徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

カゴメ 野菜生活100 マンゴーサラダ・ベリーサラダ

2020-07-31 23:44:08 | 
今日はこれさえ飲んどきゃ健康を保ててると錯覚できる野菜ジュースです。






僕のお風呂あがりはだいたいこれ。しまじろうのパッケージ。
以前福岡ドームでバイトをしていたという話を何度かしました。またそのときの話をします。雨の日の福岡ドームの話です。
雨の日は、大量の傘の忘れ物が出ます。試合終了後も雨が降ってたらいいんですけど、やんでたら忘れてしまうんですね。
福岡ドームの最大収容人数は、僕が勤めてたときで4万5千。いや、8千だったかな・・・。まあいずれにせよ、8,9割方入ってて4万人。そのうちの1パーセントが忘れるとしても400人ですよ。
傘の忘れ物は、とにかく多いんです。試合終了後の清掃作業のときに忘れ物を回収するんですけど、どの忘れ物であれ、拠点となる一ヵ所に集めなくてはならないのです。スタンド席の上のほうにあるやつは下に降ろすのがなかなか面倒で、傘の場合はやり投げみたいにバンバンぶん投げてました。けっこう楽しかったですね。
え?客の持ち物になんてことするんだ、ですって?やだなあ、冗談ですよ、冗談。
ちなみに、ビニール傘は回収せず、ゴミ捨て場に直行となってました。落とし者扱いされるのはビニール傘以外。お客さんも、ビニール傘ならわざわざ受け取りに来ないし、そもそもどれが自分の傘かわかりません。
なんで、ビニール傘はお持ち帰り自由になっていました。僕は自転車通勤だったので、持ち帰ったことはありませんが。
でね、僕思うんですけどね、「金は天下の回り物」ってことわざあるじゃないですか。でも「傘は天下の回り物」ってことも言えるんじゃないかと。友達の家に遊びに行ったとき、傘を借りて帰ることもあれば、友達に貸すこともある。傘立てに入れてた自分の傘持ってかれたりすることもあれば、人が忘れてったビニール傘を拝借することもある。
いやいや、窃盗を推奨しているわけではありませんよ。何かっていうと人の発言を取り締まろうとする人たちいますからね。やめてくださいよ。
そういうふうに考えることもできるんじゃないかなあ、ってことですよ。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース・・・ではなく雑感。
小池都知事の営業時間短縮要請・・・妥協しましたね。休業とはもう言えないから時短。

最近また感染者数が増えつつあります。この調子で増え続けると、どこかの時点で「臨界点」に達するのではないか、という気がします。
どういうことかというと、

①ホテルや宿泊型療養施設などの軽症者・無症状者を収容する施設の戸数が不足し始め、収容が困難になる。
②コロナ不況で倒産する企業が相次ぎ、飲食店の大量閉店により食文化の危機が叫ばれ、GDPも著しく低下し、産業界から「もう耐えられない」という悲鳴が上がりだす。

この2条件がそろったときが「臨界点」で、その時点で国と地方自治体からある種の声明が出されるのではないかと思うのです。
その声明とは、「もう軽症者と無症状者には対応できません。今後対応できるのは重症者のみです。軽症と無症状の方は極力自宅療養を行ってください。しかし仕事や育児などで外出しなくてはならない場合はこの限りではありません。休業要請と自粛要請も致しません。外出・外食・旅行など、ご自由になさってください」というもの。
こういうはっきりとした言い方じゃなくて、遠回しな言葉遣いになるでしょうけど、概ねこのような意味のことを宣言するのではないか、と予想します。現状の感染拡大防止の取り組みを一歩後退せざるを得ない、という宣言ですね。
「臨界点」という言葉だけ聞くと、何かとんでもないこと、社会の崩壊の到来を想像してしまうかもしれませんが、さにあらず。
実際に訪れるのは、「重症者と死者が微増するものの、その代償として経済活動がコロナ前と同じくらいに復調する」社会でしょう。
国内のコロナの致死率は、他国と比べてもかなり低く抑えられています。その原因は、BCGを接種してるからだとか、もともと公衆衛生の意識が高いからだとか、いろいろ言われていますが、いずれにせよ、感染対策を一歩後退させたとしても、死者はそれほど増えないはずです。感染者数は増加するでしょうけど、そのぶん若年層を中心に抗体の獲得者も増える。
「微増であっても死者が増えるなんてとんでもない」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、死をもたらす病なんかほかにいくらでもありますし、コロナも含めて撲滅は困難です。共存していくしかない。
TVなんかでコロナに感染した人の体験談や、病床の映像なんかを流して「いかにコロナが恐ろしいか」を喧伝してますけど、病気なんて多かれ少なかれみな恐ろしいものです。コロナばかりを過剰に問題視する必要なんかない。経済が破綻したら、コロナだけでなくすべての病に対応できなくなる。
なので、「死者がわずかに増えるけど、その代わりに経済が回復する」というのが、「臨界点」後に訪れる日本の姿なのではないか・・・。
もちろんぜーんぶ推測です。「臨界点」なんか、来ないかもしれない。でも、仮に訪れたとしたら、「感染対策多少緩めてもそんなに影響ないな」ってみんな気づくのではないでしょうか。
そうなると、今までしてきたことはなんだったのか、自粛警察とか、無駄なことばかりしてきたのではないか・・・という、取り組みに対する反省が生まれるでしょうね。そうなってほしいな、という希望を込めて綴っています。

森永乳業 pino(ピノ)

2020-07-24 23:20:22 | 
今回は無限に食えるアイスこと森永のピノです。




ミニオンズのパッケージのやつ。








ピノってたまに当たりでハートや星形のやつがあるけど、普通の形と比べると体積が少ないからちょっと損した気分になる僕はセコいですか?でも同じ考えの人もいるようで、今はピノの形を変えるのではなく、トレーの下にクローバーのデザインが隠されてるのがあります。
今、「人生100年時代」と言われていますね。定年退職と年金支給の年齢がどんどん上がっていくだろうと、年寄りが就労の現場で活躍し続ける割合が増えるだろうと見込まれています。
それはいいことなのでしょうか。いいことも悪いことも、両方あるような気がします。
僕は前に警備員の仕事をしていたことがあるのですが、ある日、30人ぐらいで入った大きな現場で、自分以外の隊員が、全員メガネの白髪頭だったことがあります。そのうちの1人と話をしたんですが、「年を取ったら警備くらいしか雇ってもらえなくなる」そうなのです。たしかに、おじいさん率が高い職場でした。
特定の職種しか年寄りを雇わなくなるのであれば、極端な年齢の偏りが生じることになるわけで、それがどんな影響をもたらすのかも考えておかないといけませんね。
もうひとつ、年寄りが働き続けることの恐ろしさを表す出来事があります。
10年ぐらい前の話ですけど、日曜日の午前5時に、自宅の近所で爆音が鳴り響いたことがあります。それはなんの音だったのか。
電動草刈機をかかえたおじいさんが、歩道の植え込みの雑草を刈り取っていた音だったのです。電動草刈機の音、聞いたことありますか。モーターと歯が回転する音が、まあやかましいのです。近くで草刈機が作動していたら、会話をすることもできません。
そのやかましい草刈機を、日曜の早朝5時に、まだ薄暗い時間帯に、ごく普通の住宅街で、おそらくはシルバー人材センターから派遣されたのであろうおじいさんが作動させていたのです。
年寄りなので、朝が早いのはまあわかる。しかし、普通は午前5時にはまだ寝てるということ、まして日曜であればなおのこと寝てるであろうということ、そして、電動草刈機の音がどれだけやかましいか、どれだけ近所迷惑になるかということ。そのおじいさんは、これらのことが全く理解できていなかったのです。
悪気はなかったんだと思います。しかし年を取るというのは、このように、常識と大きなズレができてしまうことでもあったりする。その恐ろしさをよくわきまえておかないと、いたるところでトラブルが発生してしまうでしょう。
「高齢者が活躍する時代」の、ひとつの課題です。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、ではなく雑感。
東京オリンピックはちゃんと開催されるのでしょうか。可能性としては次の3通り。

①2021年に開催される
②中止
③パリに2024年を譲ってもらう

僕は面白半分に②を期待したいところですが、①になるためにはワクチンの早期開発が必須ですよね。イギリスのアストラゼネカっつー製薬会社がワクチンの開発を急いでて、9月には供給できそうっつってんですけど、そんな大慌てで作った、臨床試験も不充分なワクチン大丈夫か?副作用あるんじゃないか?って思います。
僕は嫌ですよ、はっきり言って。そんなワクチン接種したくない。コロナよりよっぽど怖い。
年寄りはワクチンの副作用よりコロナのほうが恐ろしいでしょうけど、若者はコロナよりワクチンの副作用のほうが恐ろしいはずです。
となると、まずは年寄り優先に供給されることになるのではないか。それは有り体に言うと、「年寄りにワクチンを投与して副作用が出ないか様子を見る」ということになるのではないか。
・・・なんか人体実験みたいになっちゃいますね。

ロッテ マカダミアチョコレート

2020-07-21 22:53:21 | 
今回はロッテのマカダミアチョコレートです。




マカダミアナッツのチョコはいくつかありますが、僕は1粒丸ごと入ってるこれがお気に入りです。
これね、5年か、もう10年くらい前の話なんですけど、ある日午前4時ぐらいにやよい軒に行ったことがあったんです。ごはんお替り自由の定食屋さんね。なんでそんな時間だったのかはもう覚えていません。
ほかに客のいない店内で、ひとり飯を食っていました。するとしばらくして、ハタチ前後の女のコ3人組がやってきました。プータローか水商売風の、いかにもだらしない感じの3人でした。言葉遣いがバカっぽかったり、部屋着のまま外出してるようなのいるでしょ?そういうタイプです。
僕は特に気にすることもなくそのまま食事を続けていたのですが、そのうち3人組のほうから「乳首が黒い」「乳首が黒い」という声が何度も聞こえてきした。どうやら、お互いの乳首を見せっこしている様子です。
僕の席は3人組の席からは死角になっており、むこうはこちらに気づいていないようでした。フロアの店員もおばさんがひとりいるだけだったので、油断していたようです。女のコたちはずっと「乳首が黒い」を連発しています。僕はほとほとあきれ果て、覗いてやろうという下心も起きませんでした。
その後食事を終えた僕は席を立ち、出入り口へと向かいました。女のコたちはそこで僕に気づき、「うわぁ~、男の人がいたぁ・・・」という動揺の表情を浮かべました。
しかし僕は、そこじゃねえだろ!と思いました。その3人は、窓際の席に座っていたのです。窓はけっこう大きく、外から店内がよく見えます。表の道はもともと人通りが多くはないし、深夜なのでより少なくはあったでしょうが、しかし普通に表を歩いていたら、窓際で乳首を見せあっている姿が丸見えだったはずです。
だから「気にするなら表のほうを気にしろ!こっちじゃねえだろ!」と思ったのです。
そのやよい軒も、働き方改革にもとづく営業時間見直しのあおりを受け、去年あたりから24時間営業ではなくなってしまいました。「アホの女のコが乳首を見せあっている現場に居合わせる」という、死ぬほどどうでもいい出来事ではありますが、もうそんな事件に遭遇することもないかと思うと少し寂しい気もしなくはないような、どうでもいいような、そんな気持ちです。
以上、「乳首は自宅で見せあおう」という教訓話でした。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
福岡では昨日放生会(ほうじょうや)という祭りの中止が決定しました。筥崎宮という大きな神社で秋に開催される、長い参道に露店がずらりと並ぶお祭りで、地元でとても親しまれています。どんたくと山笠に並ぶ博多三大祭りのひとつで、これで今年は3つとも中止となってしまいました。

陰謀論好きっていうのはいつの時代も一定数いるようで、コロナにかんしても「ウイルスは人為的に作られた」とか喧伝されてますね。人為か自然発生かは僕にはわかりませんが、ひとつ注目してみたい陰謀論があります。
それは、「死因がコロナじゃない人までコロナで死んだことにされている」というもの。単純に考えれば、そんなことしてだれが得すんの?って思っちゃいますけど、こういう見解が出てくるのにもそれなりの理由があります。
コロナで亡くなっているのは大半がお年寄りですけど、お年寄りっていうのはもともと体が弱ってるから、いろんな病気に罹患しやすいんですね。で、ひとつの病気に罹っていると、ほかの病気も併発しやすくなります。病気で体がさらに弱ってしまうので、付け入るスキができるというか、次々にほかの病気を招いてしまうんですね。
その結果亡くなると、どの病気が死因なのかが特定できなくなります。複数の病気を併発しており、それぞれの病気が少しずつ体を蝕んでいたわけで、それらすべてが死因と言えるわけですが、死亡診断は単一の死因を特定せねばなりません。
僕は死亡診断の規則を知らないのですが、複数の病気を患っていた場合、その中で最も致命的になりやすい病気、もしくは一番最後に患った病気が死因とされるでしょう。いずれにせよ、単一の死因が特定されたとき、その他の患っていた病は切り捨てられます。
本当はそんな平坦なものじゃないのに、死亡診断という必要不可欠な事務手続きを通過すると、併発していた病気が存在しなかったかのように、ひとつの病によるエンディングストーリーとしてまとめ上げられてしまう。
厳密な死因の特定は、けっこう難しかったりします。罹患していた病のうち、致命的な影響をもたらしたのはどれなのか、正確な因果関係は、今の医学ではわからない。根本的なことを言えば、年を取って体が衰え、病気を受け入れやすくなっていたことそれ自体が死因だと考えることもできる。
「死因がコロナじゃない人までコロナで死んだことにされている」という陰謀論は、おそらくはその辺の事情が関係しているのでしょう。コロナに感染する以前にほかの病に罹患していた人や、コロナ感染後にほかの病を併発した人。それらの人々を「コロナで死んだわけじゃないのにコロナで死んだことにされた」と指摘しているのでしょう。
それはだれかの陰謀ではなく、死亡診断の難しさに起因するものです。
陰謀論には気をつけましょう。イルミナティのメンバーでKGBの二重スパイだった僕が言うのだから間違いありません。

キャメル珈琲 パクチーポテトチップス

2020-07-17 23:12:10 | 
世の中には2種類の人間がいる。パクチーを食べられる者と食べられない者だ・・・という2分法になんの意味があるのかはわからないが、今回はカルディで販売されているパクチーのポテトチップスです。




本日は第12回私が好きなマンガの話。今回取り上げるのは中崎タツヤの『じみへん』(全12巻・小学館)です。
1話15コマの「地味で変」なギャグマンガ。派手さや華やかさとは無縁のジワジワくる笑いは、ひとたびハマれば癖になること請け合い。僕も一時期じみへんワールドにずっぽりハマってまして、けっこうな影響を受けてます。
この作品はもっと評価されるべきだと前々から思ってたんですが、短編作品ゆえか、ギャグマンガゆえか、単行本もあまり売れてないようでしたし、知名度もずっと今ひとつでした。
で・・・ずっと愛読してはいたんですが、次第に力を失いだすというか、輝きが消え始めてしまうのです。僕は「あの面白かった『じみへん』がこんなことに・・・」と、やりきれない思いでした。
もちろんこれは個人的な感想でしかありません。中には、「『じみへん』はずっと面白かった」という意見の人もいるでしょう。でも僕は、こんな姿をさらして連載続けることはない、編集者ははやく介錯してやれ、って考えてました。
なので途中からは読んでいません。『じみへん』の単行本は全12巻なのですが、巻数が振ってあるのは6巻までで、以降はしぼり汁、たたき売り、中濃、自由形、熟々、仕舞という名称(副題?)がついてます。僕が個人的にオススメできるのは中濃までです。
今回この記事を書くにあたって調べてみたんですが、中崎さんは2015年8月に還暦を迎えたのを機に断筆し、それに伴い『じみへん』の連載も終わったのだそうです。そして翌2016年に第20回手塚治虫文化賞の短編賞を受賞したと・・・。全然知らんかった。年々マンガに興味を失っていってたせいで、その手の情報が全く入ってきてなかったんですね。
中崎さん、今は何をして暮らしていらっしゃるのでしょう。あなたの達成は永遠です、とお伝えしたい。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
少し前に、近所のスーパーがコロナ感染防止のためにリサイクルボックスを閉鎖したので、牛乳パックが回収に出せなくなった、と書きましたが、最近になってポツポツ再開し始めました。なくなってわかる当たり前のありがたみ・・・みたいなベタなことは言いたくないけど、ありがたいのは事実ですね。

コロナが赤ん坊の発達に与える影響というのを考えてしまいます。幼児は成長の過程で、世界はどうあるのか、人のコミュニケーションとはどういうものかなどを学ぶわけですが、大人がつねにマスクをつけていると、「表情を読む」(=感情を理解する)という能力の獲得に支障をきたさないか?と思うのです。
マスクをつけていると、顔の半分が見えなくなります。顔の中で一番重要と思われる目は見えていますが、口の動きまで含めての「表情」です。また、しゃべるということは口を動かすということであり、コミュニケーションの手段である「声」は口から発せられるということが、マスクを着用しているとわかりにくくなるのではないか。
それらのことが、幼児の認知機能の発達や言語の獲得の遅れ、もしくは誤発達をもたらすのではないか、という気がするのです。
まあこういうのって、だいたい杞憂で終わるんですけどね。一時的に認知機能の発達が遅れたとしても、のちにリカバリーして10代を迎えるころには認知機能は平均値になる、みたいなんが普通です。
しかし、社会的な偏見が生まれるおそれはあります。ゆとり世代にも「やる気がない」だの「頭が悪い」だのといった偏見がありますけど、それと同じで、コロナ流行期に生まれ育った子供たちを「コロナ世代」とか名付けて、「感情が読めない」とか「コミュニケーションが下手」だとかいったレッテル貼りが行われないか・・・。これも思い過ごしであればいいんですけどね。