やまがた屋がなくなるというニュースが飛び込んできた。
なんだそれは?ラーメン屋か?老舗旅館か?山形県物産品店か?って、知らない人の方が多いだろう。
京都府民及び近隣の大阪府民と兵庫県民以外はほぼ知らないであろう。
この店を知っているのは1980年から1990年代にかけて、車やバイクで若狭の海に行ってた人か、それ以外はトラックドライバーか地元民くらいだろう。
この店の正式名称は『丹波の里やまがた屋』。京都府京丹波、国道9号と国道27号が交差する場所にあるドライブイン。
大型ドライブインで、駐車場も広い。夜も出入り自由。店は閉まってるけど自動販売機とトイレは使えるのさ。
俺たちの海へ向かう道中の休憩場所であり、はぐれた時の合流ポイントだった。
そのやまがた屋が11月に閉店するらしい。
ショックだ。
夏といえば海。
海には毎年必ずといっていいほど行っていた。
若者にとって海こそ青春だ。泳げる奴でもカナヅチでも、男も女も出会いを求めて海に繰り出す。日焼けは肌に悪いだの美白だのとか言い出すのはもう少し先だ。紫外線がぁ〜なんてつべこべ言わず、みんな真っ黒。みんなで海に繰り出してた。
須磨は当時汚いとか狭いとか人が多いとか女子に不人気だった。マーブルビーチ(ピチピチビーチ)も二色の浜も近場は不人気ね。
白浜は遠いのよ。距離的には若狭に行くのとは変わらんのだけどね。道路混むのよ。昔は下道しかなかったしね。最近じゃ高速できて、おかげで早く行けるけどね。
で、若狭の海に毎回行くのさ。
海に行く。
お気に入りの曲をカセットに入れて、夜中に出発する。
「アクセルふかしてKeep On Truck'n』
ユーミンの曲じゃないけど、カーステレオガンガン鳴らして夜の街を抜けて海を目指すのだ。(BGMはサザンでも山下達郎でも大瀧詠一でも松田聖子でも洋楽でもなんでもいい)
俺たちの地区から若狭の海を目指すルート。by 80's.
80年代の海へのルートは、西国街道を大山崎から長岡京、そして洛西ニュータウンを抜けて国道9号を左折(まっすぐ行くと嵐山方面ね)し亀岡方面へ。
ひたすらくねくね曲がった山道を走る。しばらくすると後部座席の声は静かになるのはお約束(酔うのだ)。
亀岡を抜けさらに暗い山道9号線をひたすら走る。ちょっと慣れてみんな復活!車走らせて約2時間ちょい、ようやく中間地点(正確には違うけど)が見えて来る。
それがやまがた屋だ。
缶コーヒを買ったりトイレ行ったり、合流した他の車の奴らと喋ったり、しばしの休憩。
駐車場は広いけど、ヤンキー車かトラックばっかってかんじ。当たり前か、こんな真夜中車走らせてるのはそんなんだけだ。
でも、不思議と揉め事はなかったなぁ。一度もここでトラブルに出会ったことないや。
そして再度車に乗り込み、今度は27号線を舞鶴方面へ向かう。そろそろ白み始めた空。27号線と178号線の分岐を右の27号線へさらに車を走らす。
舞鶴で、左の178号に行けば神崎という穴場や宮津・天橋立方面、さらに足を伸ばせば琴引浜や久美浜だ。
でも俺は右折。27号線をひたすら走る。
若狭は和田高浜が一番手前で広くてきれいな浜だ。舞鶴(京都府)抜けたらもう福井県だ。そして小浜、美浜。きれいな浜も多いのだが、原子力発電所もいっぱいあるのだ。
キヨシローのSummer Time Blues聞くたびに若狭を思い出す。
『暑い夏がそこまで来てる みんなで海に繰り出して行く
人気のないところで泳いだら 原子力発電所が建っていた』
で、ビーチに着いたらもう朝だ。
パラソル立ててシートやチェアーをセッティングして、クーラーボックスからガンガンに冷えた缶コーヒー(このころはまだビールじゃない)。あとは太陽が昇るのを待つだけだ。遊ぶなり寝るなり佇むなりご自由に。
海の家で食うカップラーメンってなんであんなに美味しんだろう。かき氷なんてバイトが削ってるのにな、美味いのよ。
帰りは混む前に帰ろうとかなんとかいいながら、結局3時か4時ごろになる。27号線を戻りながら帰りは下道からか高速乗るかを考える。日に焼けた素肌に風が気持ちいい。
下道もいいけど疲れるな。福知山とか綾部、丹波で花火大会ある日と重なった日には大渋滞だ。
帰りは西舞鶴から高速道路で帰るのを選択。その前に手前の魚屋(本当は何屋だったのかよく知らない)でイワシのすり身やアジの天ぷらとか買わなくちゃな。それ食いながら高速に乗る。
まぁ中国道と合流して名塩あたりで大渋滞に巻き込まれるんだけどね。
後部座席は爆睡中。豊中あたりまでノロノロと。眠気と戦いながら中央環状から万博抜けて、さぁ帰ってきたぞ。日焼けした肌が痛いぞ。
これが毎回のパターンだった。
それが、まず京都縦貫道ができた。
洛西から9号線に入ればすぐ京都縦貫道の入り口(沓掛?)になった。もう亀岡あたりまでのくねくね曲がった山道を走らなくていい。まっすぐだ。快適だ。
でも、まだ丹波までしか伸びてなかった。ここで降りて9号線。すぐやまがた屋だ。相変わらず利用させていただいてたよ。ラリーのチェックポイントみたいなもんね。
綾部-宮津が先にできて舞鶴道と合流したが、丹波から綾部まではしばらく繋がってなかった。一部の話ではここの土地を持ってる地主が売るのを渋ってるから工事が遅れてるとかいうデマか噂が流れてた。
2000年までは、だから若狭や舞鶴(ツレや知り合いが住んでた)に行く時は必ずと言っていいほどやまがた屋は利用させていただいた。
他にもドライブインや道の駅みたいなのあったのに不思議。利用しやすいのよ。なんか安心感あるしね。
それが大山崎に名神高速道路のインターチェンジができ、そこから名神に乗れば中国道ー舞鶴道と一気に海に行けるようになった。かなりぐるっと遠回りだけどね、当時の家から大山崎のインターまではすぐだったし、信号の数もしれてるし、夜ならほぼノンストップでインターチェンジだ。
この名神〜舞鶴道のルートで行くと、必然的にやまがた屋には寄らない。寄れない。4-5時間くらいかけて行ってた若狭が2時間ちょっとでノンストップで行けるんだもん。わざわざ途中で降りたりはしない。
さらに舞鶴道は西舞鶴までだったのが敦賀まで伸びた。あれ?輪島だったけ。今はもう石川富山新潟の方まで繋がってるんじゃないかな。
いつも行ってた和田(高浜)あたりの山中にもインターチェンジができた。高速降りたらすぐ海だ。
京都縦貫道のルートも丹波ー綾部が繋がった。これで舞鶴道とも綾部JCTで繋がった。
さらに大山崎JCTと京都縦貫道がつながった。これこそ縦横無尽ってやつだな。
これのおかげで家から海までホントあっという間になった。
久しぶりに下道から帰ろうって走ってみたら、街道沿いでいろんな店が潰れてるのよね。
ラブホテル、ガソリンスタンド、食堂、喫茶店、土産物屋・・・。
そりゃ、みんなが高速道路(上)を使えば国道(下)沿いの店なんて利用客は減るもんな。西舞鶴インター手前の魚屋も知らない間に潰れて無くなってたよ。
なんか街道沿いや山の中で朽ち果てたまま、解体もされずに残されてるのを見ると虚しくなる。寂しくなる。
やまがた屋も同じく、そんな時代の波によって閉店するのだろうな。
そういう俺ももうここ最近は全く行っていない。ごめん。
っていうか長年利用してたけど、俺、利益にはほとんど貢献してない。缶コーヒーくらいだもんな。大体、中の店が空いてる時間にほぼ行っていないもん。
何度か昼間(夕方)に寄ったこともあるが、あまりの賑わいで驚いたことがある。フードコーナーや土産もんや、ミスタードーナッツまであったような気がする。
駐車場も家族連れの車や大型バス、観光バスなんかが停まっていっぱいだった。
でも、京都縦貫道のせいで、トラックや観光バスが寄らなくなったんだろうな。丹波の松茸や栗とか枝豆、福井にカニ食いに行くのも、天橋立へ行くのもズキュンと高速で一気に行けちゃうもんな。
それに若い奴は今、海に行かない。そもそも車も持ってない。
聞くところによると、今はやりの道の駅とやらも付近にできてたらしい。新型コロナによる自粛も影響してるのだろうか。
やまがた屋閉店。
ちょっと悲しい。
よく鉄道ファンが廃線になったりすると最終日とかに集まって、写真バシバシ撮ったり「ありがとう」とか言ってたり、インタビューされて「残念です」なんて答えてるのを傍観しつつ、「そんなに悲しがるのならこれまでもっと利用してあげてろよ」なんて思っていた。
ごめん。
今は、ちょっとだけ気持ちわかる。