徳丸無明のブログ

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RIZIN.11 観戦記

2018-07-30 22:01:30 | 雑文
出場予定者のケガが続発した今大会。特に那須川天心の欠場が痛かったかな?でも天心におんぶにだっこを続けるんじゃなくて、他の選手を売り出す努力をすべきだと思います。特にガイジンファイターでこれといった選手が未だにいないのはなぜなのか。RIZIN運営側の怠慢なのか、フジテレビサイドの介入のせいなのか・・・。まあ日本人ファイターが充実してればそれでいい、という見方もありますが。あと、台風で開催中止になりやしないかってちょっと心配してました。


五味隆典 vs メルビン・ギラード・・・あれ、五味の次の試合は大晦日じゃなかったの。3連勝するってことは、もうしばらくは引退する気もなさそうだね。じゃあ川尻だけじゃなく、北岡との再戦も観たいぞ!相手がサワーの予定だった時、ちょっとどうなんだろって思ってまして、ギラードがどれほどの選手なのか知らないんですけど、未知であるぶんサワーよりワクワクするかなと。あと、年齢が五味とそんなに違わないのもいい。「世代交代」っていうテーマでベテランと若手をぶつけるのもいいけど、ベテランにはベテランに見合ったマッチメイクがありますよ。それと前回の矢地戦の頭突きでけっこう非難を浴びてましたけど、非難するなら審判のほうではないですかね。バッティングなんて過失なのか故意なのか、ハタから見てたらはっきりしませんし、それが「故意っぽい」というならレフェリングを問うべきでしょう。
・・・と、ここまでが試合前の感想。いやー、いい試合でしたね。ひさびさの五味の「スカ勝ち」。紙一重の戦い方でしたが。途中ギラードが単調なワンツーを繰り返して、何度もカウンター喰らってたので「おいおい」って思いました。あと、五味が2:20あたりで、これといった攻撃もらってないのにバランス崩してたのがちょっと気になりました。足痛めた?

石岡沙織 vs 山本美憂・・・単純に良い内容の試合でしたね。アグレッシブに極めにいってた石岡の姿勢が特によかったです。美憂ちゃんに対しては、40過ぎてから総合始めて、曲がりなりにも試合こなせてるってだけで充分すごいじゃない、白星あげられないのはしょうがないでしょ、って思ってました。でもこの結果を見たら考えを改めないと・・・。ひょっとして、開花するのはこれから?けど個人的には石岡が勝っていたと思います。

浅倉カンナ vs RENA・・・RENAちゃんの再戦要求に非難の声が高まってましたね。「オメーこないだ負けたばっかじゃねえか。浅倉にリベンジしたいんだったら他の選手と戦って、少なくとも白星ふたつぐらいあげてからにしろ」って。
でもね、僕はむしろ賞賛すべきだと思うんですよ。だってね、RENAちゃんにとってカンナちゃんは危険な相手なわけですよ。グラウンド技術は高いとは言えず、わずか半年でそこまで成長したはずもないRENAちゃんにしてみたら、あっさり返り討ちにされる可能性大ですよ。そうなれば、RENA株の更なる値下がり必至です。だから、格闘家としての株価の維持を考えれば、寝技のできないムエタイ系ファイターあたりとのマッチメイクを求めたほうがずっといいわけですよ。
でも、RENAちゃんはそれを選ばなかった。RIZINの舞台において、一番リスクの高いカードを選んだわけです。だからそこは褒め称えてしかるべきだと思いますけどね。何故そんなリスクをあえて選んだのかが謎ですが。
ただ、純粋に勝ってほしいのはカンナちゃんのほう。格闘技界のこれからを考えたら、若くてこれからの選手にスポットライト当たったほうがいいし、RENAちゃんにはシュートボクシングという「帰る場所」があるけど、カンナちゃんには「ここ」しかないから。
・・・と、ここまでが試合前の感想。入場時のRENAちゃんの表情が印象的だった。すでに負けることを半ば受け入れているというか、勝ち負けを超えた、試合のその先を見つめているというか・・・。入場曲の「誰にも負けない」を口ずさんで、客にも歌うよううながしてたけど、それが逆に曲との一体化を退けている(つまり、絶対に勝つという気概がない、ということ)感じがしました。もしかして、引退考えてる?負けて引退したくて、あえてリスクの高い浅倉戦を選んだとか?深読みしすぎかな。それとどうでもいいことですけど、牙のマウスピースは黒ユニフォームによく似合うことが判明。
試合内容はけっこうよかったですね。カンナちゃんのタックルは切れないにしても、グラウンドで一本取られないための対処はできてたし、寝たらまたあっさり極められるのかと思いきや、展開を作れてた。ただ、タックルを警戒しすぎたのか、打撃があまり出せてなかったですね。株はそんなに下がってないと思います。
カンナちゃんはカンナちゃんで大変だったと思いますよ。これで負けたら「男にウツツを抜かしてるからだ」なんて叩かれかねない。相手が無名の一般人だったらそんなこともないんでしょうけどね。

北岡悟 vs ディエゴ・ブランダオン・・・敗れても、敗れても、それでも次が観たくなるファイターがいる。「試合内容」よりも、「生き様」で魅せてくれる・・・そんなファイターがいる。北岡悟は、すでにその領域に到達している。観客は、敗れてリングを引き上げるその背中に、「また戻ってこい!」「もう一丁!」などとドラ声で声援を送らずにはいられない。負けちまったが、それがどうした!北岡はまた、何事もなかったかのように、完全にイってる表情で花道から姿を現してくれるはずだ。我々は今後もその生き様を見届けるだけだ。それでいい。

堀口恭司 vs 扇久保博正・・・扇久保のことよく知らないので、今の堀口の相手としてふさわしいのかどうかがよくわからない・・・って、よく考えてみれば堀口にふさわしい相手ってもうほとんど残ってないような・・・。扇久保は堀口相手によくやってたと思います。判定に持ち込めただけで充分というかね。
キックトーナメントのあとはどうしましょうか。堀口の相手、もう外から引っぱってくるしかないか?堀口はほんとにUFCに戻る気はないの?


肘ありルールって今大会からでしたっけ?クルックシャンクの試合がけっこうえげつないことになってましたね。
今回つくづく思いましたけど、放送枠2時間って短いですね。このご時世じゃしょうがないんでしょうけど、3時間はほしいところ。
続くRIZIN.12は、はやくも2週間後の翌月12日開催だけど、地上波放送はないようですね。次回は13の観戦記でお会いしましょう。

平和の達成のために最低限これだけは押さえておきたいこと

2018-07-24 22:07:18 | 雑文
我々人類の見果てぬ夢、世界平和について。
「反戦平和」を訴える人々がいる。戦争や軍事的挑発が起きた際にデモなどの抗議活動を行い、平和を希求する。小生も平和を願う思いは同じではあるが、彼等には認識のずれを感じてしまう。
それは、戦争を遂行する主体の捉え方に関してだ。彼等はどうも、血に飢えた、他人の苦しみにこの上ない喜びを見出す残忍な輩が戦争の決定・実行に携わっていると思い込んでいるようなのだ。だからその当事者を倫理的・道徳的に非難する。非難された者が己の過ちに気付けば戦争は阻止、あるいは終結するという論法である。だが、果たしてそれは正しいのか。
おそらく、自らを野蛮で残虐な暴力集団と規定している主体など存在しない。戦争において、非侵略者側は「相手国が我が国の主権と領土を侵害した。争いは͡好まねど、降りかかった火の粉は払わねばならない」と語るし、侵略者側は侵略者側で「もとはと言えば自分達の主権や領土が侵害されているので、その奪還のために行動しているに過ぎない」と考えているのが常である。つまり、各人・各共同体の主観レベルにおいて、戦争には被害者しか存在しないのだ。戦争を批判する人達の想定する「俺(達)は血も涙もない野蛮人だ。殺して犯して奪ってやるぜ」などと自己規定している主体などどこにもいないのである。
どうしてそうなるのだろう。戦争という、破壊行為・殺傷行為が起きているのに、そこには被害者しかいないとは。
戦争を行いうる主体には様々な形態の集団(民族自治集団・亡命政府・テロリスト等)が想定できるが、ここでは対象を国家だけに絞って話を進める。国と国との戦争の場合、やはりどちらも自国を悪とは規定しない。互いが「相手国がこちらを脅かしている」と訴えるものである。このとき起こっているのは何か。
ここで注意しなくてはならないのは、どちらか片方の国に肩入れしたり、あるいは片方の国の主張を論難することである。もちろんそれらの手続きは時には必要ではあろうが、戦争が起こる理由を解明するためにはあまり役には立たない。ここでは、一歩引いた態度が求められる。第三者の目で眺めれば、どちらにもそれなりの言い分があるという状況は、理想と理想の衝突が起きていると見做せる。
理想とは、それぞれの国のあるべき状態、目指すべき姿である。その理想が損なわれており、回復の手段として戦争が選ばれるということ。ここで言う「理想」を「平和」に置き換えてみれば、ことの本質に少し迫ることができる。
戦争とは、「平和」と「平和」の衝突のことである。
そう、戦争とは、平和の対立概念だと思われているが、そうではないのだ。戦争は、平和の達成のために行われる。平和を目的としたときに選ばれる、平和獲得の手段のひとつなのである。戦争は、平和を壊す営みでもあるが、平和のために行われるものでもある。カール・フォン・クラウゼヴィッツのあまりに有名な戦争の定義、「戦争とは武力をもってする外交の一手段である」を想起しておくのもいいだろう。理想の衝突とは、平和の衝突のことであり、理想の形が各個人・各共同体ごとに異なっているように、平和の形もまたそれぞれ異なっており、その差異こそが戦争を引き起こす要因となっているということだ。
さて、戦争が平和と平和の衝突によって引き起こされるのであれば、戦争を回避するためには如何にして「平和の衝突」を無くすか、という問いを立てねばならない。平和の衝突の解決策として、考えられる選択肢は次の二つ。

①平和の理想形を一元化し、世界中の人々にそれを承諾させる。
②平和の衝突は時として起きてしまうということを自明とし、その前提の上で戦争にまで至らないための対立解消策を思案する。

まず、①に問題があることはすぐにおわかりいただけると思う。平和の理想形を一元化するためには、国際社会間においては、国家の上位レベルがそれを規定し、すべての国家、及び国家に準じる共同体に批准を求めなければならない。国家の上位レベルとは、現時点では国連のことを指す。
世界大戦の惨禍を繰り返さないために設立された国連であるが、戦争を阻止する調停機関としての役割はほとんど果たせていない。これは何も国連職員や常任理事国が無能であるということではない。平和の理想形を一元化するというのがどだい無理な話なのである。
多様な文化・伝統からなる世界中の国々には、各々これまで育んできた価値観がある。平和の理想形の一元化は、その価値観の否定を意味する。たとえ世界平和のためとはいえ、自国のアイデンティティの礎ともいうべき価値観を、そうそう書き換えるわけにはいかない。それは、国によっては、建国意義の消滅にも等しい。
そして、根本的なことを言えば、「平和の理想形の一元化」自体が平和に反してしまう選択なのである。国家レベルで考えれば、単一の価値観を成員すべてに同調させるというのは、政治形態としては独裁である。独裁的に振る舞いたい願望を持つ者を除いて、独裁を理想の政治形態とする者はいない。平和の理想形の一元化は、思想信条の自由を抑圧しないと成立しない。国連は、独裁的に振る舞うわけにはいかないから(また、そのような能力もないから)、平和の調停をあくまで努力目標に留めているのである。
なので、現実的解決策は②しかない、ということになる。
では、確実に②の手段を成功させるにはどうすればいいか、ということになってくるが――そして、ここまで述べてきてこう言うのもなんだが――、その方法を確立するのは理論的に不可能である。理想とされる平和の形は多様であり、その衝突の仕方もまた多様である。なので、それぞれの衝突状態に応じて個別具体的に対立の解消を図るしかないのだ(対立の解消を繰り返すうちに解消の仕方の技術・経験が蓄積される、といった面はあるだろうが)。
また、戦争は「平和と平和の衝突」という視点で捉えると、もう一つ見えてくる側面がある。それは、戦争をその一手段として含む外交が、平時においても絶え間なく執り行われているように、平時にも戦争の萌芽を見付けることができる、ということである。平時における外交の延長線上に戦争があるように、平時における各国・各共同体の理想とする平和は、他国との比較によって、衝突の可能性を胚胎しているかどうかを検証することができる。それは高度な政治分析力を要求されるだろうが、不可能ではない。
戦争を平和の延長線上に見るだけでなく、平和を戦争の延長線上に見ること。それによって、戦争を平和から切り分けて批判するだけでは理解できないものが理解できるのではないか。平たく言えば、平時のうちから戦争の芽を摘んでおく、ということだが、戦争が起こってからデモをするような対処療法よりも、事前の予防接種のほうが被害が少なくて済む、ということである。
「なんか全然たいしたこと言ってないな」と思われた方もおられるだろう。何の変哲もない当たり前のことしか書かれていない、と。確かにその通り。この文章には、たいして目新しい知見は含まれていない。
しかしながら、こんな当たり前のことすらわかっていない人も世の中には大勢いるのである。上に書いてきたことは、平和について議論するための前提として最低限共有していなくてはならない基礎知識である。にもかかわらず、その最低限度の認識すら持ち合わせていない人々がいるために、平和を巡る言説は空回りしていたり、不毛であったり、無内容な美辞麗句に終始していたり、あるいは逆に平和を損なうものになってしまったりするのだ。
だから、少なくともこれだけは押さえておきましょうよ、という共通の基礎知識を提示する必要がある。その知識を共有することで、ようやく有意味な議論を開始することができる。それを欠いた議論は、単なる自己満足か、あるいは政治的対立者を論難するだけの、時間の無駄遣いに終わってしまうだろう。
まあ偉そうなこと言ってても、小生にもまだよくわかってない部分があるのかもしれないので、これを“最低限”と呼んでいいかは疑問が残る。あくまでご参考までに。


オススメ関連本・東浩紀『一般意志2.0――ルソー、フロイト、グーグル』講談社文庫