今日はこれさえ飲んどきゃ健康を保ててると錯覚できる野菜ジュースです。
僕のお風呂あがりはだいたいこれ。しまじろうのパッケージ。
以前福岡ドームでバイトをしていたという話を何度かしました。またそのときの話をします。雨の日の福岡ドームの話です。
雨の日は、大量の傘の忘れ物が出ます。試合終了後も雨が降ってたらいいんですけど、やんでたら忘れてしまうんですね。
福岡ドームの最大収容人数は、僕が勤めてたときで4万5千。いや、8千だったかな・・・。まあいずれにせよ、8,9割方入ってて4万人。そのうちの1パーセントが忘れるとしても400人ですよ。
傘の忘れ物は、とにかく多いんです。試合終了後の清掃作業のときに忘れ物を回収するんですけど、どの忘れ物であれ、拠点となる一ヵ所に集めなくてはならないのです。スタンド席の上のほうにあるやつは下に降ろすのがなかなか面倒で、傘の場合はやり投げみたいにバンバンぶん投げてました。けっこう楽しかったですね。
え?客の持ち物になんてことするんだ、ですって?やだなあ、冗談ですよ、冗談。
ちなみに、ビニール傘は回収せず、ゴミ捨て場に直行となってました。落とし者扱いされるのはビニール傘以外。お客さんも、ビニール傘ならわざわざ受け取りに来ないし、そもそもどれが自分の傘かわかりません。
なんで、ビニール傘はお持ち帰り自由になっていました。僕は自転車通勤だったので、持ち帰ったことはありませんが。
でね、僕思うんですけどね、「金は天下の回り物」ってことわざあるじゃないですか。でも「傘は天下の回り物」ってことも言えるんじゃないかと。友達の家に遊びに行ったとき、傘を借りて帰ることもあれば、友達に貸すこともある。傘立てに入れてた自分の傘持ってかれたりすることもあれば、人が忘れてったビニール傘を拝借することもある。
いやいや、窃盗を推奨しているわけではありませんよ。何かっていうと人の発言を取り締まろうとする人たちいますからね。やめてくださいよ。
そういうふうに考えることもできるんじゃないかなあ、ってことですよ。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース・・・ではなく雑感。
小池都知事の営業時間短縮要請・・・妥協しましたね。休業とはもう言えないから時短。
最近また感染者数が増えつつあります。この調子で増え続けると、どこかの時点で「臨界点」に達するのではないか、という気がします。
どういうことかというと、
①ホテルや宿泊型療養施設などの軽症者・無症状者を収容する施設の戸数が不足し始め、収容が困難になる。
②コロナ不況で倒産する企業が相次ぎ、飲食店の大量閉店により食文化の危機が叫ばれ、GDPも著しく低下し、産業界から「もう耐えられない」という悲鳴が上がりだす。
この2条件がそろったときが「臨界点」で、その時点で国と地方自治体からある種の声明が出されるのではないかと思うのです。
その声明とは、「もう軽症者と無症状者には対応できません。今後対応できるのは重症者のみです。軽症と無症状の方は極力自宅療養を行ってください。しかし仕事や育児などで外出しなくてはならない場合はこの限りではありません。休業要請と自粛要請も致しません。外出・外食・旅行など、ご自由になさってください」というもの。
こういうはっきりとした言い方じゃなくて、遠回しな言葉遣いになるでしょうけど、概ねこのような意味のことを宣言するのではないか、と予想します。現状の感染拡大防止の取り組みを一歩後退せざるを得ない、という宣言ですね。
「臨界点」という言葉だけ聞くと、何かとんでもないこと、社会の崩壊の到来を想像してしまうかもしれませんが、さにあらず。
実際に訪れるのは、「重症者と死者が微増するものの、その代償として経済活動がコロナ前と同じくらいに復調する」社会でしょう。
国内のコロナの致死率は、他国と比べてもかなり低く抑えられています。その原因は、BCGを接種してるからだとか、もともと公衆衛生の意識が高いからだとか、いろいろ言われていますが、いずれにせよ、感染対策を一歩後退させたとしても、死者はそれほど増えないはずです。感染者数は増加するでしょうけど、そのぶん若年層を中心に抗体の獲得者も増える。
「微増であっても死者が増えるなんてとんでもない」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、死をもたらす病なんかほかにいくらでもありますし、コロナも含めて撲滅は困難です。共存していくしかない。
TVなんかでコロナに感染した人の体験談や、病床の映像なんかを流して「いかにコロナが恐ろしいか」を喧伝してますけど、病気なんて多かれ少なかれみな恐ろしいものです。コロナばかりを過剰に問題視する必要なんかない。経済が破綻したら、コロナだけでなくすべての病に対応できなくなる。
なので、「死者がわずかに増えるけど、その代わりに経済が回復する」というのが、「臨界点」後に訪れる日本の姿なのではないか・・・。
もちろんぜーんぶ推測です。「臨界点」なんか、来ないかもしれない。でも、仮に訪れたとしたら、「感染対策多少緩めてもそんなに影響ないな」ってみんな気づくのではないでしょうか。
そうなると、今までしてきたことはなんだったのか、自粛警察とか、無駄なことばかりしてきたのではないか・・・という、取り組みに対する反省が生まれるでしょうね。そうなってほしいな、という希望を込めて綴っています。
僕のお風呂あがりはだいたいこれ。しまじろうのパッケージ。
以前福岡ドームでバイトをしていたという話を何度かしました。またそのときの話をします。雨の日の福岡ドームの話です。
雨の日は、大量の傘の忘れ物が出ます。試合終了後も雨が降ってたらいいんですけど、やんでたら忘れてしまうんですね。
福岡ドームの最大収容人数は、僕が勤めてたときで4万5千。いや、8千だったかな・・・。まあいずれにせよ、8,9割方入ってて4万人。そのうちの1パーセントが忘れるとしても400人ですよ。
傘の忘れ物は、とにかく多いんです。試合終了後の清掃作業のときに忘れ物を回収するんですけど、どの忘れ物であれ、拠点となる一ヵ所に集めなくてはならないのです。スタンド席の上のほうにあるやつは下に降ろすのがなかなか面倒で、傘の場合はやり投げみたいにバンバンぶん投げてました。けっこう楽しかったですね。
え?客の持ち物になんてことするんだ、ですって?やだなあ、冗談ですよ、冗談。
ちなみに、ビニール傘は回収せず、ゴミ捨て場に直行となってました。落とし者扱いされるのはビニール傘以外。お客さんも、ビニール傘ならわざわざ受け取りに来ないし、そもそもどれが自分の傘かわかりません。
なんで、ビニール傘はお持ち帰り自由になっていました。僕は自転車通勤だったので、持ち帰ったことはありませんが。
でね、僕思うんですけどね、「金は天下の回り物」ってことわざあるじゃないですか。でも「傘は天下の回り物」ってことも言えるんじゃないかと。友達の家に遊びに行ったとき、傘を借りて帰ることもあれば、友達に貸すこともある。傘立てに入れてた自分の傘持ってかれたりすることもあれば、人が忘れてったビニール傘を拝借することもある。
いやいや、窃盗を推奨しているわけではありませんよ。何かっていうと人の発言を取り締まろうとする人たちいますからね。やめてくださいよ。
そういうふうに考えることもできるんじゃないかなあ、ってことですよ。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース・・・ではなく雑感。
小池都知事の営業時間短縮要請・・・妥協しましたね。休業とはもう言えないから時短。
最近また感染者数が増えつつあります。この調子で増え続けると、どこかの時点で「臨界点」に達するのではないか、という気がします。
どういうことかというと、
①ホテルや宿泊型療養施設などの軽症者・無症状者を収容する施設の戸数が不足し始め、収容が困難になる。
②コロナ不況で倒産する企業が相次ぎ、飲食店の大量閉店により食文化の危機が叫ばれ、GDPも著しく低下し、産業界から「もう耐えられない」という悲鳴が上がりだす。
この2条件がそろったときが「臨界点」で、その時点で国と地方自治体からある種の声明が出されるのではないかと思うのです。
その声明とは、「もう軽症者と無症状者には対応できません。今後対応できるのは重症者のみです。軽症と無症状の方は極力自宅療養を行ってください。しかし仕事や育児などで外出しなくてはならない場合はこの限りではありません。休業要請と自粛要請も致しません。外出・外食・旅行など、ご自由になさってください」というもの。
こういうはっきりとした言い方じゃなくて、遠回しな言葉遣いになるでしょうけど、概ねこのような意味のことを宣言するのではないか、と予想します。現状の感染拡大防止の取り組みを一歩後退せざるを得ない、という宣言ですね。
「臨界点」という言葉だけ聞くと、何かとんでもないこと、社会の崩壊の到来を想像してしまうかもしれませんが、さにあらず。
実際に訪れるのは、「重症者と死者が微増するものの、その代償として経済活動がコロナ前と同じくらいに復調する」社会でしょう。
国内のコロナの致死率は、他国と比べてもかなり低く抑えられています。その原因は、BCGを接種してるからだとか、もともと公衆衛生の意識が高いからだとか、いろいろ言われていますが、いずれにせよ、感染対策を一歩後退させたとしても、死者はそれほど増えないはずです。感染者数は増加するでしょうけど、そのぶん若年層を中心に抗体の獲得者も増える。
「微増であっても死者が増えるなんてとんでもない」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、死をもたらす病なんかほかにいくらでもありますし、コロナも含めて撲滅は困難です。共存していくしかない。
TVなんかでコロナに感染した人の体験談や、病床の映像なんかを流して「いかにコロナが恐ろしいか」を喧伝してますけど、病気なんて多かれ少なかれみな恐ろしいものです。コロナばかりを過剰に問題視する必要なんかない。経済が破綻したら、コロナだけでなくすべての病に対応できなくなる。
なので、「死者がわずかに増えるけど、その代わりに経済が回復する」というのが、「臨界点」後に訪れる日本の姿なのではないか・・・。
もちろんぜーんぶ推測です。「臨界点」なんか、来ないかもしれない。でも、仮に訪れたとしたら、「感染対策多少緩めてもそんなに影響ないな」ってみんな気づくのではないでしょうか。
そうなると、今までしてきたことはなんだったのか、自粛警察とか、無駄なことばかりしてきたのではないか・・・という、取り組みに対する反省が生まれるでしょうね。そうなってほしいな、という希望を込めて綴っています。