今日は豚を焼いたカップ麺です。
豚骨ラーメンの「クサいウマさ」が存分に堪能できるインスタントラーメン。最後スープにご飯を入れて、おじやにして食べるのがまた美味いんですね。ロバートの秋山さんもお好きだそうですよ。
このサンポー食品は佐賀の会社で、九州内でしか販売していないのかもしれません。九州外の人は九州のアンテナショップに行くか、ネット通販をご利用ください。
吾輩は油人間である。名前は無明。
何時如何なる時も皮膚の上に油が浮いてゐる、其れが油人間である。油は己の体内からの分泌物である。所謂脂性といふやつである。首から上が常にぬらぬらしてゐる。
人の手癖で頬杖をついたり、顔を撫でさすったりする仕草が在るが、吾輩は其れをしない。手が油塗れになってしまふからだ。
気軽に顔を触れる者を羨ましく思ふ。吾輩が自身の顔に触れるのは洗顔の時くらひである。
就寝中無意識裡に頭部を掻き毟ってゐることがあり、目覚めると爪がベタベタしてゐる。起床後真っ先に手を洗わねばならぬ。
分泌は第二次性徴とともに始まった。最初のうちは、何が起きたか理解できぬ。顔の表面に油が溜まる夕刻頃になると、瞼の油が少しずつ眼球に流れ込み、ジワジワ痛くなってくる。何故痛むのか不可解に思ひながら堪ゑて居ると、次第に涙が滲んでくる。
其の儘涙がぽろりと零れてしまふと、もういけない。涙が目の周辺の油を溶かして、一気呵成に眼球へと雪崩れ込んでくるのだ。たゞ只管痛くて痛くて仕様がない。涙はどんどん溢れるが、油はそう簡単に洗ひ流せない。泣きながら痛みを訴へるのだから、自分も周囲も何が起きたかと訝しむばかりであった。
幼少の頃、『ぴょこたんのてじなあそび』といふ愛読書が在った。このみひかる氏による児童書「ぴょこたんシリーズ」の一冊である。
其の名の通り、手品の手管を学べる読み物なのだが、作中にぴょこたんの「鼻の油をちょいとつけて」といふ科白が在った。恰も魔法を掛けたような気にさせる、「種も仕掛けも御座いません」と同様の、手品の御定まりの掛け声である。
吾輩は此の箇所を読み、「鼻の何処に油など在るだらうか」と、大いに頭を悩ましたものであった。顔はすべすべしてゐるのが相場であると、信じて疑わなかったからである。
其れが今やどうだらう。油田の如く弐拾四時間体制でオイルを産出してゐるのだ。石油王の称号を恣にせんばかりである。吾輩の生涯製油生産量は何バレルに達するであらうか。
産出の勢ひは暇といふものを知らぬ。風呂から上がって参拾分後にはもうベトベトしてゐる。最早顔の上に油が浮いてゐるのではなく、油の上に顔が浮いてゐるのではないかと思へる程だ。
夏場は特に分泌が酷い。鼻の毛穴の一つ一つに油溜まりが出来る。偶に小さな虫が飛び込んで溺死してゐる。いとうあさこが、「殿方の気を引こうとグロスをたっぷり塗ってたら虫が死んでると指摘された」といふネタをやってゐたが、正に其れと同じである。湾岸戦争の折の、ペルシャ湾石油流出の悲劇の如くである。虫も油を飲んで死ぬ為に生まれてきた訳ではあるまい。慙愧に堪ゑぬ事頻りである。
油の弊害は其れだけに留まらぬ。吾輩は白Tシャツの着用を控ゑてゐる。首回りが直ぐ黄ばんでしまふからである。イヤホンやヘッドホンの使用も、入浴直後の短時間に限られる。さうせねば、精密機械が汚染されてしまふのである。警備の職に勤めてゐた頃、自身のヘルメットは常にヌルヌルしてゐた。
中学の時分は油取り紙を多用してゐたが、程無くして止めた。一度に壱〇枚近く消費してしまふ故、購入が追いつかぬからである。ティッシュで一気に拭き取る様にしてゐる。
此れ程の大量分泌は何故であらうか。一両日風呂に入らぬと皮膚が息苦しさを覚へる。油が表皮を覆い尽くす為である。乾燥肌の御仁に御裾分けして差し上げたいと、幾度夢想したことであらうか。
嗚呼、今日もまた一段と油漏れが酷い。焼豚ラーメンを食べて給油しなくては・・・。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース。
本日早朝、3年ぶりに開催された博多祇園山笠が、無事フィナーレを迎えました。山笠は福岡三大祭りのひとつで、コロナの影響で2年連続中止になっていたのです。
祭りにはかかわったこともないし、興味もないんですけど、地域の営みが平常通り行われるって、なんかうれしいですね。
僕にも人間らしい心が残っていたのです。
豚骨ラーメンの「クサいウマさ」が存分に堪能できるインスタントラーメン。最後スープにご飯を入れて、おじやにして食べるのがまた美味いんですね。ロバートの秋山さんもお好きだそうですよ。
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吾輩は油人間である。名前は無明。
何時如何なる時も皮膚の上に油が浮いてゐる、其れが油人間である。油は己の体内からの分泌物である。所謂脂性といふやつである。首から上が常にぬらぬらしてゐる。
人の手癖で頬杖をついたり、顔を撫でさすったりする仕草が在るが、吾輩は其れをしない。手が油塗れになってしまふからだ。
気軽に顔を触れる者を羨ましく思ふ。吾輩が自身の顔に触れるのは洗顔の時くらひである。
就寝中無意識裡に頭部を掻き毟ってゐることがあり、目覚めると爪がベタベタしてゐる。起床後真っ先に手を洗わねばならぬ。
分泌は第二次性徴とともに始まった。最初のうちは、何が起きたか理解できぬ。顔の表面に油が溜まる夕刻頃になると、瞼の油が少しずつ眼球に流れ込み、ジワジワ痛くなってくる。何故痛むのか不可解に思ひながら堪ゑて居ると、次第に涙が滲んでくる。
其の儘涙がぽろりと零れてしまふと、もういけない。涙が目の周辺の油を溶かして、一気呵成に眼球へと雪崩れ込んでくるのだ。たゞ只管痛くて痛くて仕様がない。涙はどんどん溢れるが、油はそう簡単に洗ひ流せない。泣きながら痛みを訴へるのだから、自分も周囲も何が起きたかと訝しむばかりであった。
幼少の頃、『ぴょこたんのてじなあそび』といふ愛読書が在った。このみひかる氏による児童書「ぴょこたんシリーズ」の一冊である。
其の名の通り、手品の手管を学べる読み物なのだが、作中にぴょこたんの「鼻の油をちょいとつけて」といふ科白が在った。恰も魔法を掛けたような気にさせる、「種も仕掛けも御座いません」と同様の、手品の御定まりの掛け声である。
吾輩は此の箇所を読み、「鼻の何処に油など在るだらうか」と、大いに頭を悩ましたものであった。顔はすべすべしてゐるのが相場であると、信じて疑わなかったからである。
其れが今やどうだらう。油田の如く弐拾四時間体制でオイルを産出してゐるのだ。石油王の称号を恣にせんばかりである。吾輩の生涯製油生産量は何バレルに達するであらうか。
産出の勢ひは暇といふものを知らぬ。風呂から上がって参拾分後にはもうベトベトしてゐる。最早顔の上に油が浮いてゐるのではなく、油の上に顔が浮いてゐるのではないかと思へる程だ。
夏場は特に分泌が酷い。鼻の毛穴の一つ一つに油溜まりが出来る。偶に小さな虫が飛び込んで溺死してゐる。いとうあさこが、「殿方の気を引こうとグロスをたっぷり塗ってたら虫が死んでると指摘された」といふネタをやってゐたが、正に其れと同じである。湾岸戦争の折の、ペルシャ湾石油流出の悲劇の如くである。虫も油を飲んで死ぬ為に生まれてきた訳ではあるまい。慙愧に堪ゑぬ事頻りである。
油の弊害は其れだけに留まらぬ。吾輩は白Tシャツの着用を控ゑてゐる。首回りが直ぐ黄ばんでしまふからである。イヤホンやヘッドホンの使用も、入浴直後の短時間に限られる。さうせねば、精密機械が汚染されてしまふのである。警備の職に勤めてゐた頃、自身のヘルメットは常にヌルヌルしてゐた。
中学の時分は油取り紙を多用してゐたが、程無くして止めた。一度に壱〇枚近く消費してしまふ故、購入が追いつかぬからである。ティッシュで一気に拭き取る様にしてゐる。
此れ程の大量分泌は何故であらうか。一両日風呂に入らぬと皮膚が息苦しさを覚へる。油が表皮を覆い尽くす為である。乾燥肌の御仁に御裾分けして差し上げたいと、幾度夢想したことであらうか。
嗚呼、今日もまた一段と油漏れが酷い。焼豚ラーメンを食べて給油しなくては・・・。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース。
本日早朝、3年ぶりに開催された博多祇園山笠が、無事フィナーレを迎えました。山笠は福岡三大祭りのひとつで、コロナの影響で2年連続中止になっていたのです。
祭りにはかかわったこともないし、興味もないんですけど、地域の営みが平常通り行われるって、なんかうれしいですね。
僕にも人間らしい心が残っていたのです。