徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

コカ・コーラ アクエリアス

2024-11-29 23:57:40 | 
今日はギリシャ神話の女神っぽいやつです。




真夏の水分補給にも、風邪を引いたときにも。スポーツ選手の常備飲料、アクエリアス。
スポーツと言えば体育会系。体育会系と言えば気合いと根性。そう、気合いと根性の話をしましょう。不愉快極まりない精神論の話。
18か19のころ、まだ熊本に住んでいたときですけど、焼肉屋さんでアルバイトをしようと、面接を申し込んだことがありました。当時は人と話すのがとにかく苦手だったので、厨房を希望しました。履歴書を持ってお店に行くと、30代くらいの男性店員さんが面接を担当してくれました。
そのとき何を話したか、詳しくは覚えていません。どんなメニューがあるか、どんな仕事なのかなどの説明を受けた記憶はあります。
その後、志望動機とか、個人的なことをいくつか質問されました。その中で店員さんが、「徳丸君は根性ある?」と訊いてきたんですね。
僕は笑いながらも、「いやぁ~、どうですかねぇ」などと、曖昧な答えを返しました。顔が引きつっていたかもしれません。
僕は、気合いとか根性とか、その手の精神論が大嫌いなのです。
店員さんは、仕事の大変さを強調したかったのだと思います。昼食時と夕食時、お客さんが押しかける混雑時はとにかく忙しく、バタバタになる。体力的に厳しいので、強い気持ちを持っていないと乗り越えられない。そう言いたかったのでしょう。
ですが僕は、「根性」という言葉にアレルギー的嫌悪感を覚え、肯定的な答えを返すことができなかったのです。結果は不採用でした。
もしあの質問に、力強く「あります!!」と答えていれば、採用になっていたでしょう。ですが、当時の僕は、軽々しく「根性」などと口にするような人のもとで働きたくはなかった。だから、正直不採用になってホッとしました。
その店員さんは、仕事内容のキツさを伝えたくて、根性の有無を尋ねていたのかもしれません。でも、ひょっとしたらそうじゃなかったかもしれない。従業員に対し、有無を言わさず体育会系ノリを強要するような人だったのかもしれません。
もしそうだったら、僕にとっては地獄のような職場だったはずです。デカい声を出すのが暗黙のマニュアルで、どんなにしんどかろうが「気持ちがあれば乗り越えられる」と、負担が過度に大きい、無理な労働、過重な労働量の消化を求められる。そんな職場だったのかもしれないのです。
いずれにせよ、時代は1990年代。当時はまだ、気合いだの根性だの、多くの人が頻繁に口にしていたし、それを他人に押し付けるのがハラスメントだとも思われていませんでした。そして、小心者で、武道やスポーツが特に好きではない僕にとって、「男なら当然共有すべき」と盲信されていたその精神論、時代の空気は、どうしても馴染むことができないものだったのです。

それから3,4年後。僕は福岡に移り住み、フリーター生活をしていました。あるとき、日雇い派遣で引っ越しの仕事をしたことがありました。
派遣のバイトは、20~30人ほど集められ、数人ずつ別々のグループに割り振られます。だいたい引っ越し会社の社員さん2~5人くらいのもとに、やはり2~5人ほどバイトが付いて、あれこれ指示されながら雑用をこなすのです。
その日あてがわれたリーダー格の、20代後半くらいの社員さんは、挨拶するやいなや、「気合い入っとるや?」と訊いてきました。
いかにも元ヤンキーといった風貌の、いかつい見た目の社員さん。僕はそのころには、表向きその手のノリに合わせることができる程度には大人になっていましたので、できるだけ元気よく「はい!」と、その場における正解の返答をしました。内心では「ああ、ハズレだ。今日1日はひたすらガマンだ」と、落ち込んでいましたが。
その元ヤン社員さんは、なかなか厳しめの人で、仕事中ちょいちょい叱責されました。冗談を口にすることもありましたが、このタイプの人がいかにも言いそうな、下品な冗談でした。
その日のチームには、もうひとり社員さんが付いていました。その方は元ヤンさんより年下で、元ヤンさんにとっては後輩か、弟分のような相手だったみたいなんですね。その日の終盤、社員さんたちのあいだで、勤務時間が長くて仕事がキツいという話題になったとき、元ヤンさんが後輩さんに、「絶対に辞めるなよ。辞めたら負けやけんな」と言ってたんですよね。
僕は、「そんなん人に押しつけんなよ」と思いました。
元ヤンさんが、「仕事を辞めたら負け」という教訓、もしくは美学を、自分自身に言い聞かせるのは個人の自由だし、ひとつの生き方として尊重されるべきです。でも、それを人に押し付けるのはよくない。いくら後輩だからといって、価値観の共有を無理強いしていいはずがない。
なんか、気合いだの根性だのを口にしたがる人って、価値観を押し付けることを問題と思っていなかったり、もしくは押し付けているという自覚がなかったりしますよね。頭の中が単純で、価値観はこの世にひとつしかないと思い込んでいるのでしょう。そして、その価値観を自分はちゃんと理解できていると。困ったものです。
ちなみに、あとで後輩さんと2人きりになったんですけど、そのときに、「もう少ししたらこの仕事辞めようと思ってる」って打ち明けられたんですよ。思い返してみれば、後輩さんは元ヤンさんの話を聞いてるとき、ちゃんと1回1回「はい」って相槌打ってたのに、「絶対に辞めるなよ」って言われたときだけ黙ってたんですよね。ああそーゆーことだったかと思うと同時に、いざ「辞める」となったとき、元ヤンさんから何言われるだろって、少し心配になりました。

それから20年ほど経ちました。今や多様性が常識して認知されだし、公教育の場に精神論が持ち出される機会も減少しつつあります。精神論に寄りかかって生きてきた世代も、徐々に社会から退場し始めています。気合いや根性が持ち出される機会も、どんどん減少していくことでしょう。
気合いや根性といった考え方、精神論がなくなればいいとまでは思いません。それを価値観として選び取る生き方は、これからもあっていい。でも、それを人に押し付けるのは、もうやめにしていただきたい。それが迷惑であるという自覚をちゃんと持ってもらいたい。そう思います。
僕は気合いと根性ではなく、テキトーとダラクです。

江崎グリコ ジャイアントコーン チョコナッツ・チョコ&ミルク・クッキー&チョコ

2024-11-23 00:32:03 | 
今日はデカもろこしです。








ジャイアント馬場が、ジャイアントつながりでCMやっていたのも今や昔。今は「チョコだまり」なんていう心憎いスポットまでできちゃいました。ザクッパリッとかぶりつけ!
ジャイアント馬場はプロレスラー。プロレスラーは半裸。そう、半裸の話をいたしましょう。半裸に遭遇した話。
小学校5,6年のときでしたかね。鹿児島に旅行に行ったことがあったんです。
母方の祖母と、祖母の姉妹のふたり、そして僕と弟の5人旅でした。ツアー旅行で、宿泊先は指宿(いぶすき)。鹿児島の有名な温泉地です。
その指宿の、巨大なホテルに泊まりました。指宿を代表する、有名なホテルでした。
そのホテルは本当に大きく、食堂やらお風呂やらゲームセンターやら、一箇所一箇所の距離が離れており、移動に時間がかかりました。僕は子供らしく、その広さを単純に楽しんでいました。ゲームセンターが充実していたのも興奮させられました。
夕方か、夜だったと思いますが、みんなで売店に行ったときのことです。売店前のフロアに、半裸のじいさんがいました。
体中に水滴が付いていて、ハンドタオルで股間を隠しているけど、ケツは丸出し。そんな恰好をしたじいさんが、フロアを歩いていたのです。
妖怪ケツ出しジジイです。
ケツ出しジジイは僕に、「砂蒸し風呂はどこね?」と訊いてきました。砂蒸し風呂っつーのは、砂に埋まって温泉の蒸気であったまる、鹿児島の名物です。わからないと答えると、「困ったねぇ」とつぶやきながら、ウロウロしていました。
裸でいてはならない場所に裸でいたのです。しかしジジイはいたって冷静で、堂々としていました。
少しのあいだ、僕らと同じ方向を歩いていたため、あたかも同じ一団のようになっていました。ケツ出しジジイ御一行様です。祖母と2人の姉妹は、見て見ぬフリをしていました。
じいさんはなぜ、こんなことになってしまったのでしょうか。その様子からして、温泉に入ってて方角がわからなくなり、迷ってしまったらしいのです。
たしかに、そこのお風呂は巨大で、様々なお湯があり、サウナやら露天風呂やら、一度来ただけでは把握しきれないくらい設備が充実していました。しかし、道に迷うほどではなかった。「入浴施設」と「非入浴施設」の区別はハッキリしており、それがわからなくなるということは、まず考えられませんでした。
仮に、お風呂のすぐ横に出口があれば、うっかり外に出てしまう、ということもあり得ます。ですが、お風呂と外のあいだには、大きめの脱衣所がありました。脱衣所を通ってしか、外に出ることはできません。うっかり裸のまま外に出てしまうなど、まず起こりえないことです。
なのに、そのじいさんはタオル一枚で外に出てしまった。どこをどう通ればそんなことになるのか。まったくもって理解不能でした。時空の抜け穴を通ったのでしょうか。
じいさんは下半身を隠そうとしていましたが、小さなタオルでは股間しか隠し切れず、思いきりケツが出ていました。ですが一応マナーとして隠していただけで、特に恥じらってはいませんでした。ほかの宿泊客にも目撃されていたはずですが、時代もあったのか、大きな騒ぎにはなっていませんでした。
じいさんは無事、砂蒸し風呂にたどり着けたのでしょうか。もしかしたら、今でも指宿のあのホテルの中を徘徊しているのでしょうか。
妖怪ケツ出しジジイ。次はあなたの泊まるホテルに出没するかもしれません。
稲川淳二でした。

東ハト ビーノ うましお味・ブラックペッパー味

2024-11-16 23:43:56 | 
今日はビーのものです。






えんどう豆の、ノンフライスナック。ビールのおつまみに、たぶん最適(お酒飲まない人の意見)。もちろんおやつとしてもべリーグー。
皆さんは自分の行動をふり返って、「なぜあんなことをしたんだろう」と思ったことはありますか。僕はあります。
そんな、自分で自分がわからなくなる話をします。Why?な話。
僕は以前、福岡ドームで働いていました。野球の試合のときに、チケットのもぎりや席案内などの接客を行う仕事です。
たまにお客さんが体調を悪くしたり、打球にぶつかってケガをしたりすることもあります。そんなときは、医務室にお連れします。医務室への案内も仕事のひとつなのです。
ある日、貧血か何かで気分の悪くなったお客さんがいました。意識が朦朧としておられたので、車椅子で医務室へお運びしました。
医務室に到着後、すぐにベッドに寝かせることになりました。しかし、意識のない人の、脱力した体は重たく、2人の看護師さんは扱いに手こずっていました。ベッドの左側は壁なので、右から担ぎ上げるしかなく、それがまたやりにくそうでした。
僕は手を貸そうと、ベッドの上に乗りました。奥のほう、左側からお客さんを引っぱり上げようと考えたのです。
しかしそのとき、僕は土足でした。靴を履いたままベッドに上がったのです。
お客さんを寝かせる手伝いはできましたが、ベッドを汚してしまいました。白いシーツに、茶色い靴跡が付いてしまったのです。
看護師さんが、迷惑そうな顔をしてシーツを手で払っていました。
直後に、僕は思いました。なぜこんなことをしたのだろうと。
ベッドに靴を履いたまま上がるなど、あまりに非常識です。それが非常識だと理解できる感覚は、ちゃんと身に付いているのです。
なのに、してしまった。どうして?
我がことなのに理解不能でした。
当時、アメリカのコメディドラマ『ダーマ&グレッグ』がNHKで放送されていました。僕はこのドラマのファンで、熱心に視聴していたのですが、アメリカの話なので、作中に、靴を履いたままベッドに寝そべるシーンが何度かあったんですね。
それを観ていたので、意識に刷り込まれてしまい、「ベッド=靴を履いたまま」という固定観念ができあがっていたのではないか、それでつい、土足のまま上がってしまったのではないか、と思うのです。心当たりがあるはそれくらいなんですね。
もちろんそんな思い込みがあったとしても、許されることではありません。悪いのはドラマではなく、僕です。
あのときの看護師さん、すみませんでした。

それと、こんなこともありました。
僕は母方の祖母と同居していたんですけど、父方の祖父母のほうは、自宅から少し離れたところに2人で住んでいまして、子供のころはちょいちょい遊びに行っていました。保育園の年長さんのころだったと思いますけど、ある日いつものように祖父母の家に遊びに行きまして、おばあちゃんにご飯を食べさせてもらってたんですね。
その日は鳥の骨付き肉が出ました。チキチキボーンとか、そーゆーたぐいの肉です。
僕は手づかみでムシャムシャ食べてたんですけど、子供なので、食べ方が少々荒かったんですね。きれいに肉を食べきらず、骨の周りに身が残っていたんです。
すると、おじいちゃんがそれを見つけて、「まだ食べられる。ここにもここにもまだ付いとる」と、肉が残ってる箇所を指さしてきました。
僕はそれに対し、「じゃあおじいちゃんが食べて」と答えました。
おじいちゃんは気性の荒いところのある人でしたが、感情的になることなく、静かに「アホ」と言いました。
今になって考えると失礼極まりない返答なのですが、そのときの僕は本気でそう思っていたのです。「おじいちゃんが食べればいいのに」と。
まだ幼かったので、細かい作業が苦手だった、というのもあります。骨の周りの肉をきれいに食べるのは、当時の僕には難しかった。
だとしても、ほかにもっと言い方があったよな、とは思います。自分の食べ残しの、骨にこびりついた肉を、自分よりずっと年上の人に食べさせていいはずがない。当時の僕は、そのような常識がまだ備わっていないほど幼かったわけですが。
ごく短いやり取りだったんですけど、妙に覚えてるんですね。これがもし「おじいちゃんに怒鳴られた」のであれば、大きなショックを受けたでしょうから、鮮明に記憶しているのも当然のことです。
でも、実際にはおじいちゃんは、ひとこと「アホ」と言っただけ。会話もそこで終わっているのです。
印象に残るほどの出来事ではないのです。なのに、なぜかよく覚えている。
どうしてなんでしょうね。
おじいちゃんは、今は天国にいます。