今日はわかさや本舗のじゃがバターすいーとぽてとです。
このわかさや本舗って北海道のメーカーなんですね。で、この商品がなぜか福岡の普通のスーパーで一時期売っていたのです。今はもうありません。すごくおいしかったんで買いだめしてたんですけど、もう買えない・・・。
ああ、どこに行けば手に入るのでしょうか・・・。皆さんも探してみてください。
「悲しいときー!子供からホームランボールを奪い取ってる大人を見たときー!」(復唱)
僕は福岡ドームでバイトをしていたと何度かお話ししましたが、このいつもここからのネタとまったく同じ状況に出くわしたことがあります。正確にはホームランじゃなくてファウルボールなんですけどね。
3塁側スタンドの配置にいたとき、飛んできたファウルボールを、いかにも野球が好きそうな小学3,4年くらいの男の子が取ろうとして、70くらいのおばあさんと取り合いになったんですよ。したらおばあさんが力ずくでボールをぶんどりましてね。男の子は苦笑いしながら「くそー」ってつぶやいてました。
これね、おばあさんが大人げねーって思われるかもしれませんけど、でも僕は「これでいいんだ!」と言いたい。
子供には夢と希望を与えなくてはならない、だからプロのボールをプレゼントして、「野球選手になりたい」という夢を後押しすべきだ・・・みたいに普通は考えるでしょう。でも、僕はそれは違うと思うんです。
子供には希望よりも絶望・・・絶望という言葉が強すぎるなら「あきらめ」と言い換えてもいいですけど、とにかくがっかりする経験こそが大事だと思うんです。子供というのは、自己中心的なものです。人間はまず、世界が自分を中心に動いているものだと考える主体として生まれてきます。その主体が思い通りにいかないこともあるのだという経験をすることで、自己中心的思考を脱し、我を押さえることのできる大人に成長する。
だから、ボールを無理矢理奪い取られるという経験は、ボールが手に入る経験よりも子供を成長させると思うんですよね。ボールが手に入れば、その場限りの満足で終わってしまうおそれがあります。ボールを奪い取られれば、悔しい気持ちが植え付けられ、「自分の力でボールを手にしてやる!」という思いが、彼をプロにするかもしれない。
それに、そういった子供に与える影響抜きにしても、子供よりおばあちゃんがボールを手にすべきだと思うんです。だって、おばあちゃんのほうが残りの人生短いし、楽しみだってそんなに多くないはずですから。それに比べたら、小学生は人生まだこれからだし、楽しいことだって年寄りよりずっといっぱい待っています。
だから、ボールは男の子よりもおばあちゃんに与えるべきなんですよ。僕は、「おばあちゃん、子供に良い教育したな」って思いました。本人はただボールが欲しかっただけでしょうけどね。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース・・・というかほぼ雑感。
「自粛警察」に続いて「マスク警察」が増殖しているとのこと。読んで字のごとく、マスクを着用していない人々を取り締まる自主的ポリスメンのことです。
ただ、マスクしていない人全員を相手にしているわけではないようです。僕が見聞きした範囲では、取り締まりの対象になっているのは、もっぱら女性と子供。つまり、自分より弱い相手しかターゲットにしてないんですね。
これって、一般的ないじめの構造と同じですよ。いじめって、いじめてる本人はいじめをしているという自覚がなくて、むしろ主観では「秩序を乱す輩を成敗してるんだ」って思い込んでるものですけど、そういった認識のズレも一緒。
人間社会がある以上、こういうのってなくならないんですかね・・・。
このわかさや本舗って北海道のメーカーなんですね。で、この商品がなぜか福岡の普通のスーパーで一時期売っていたのです。今はもうありません。すごくおいしかったんで買いだめしてたんですけど、もう買えない・・・。
ああ、どこに行けば手に入るのでしょうか・・・。皆さんも探してみてください。
「悲しいときー!子供からホームランボールを奪い取ってる大人を見たときー!」(復唱)
僕は福岡ドームでバイトをしていたと何度かお話ししましたが、このいつもここからのネタとまったく同じ状況に出くわしたことがあります。正確にはホームランじゃなくてファウルボールなんですけどね。
3塁側スタンドの配置にいたとき、飛んできたファウルボールを、いかにも野球が好きそうな小学3,4年くらいの男の子が取ろうとして、70くらいのおばあさんと取り合いになったんですよ。したらおばあさんが力ずくでボールをぶんどりましてね。男の子は苦笑いしながら「くそー」ってつぶやいてました。
これね、おばあさんが大人げねーって思われるかもしれませんけど、でも僕は「これでいいんだ!」と言いたい。
子供には夢と希望を与えなくてはならない、だからプロのボールをプレゼントして、「野球選手になりたい」という夢を後押しすべきだ・・・みたいに普通は考えるでしょう。でも、僕はそれは違うと思うんです。
子供には希望よりも絶望・・・絶望という言葉が強すぎるなら「あきらめ」と言い換えてもいいですけど、とにかくがっかりする経験こそが大事だと思うんです。子供というのは、自己中心的なものです。人間はまず、世界が自分を中心に動いているものだと考える主体として生まれてきます。その主体が思い通りにいかないこともあるのだという経験をすることで、自己中心的思考を脱し、我を押さえることのできる大人に成長する。
だから、ボールを無理矢理奪い取られるという経験は、ボールが手に入る経験よりも子供を成長させると思うんですよね。ボールが手に入れば、その場限りの満足で終わってしまうおそれがあります。ボールを奪い取られれば、悔しい気持ちが植え付けられ、「自分の力でボールを手にしてやる!」という思いが、彼をプロにするかもしれない。
それに、そういった子供に与える影響抜きにしても、子供よりおばあちゃんがボールを手にすべきだと思うんです。だって、おばあちゃんのほうが残りの人生短いし、楽しみだってそんなに多くないはずですから。それに比べたら、小学生は人生まだこれからだし、楽しいことだって年寄りよりずっといっぱい待っています。
だから、ボールは男の子よりもおばあちゃんに与えるべきなんですよ。僕は、「おばあちゃん、子供に良い教育したな」って思いました。本人はただボールが欲しかっただけでしょうけどね。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース・・・というかほぼ雑感。
「自粛警察」に続いて「マスク警察」が増殖しているとのこと。読んで字のごとく、マスクを着用していない人々を取り締まる自主的ポリスメンのことです。
ただ、マスクしていない人全員を相手にしているわけではないようです。僕が見聞きした範囲では、取り締まりの対象になっているのは、もっぱら女性と子供。つまり、自分より弱い相手しかターゲットにしてないんですね。
これって、一般的ないじめの構造と同じですよ。いじめって、いじめてる本人はいじめをしているという自覚がなくて、むしろ主観では「秩序を乱す輩を成敗してるんだ」って思い込んでるものですけど、そういった認識のズレも一緒。
人間社会がある以上、こういうのってなくならないんですかね・・・。
今日は明治の洋酒入りチョコレート、ブランデー・オ・レとラム・オ・レです。
本日は第10回私が好きなマンガの話。今回取り上げるのは吾妻ひでおの『失踪日記』(全1巻・イースト・プレス)です。
ベストセラーになったんで、皆さんご存じだとは思いますけど、漫画家として活動していながら、「頭から変なものが湧き出てきた」ために、連載をほっぽらかして失踪し、ホームレスになっていた(しかも2度)作者の体験記です。吾妻さんもどっちかというとマイナー漫画家でして、前回のとり・みきさんが尊敬してやまないお方です。
本作には吾妻さんの「マンガ家としての半生」を含めた「アル中日記」も収録されてまして、続編の『失踪日記2 アル中病棟』も発刊されていますが、アルコール中毒と心の病にも長年悩まされてこられたうえに、食道癌も発症され、去年の10月にお亡くなりになりました。自分の生き様もネタにしてこられたそのマンガ家魂に敬礼。
冒頭でも説明されてますが、この『失踪日記』は、できるだけ重くならないよう、明るいタッチで描かれています。そのため、無責任な態度でホームレスの成長譚(ビルドゥングスロマン・・と言ったら言い過ぎか)を追体験して楽しむことができる内容になっています。
僕のお気に入りのシーンは、夜中にゴミ漁ってるときに、後ろで足音がして手が止まって、でも見つけた缶入りのクッキーをそのまま一気食いしちゃうところ。なんかリアルだな、と思いました。作品全体に「人間ダメでもいいじゃん」ってメッセージが込められてる感じで、読んでると気持ちが楽になります。
僕はたまたま『シッコモーロー博士』という、大昔の吾妻さんのマンガ読んだことあるんですけど、「自主規制」だの「コンプライアンス」だのといった言葉がまだなかったころの、道徳も倫理もクソくらえと言わんばかりのメチャクチャな内容で、こんな時代に生まれていればなあ、なんて妬ましく思ったものです。
『21世紀のための吾妻ひでお』を始めとしたベストセレクションシリーズとか、ベストワークスなんかも出てますけど、今となっては復刻できない作品もいっぱいあるんでしょうね。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース・・・というより記録。
松屋の光景。テーブル上の仕切り板が、設置からしばらく経っていて重力に負けだしてる。いつまでこれが続くのだろう。
本日は第10回私が好きなマンガの話。今回取り上げるのは吾妻ひでおの『失踪日記』(全1巻・イースト・プレス)です。
ベストセラーになったんで、皆さんご存じだとは思いますけど、漫画家として活動していながら、「頭から変なものが湧き出てきた」ために、連載をほっぽらかして失踪し、ホームレスになっていた(しかも2度)作者の体験記です。吾妻さんもどっちかというとマイナー漫画家でして、前回のとり・みきさんが尊敬してやまないお方です。
本作には吾妻さんの「マンガ家としての半生」を含めた「アル中日記」も収録されてまして、続編の『失踪日記2 アル中病棟』も発刊されていますが、アルコール中毒と心の病にも長年悩まされてこられたうえに、食道癌も発症され、去年の10月にお亡くなりになりました。自分の生き様もネタにしてこられたそのマンガ家魂に敬礼。
冒頭でも説明されてますが、この『失踪日記』は、できるだけ重くならないよう、明るいタッチで描かれています。そのため、無責任な態度でホームレスの成長譚(ビルドゥングスロマン・・と言ったら言い過ぎか)を追体験して楽しむことができる内容になっています。
僕のお気に入りのシーンは、夜中にゴミ漁ってるときに、後ろで足音がして手が止まって、でも見つけた缶入りのクッキーをそのまま一気食いしちゃうところ。なんかリアルだな、と思いました。作品全体に「人間ダメでもいいじゃん」ってメッセージが込められてる感じで、読んでると気持ちが楽になります。
僕はたまたま『シッコモーロー博士』という、大昔の吾妻さんのマンガ読んだことあるんですけど、「自主規制」だの「コンプライアンス」だのといった言葉がまだなかったころの、道徳も倫理もクソくらえと言わんばかりのメチャクチャな内容で、こんな時代に生まれていればなあ、なんて妬ましく思ったものです。
『21世紀のための吾妻ひでお』を始めとしたベストセレクションシリーズとか、ベストワークスなんかも出てますけど、今となっては復刻できない作品もいっぱいあるんでしょうね。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース・・・というより記録。
松屋の光景。テーブル上の仕切り板が、設置からしばらく経っていて重力に負けだしてる。いつまでこれが続くのだろう。
今回はロッテのチョコパイティラミス味です。
本日は第9回私が好きなマンガの話。今日取り上げるのはとり・みきの『愛のさかあがり』(上下巻・ちくま文庫)です。
とりさんは『WXIII 機動警察パトレイバー』の脚本を担当したことや、原田知世の熱心なファンとしても知られてますが、基本的にはサブカル好きのするマイナー漫画家です。
本作は、まだエッセイコミックという言葉がなかったころに、作者自身が主人公となって、身の回りのあれこれや、雑多な出来事を書き綴ったコラム風マンガで、これを読むと――形式だけでなく、題材においても――、いかにとり・みきに先見の明があったかがよくわかります。その内容は、路上観察学会のもととなった「オジギビト」の収集、旅行などの私的体験談、聞いてるだけで痛みを感じてしまうイタイ話、貧しくて良い話など。
マイナー漫画家ゆえ、単行本の多くは絶版か品切れ再版未定なのですが、本作はちくま文庫に入ってるので入手できるかと・・・。たぶん。
とりさんはまだマンガを描いていらっしゃるのか、収入は大丈夫なのかと、余計な心配をせずにはいられません。
個人的には『DAI-HONYA』や『御題頂戴』なんかもオススメです。興味がありましたら古本で探してみてください。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
なんか、「コロナがなかったら今頃どうなってたんだろ」って考えちゃうんですよね。ニュースは毎日(ほぼ)コロナ一色。もしコロナがなかったら、何が報じられていたのか。時期的には「いよいよ東京五輪」みたいな浮ついた空気になってきてたでしょうし、モリカケ問題や桜を見る会の追及にもっと力が入ってたんじゃないかとか(ある意味運がいいよね、安倍ちゃん)、いろいろ想像しちゃいます。
ワイドショーのほうじゃしばらくはボビー・オロゴンの話題で持ちきりになってたはずですしね。テレ東は思い切って「YOUは何して留置場に?」って新番組始めたほうがいいですね。
それからアンジャッシュの渡部もね。なぜか有吉が歌ってた「佐々木希のあるある」を思い出す・・・。「白い~水着~着がち~♪」
僕は不倫は当事者間の問題だと考えていますので、その点で渡部を批判するつもりはさらさらないのですが、多目的トイレで密会していたというのが事実なら、そこは許しがたいですね。障害者に対する侮辱ですよ。そっちのほうこそもっと強調されていいと思うんですけどね。
しかしもう、いい加減コロナに対して言えることもなくなってきましたね。身辺ニュースのコーナー、そろそろなくなるかもしれません。
本日は第9回私が好きなマンガの話。今日取り上げるのはとり・みきの『愛のさかあがり』(上下巻・ちくま文庫)です。
とりさんは『WXIII 機動警察パトレイバー』の脚本を担当したことや、原田知世の熱心なファンとしても知られてますが、基本的にはサブカル好きのするマイナー漫画家です。
本作は、まだエッセイコミックという言葉がなかったころに、作者自身が主人公となって、身の回りのあれこれや、雑多な出来事を書き綴ったコラム風マンガで、これを読むと――形式だけでなく、題材においても――、いかにとり・みきに先見の明があったかがよくわかります。その内容は、路上観察学会のもととなった「オジギビト」の収集、旅行などの私的体験談、聞いてるだけで痛みを感じてしまうイタイ話、貧しくて良い話など。
マイナー漫画家ゆえ、単行本の多くは絶版か品切れ再版未定なのですが、本作はちくま文庫に入ってるので入手できるかと・・・。たぶん。
とりさんはまだマンガを描いていらっしゃるのか、収入は大丈夫なのかと、余計な心配をせずにはいられません。
個人的には『DAI-HONYA』や『御題頂戴』なんかもオススメです。興味がありましたら古本で探してみてください。
ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
なんか、「コロナがなかったら今頃どうなってたんだろ」って考えちゃうんですよね。ニュースは毎日(ほぼ)コロナ一色。もしコロナがなかったら、何が報じられていたのか。時期的には「いよいよ東京五輪」みたいな浮ついた空気になってきてたでしょうし、モリカケ問題や桜を見る会の追及にもっと力が入ってたんじゃないかとか(ある意味運がいいよね、安倍ちゃん)、いろいろ想像しちゃいます。
ワイドショーのほうじゃしばらくはボビー・オロゴンの話題で持ちきりになってたはずですしね。テレ東は思い切って「YOUは何して留置場に?」って新番組始めたほうがいいですね。
それからアンジャッシュの渡部もね。なぜか有吉が歌ってた「佐々木希のあるある」を思い出す・・・。「白い~水着~着がち~♪」
僕は不倫は当事者間の問題だと考えていますので、その点で渡部を批判するつもりはさらさらないのですが、多目的トイレで密会していたというのが事実なら、そこは許しがたいですね。障害者に対する侮辱ですよ。そっちのほうこそもっと強調されていいと思うんですけどね。
しかしもう、いい加減コロナに対して言えることもなくなってきましたね。身辺ニュースのコーナー、そろそろなくなるかもしれません。