今日はチョコの赤ちゃんです。
「アポロ!マーブル!チョコベビー!」ってCMありましたね。明治の3大幼児向けお菓子。
僕が子供のころからありますけど、アポロやマーブルと違って、あまり食べていた記憶がありません。なんででしょうか。見た目ちょい地味で、子供心を惹きつけないからでしょうか。味は間違いないんですけどね。
チョコレートは甘い。そう、甘い話をいたしましょう。考えが甘いんじゃねーかって話。
今、「あざとい」が女性のあいだを席巻しています。あざとさを身につけることで男性を落とすのが主流になりつつあるのです。
この流れを決定づけたのは、テレビ朝日の「あざとくて何が悪いの?」だったでしょうか。田中みな実さんと弘中綾香さんという、毀誉褒貶ありながらも、その才覚でたくましくのし上がっている2人がMCであったことの影響力も大きかったと思います。
世の中、変われば変わるものです。昔とは価値観がおおいに変わっている。
「あざとい」って言い方も、以前はあまりしませんでしたからね。ひと昔前(いや、ふた昔になるでしょうか)は、「ぶりっ子」と言っていました。
昔ぶりっ子、今あざとい。言い方は違えど、やってることはほぼ同じです。肯定的か否定的かの違いがあるだけ。
アイドル時代の松田聖子さんの言動がきっかけで生まれたというぶりっ子は、否定的扱いを受けていました。
わざとらしく可愛い子ぶることで、恥も外聞もなく男に好かれようとしている。それがぶりっ子でした。
アイドルであれば、あくまで仕事としてそれをやっているわけだから、見世物の一種、パフォーマンスの一部として許容できなくもない。だけど、一般女性がそれをやるのは見苦しい。そんな考えが支配的だったように思います。
それから10~20年。ぶりっ子は死語となり、男にわざとらしく媚態で接するのはみっともないという常識は変わらぬまま、新しい世紀を迎えました。
そして現在、ぶりっ子はあざといと名を変え、肯定的に日本社会に膾炙しています。今やあざといは、市民権を得ているのです。
ぶりっ子は、男には好かれるけど、女には嫌われるものでした。でも今は、男より女のほうがあざといに肯定的です。隔世の感があります。
あざとい振る舞いが肯定的に受け入れられているのは、多様な価値観が許容されるようになったという、時代の変化もあります。とは言え、ぶりっ子は否定的な意味合いにまみれているうえ、言葉としてすでに死んでいます。
なので、新時代の要請として「あざとい」という言葉が求められたのです。否定的意味合いが檻のようにこびりついたぶりっ子は、どう磨き上げようとも肯定的には使うことができない。それに、語感が古くさい。だから、手垢の付いていない新しい言葉が必要だった。その求めに応じて生まれてきたのがあざといだったのです。
誕生の瞬間から肯定的意味合いをまとい始めた「あざとい」。それは暗に、ぶりっ子を止揚しています。「私たちはぶりっ子とは違う。もっと洗練されている」と、ぶりっ子を過去のもの、もしくは土台とすることで、否定的なものを肯定的に乗り越えたとアピールしているのです。
もちろんそのように、ハッキリと断言している人はいません。暗黙の了解としてそれは認識されているのです。
まあ、肯定的なのは別にいいんですよ。やりたい人は好きにやればいいんですからね。
でも僕は、「それってどうなんだろう」と思うんです。「それ、アホな男しか釣れないよ」って。
以前、「男に好かれる女性らしいしぐさ」というのを見たことがあります。そーゆーしぐさをまとめた、モテるためのハウツー本があって、その一部が雑誌に抜粋されていたんですね。宣伝のために紹介されていたのです。当時は、ぶりっ子が死語になって、あざといがまだ生まれていない中間期(移行期?)でした。
それを読んでみたんですけど、「ワザとらしいなぁ」って思うものばかりでした。たとえば、「自分で自分を抱きしめるしぐさをしましょう。男性は思わず守ってあげたくなります」って書いてあったんですね。
でも、普通そんなしぐさしないし、やったらどうしてもワザとらしくなってしまいます。明らかに、「ワザとやってんなコイツ」ってわかるしぐさなのです。
そのほかのしぐさというのも、いかにも可愛いと思われたくてやってますっていうのが、丸わかりなものばかりでした。
こんなワザとらしいしぐさ、やってたらすぐ、「あ、やってるな」って気づきます。少なくとも、僕はわかる。
わからないのは、アホな男だけです。アホだから、意図的な可愛いしぐさを見抜けない。
計算ずくでやってるしぐさを、能天気に「ああ、カワイイなぁ」なんて思っちゃうんです。僕からしたら、「いやいや、ワザとだろ」っていうような、露骨にやってるしぐさでも、アホ男は見抜くことができないのです。そして、コロッとだまされる。
つまり、あざといで釣れるのはアホだけなのです。マトモな男は引っかからない。
だから、「それでいいんですか?」って思うのです。「あなたたちがあざといをやったとしても、それで釣れるのはアホだけですよ」って。「寄ってくるのはアホばっかりになるけど、それでいいんですか」って。アホでもいい、むしろアホがいいと言うなら、それ以上何も言うことはありませんけれども。
あざと女とアホ男のカップリング。けっこうお似合いなのかもしれません。
「アポロ!マーブル!チョコベビー!」ってCMありましたね。明治の3大幼児向けお菓子。
僕が子供のころからありますけど、アポロやマーブルと違って、あまり食べていた記憶がありません。なんででしょうか。見た目ちょい地味で、子供心を惹きつけないからでしょうか。味は間違いないんですけどね。
チョコレートは甘い。そう、甘い話をいたしましょう。考えが甘いんじゃねーかって話。
今、「あざとい」が女性のあいだを席巻しています。あざとさを身につけることで男性を落とすのが主流になりつつあるのです。
この流れを決定づけたのは、テレビ朝日の「あざとくて何が悪いの?」だったでしょうか。田中みな実さんと弘中綾香さんという、毀誉褒貶ありながらも、その才覚でたくましくのし上がっている2人がMCであったことの影響力も大きかったと思います。
世の中、変われば変わるものです。昔とは価値観がおおいに変わっている。
「あざとい」って言い方も、以前はあまりしませんでしたからね。ひと昔前(いや、ふた昔になるでしょうか)は、「ぶりっ子」と言っていました。
昔ぶりっ子、今あざとい。言い方は違えど、やってることはほぼ同じです。肯定的か否定的かの違いがあるだけ。
アイドル時代の松田聖子さんの言動がきっかけで生まれたというぶりっ子は、否定的扱いを受けていました。
わざとらしく可愛い子ぶることで、恥も外聞もなく男に好かれようとしている。それがぶりっ子でした。
アイドルであれば、あくまで仕事としてそれをやっているわけだから、見世物の一種、パフォーマンスの一部として許容できなくもない。だけど、一般女性がそれをやるのは見苦しい。そんな考えが支配的だったように思います。
それから10~20年。ぶりっ子は死語となり、男にわざとらしく媚態で接するのはみっともないという常識は変わらぬまま、新しい世紀を迎えました。
そして現在、ぶりっ子はあざといと名を変え、肯定的に日本社会に膾炙しています。今やあざといは、市民権を得ているのです。
ぶりっ子は、男には好かれるけど、女には嫌われるものでした。でも今は、男より女のほうがあざといに肯定的です。隔世の感があります。
あざとい振る舞いが肯定的に受け入れられているのは、多様な価値観が許容されるようになったという、時代の変化もあります。とは言え、ぶりっ子は否定的な意味合いにまみれているうえ、言葉としてすでに死んでいます。
なので、新時代の要請として「あざとい」という言葉が求められたのです。否定的意味合いが檻のようにこびりついたぶりっ子は、どう磨き上げようとも肯定的には使うことができない。それに、語感が古くさい。だから、手垢の付いていない新しい言葉が必要だった。その求めに応じて生まれてきたのがあざといだったのです。
誕生の瞬間から肯定的意味合いをまとい始めた「あざとい」。それは暗に、ぶりっ子を止揚しています。「私たちはぶりっ子とは違う。もっと洗練されている」と、ぶりっ子を過去のもの、もしくは土台とすることで、否定的なものを肯定的に乗り越えたとアピールしているのです。
もちろんそのように、ハッキリと断言している人はいません。暗黙の了解としてそれは認識されているのです。
まあ、肯定的なのは別にいいんですよ。やりたい人は好きにやればいいんですからね。
でも僕は、「それってどうなんだろう」と思うんです。「それ、アホな男しか釣れないよ」って。
以前、「男に好かれる女性らしいしぐさ」というのを見たことがあります。そーゆーしぐさをまとめた、モテるためのハウツー本があって、その一部が雑誌に抜粋されていたんですね。宣伝のために紹介されていたのです。当時は、ぶりっ子が死語になって、あざといがまだ生まれていない中間期(移行期?)でした。
それを読んでみたんですけど、「ワザとらしいなぁ」って思うものばかりでした。たとえば、「自分で自分を抱きしめるしぐさをしましょう。男性は思わず守ってあげたくなります」って書いてあったんですね。
でも、普通そんなしぐさしないし、やったらどうしてもワザとらしくなってしまいます。明らかに、「ワザとやってんなコイツ」ってわかるしぐさなのです。
そのほかのしぐさというのも、いかにも可愛いと思われたくてやってますっていうのが、丸わかりなものばかりでした。
こんなワザとらしいしぐさ、やってたらすぐ、「あ、やってるな」って気づきます。少なくとも、僕はわかる。
わからないのは、アホな男だけです。アホだから、意図的な可愛いしぐさを見抜けない。
計算ずくでやってるしぐさを、能天気に「ああ、カワイイなぁ」なんて思っちゃうんです。僕からしたら、「いやいや、ワザとだろ」っていうような、露骨にやってるしぐさでも、アホ男は見抜くことができないのです。そして、コロッとだまされる。
つまり、あざといで釣れるのはアホだけなのです。マトモな男は引っかからない。
だから、「それでいいんですか?」って思うのです。「あなたたちがあざといをやったとしても、それで釣れるのはアホだけですよ」って。「寄ってくるのはアホばっかりになるけど、それでいいんですか」って。アホでもいい、むしろアホがいいと言うなら、それ以上何も言うことはありませんけれども。
あざと女とアホ男のカップリング。けっこうお似合いなのかもしれません。
今日は私のです。
素揚げした豆を、シンプルに塩で味付け。素材の味を楽しめて、永久に食べられるスナックです。
何考えてんだって話をします。ミーノ、じゃなくてノーミソ付いてんのかって言いたくなる話。
パン屋さんで買い物したときです。普通は、並んでるパンを、トングでトレーに乗せますよね。そのトレーを、レジに持っていきます。んで、店員さんがパンを1個1個ポリ袋に入れて、レジ袋に全部まとめて入れてくれますよね。
ある日、そのようにパンをレジに持って行ったとき、若い女性店員さんが、ポリ袋に入れたパンを、トレーの上に置いたのです。
思わず叫びそうになりました。トレーの上は、パウダーシュガーやらソースやら油やら、いろんなものが付着しています。そのトレーの上にポリ袋入りのパンを乗せると、ポリ袋の外側に、それら汚れが付いてしまう。そうなると、パンをポリ袋ごと手に取ったとき、手が汚れてしまうのです。
そんなこと、ちょっと考えればわかりそうなものなのに。そんなことおかまいなしとばかりに、店員さんは小分けしたパンを、トレーの上にバンバン置いていました。
手の汚れとか、まったく気にしないタイプなのでしょうか。若い女性でも、けっこうガサツな人いますからね。
あと、飲食店でも思うことがあります。紙ナプキンについてです。
紙ナプキンって、最後の2つ折りの面積が同じじゃなくて、片面が3分の2くらいになってるじゃないですか。あれって、手に取りやすいようにそうしてるわけですよね。
きっちり2つ折りになってると、紙ナプキン入れに並んでる状態では、つかみにくい。だからスムーズに指でつかんで取れるように、片側を短くしてあるのです。
それなのに、その短い側ではなく、長い側を表にして入れてあることがあるんですよ。これがもう、取りにくくてしょうがない!
何考えてんだって話ですよ。取り出しやすさとか、考えないのかって。紙ナプキン使ったこともない野蛮人なのかって。
紙ナプキン入れによっては、両面から取り出せるタイプありますけど、両面とも長い側になってたりしますからね。そうなってたらもう終了です。永遠に取り出せない。
紙ナプキン入れる向きくらい考えろ!
そしてまた、向きを考えない人だけでなく、ギチギチになるまで詰め込む人がいるんですよね。紙ナプキン入れに、ぎゅうぎゅうに詰め込む人。
入れる量を8,9割くらいにしとかないとスムーズに取れないのに、10割か、それ以上詰めちゃってる人が。
引っぱっても取れないんですよ。接着剤で付けたのかってくらい固まっちゃってるんです。
取り出しやすさとか、いっさい考えないのか?たくさん詰め込めばそれでいいとでも思ってんのか?
お前をおっさんだらけの満員電車に詰め込んでやろうか?
それと、自転車乗ってるときにも思いますね。
僕は基本あまりスピード出さないほうなんで、ほかの自転車に追い抜かれることが多いんですよ。でもそのとき、おかしな追い抜かれ方をすることがあるんです。
たとえば、僕が歩道の左寄りを通行していたとします。僕の右側が大きく空いていて、左側はそれほどスペースがないわけです。
そんな状況で追い抜くヤツの中に、わざわざ狭い左側を通るのがいるんですよ!もう、何考えてんだって。
狭いとこ通るから、こっちとスレスレになるんですよね。しかも追い抜くから、けっこうスピード出てる人が多い。
すぐスレスレを、けっこうなスピードで追い抜かれると、すごくびっくりするんです。あれはほんと、心臓に悪い。
全体が見えてないのか?わざわざ狭いほう通りやがって。目玉を3つに増やせ!
自転車と言やあ、駐輪の仕方がおかしい人いますよね。
駐輪場とか、駐輪していいスペースとかの、思いきり通行の邪魔になる場所、通り道に停めてる人。
空いてる場所、いっぱいあるんですよ。通行の邪魔にならない停め場所、いくらでも空いてるんです。なのに、嫌がらせのように、わざわざ通行の妨害になる場所に停める人がいるのです。
オメーの頭はどうなってんだって。人に迷惑をかけるのを常識としてんのか?自分以外の人間の存在を認識できないのか?
オメーの自宅の扉の前に自転車停めてやろうか?
それとそう、自動ドアの前にずーっと立ってる人いますよね。
近所のお弁当屋さんなんですけど、出入り口が自動ドアで、入ってすぐ手前にレジカウンターがあるんです。その奥はキッチン。出入り口とカウンターのあいだ、お客さんのスペースは狭くて、10人ちょっとでいっぱいになるくらいなんですね。
なので、夕方ごろは店内がけっこうぎゅうぎゅうになる。そのため、外で弁当ができるのを待つ人もいるのです。
そんなとき、自動ドアの前につっ立ってる人がいたりするんですよ。自動ドアの前で、注文した弁当ができるのを待っているのです。
店内はエアコンが効いているのです。だから、そんなことをしていたら、夏は冷気が、冬は暖気が逃げていってしまう。
店内にいるほかの客は、その人のせいで、暑い思いや寒い思いをしなければならなくなるのです。それなのに、そんなことにまったく思いが至ってない様子で、ボケーッと自動ドア前につっ立っているのです。
何考えてんだって。オメーがそこからちょっとズレて、中に入るか外に出るかすれば、自動ドアが閉まるのに。自分のせいでドアが開きっぱなしになってることにすら気づかないのか?エアコンの冷気(or暖気)が漏れまくってることがわかんねーのか?
自動ドアに100回挟まれろ!
それからですね、無意味なチラシの貼り方してあるお店があったんです。
スーパーなんですけどね、自分とこのチラシを、出入り口の自動ドアに貼ってたんですよ。両開きのドアで、開いた先は壁になってるんです。
いいですか皆さん、自動ドアですよ。自動ドアにチラシを貼ってたら、どうなるか。
チラシを見ようと近づいたら、ドアが開きますね。自動ですからね。
そして、開いたドアは、壁に隠れる。そうなると、チラシは見えないんですよ。
何考えてんだって。そんなとこ貼っても、誰も見えないだろがって。
アフリカとかの、極端に視力が高い人をターゲットにしてんのか?そんな人ほぼいねーっつの。
チラシは貼ればいいってもんじゃねー!貼る場所を考えろ!
額にチラシを貼ってキョンシーのモノマネさせたろか?
あとはそう、雨の日にも思うことがありますね。
急に雨が降り出して、傘持ってないときあるでしょ。そんなとき、街中であれば、お店の軒下を通りますよね。少しでも濡れないようにしたいですからね。
そんなときは、当然ながらほかの人たちも軒下を通ろうとします。軒下が狭いと、すれ違う際は、軒先に出て避けないといけない。
それで多少濡れるのは致し方ないんですけど、傘持ってるのに軒下通ってる人いたりするんですよね。しかもそーゆー人に限って、すれ違う際、軒先に出ようとしないんです。壁側、お店側にピッタリくっついたまま近寄ってきて、こちらを軒先に追い出そうとするのです。
こっちゃ傘持ってねーんだよ!傘持ってるほうが外出ろよ!そもそもオメーは軒下歩く必要ねーだろ!
ほんと、何考えてんでしょうね。なんも考えんとボケーッと歩いとんのか?一生「雨に唄えば」歌ってろ!
皆さん、周りに気遣いのできる大人でありましょう。
素揚げした豆を、シンプルに塩で味付け。素材の味を楽しめて、永久に食べられるスナックです。
何考えてんだって話をします。ミーノ、じゃなくてノーミソ付いてんのかって言いたくなる話。
パン屋さんで買い物したときです。普通は、並んでるパンを、トングでトレーに乗せますよね。そのトレーを、レジに持っていきます。んで、店員さんがパンを1個1個ポリ袋に入れて、レジ袋に全部まとめて入れてくれますよね。
ある日、そのようにパンをレジに持って行ったとき、若い女性店員さんが、ポリ袋に入れたパンを、トレーの上に置いたのです。
思わず叫びそうになりました。トレーの上は、パウダーシュガーやらソースやら油やら、いろんなものが付着しています。そのトレーの上にポリ袋入りのパンを乗せると、ポリ袋の外側に、それら汚れが付いてしまう。そうなると、パンをポリ袋ごと手に取ったとき、手が汚れてしまうのです。
そんなこと、ちょっと考えればわかりそうなものなのに。そんなことおかまいなしとばかりに、店員さんは小分けしたパンを、トレーの上にバンバン置いていました。
手の汚れとか、まったく気にしないタイプなのでしょうか。若い女性でも、けっこうガサツな人いますからね。
あと、飲食店でも思うことがあります。紙ナプキンについてです。
紙ナプキンって、最後の2つ折りの面積が同じじゃなくて、片面が3分の2くらいになってるじゃないですか。あれって、手に取りやすいようにそうしてるわけですよね。
きっちり2つ折りになってると、紙ナプキン入れに並んでる状態では、つかみにくい。だからスムーズに指でつかんで取れるように、片側を短くしてあるのです。
それなのに、その短い側ではなく、長い側を表にして入れてあることがあるんですよ。これがもう、取りにくくてしょうがない!
何考えてんだって話ですよ。取り出しやすさとか、考えないのかって。紙ナプキン使ったこともない野蛮人なのかって。
紙ナプキン入れによっては、両面から取り出せるタイプありますけど、両面とも長い側になってたりしますからね。そうなってたらもう終了です。永遠に取り出せない。
紙ナプキン入れる向きくらい考えろ!
そしてまた、向きを考えない人だけでなく、ギチギチになるまで詰め込む人がいるんですよね。紙ナプキン入れに、ぎゅうぎゅうに詰め込む人。
入れる量を8,9割くらいにしとかないとスムーズに取れないのに、10割か、それ以上詰めちゃってる人が。
引っぱっても取れないんですよ。接着剤で付けたのかってくらい固まっちゃってるんです。
取り出しやすさとか、いっさい考えないのか?たくさん詰め込めばそれでいいとでも思ってんのか?
お前をおっさんだらけの満員電車に詰め込んでやろうか?
それと、自転車乗ってるときにも思いますね。
僕は基本あまりスピード出さないほうなんで、ほかの自転車に追い抜かれることが多いんですよ。でもそのとき、おかしな追い抜かれ方をすることがあるんです。
たとえば、僕が歩道の左寄りを通行していたとします。僕の右側が大きく空いていて、左側はそれほどスペースがないわけです。
そんな状況で追い抜くヤツの中に、わざわざ狭い左側を通るのがいるんですよ!もう、何考えてんだって。
狭いとこ通るから、こっちとスレスレになるんですよね。しかも追い抜くから、けっこうスピード出てる人が多い。
すぐスレスレを、けっこうなスピードで追い抜かれると、すごくびっくりするんです。あれはほんと、心臓に悪い。
全体が見えてないのか?わざわざ狭いほう通りやがって。目玉を3つに増やせ!
自転車と言やあ、駐輪の仕方がおかしい人いますよね。
駐輪場とか、駐輪していいスペースとかの、思いきり通行の邪魔になる場所、通り道に停めてる人。
空いてる場所、いっぱいあるんですよ。通行の邪魔にならない停め場所、いくらでも空いてるんです。なのに、嫌がらせのように、わざわざ通行の妨害になる場所に停める人がいるのです。
オメーの頭はどうなってんだって。人に迷惑をかけるのを常識としてんのか?自分以外の人間の存在を認識できないのか?
オメーの自宅の扉の前に自転車停めてやろうか?
それとそう、自動ドアの前にずーっと立ってる人いますよね。
近所のお弁当屋さんなんですけど、出入り口が自動ドアで、入ってすぐ手前にレジカウンターがあるんです。その奥はキッチン。出入り口とカウンターのあいだ、お客さんのスペースは狭くて、10人ちょっとでいっぱいになるくらいなんですね。
なので、夕方ごろは店内がけっこうぎゅうぎゅうになる。そのため、外で弁当ができるのを待つ人もいるのです。
そんなとき、自動ドアの前につっ立ってる人がいたりするんですよ。自動ドアの前で、注文した弁当ができるのを待っているのです。
店内はエアコンが効いているのです。だから、そんなことをしていたら、夏は冷気が、冬は暖気が逃げていってしまう。
店内にいるほかの客は、その人のせいで、暑い思いや寒い思いをしなければならなくなるのです。それなのに、そんなことにまったく思いが至ってない様子で、ボケーッと自動ドア前につっ立っているのです。
何考えてんだって。オメーがそこからちょっとズレて、中に入るか外に出るかすれば、自動ドアが閉まるのに。自分のせいでドアが開きっぱなしになってることにすら気づかないのか?エアコンの冷気(or暖気)が漏れまくってることがわかんねーのか?
自動ドアに100回挟まれろ!
それからですね、無意味なチラシの貼り方してあるお店があったんです。
スーパーなんですけどね、自分とこのチラシを、出入り口の自動ドアに貼ってたんですよ。両開きのドアで、開いた先は壁になってるんです。
いいですか皆さん、自動ドアですよ。自動ドアにチラシを貼ってたら、どうなるか。
チラシを見ようと近づいたら、ドアが開きますね。自動ですからね。
そして、開いたドアは、壁に隠れる。そうなると、チラシは見えないんですよ。
何考えてんだって。そんなとこ貼っても、誰も見えないだろがって。
アフリカとかの、極端に視力が高い人をターゲットにしてんのか?そんな人ほぼいねーっつの。
チラシは貼ればいいってもんじゃねー!貼る場所を考えろ!
額にチラシを貼ってキョンシーのモノマネさせたろか?
あとはそう、雨の日にも思うことがありますね。
急に雨が降り出して、傘持ってないときあるでしょ。そんなとき、街中であれば、お店の軒下を通りますよね。少しでも濡れないようにしたいですからね。
そんなときは、当然ながらほかの人たちも軒下を通ろうとします。軒下が狭いと、すれ違う際は、軒先に出て避けないといけない。
それで多少濡れるのは致し方ないんですけど、傘持ってるのに軒下通ってる人いたりするんですよね。しかもそーゆー人に限って、すれ違う際、軒先に出ようとしないんです。壁側、お店側にピッタリくっついたまま近寄ってきて、こちらを軒先に追い出そうとするのです。
こっちゃ傘持ってねーんだよ!傘持ってるほうが外出ろよ!そもそもオメーは軒下歩く必要ねーだろ!
ほんと、何考えてんでしょうね。なんも考えんとボケーッと歩いとんのか?一生「雨に唄えば」歌ってろ!
皆さん、周りに気遣いのできる大人でありましょう。
真夏日が連続した猛暑も緩み、すっかり短くなった秋の訪れを感じるも、日中はまだ夏を思わせる気温になることもあり、寒暖差が体にこたえてしまう今日この頃、ジャングルポケットは今後2人体制でエントリーするのかどうかが気にかかる、キングオブコントの感想をお届けします。
年々感想文の公開が遅くなってますが、今回は特に遅めになっちゃいましたね。まあオレにもいろいろあんだよ!
前回の優勝予想の記事で、「今回はお笑いの日との同日開催ではないらしい」と書きましたが、KOCの公式サイトでその発表がなかっただけで、実際は同日開催でした。すみません。
去年の「お笑いの日」では、まつもときんに君が、総出演者126人に触れ、「ホンマは127人だったんです。フジモンが来なくなっちゃったんで」と言ってましたが、なんの因果か、今年はそのきんに君が来られず。KOCの審査員は、きんに君の代わりにシソンヌのじろうが選出。きんに君が復帰したら外されるのでしょうか。そんな「じろうの行く末」が気にかかる大会となりました。
個別の評価は以下の通り。まずはファーストステージから。
ロングコートダディ・・・彼女に花束を買うため花屋に来た男。「センスがない」と言っておきながら、店員さんが作る花束に片っ端からケチをつけていく。
シンプルな構成ですよね。日常の延長というか、実際にあってもおかしくない話。東京03の飯塚が絶賛してましたが、やっぱこういうのが好きなんだなーって思いました。僕はなんか、面白さよりも、兎の小憎らしさに腹立つ感じが上回ってしまいましたし、味付け薄めが物足りなかったです。
花言葉でイヤミを伝える展開はよかったですけど、もっとあり得ない花言葉にしてもよかったかもしれません。「肉団子サラリーマン」はコンプラOK?いや、これがダメだと言いたいのではありめせん。昨今の表現の規制、ちょっと行き過ぎてると思ってますしね。「あ、これはいいんだ」と思った、ということです。
「すごくシンプルな話だなー」と思ってたら最後に劇的な展開。命を救われるも、「まだマイナスです」。そうこなくっちゃ!と思いました。
去年のカゲヤマと同様、トップバッターで高得点を叩き出し、平均得点を大きく引き上げました。
ダンビラムーチョ・・・お祭りの舞台で「富安4発太鼓」という伝統芸能(?)が披露される。それは曲中4発しか太鼓を叩かないという奇妙な芸能だった。
まずはその設定の面白さがあります。「4発しか叩かない」とあらかじめ宣言するから、ワクワクしながら見守ることになるわけです。しかしこれだと、面白いパターンって限られてきますよね。早めに4発叩いてしまうパターン、終わる直前にあわてて4発叩くパターン、フチだけ叩くパターン。あまりパターンがないから、見物客に叩かせる展開になったわけです。
かまいたちの山内が、「音響さんに強く言いそうな腕時計してる」という細部に気づいたのは鋭い。4発太鼓の起源の説明と、懐にりんご飴をしまうところ、やり方次第でもっと笑い取れるのではと思いました。
大原優一はお祭りおじさんのキャラがよく似合いますね。登場しただけで笑いが起きていました。
シティホテル3号室・・・通販番組のネタ。ゲストのタレントが唐突に、限界を超えた値下げを社長に要求する。社長はしぶしぶ値下げに応じるも、すべては台本通りだった。
たしかに、ガチと思いきやヤラセだった、というのは意表を突かれましたが、こういう手法で意表を突くというのはわりと簡単にできることです。もっとその先を観たかった、というのが正直なところ。ケンカのアクションは上手いし、タレントの好感度を犠牲に売り上げ伸ばす手口のえげつなさは笑えます。ネタ終わりのタイミングが不自然な気がしました。3品目まで観たかったです。
や団・・・工場の休憩室での従業員のやり取り。本間の財布から一万円札がなくなっていることが発覚し、犯人捜しが始まる。正義感が強すぎる伊藤は、過剰な手口で中嶋を取り調べていく。
バカバカしさの極致というか、これぞコント、これぞお笑いという、安心してみられるネタですね。大好きです。
なぜか肛門に二千円札入れてる、わけのわからなさ。パンツが色違いなのは、のちの「男はユニクロで買いがち」という指摘で説明がつきましたが、二千円札は謎のまま。「説明がつく笑い」も、「説明がつかない笑い」も、両方あっていいんですよね。要はそのバランスをどうするかで、説明がつかない笑いばかりだと、付いていけなくなっちゃったりするし、説明がつく笑いだけだと、計算しすぎで堅苦しさを感じかねない。や団のこのネタはそのバランスがいいと思いました。
ただ、肛門に入れた指でビンタされたところ、「くせえ」のひとことは言わないほうがよかったですね。あそこはセリフではなく、表情だけで伝えたほうが笑えたはずです。説明過剰、ツッコミ過剰はよくない。
テーブルに中嶋を押さえつける瞬間、審査員のじろうを映していて、大事な笑いどころを撮り逃がしてしまいました。以前もカメラのスイッチング問題に触れたことありましたけど、ネタ中は無理に審査員の笑い顔撮ろうとしなくていいんじゃないでしょうか。そのへんもっと考えてほしいです。
コットン・・・自作の人形劇で遊ぶ子供と、それを見守る、偶然その場に居合わせたおじさん。その人形劇は、子供らしからぬ恋愛ドラマだった。
このネタ持ってきたのはけっこうなバクチでしたね。コントの中で人形劇を行う、しかも西村ひとりでやるというのは、コントの意義を疑問にふしてしまいます。そうすることで、西村ひとりにしか注目がいかなくなるからです。いや、劇に入り込めば、人形だけに注意が向けられてしまう。そうなると、「コントであること」の意義がわからなくなってしまうのです。最後にきょんが劇に介入してきましたが、もっと早く、中盤に入ってきて、2人のかけ合いが行われていれば・・・。恋愛劇も、よく観ればベタなストーリーですしね。人形の動きの細かさ、細部のこだわりはよかったです。
ニッポンの社長・・・野球部のネタ。監督が新一年生の素質をチェックする。一年生は、実力はあるが極端に声が小さかった。
なんか、ドリフターズがやってたようなコントですね。容赦のない暴力でバットやベンチが叩き壊されていく。「破壊」の痛快さがビシビシ伝わってきます。終盤の畳みかけがまた気持ちいい。その破壊の気持ちよさに、思わず「何言ってんの?」って訊きたくなる、聞こえるか聞こえないかくらいの小声の面白さが並走します。
メディアから暴力がどんどん排除されつつある昨今だからこそ、ドリフの時代より笑えるようになってきているのかもしれません。一方的にやられまくるのは、ケツのキャラクターによく合っていますね。声が小さい理由が不明なのも面白い。
ヒザを痛めて「無理すな」のところ、ややウケになっちゃって残念でしたね。もっと間が違っていたら大きな笑いになってたはずです。
ファイヤーサンダー・・・「毒舌散歩」という番組(有吉の「正直さんぽ」のオマージュ?)を始めたお笑い芸人。出会った人々を毒舌でイジる、という内容。その芸人のもとに警察官が訪ねてくる。彼の毒舌は、犯罪者を見抜く隠れた力を持っていた。
いやー、やっぱ面白い。この無自覚プロファイリングとでもいうべき能力設定だけでワクワクしてきます。「君は知りすぎた」の意味合いで「君は喩えすぎた」と言うところがツボ。「警察は表の顔で、実は裏の組織の工作員」というのは、サスペンス的どんでん返しとしてはありがちなので評価できませんが、これはあくまでストーリー展開のための設定ということで。まとまりがよく、完成度の高いネタでした。個人的に今大会で一番。
あと、ネタと関係ないんですけど、こてつは銃を持ったままMC席に来るなら、浜ちゃんに「お借りしてた銃、ありがとうございました」って手渡せばひと笑い作れたんじゃないかって、余計なこと考えちゃいました。
cacao・・・部員が2人だけの野球部のネタ。グラウンドが使えないから部室で練習をしようとする。
動きが素早い、というだけで単純に面白い。「部屋練」という独自のジャンルを極めた強さというか、「室内なら最強」と思わせてくれるわけですが、本来目指していた野球とズレてしまっていることに気づいていない、憐れさからくるおかしみもあります。あと、監督も一緒に練習する中で、上下関係がなくなっていってる面白さも。これだけの動きを仕上げてくるのは大変だったでしょうけど、効果音当ててる裏方さんのほうが大変なのかもしれません。暗転が妙に長くなかったですか?
それから高橋と浦田スターク、顔そっくりなんだから、せめて髪型だけでも差別化してくれ!5年目に怒られる浜ちゃんが微笑ましい。
隣人・・・自宅でチンパンジーの太郎くんを飼っているおじいちゃん。太郎くんはパソコンの読み上げ機能も使いこなせる天才。仲良く暮らしていたが、おじいちゃんは動物園に太郎を引き取ってもらおうとする。「自分の歳を考えて、先立つ前に」と説明していたが、実は太郎の成長を恐れていた。
去年のKOCを観ていた人は、冒頭で「またチンパンジーかい!」とツッコミを入れてしまいます。1年越しの天丼?ちょっと卑怯な気がしなくもないです。
太郎が「今すぐ出ていくかんじですか」と言ったとき、細かいニュアンスを言っていくパートに入ったと思いました。しかしそうはならず、なんか肩透かし。もっと「チンパンジーがこんな言い回しすんの」って発言が聞きたかったです。あと、チンパンジーが人間らしいことをするって、それだけでもう面白いじゃないですか。だから「人間らしい」だけにとどまらず、もうひとひねりが必要だったかもしれません。
ラブレターズ・・・引きこもりの息子を見守る夫婦。息子は2年間外に出てないと思っていたが、外出の痕跡が次々見つかりだす。
悲しくて、やるせなくて、やがて面白き哀愁コント。「少年時代」はいい曲だ。どんぐりという道具立てを持ってきたのはなかなか絶妙で、個数の面白さとか、散らばる面白さなんかを演出できるわけですね。息子本人は登場しないことで、断片的な情報からいろいろ想像させる面白さもあります。父親は最初、家庭のことはほったらかしで、息子にも冷淡なように見えますが、向き合うのが怖かっただけで、本当は強い愛情があったことがわかってきます。
袋入りどんぐりをぶちまける演出、うまくいきましたね。これが失敗して変な感じになってたら、優勝はなかったかもしれません。どんぐりを回収しきれず、ファイナルステージの舞台に出てきたら面白かったのに、なんて思っちゃいました。
続きましてファイナルステージ。
ラブレターズ・・・海を見に来た女と、その女をナンパする外国人の男。女は実はジュビロ磐田の熱狂的ファンで、男は実は釣り人だった。
女は占い師に「坊主にすれば優勝できる」と言われたが、それは逆効果になってしまった。なのに、バリカンで刈るのを止めることができない。これ、ギャンブラーがいくら負けてもお金つっこみ続ける心理と似ていて、悲しくて笑えます。いつの間にか丸刈りは、呪いの儀式へと変形していた。
「なんてカオスな設定」(山内)、「わけわからない」(ロバート秋山)、「釣りの要素いるのか」(じろう)、「どこに向かって行ってるのか」(バイきんぐ小峠)、「ストーリーがもうちょっとあったほうがいい」(飯塚)など、審査員を困惑させたネタでしたが、でもお笑いなんて、そんなもんでいいんですよね。「よくわかんないけど、なんか面白かった」って。計算された完成度の高いコントを、「これでもくらえ」と吹き飛ばすようなネタでした。
少数精鋭のASH&Dから、初のKOCチャンピオン。本当におめでとう。ザ・ギースも獲ってくれー!
ロングコートダディ・・・ファンタジー設定。岩壁に封印されたウィザードという人外に死の呪いを解いてもらうため、アグリの涙という宝物を持ってきた男。宝物の置き場を間違えていたのだが、ウィザードの言葉がわからないため、正解にたどり着けない。
面白さは申し分なしです。ですがこれ、兎も少しは動くとはいえ、ピンでもできちゃう構成。これをどう評価するか。コットンもそうでしたけど、採点判断が難しかったと思います。笑いと構成、どちらに比重を置くか。「2人でやってるのにかけ合いがなかった」という点を重視するなら、どうしても点数低めになっちゃいます。単純に「面白さだけ」で評価されてたら、間違いなく優勝していたでしょう。
人間の言葉と全然違うのに、「やめて」が「ウグォケ」で、「動け」と応援しているみたいになっちゃうところが秀逸。一番よかったです。
セクシーピースは流行るのだろうか。
ファイヤーサンダー・・・甲子園出場を真剣に目指す野球部員と、それをバカにする不良。不良は、「もしお前らが甲子園行ったら、全裸でフルマラソンしてやる」と言い放つ。
話が進むにつれ、不良はバカにするフリをして後押ししようとしていたことがわかる胸熱展開。隠れた友情を感じさせ、感動は徐々に高まっていきます。しかし、感動が笑いを上回ってしまったのかもしれません。そうなると、いい話ではあったとしても、コントとしての評価は落ちてしまいます。
不良が練習に打ち込んだり、サングラス替えたりといった、変化の描写が実にうまい。個人的には、甲子園行けたかどうかまで見届けたかった気がします。
心情的に一番応援していたラブレターズが優勝し、優勝予想で推していたファイヤーサンダーが3位。満足度の高い結果となりました。
去年もそうだったと記憶してますが、今大会はトップバッターのロングコートダディが高得点を出したこともあり、審査員得点、全組80点代はなし。こうなってくると、0~89点の存在意義がわからなくなってきますね。10点満点にしても同じことのように思えてきます。
得点差が少ないことにも表れてますが、今回は頭ひとつ出たネタ、爆発したネタというのはなく、平均レベルちょい高めのネタがそろいました。
賞レースではたまにネタかぶりが起きますが、今回は野球部ネタが3本。最近野球ネタが流行っているのか、単なる偶然か。
今年の浜ちゃんは、コメント2周強要などしていましたが、年々KOCにおける立ち居振る舞いが自由奔放になっていってますね。それもまた、ひとつの名物ということでいいと思います。でも今年の結果発表は抑えめで、そこは全力でやってくれよと思いました。
そして、今年もバイきんぐの西村はいらなかった。
年々感想文の公開が遅くなってますが、今回は特に遅めになっちゃいましたね。まあオレにもいろいろあんだよ!
前回の優勝予想の記事で、「今回はお笑いの日との同日開催ではないらしい」と書きましたが、KOCの公式サイトでその発表がなかっただけで、実際は同日開催でした。すみません。
去年の「お笑いの日」では、まつもときんに君が、総出演者126人に触れ、「ホンマは127人だったんです。フジモンが来なくなっちゃったんで」と言ってましたが、なんの因果か、今年はそのきんに君が来られず。KOCの審査員は、きんに君の代わりにシソンヌのじろうが選出。きんに君が復帰したら外されるのでしょうか。そんな「じろうの行く末」が気にかかる大会となりました。
個別の評価は以下の通り。まずはファーストステージから。
ロングコートダディ・・・彼女に花束を買うため花屋に来た男。「センスがない」と言っておきながら、店員さんが作る花束に片っ端からケチをつけていく。
シンプルな構成ですよね。日常の延長というか、実際にあってもおかしくない話。東京03の飯塚が絶賛してましたが、やっぱこういうのが好きなんだなーって思いました。僕はなんか、面白さよりも、兎の小憎らしさに腹立つ感じが上回ってしまいましたし、味付け薄めが物足りなかったです。
花言葉でイヤミを伝える展開はよかったですけど、もっとあり得ない花言葉にしてもよかったかもしれません。「肉団子サラリーマン」はコンプラOK?いや、これがダメだと言いたいのではありめせん。昨今の表現の規制、ちょっと行き過ぎてると思ってますしね。「あ、これはいいんだ」と思った、ということです。
「すごくシンプルな話だなー」と思ってたら最後に劇的な展開。命を救われるも、「まだマイナスです」。そうこなくっちゃ!と思いました。
去年のカゲヤマと同様、トップバッターで高得点を叩き出し、平均得点を大きく引き上げました。
ダンビラムーチョ・・・お祭りの舞台で「富安4発太鼓」という伝統芸能(?)が披露される。それは曲中4発しか太鼓を叩かないという奇妙な芸能だった。
まずはその設定の面白さがあります。「4発しか叩かない」とあらかじめ宣言するから、ワクワクしながら見守ることになるわけです。しかしこれだと、面白いパターンって限られてきますよね。早めに4発叩いてしまうパターン、終わる直前にあわてて4発叩くパターン、フチだけ叩くパターン。あまりパターンがないから、見物客に叩かせる展開になったわけです。
かまいたちの山内が、「音響さんに強く言いそうな腕時計してる」という細部に気づいたのは鋭い。4発太鼓の起源の説明と、懐にりんご飴をしまうところ、やり方次第でもっと笑い取れるのではと思いました。
大原優一はお祭りおじさんのキャラがよく似合いますね。登場しただけで笑いが起きていました。
シティホテル3号室・・・通販番組のネタ。ゲストのタレントが唐突に、限界を超えた値下げを社長に要求する。社長はしぶしぶ値下げに応じるも、すべては台本通りだった。
たしかに、ガチと思いきやヤラセだった、というのは意表を突かれましたが、こういう手法で意表を突くというのはわりと簡単にできることです。もっとその先を観たかった、というのが正直なところ。ケンカのアクションは上手いし、タレントの好感度を犠牲に売り上げ伸ばす手口のえげつなさは笑えます。ネタ終わりのタイミングが不自然な気がしました。3品目まで観たかったです。
や団・・・工場の休憩室での従業員のやり取り。本間の財布から一万円札がなくなっていることが発覚し、犯人捜しが始まる。正義感が強すぎる伊藤は、過剰な手口で中嶋を取り調べていく。
バカバカしさの極致というか、これぞコント、これぞお笑いという、安心してみられるネタですね。大好きです。
なぜか肛門に二千円札入れてる、わけのわからなさ。パンツが色違いなのは、のちの「男はユニクロで買いがち」という指摘で説明がつきましたが、二千円札は謎のまま。「説明がつく笑い」も、「説明がつかない笑い」も、両方あっていいんですよね。要はそのバランスをどうするかで、説明がつかない笑いばかりだと、付いていけなくなっちゃったりするし、説明がつく笑いだけだと、計算しすぎで堅苦しさを感じかねない。や団のこのネタはそのバランスがいいと思いました。
ただ、肛門に入れた指でビンタされたところ、「くせえ」のひとことは言わないほうがよかったですね。あそこはセリフではなく、表情だけで伝えたほうが笑えたはずです。説明過剰、ツッコミ過剰はよくない。
テーブルに中嶋を押さえつける瞬間、審査員のじろうを映していて、大事な笑いどころを撮り逃がしてしまいました。以前もカメラのスイッチング問題に触れたことありましたけど、ネタ中は無理に審査員の笑い顔撮ろうとしなくていいんじゃないでしょうか。そのへんもっと考えてほしいです。
コットン・・・自作の人形劇で遊ぶ子供と、それを見守る、偶然その場に居合わせたおじさん。その人形劇は、子供らしからぬ恋愛ドラマだった。
このネタ持ってきたのはけっこうなバクチでしたね。コントの中で人形劇を行う、しかも西村ひとりでやるというのは、コントの意義を疑問にふしてしまいます。そうすることで、西村ひとりにしか注目がいかなくなるからです。いや、劇に入り込めば、人形だけに注意が向けられてしまう。そうなると、「コントであること」の意義がわからなくなってしまうのです。最後にきょんが劇に介入してきましたが、もっと早く、中盤に入ってきて、2人のかけ合いが行われていれば・・・。恋愛劇も、よく観ればベタなストーリーですしね。人形の動きの細かさ、細部のこだわりはよかったです。
ニッポンの社長・・・野球部のネタ。監督が新一年生の素質をチェックする。一年生は、実力はあるが極端に声が小さかった。
なんか、ドリフターズがやってたようなコントですね。容赦のない暴力でバットやベンチが叩き壊されていく。「破壊」の痛快さがビシビシ伝わってきます。終盤の畳みかけがまた気持ちいい。その破壊の気持ちよさに、思わず「何言ってんの?」って訊きたくなる、聞こえるか聞こえないかくらいの小声の面白さが並走します。
メディアから暴力がどんどん排除されつつある昨今だからこそ、ドリフの時代より笑えるようになってきているのかもしれません。一方的にやられまくるのは、ケツのキャラクターによく合っていますね。声が小さい理由が不明なのも面白い。
ヒザを痛めて「無理すな」のところ、ややウケになっちゃって残念でしたね。もっと間が違っていたら大きな笑いになってたはずです。
ファイヤーサンダー・・・「毒舌散歩」という番組(有吉の「正直さんぽ」のオマージュ?)を始めたお笑い芸人。出会った人々を毒舌でイジる、という内容。その芸人のもとに警察官が訪ねてくる。彼の毒舌は、犯罪者を見抜く隠れた力を持っていた。
いやー、やっぱ面白い。この無自覚プロファイリングとでもいうべき能力設定だけでワクワクしてきます。「君は知りすぎた」の意味合いで「君は喩えすぎた」と言うところがツボ。「警察は表の顔で、実は裏の組織の工作員」というのは、サスペンス的どんでん返しとしてはありがちなので評価できませんが、これはあくまでストーリー展開のための設定ということで。まとまりがよく、完成度の高いネタでした。個人的に今大会で一番。
あと、ネタと関係ないんですけど、こてつは銃を持ったままMC席に来るなら、浜ちゃんに「お借りしてた銃、ありがとうございました」って手渡せばひと笑い作れたんじゃないかって、余計なこと考えちゃいました。
cacao・・・部員が2人だけの野球部のネタ。グラウンドが使えないから部室で練習をしようとする。
動きが素早い、というだけで単純に面白い。「部屋練」という独自のジャンルを極めた強さというか、「室内なら最強」と思わせてくれるわけですが、本来目指していた野球とズレてしまっていることに気づいていない、憐れさからくるおかしみもあります。あと、監督も一緒に練習する中で、上下関係がなくなっていってる面白さも。これだけの動きを仕上げてくるのは大変だったでしょうけど、効果音当ててる裏方さんのほうが大変なのかもしれません。暗転が妙に長くなかったですか?
それから高橋と浦田スターク、顔そっくりなんだから、せめて髪型だけでも差別化してくれ!5年目に怒られる浜ちゃんが微笑ましい。
隣人・・・自宅でチンパンジーの太郎くんを飼っているおじいちゃん。太郎くんはパソコンの読み上げ機能も使いこなせる天才。仲良く暮らしていたが、おじいちゃんは動物園に太郎を引き取ってもらおうとする。「自分の歳を考えて、先立つ前に」と説明していたが、実は太郎の成長を恐れていた。
去年のKOCを観ていた人は、冒頭で「またチンパンジーかい!」とツッコミを入れてしまいます。1年越しの天丼?ちょっと卑怯な気がしなくもないです。
太郎が「今すぐ出ていくかんじですか」と言ったとき、細かいニュアンスを言っていくパートに入ったと思いました。しかしそうはならず、なんか肩透かし。もっと「チンパンジーがこんな言い回しすんの」って発言が聞きたかったです。あと、チンパンジーが人間らしいことをするって、それだけでもう面白いじゃないですか。だから「人間らしい」だけにとどまらず、もうひとひねりが必要だったかもしれません。
ラブレターズ・・・引きこもりの息子を見守る夫婦。息子は2年間外に出てないと思っていたが、外出の痕跡が次々見つかりだす。
悲しくて、やるせなくて、やがて面白き哀愁コント。「少年時代」はいい曲だ。どんぐりという道具立てを持ってきたのはなかなか絶妙で、個数の面白さとか、散らばる面白さなんかを演出できるわけですね。息子本人は登場しないことで、断片的な情報からいろいろ想像させる面白さもあります。父親は最初、家庭のことはほったらかしで、息子にも冷淡なように見えますが、向き合うのが怖かっただけで、本当は強い愛情があったことがわかってきます。
袋入りどんぐりをぶちまける演出、うまくいきましたね。これが失敗して変な感じになってたら、優勝はなかったかもしれません。どんぐりを回収しきれず、ファイナルステージの舞台に出てきたら面白かったのに、なんて思っちゃいました。
続きましてファイナルステージ。
ラブレターズ・・・海を見に来た女と、その女をナンパする外国人の男。女は実はジュビロ磐田の熱狂的ファンで、男は実は釣り人だった。
女は占い師に「坊主にすれば優勝できる」と言われたが、それは逆効果になってしまった。なのに、バリカンで刈るのを止めることができない。これ、ギャンブラーがいくら負けてもお金つっこみ続ける心理と似ていて、悲しくて笑えます。いつの間にか丸刈りは、呪いの儀式へと変形していた。
「なんてカオスな設定」(山内)、「わけわからない」(ロバート秋山)、「釣りの要素いるのか」(じろう)、「どこに向かって行ってるのか」(バイきんぐ小峠)、「ストーリーがもうちょっとあったほうがいい」(飯塚)など、審査員を困惑させたネタでしたが、でもお笑いなんて、そんなもんでいいんですよね。「よくわかんないけど、なんか面白かった」って。計算された完成度の高いコントを、「これでもくらえ」と吹き飛ばすようなネタでした。
少数精鋭のASH&Dから、初のKOCチャンピオン。本当におめでとう。ザ・ギースも獲ってくれー!
ロングコートダディ・・・ファンタジー設定。岩壁に封印されたウィザードという人外に死の呪いを解いてもらうため、アグリの涙という宝物を持ってきた男。宝物の置き場を間違えていたのだが、ウィザードの言葉がわからないため、正解にたどり着けない。
面白さは申し分なしです。ですがこれ、兎も少しは動くとはいえ、ピンでもできちゃう構成。これをどう評価するか。コットンもそうでしたけど、採点判断が難しかったと思います。笑いと構成、どちらに比重を置くか。「2人でやってるのにかけ合いがなかった」という点を重視するなら、どうしても点数低めになっちゃいます。単純に「面白さだけ」で評価されてたら、間違いなく優勝していたでしょう。
人間の言葉と全然違うのに、「やめて」が「ウグォケ」で、「動け」と応援しているみたいになっちゃうところが秀逸。一番よかったです。
セクシーピースは流行るのだろうか。
ファイヤーサンダー・・・甲子園出場を真剣に目指す野球部員と、それをバカにする不良。不良は、「もしお前らが甲子園行ったら、全裸でフルマラソンしてやる」と言い放つ。
話が進むにつれ、不良はバカにするフリをして後押ししようとしていたことがわかる胸熱展開。隠れた友情を感じさせ、感動は徐々に高まっていきます。しかし、感動が笑いを上回ってしまったのかもしれません。そうなると、いい話ではあったとしても、コントとしての評価は落ちてしまいます。
不良が練習に打ち込んだり、サングラス替えたりといった、変化の描写が実にうまい。個人的には、甲子園行けたかどうかまで見届けたかった気がします。
心情的に一番応援していたラブレターズが優勝し、優勝予想で推していたファイヤーサンダーが3位。満足度の高い結果となりました。
去年もそうだったと記憶してますが、今大会はトップバッターのロングコートダディが高得点を出したこともあり、審査員得点、全組80点代はなし。こうなってくると、0~89点の存在意義がわからなくなってきますね。10点満点にしても同じことのように思えてきます。
得点差が少ないことにも表れてますが、今回は頭ひとつ出たネタ、爆発したネタというのはなく、平均レベルちょい高めのネタがそろいました。
賞レースではたまにネタかぶりが起きますが、今回は野球部ネタが3本。最近野球ネタが流行っているのか、単なる偶然か。
今年の浜ちゃんは、コメント2周強要などしていましたが、年々KOCにおける立ち居振る舞いが自由奔放になっていってますね。それもまた、ひとつの名物ということでいいと思います。でも今年の結果発表は抑えめで、そこは全力でやってくれよと思いました。
そして、今年もバイきんぐの西村はいらなかった。