいてもレコードセールスやヒットチャートとは無縁だった。でも彼は売れてしまった。売れてしまった故に苦悩してしまったのだと思うけどさ。26歳の死はやっぱり早すぎる。コンサートで観客が歌うのを不快に思い、「俺の歌なんだから、歌うな!」と叫んで舞台から降りてしまったと逸話のある【I LOVE YOU】は宇多田ヒカルもカバーしてる。
hideが亡くなったのは平成10年。彼(X-JAPAN含む)も時代を変えた一人だ。それまではハードロックやヘヴィメタルというのは特殊なジャンルで、ライブハウスで演るものだったし、ファンもコアだった。ラウドネス、VOWOW、44マグナム、ACTION・・・一部には熱狂的なファンがいるのだがメジャーではなかった。それをテレビには出るわ、ミリオンは売るわ。ノベラなどビジュアル系(美麗系)の容姿と確かな演奏力、そしてパフォーマンス。彼が33歳で死を選んだ原因はなんだったろう。
忌野清志郎が58歳で亡くなったのは平成21年。彼もロックの歴史を変えたレジェントである。派手なメイクと衣装、ライブパフォーマンス。ロックはテレビ(ランキング形式の歌番組)に出ない時代に坂本龍一と平気で出るし、原発&戦争反対ソングで東芝とレコード発売で揉めるし、TIMERSで別人になりすますし。存在そのものがロックだった。
「雨上がりの夜空に」は日本で数少ない、いろんなミュージシャンがセッションでガツンとやれる名曲だ。海外で言えばビートルズの「GET BACK」やストーンズの「Satisfaction」、ステッペンウルフの「Born To Be Wild」などと匹敵する(と勝手に思ってる)。
ちなみに今更知ったのだが、ずーっとRCサクセションってバンド名は「ある日作成しよう」のもじり(訛り)だって思ってたのだが(だって清志郎が言ってたんだもん)、実は違ったことが判明。清志郎が中学校の時に組んだバンド(ザ・クローバー)を高校の時に復活させ、その時の名前が「リメインターズ・オブ・ザ・クローバー」(リメインターズは残党って意味)。そして1969年に再結成した時にさらに“継承”の意味を持つサクセションをつけて、「リメインターズ・オブ・ザ・クローバー・サクセション」。これを略したのがRCサクセションだそうだ。真相知ってなんかちょっとショック。
この四人の、葬儀・追悼式の参列者は記録的な数字だ。今も有名人、著名人が亡くなられるたびに葬儀・や追悼式が行われるのだが、ここまで多い数字はしばらく見ていない。それほど業界人だけでなく、一般の参列者が多かった(=ファンが多かった)ってことなんだろうね。
音楽界を変えてきた(多大なる影響を与えた)レジェントが次々と亡くなった平成。
海外でもフレディ・マーキュリー、マイケル・ジャクソン、プリンス、デヴィッド・ボウイ、アレサ・フランクリン、カート・コバーン・・・多数亡くなった。若くで亡くなったアーティストもいれば病気で亡くなった人もいる。平成のラストはパンクのレジェント遠藤ミチロウだった。
そりゃいつかは人間死ぬ。クローンや不老不死の薬が開発されない限りはね。
でもさ、戦争では死にたくないなぁ。憲法記念日だけにそう思うよ。ねぇ、清志郎さん。
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