今日はうまいもんどうしの組み合わせ、メロンパンアイスです。
一時期すごく流行ってたらしいです。中にアイスが入ってるのにパン生地がサクサクで、ちゃんとメロンパンの味がします。甘さ控えめ。
しかしこのパッケージの「しあわせカスタードアイスにメロメロ」ってどう思います?メロンとかけてるんでしょうけど、今時言わないですよね、メロメロ。
ところで『ブラッド・ピットの君にメロメロ』って映画あるの知ってます?死ぬほどくそダサいタイトルですよね。しかもこれね、ブラピが主役じゃないんですよ。主演はハーレイ・ジェーン・コザックって人でね。ブラピは脇役なのです。1994年の、ブラピが売れっ子になる前の映画で、よーするに、ブラピが出演してるって以外になんの売りもない作品だからこういうタイトルにしたんですね。当然日本じゃ劇場未公開です。
もちろん原題の直訳じゃなくて、配給会社あたりが決めた邦題です。原題は『The Favor』で、ブラピも関係なければメロメロの要素もないのです。
でね、これちょっと調べてみたんですけど、『君にメロメロ』ってのはテレ東系で放送されたときのタイトルで、DVDその他では『ブラッド・ピットのヒミツのお願い』になってるらしいんですね。まあどっちでもいいですけど。
え?観たことはあるのかって?ありませんよ。絶対つまんないでしょ。タイトルだけでつまんないってわかりますよ。
僕は観たことないし、一生観ません。誰かヒマだったら観てください。観たら感想教えてください。間違いなくつまんないでしょうけどね。
ブラピの映画でよかったのは『セブン』と『ファイト・クラブ』ですね。ここ10年ぐらいは映画ほとんど観てないんで、最近の作品は知らないです。なんかいいのあります?
しかしこういう、変な邦題、笑える邦題ってたまにありますよね。洋画のタイトルって必ずしも原題を直訳するんじゃなくて、日本人に対するわかりやすさとか、訴求力みたいなんを考えて決められるじゃないですか。
そんで実にピタリとハマった、絶妙な題名もありますけど、一方で「何を考えてこれにしたんだ」って言いたくなる題名もあったりする。
そんな邦題を集めて特集してみたら面白いと思うんですけどね。題して「言いたい放題ダメ邦題」。面白そうだと思いません?誰か記事にしてくれませんかね。それなら僕は読みたいですよ。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、ではなく雑感。
22日、複数の飲食店を経営するグローバルダイニングが、東京都を提訴しました。都の時短命令を不服としてなされたもので、飲食店が主要な感染経路だという明確な根拠がなく、そもそも特措法が違憲であるというのがグローバルダイニング側の主張。時短要請に応じない飲食店2000軒以上のうち、実際に時短命令が出されたのが27店舗で、そのうちの26店舗がグローバルダイニングの経営店であったことから、時短要請に応じない理由をホームページなどで発信していた同社が狙い撃ちにされた、と推測されています。
僕はグローバルダイニングを支持します。ですがそれは、グローバルダイニングの主張を正しいと思うからではありません。主張内容の正しさを問うつもりはないのです。主張内容それ自体は等閑に付して、都を訴えた姿勢そのものを評価したいのです。
日本人は、お上が決めたことを、いかもたやすく受け入れます。唯々諾々と、何の疑問も持たず、何の抵抗もなく、それこそ意思を持たぬ従僕のように従うのが基本姿勢です。
それがいい方向に働くこともあります。従順であることは、必ずしも悪いことではない。
ですが今回、その従順さによって、廃業に追いやられた飲食店はかなりの数に上ります。なかには、その店にしか出せない味というのもあったかもしれない。そんな食文化が、大きく損なわれてしまったのです。もう取り返しがつきません。
ですから、グローバルダイニングの訴訟は、「国民はおとなしく言うことを聞くばかりではないんだぞ」というメッセージをお上に伝えるという意味で、非常に有意義だと思うのですね。「お上だから、緊急事態だからというだけでなんでも通ると思うなよ。命令を出すにしても納得のいくものでないと手を噛むぞ」。訴訟によって、そんな意思表示を行うことができます。飲食店を、ひいては食文化を守るために、有力な効果を発揮できるかもしれない。
これは単純な「お上批判」とは違います。お上が憎くてこんな話をしているのではありません。民の側について公を批判するという、左派がよくやるような、単細胞な反権力反体制でもありません。
お上も、もっと緊張感を持つべきだ、ということなのです。国民は黙って言うことに従うばかりではなく、筋が通らないときには手を返すこともありうるということを認識する。そしてそのうえで施策を行う。
そうすれば、単純な上意下達ではない、国民が納得のいく指示を、慎重に練るようになるのではないか、ということが期待できるのです。
ですから僕は、お上に緊張感を与えることができるという点において、グローバルダイニングを支持するのです。今後の推移を見守りたいと思います。
クラスターの発生が連日メディアで報じられてますが、発生場所のひとつとしてよく挙げられるのが「昼カラオケ」。カラオケ喫茶やスナックなどのお店で、おもに中高年の集まりによって引き起こされているとのこと。で、これらの報道によって、昼カラがコロナを拡大させている大元であるかのような印象を植え付けられつつあります。
しかし昼カラを行っているお店なんて、日本中に何百何千とあるはずです。その何千のうちの数軒でクラスターが起きたからといって、さも昼カラすべてがクラスターの元凶であるかのような報じ方をするのはいかがなものでしょうか。
たしかに、カラオケは「たかが娯楽」です。なくても死ぬわけじゃない。ですが、人はパンのみにて生きるにあらず。
カラオケしか楽しみがない、もしくはカラオケを口実に友達とおしゃべりするのが唯一の楽しみだ、という人だっているはずです。なんの楽しみもない無味乾燥な日々を送れ、と命じるのは、なかなか酷なことです。僕にはとても言えない。
なんか、前にパチンコが槍玉にあげられてる時にも思ったんですけど、みんな他人の娯楽には冷淡ですよね。「パチンコ屋なんかぜんぶ休業にしちまえよ」「カラオケなんかしなくても死にゃあしないだろ」なんて平気で言う。自分は一切の娯楽がなくても平気なんでしょうか。なんの楽しみもなくても、毎日を快活に生きていくことができるのでしょうか。
趣味がいろいろあって、「これがダメならあれを」というふうに、自粛でいくつかの娯楽が制限されても他にまだ選択肢がある、という人ならいいでしょう。ですが、なかには「これしか楽しみがない」という人だっているはずです。そんな人から楽しみを奪い、砂を噛むような生活を送らせることが、果たして正しいと言えるのか。
新型コロナによるパンデミックは人類にとって初めての経験であり、その対処は手探りで行うしかなく、誰にも正解がわかりません。だから、「感染拡大防止のために娯楽をあきらめろ」と要求するのは正しいことなのか、正確なことはわからないはずです。
もちろん「昼カラ全面禁止」が正解なのかもしれない。ですが、「他人の娯楽を奪うことの冷酷さ」に自覚的な人はどれほどいるのでしょうか。禁止や自粛を要求するにしても、「自分は冷酷な求めを行っている」という自覚を持ったうえですべきではないでしょうか。そのような自覚こそが、パンデミック下で起きやすい狂騒を抑制する緩衝材となるはずですから。
一時期すごく流行ってたらしいです。中にアイスが入ってるのにパン生地がサクサクで、ちゃんとメロンパンの味がします。甘さ控えめ。
しかしこのパッケージの「しあわせカスタードアイスにメロメロ」ってどう思います?メロンとかけてるんでしょうけど、今時言わないですよね、メロメロ。
ところで『ブラッド・ピットの君にメロメロ』って映画あるの知ってます?死ぬほどくそダサいタイトルですよね。しかもこれね、ブラピが主役じゃないんですよ。主演はハーレイ・ジェーン・コザックって人でね。ブラピは脇役なのです。1994年の、ブラピが売れっ子になる前の映画で、よーするに、ブラピが出演してるって以外になんの売りもない作品だからこういうタイトルにしたんですね。当然日本じゃ劇場未公開です。
もちろん原題の直訳じゃなくて、配給会社あたりが決めた邦題です。原題は『The Favor』で、ブラピも関係なければメロメロの要素もないのです。
でね、これちょっと調べてみたんですけど、『君にメロメロ』ってのはテレ東系で放送されたときのタイトルで、DVDその他では『ブラッド・ピットのヒミツのお願い』になってるらしいんですね。まあどっちでもいいですけど。
え?観たことはあるのかって?ありませんよ。絶対つまんないでしょ。タイトルだけでつまんないってわかりますよ。
僕は観たことないし、一生観ません。誰かヒマだったら観てください。観たら感想教えてください。間違いなくつまんないでしょうけどね。
ブラピの映画でよかったのは『セブン』と『ファイト・クラブ』ですね。ここ10年ぐらいは映画ほとんど観てないんで、最近の作品は知らないです。なんかいいのあります?
しかしこういう、変な邦題、笑える邦題ってたまにありますよね。洋画のタイトルって必ずしも原題を直訳するんじゃなくて、日本人に対するわかりやすさとか、訴求力みたいなんを考えて決められるじゃないですか。
そんで実にピタリとハマった、絶妙な題名もありますけど、一方で「何を考えてこれにしたんだ」って言いたくなる題名もあったりする。
そんな邦題を集めて特集してみたら面白いと思うんですけどね。題して「言いたい放題ダメ邦題」。面白そうだと思いません?誰か記事にしてくれませんかね。それなら僕は読みたいですよ。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、ではなく雑感。
22日、複数の飲食店を経営するグローバルダイニングが、東京都を提訴しました。都の時短命令を不服としてなされたもので、飲食店が主要な感染経路だという明確な根拠がなく、そもそも特措法が違憲であるというのがグローバルダイニング側の主張。時短要請に応じない飲食店2000軒以上のうち、実際に時短命令が出されたのが27店舗で、そのうちの26店舗がグローバルダイニングの経営店であったことから、時短要請に応じない理由をホームページなどで発信していた同社が狙い撃ちにされた、と推測されています。
僕はグローバルダイニングを支持します。ですがそれは、グローバルダイニングの主張を正しいと思うからではありません。主張内容の正しさを問うつもりはないのです。主張内容それ自体は等閑に付して、都を訴えた姿勢そのものを評価したいのです。
日本人は、お上が決めたことを、いかもたやすく受け入れます。唯々諾々と、何の疑問も持たず、何の抵抗もなく、それこそ意思を持たぬ従僕のように従うのが基本姿勢です。
それがいい方向に働くこともあります。従順であることは、必ずしも悪いことではない。
ですが今回、その従順さによって、廃業に追いやられた飲食店はかなりの数に上ります。なかには、その店にしか出せない味というのもあったかもしれない。そんな食文化が、大きく損なわれてしまったのです。もう取り返しがつきません。
ですから、グローバルダイニングの訴訟は、「国民はおとなしく言うことを聞くばかりではないんだぞ」というメッセージをお上に伝えるという意味で、非常に有意義だと思うのですね。「お上だから、緊急事態だからというだけでなんでも通ると思うなよ。命令を出すにしても納得のいくものでないと手を噛むぞ」。訴訟によって、そんな意思表示を行うことができます。飲食店を、ひいては食文化を守るために、有力な効果を発揮できるかもしれない。
これは単純な「お上批判」とは違います。お上が憎くてこんな話をしているのではありません。民の側について公を批判するという、左派がよくやるような、単細胞な反権力反体制でもありません。
お上も、もっと緊張感を持つべきだ、ということなのです。国民は黙って言うことに従うばかりではなく、筋が通らないときには手を返すこともありうるということを認識する。そしてそのうえで施策を行う。
そうすれば、単純な上意下達ではない、国民が納得のいく指示を、慎重に練るようになるのではないか、ということが期待できるのです。
ですから僕は、お上に緊張感を与えることができるという点において、グローバルダイニングを支持するのです。今後の推移を見守りたいと思います。
クラスターの発生が連日メディアで報じられてますが、発生場所のひとつとしてよく挙げられるのが「昼カラオケ」。カラオケ喫茶やスナックなどのお店で、おもに中高年の集まりによって引き起こされているとのこと。で、これらの報道によって、昼カラがコロナを拡大させている大元であるかのような印象を植え付けられつつあります。
しかし昼カラを行っているお店なんて、日本中に何百何千とあるはずです。その何千のうちの数軒でクラスターが起きたからといって、さも昼カラすべてがクラスターの元凶であるかのような報じ方をするのはいかがなものでしょうか。
たしかに、カラオケは「たかが娯楽」です。なくても死ぬわけじゃない。ですが、人はパンのみにて生きるにあらず。
カラオケしか楽しみがない、もしくはカラオケを口実に友達とおしゃべりするのが唯一の楽しみだ、という人だっているはずです。なんの楽しみもない無味乾燥な日々を送れ、と命じるのは、なかなか酷なことです。僕にはとても言えない。
なんか、前にパチンコが槍玉にあげられてる時にも思ったんですけど、みんな他人の娯楽には冷淡ですよね。「パチンコ屋なんかぜんぶ休業にしちまえよ」「カラオケなんかしなくても死にゃあしないだろ」なんて平気で言う。自分は一切の娯楽がなくても平気なんでしょうか。なんの楽しみもなくても、毎日を快活に生きていくことができるのでしょうか。
趣味がいろいろあって、「これがダメならあれを」というふうに、自粛でいくつかの娯楽が制限されても他にまだ選択肢がある、という人ならいいでしょう。ですが、なかには「これしか楽しみがない」という人だっているはずです。そんな人から楽しみを奪い、砂を噛むような生活を送らせることが、果たして正しいと言えるのか。
新型コロナによるパンデミックは人類にとって初めての経験であり、その対処は手探りで行うしかなく、誰にも正解がわかりません。だから、「感染拡大防止のために娯楽をあきらめろ」と要求するのは正しいことなのか、正確なことはわからないはずです。
もちろん「昼カラ全面禁止」が正解なのかもしれない。ですが、「他人の娯楽を奪うことの冷酷さ」に自覚的な人はどれほどいるのでしょうか。禁止や自粛を要求するにしても、「自分は冷酷な求めを行っている」という自覚を持ったうえですべきではないでしょうか。そのような自覚こそが、パンデミック下で起きやすい狂騒を抑制する緩衝材となるはずですから。
今回は子供から大人まで愛されるビスケットです。
バターの香りと、表面にまぶされた塩のほのかなしょっぱさがたまらない一品。動物の英語名は死ぬまで憶えないけど、一生食べられます。
本日は第26回私が好きなマンガの話。今回取り上げるのは水木しげるの『カランコロン漂泊記 ゲゲゲの先生大いに語る』(全1巻・小学館)です。最初は文庫で出版されたんですけど、今は新装版が出ています。
みんなご存じ妖怪博士、というよりご本人が妖怪そのものの水木しげる大先生。そんなしげーさん(by.のんのんばあ)の半生を描いたエッセイコミックです。マンガだけでなく、活字のエッセイも収録されています。
自身の戦争体験の話・これまでに関わってきた人々の面影・食べることが大好きな水木サンならではの食の話など。生前水木サンは何かのスピーチで「漫画家は徹夜を自慢する人がいるけどとんでもない。睡眠はとても大切なのです」といった意味の発言をなさったそうですが、眠ることの気持ちよさを描いた話もあります。漫画家ってよく「何日間徹夜した」って言うんですよね。無茶するのがカッコイイとか、過酷であればあるほどすごいみたいな思い込みがあって、徹夜したっていうのは自慢話になるんですね。水木サンはそんな風潮を批判しておられたのです。
でね、それらノンフィクションだけでも充分面白いんですけど、この本にはフィクションも含まれていまして、「死神教」って話なんですけど、これがもう白眉。ストーリーの説明はしません。とにかく読んでください。反社会的な内容で、「こんなの描いていいのか?」って思う人もいるでしょうけど、水木サンなら許されるのだと僕は思います。本作はこの「死神教」一編だけでも読む価値があります。
本書に収録されてる作品じゃありませんけど、「錬金術」っていう短編も、同じような趣のある傑作。収録されてる中で手に入れやすいのはどれかな・・・。全集には入ってるはずですが。
戦争体験の話はほかのマンガでも繰り返し描かれてて、水木作品の熱心な読者にはあまり真新しさを感じられないかもしれませんが、それでも水木漫画のエッセンスが濃縮されてるというか、上澄みのいいところだけ集めてまとめ上げた一作になっています。
僕は子供のころから『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメ観てて、妖怪図鑑みたいなの読んだり、おもちゃも買ってもらったり、水木しげるの妖怪ワールドに馴染んでたわけですが、『鬼太郎』って何気に「アニメ化された回数ナンバーワンのマンガ」じゃないですかね?
僕がリアルタイムで観ていたのは80年代後半ですけど、それ以前に作られたのもありますし、最近も絵柄を現代風にアレンジして、猫娘を萌えキャラにしたやつが放送されてたでしょ。それだけ普遍性が高い作品ということなのかもしれません。
今は水木しげるロードみたいな場所もあるし、水木ワールドは僕らの生活のいたるところに、それこそ妖怪のように潜んでいると言えるでしょう。
妖怪は死なない・・・。だからしげーさんも亡くなったけど生きてるんです。そうですよね!
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
15日に博多どんたくのパレード中止が決定しました。どんたくは福岡の3大祭りのひとつで、去年は開催が中止になっています(3大祭りのあと2つ、山笠と放生会も去年は中止)。今年はパレードのみ中止。どんたくはパレードがメインのお祭りなのですが、町中のいたるところにステージが設営されて、ダンスやらコンサートやらも披露されるのです。
なので、いちおう祭りそのものは開催される、という方向で話が進んでいるのですが、どんたくってパレードが9割なんですよね。パレードがないとなると、見に行きたいって思う人ほとんどいないんじゃないかな、って気がします。また、状況の推移次第では祭りそのものの中止もあり得るとのこと。
去年の今頃にコロナが拡がり始め、様々なイベントが中止に追いやられていきましたが、2年連続中止になるのか、それとも今年は開催されるのかが、これから決まりだすでしょうね。センバツ高校野球は本日無事にプレイボール。
18日、1都3県の緊急事態宣言を再々延長(再々々だっけ?)はせず、予定通り21日までで解除と決定されました。東京に限って見てみると、2~3週間くらい前から1日あたりの感染者数が100~300人台で推移しており(17日に400を超えましたが)、「下げ止まっている」と言われています。「下げ止まり」という言葉は、基本的に「もっと下げることはできないのか」という訴えがなされる文脈で用いられており、「もっと規制を設けるべき」とか、「まだまだ緊急事態宣言を解除すべきでない」などといった意見表明とセットになっているのが常。
ですが、東京都の人口は約1395万人(日中は他県からの流入でもっと増える)。朝夕は殺人的に電車が満員になり、地方の人間の目にはお祭りやってるのかというくらい街路に人があふれるほどの過剰な人口密度を誇る東京で、1日の感染者が100~300人程度ですんでいるというのは、だいぶ上出来と言えるのではないでしょうか。
また、観光地や商業地に人がくり出しているさまを、「気の緩み」や「自粛慣れ」などと批判的に言上げする言説もありますが、お出かけしている人たちには、飲食店や観光業に携わる方々を支援したいという「惻隠の情」もあるはずです。ではなぜ一般の人たちがお金を落とす形の支援が必要なのかと言えば、自治体による補償が不充分だからで、結局は補償金・協力金などの手当てが足りないせいだ・・・という結論にたどり着きます。
同じ発言を何度も繰り返してますけど、事実だからしょうがありません。
最近コロナにかんして「サーキットブレーカー」という言葉が使われだしてます。分科会の尾身茂会長が発動の必要性を訴えているもので、もともとの用語の意味は「電気の使用量が増えたときにブレーカーが落ちて出火を抑える仕組み」のことだそうです。よーするに、感染者が増加したら、その都度適切な対策を、会議なんかの手続きをすっ飛ばして、ブレーカーがガチャンと落ちるように素早く実行しましょう、ということなのだそうです。
この言葉を聞いたとき、「そういやオーバーシュートって言葉もあったなぁ。コロナに関連して、クラスターとオーバーシュートって横文字が出てきたけど、定着したのはクラスターだけだったなぁ。サーキットブレーカーは残るのかなぁ」なんて考えちゃいました。
バターの香りと、表面にまぶされた塩のほのかなしょっぱさがたまらない一品。動物の英語名は死ぬまで憶えないけど、一生食べられます。
本日は第26回私が好きなマンガの話。今回取り上げるのは水木しげるの『カランコロン漂泊記 ゲゲゲの先生大いに語る』(全1巻・小学館)です。最初は文庫で出版されたんですけど、今は新装版が出ています。
みんなご存じ妖怪博士、というよりご本人が妖怪そのものの水木しげる大先生。そんなしげーさん(by.のんのんばあ)の半生を描いたエッセイコミックです。マンガだけでなく、活字のエッセイも収録されています。
自身の戦争体験の話・これまでに関わってきた人々の面影・食べることが大好きな水木サンならではの食の話など。生前水木サンは何かのスピーチで「漫画家は徹夜を自慢する人がいるけどとんでもない。睡眠はとても大切なのです」といった意味の発言をなさったそうですが、眠ることの気持ちよさを描いた話もあります。漫画家ってよく「何日間徹夜した」って言うんですよね。無茶するのがカッコイイとか、過酷であればあるほどすごいみたいな思い込みがあって、徹夜したっていうのは自慢話になるんですね。水木サンはそんな風潮を批判しておられたのです。
でね、それらノンフィクションだけでも充分面白いんですけど、この本にはフィクションも含まれていまして、「死神教」って話なんですけど、これがもう白眉。ストーリーの説明はしません。とにかく読んでください。反社会的な内容で、「こんなの描いていいのか?」って思う人もいるでしょうけど、水木サンなら許されるのだと僕は思います。本作はこの「死神教」一編だけでも読む価値があります。
本書に収録されてる作品じゃありませんけど、「錬金術」っていう短編も、同じような趣のある傑作。収録されてる中で手に入れやすいのはどれかな・・・。全集には入ってるはずですが。
戦争体験の話はほかのマンガでも繰り返し描かれてて、水木作品の熱心な読者にはあまり真新しさを感じられないかもしれませんが、それでも水木漫画のエッセンスが濃縮されてるというか、上澄みのいいところだけ集めてまとめ上げた一作になっています。
僕は子供のころから『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメ観てて、妖怪図鑑みたいなの読んだり、おもちゃも買ってもらったり、水木しげるの妖怪ワールドに馴染んでたわけですが、『鬼太郎』って何気に「アニメ化された回数ナンバーワンのマンガ」じゃないですかね?
僕がリアルタイムで観ていたのは80年代後半ですけど、それ以前に作られたのもありますし、最近も絵柄を現代風にアレンジして、猫娘を萌えキャラにしたやつが放送されてたでしょ。それだけ普遍性が高い作品ということなのかもしれません。
今は水木しげるロードみたいな場所もあるし、水木ワールドは僕らの生活のいたるところに、それこそ妖怪のように潜んでいると言えるでしょう。
妖怪は死なない・・・。だからしげーさんも亡くなったけど生きてるんです。そうですよね!
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
15日に博多どんたくのパレード中止が決定しました。どんたくは福岡の3大祭りのひとつで、去年は開催が中止になっています(3大祭りのあと2つ、山笠と放生会も去年は中止)。今年はパレードのみ中止。どんたくはパレードがメインのお祭りなのですが、町中のいたるところにステージが設営されて、ダンスやらコンサートやらも披露されるのです。
なので、いちおう祭りそのものは開催される、という方向で話が進んでいるのですが、どんたくってパレードが9割なんですよね。パレードがないとなると、見に行きたいって思う人ほとんどいないんじゃないかな、って気がします。また、状況の推移次第では祭りそのものの中止もあり得るとのこと。
去年の今頃にコロナが拡がり始め、様々なイベントが中止に追いやられていきましたが、2年連続中止になるのか、それとも今年は開催されるのかが、これから決まりだすでしょうね。センバツ高校野球は本日無事にプレイボール。
18日、1都3県の緊急事態宣言を再々延長(再々々だっけ?)はせず、予定通り21日までで解除と決定されました。東京に限って見てみると、2~3週間くらい前から1日あたりの感染者数が100~300人台で推移しており(17日に400を超えましたが)、「下げ止まっている」と言われています。「下げ止まり」という言葉は、基本的に「もっと下げることはできないのか」という訴えがなされる文脈で用いられており、「もっと規制を設けるべき」とか、「まだまだ緊急事態宣言を解除すべきでない」などといった意見表明とセットになっているのが常。
ですが、東京都の人口は約1395万人(日中は他県からの流入でもっと増える)。朝夕は殺人的に電車が満員になり、地方の人間の目にはお祭りやってるのかというくらい街路に人があふれるほどの過剰な人口密度を誇る東京で、1日の感染者が100~300人程度ですんでいるというのは、だいぶ上出来と言えるのではないでしょうか。
また、観光地や商業地に人がくり出しているさまを、「気の緩み」や「自粛慣れ」などと批判的に言上げする言説もありますが、お出かけしている人たちには、飲食店や観光業に携わる方々を支援したいという「惻隠の情」もあるはずです。ではなぜ一般の人たちがお金を落とす形の支援が必要なのかと言えば、自治体による補償が不充分だからで、結局は補償金・協力金などの手当てが足りないせいだ・・・という結論にたどり着きます。
同じ発言を何度も繰り返してますけど、事実だからしょうがありません。
最近コロナにかんして「サーキットブレーカー」という言葉が使われだしてます。分科会の尾身茂会長が発動の必要性を訴えているもので、もともとの用語の意味は「電気の使用量が増えたときにブレーカーが落ちて出火を抑える仕組み」のことだそうです。よーするに、感染者が増加したら、その都度適切な対策を、会議なんかの手続きをすっ飛ばして、ブレーカーがガチャンと落ちるように素早く実行しましょう、ということなのだそうです。
この言葉を聞いたとき、「そういやオーバーシュートって言葉もあったなぁ。コロナに関連して、クラスターとオーバーシュートって横文字が出てきたけど、定着したのはクラスターだけだったなぁ。サーキットブレーカーは残るのかなぁ」なんて考えちゃいました。