徳丸無明のブログ

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ユーハ おさつどきっ プレーン

2022-11-25 22:35:51 | 
今日はときめきの芋です。




わりと厚切りで歯ごたえあります。僕が子供のころはCMばんばん流してましたけど、最近は影薄め。秋冬限定販売なのでしょうか。だとしたらお早めに。
幼少のみぎりの思い出話をいたしましょう。「みぎり」ってなんでしたっけ?
保育園児のとき、5歳くらいの話です。僕は幼かったころ、子供らしからぬところがありました。
ある日保育園で、先生が園児を集め、「未来」をテーマに話をしました。先生は、「みんなが大人になるころには、空飛ぶ車が出来てるかもしれないねー」と語りかけました。
子供たちは興奮したようで、「僕はウルトラマンの車がいい!」「僕パーマン!」という声が上がりました。
しかし僕は、そんな盛り上がりを冷やかに眺めながら、「大人になったらそんなキャラクターの車なんかに乗りたいなんて思わなくなるだろ」と思っていました。変に冷めていたのです。
断っておきますが、僕はつねに冷めていたわけではありません。ごく稀に、妙に大人びた子供がいたりしますけど、僕はそういうのではなかった。子供らしく感情的になったり、単純な子供だましに引っかかったりすることもありました。
基本的には子供らしい子供だったんですけど、たまに大人びた一面が顔を出すことがあったのです。なのでそのとき、たまたま大人びた一面が表に出て、同い年の子たちを冷淡に見下したのです。
しかし空飛ぶ車、ほんとに実現しつつありますね。

もうひとつ別の話。朝の登園時、泣いている園児がよくいました。「保育園に行きたくない」とか、「お母さんと離れたくない」などといった理由で泣いていたのです。
子供たちは、保護者に力ずくで連れてこられ、先生に引き渡されていました。そこはどこの家庭もしつけと考えていたのか、甘やかしている様子は一切ありませんでした。もちろん仕事に行かなくちゃいけないからいちいち相手してられないということでもあったんでしょうけど。
僕は一度も泣いたことがありませんでした。それは気が強かったとか、親離れができていたとかいうことではなく、あまり物事を深く考えていなかったからです。深く考えないから、お母さんと離れて寂しいとか、保育園に行きたくないとか、そういう感情が湧いてこなかったのです。ある意味単純だったのです。
んで、そんな僕がある日、登園時に泣いているほかの子を見て、ふと「僕も泣いてみよう」と思い立ちました。
なぜそんなことを考えたのか、今ではよく憶えていませんが、たぶん好奇心だったのだと思います。「泣いたらどうなるのだろう、何が起こるのだろう」という好奇心。それが突如として頭をもたげたのです。
翌朝、僕は計画を実行しました。いつも保育園まで送ってくれていたのは、おばあちゃんでした。保育園が近づいてきたあたりで、僕はウソ泣きを始めました。
芝居が上手かったのか、ウソ泣きであることを見抜かれませんでした。おばあちゃんは僕が本気で泣いていると信じていたようでしたが、ここは厳しくせねばならないと考えたのか、つーんとした態度になり、僕を保育園に引き渡すと、澄ました様子で帰っていきました。
僕はおばあちゃんの後ろ姿を見届けると、「泣くってこんなかんじなのかぁ」と思い、すぐに泣き止みました。そしていつも通りに、保育園で過ごしたのです。
思い返してみると、自分でもおかしな思い付きだったと思います。でもまあ、子供がしたことです。子供はいろんな経験を積んで成長します。それらの中には、いかにも子供らしい経験もあれば、妙に大人びた経験や、意味のよくわからない経験もあったりする。
「泣いてみる」という試みは、意味のわからない経験であって、子供の成長にはまったく役立っていないと思いますが、しかし僕の一部を形作っていることには間違いない。あってもなくてもよかった経験ですが、それでも僕の一部です。
皆さんも子供のとき、よくわからないことをやってみたこと、ありますか。