徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

日清食品 どん兵衛 きつねうどん

2021-05-28 23:08:49 | 
今日は「どんって何?」という疑問がつきまとうきつねうどんです。




僕思うんですけど、どん兵衛の美味しさって独特の「甘さ」にあるんじゃないでしょうか。麺とお揚げの甘さって、他にないかんじがするんですよね。あ、もちろんスープも美味しいですよ。スッと引きしまってて、コクがあってね。
僕はフリーターとして、長らくバイト生活を送ってきました。そのため、タウンワークなどの求人誌をよく読んでいました。(今はタウンワークぐらいしかないけど、前は無料の求人誌が4誌くらい出てましたね。もう誌名も覚えていない・・・。わかる人います?)
誌面には数多くの求人が掲載されているので、丁寧に目を通していたら時間がかかりすぎてしまいます。条件に適っているかどうか、ポイントだけをおさえてチェックしていました。
なかなか適当な職に出会えず、ひたすら求人誌を読み続けていると、気になるというか、引っかかる記述がちらほら目につきます。僕は特に、「明るい人募集」という書き込みに引っかかっていました。
接客業・サービス業に明るい人を求めるのはわかります。お客さんの相手をするのは、ほがらかでハキハキしゃべる人のほうが望ましいでしょうから。ですが、接客を行わない職種、人当たりの良し悪しなど関係のない職種まで「明るい人募集」と書き添えていたりするのです。
これが大いに疑問・・・というより、不満でした。
なんで明るくなくちゃダメなんだよ!ネクラ差別じゃねーか!
そう思っていました。
人間がネアカとネクラに2分されるなら、僕はネクラのほうに属します。わが身可愛さに、いくら自分を甘めに評価しようとも、けして明るいとは言えない。そんな僕からしたら、「明るい人募集」という注釈は、自分を排除する有刺鉄線のように思えてならなかったのです。
「明るい人」にはこの気持ちわからないでしょうね。何をバカなこと言ってるんだと思われたかもしれません。でもね、人は気づかないうちに差別に加担しているものなのですよ。
まず、世の中には「明るい人」と「暗い人」の2種類がいる。そして、これはそれぞれ本質ですので、どうしようもない。
明るい人は、暗い人に対して、「明るくなれよ」って言いますけど、暗い人から「暗くなれよ」と言われたら、と想像してみてください。それがどれほど暴力的なことか。
また、明るい人は、明るいことはよいことで、暗いことはよくないことだと思い込んでいるでしょうけど、それは間違っています。明るいことにも暗いことにも、それぞれ長所と短所が備わっているのです。
ネクラはただ陰気なだけだと思われてるかもしれませんが、思慮深く、知的で、想像力に富み、これまでになかったものを生み出す創造性を備えています。
また、誤解されやすいのですが、ネクラは「根暗」と書くように、あくまで「根っこが暗い」のです。根っこ「だけ」ね。植物を思い浮かべてください。根っこがあれば茎もあり、枝や葉っぱや花もあります。植物がいろんな面を持っているように、人間にもいろんな面がある。そのうちの根っこの部分が暗いからといって、全体が暗いわけではない。
根っこが暗くても、茎や葉っぱは明るいかもしれない。それと同じように、ネクラも性格全体が暗いのではなく、明るい部分だってあるのです。そこは間違えないでほしい。
で、一方明るい人ですけど、こちらの長所は周囲を楽しませるとか、元気がいいとかですね。じゃあ短所は何かというと、自分を正しいと信じて疑わず、平気で人を攻撃し、しかもその攻撃で相手が傷ついているにもかかわらず、物事を深く考えることができないために、その人のためにやっているのだと思い込んでいるところですね、はい。
この、平気で人を攻撃して傷つける態度の表れが、「明るい人募集」という一文なのです。
明るい人は、暗い人を自分より下に見ています。なにせ、自分は絶対に正しいのですから。それだけではありません。明るい人は基本的に、自分と所属が違う人をみんな見下している。
歴史的に見て、人種差別を行い、戦争を起こし、虐殺を行ってきたのはみんな明るい人です。自分を正しいと信じて疑わないのですから。差別も、戦争も、虐殺も、自分と自分が所属する集団を絶対的な正義だと信じ込むことによって引き起こされるものです。
ですから僕は、明るい人にもいいところはあるんだけど、悪いところもあることを自覚してほしいと願っているのです。でも、明るい人は自分の正しさを疑わず、そもそも「考えるアタマ」を持ち合わせていないので、なかなか理解してもらえません。だからいまだに「明るいのはいいことで、暗いのはよくないことだ」と信じきっている。困ったものです。
いつの日か、求人誌から「明るい人募集」という文章が消えてなくなる日は来るのでしょうか。小さいようで、けっこう大きな問題なのです。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、および雑感。
新しいコロナ関連用語、スーパースプレッダー。意味は知りません。覚えておくと役に立つかもしれないし、記憶力の無駄遣いになるかもしれないよ!

本日28日、緊急事態宣言が6月20日まで延長されることが決定。飲食店の時短要請と図書館の臨時休館もそこまで伸びるのでしょうか。図書館の休館が続くのなら、また自腹で本を購入しなくちゃならなくなりますね。

東京五輪に関して、IOCのジョン・コーツ副会長が「緊急事態宣言下でも開催する」と発言してから、潮目が変わりましたね。これまで開催反対派は「対政府」というアングルだったのが、「対IOC」にシフト。しかも必ずしも開催に反対していなかった人たちも、「対IOC」の旗印のもと、反対派に結集している、ってかんじ。
なんか、オリンピックを中止すればIOCに賠償金を支払わねばならなくなる、って言われてますけど、IOCは賠償金の請求を放棄することもできるんですよね?IOCは、コロナ禍でやむを得ず中止するにもかかわらず賠償請求するような、非道な組織なのでしょうか。
内部事情を知らないので推測ですけど、IOCはそんなマネはしないはずです。もし本当に賠償請求してきたら、そのときは非難の声をあげればいい。きっと国際社会も同調してくれるはずです。IOCは信頼を失い、今後のオリンピック運営に支障をきたすようになるでしょう。そうなってまで賠償金を受け取ろうとは思わないはずです。
で、なんとなくこれからまたIOC関係者が問題発言やらかして、「大丈夫かよ」って空気が大きくなっていくんじゃないかって気がしてたんですけど、そしたらディック・パウンド委員が、「アルマゲドンでもない限り五輪をやる」って発言。
国内の世論は開催中止に大きく傾いてますし、延期派も含めたら7,8割がやるべきじゃないって考えてる状況ですよね。みんなで力を合わせてIOCに対抗し、オリンピック中止を目指す、という流れになっていきそうな予感。
あとはまあアメリカですよ。アメリカはオリンピックの放映権を独占してるそうで、日本はアメリカ様にゃ逆らえないから、「やれ」って言われれば従わざるを得ない。アメリカ様の圧力はどれほどのものなのか。そっちとも戦う必要あるでしょうけど、勝ち目は薄いですからね・・・。

菓道 キャベツ太郎・玉葱さん太郎・もろこし輪太郎

2021-05-21 23:39:47 | 
今日は菓道のスナック3太郎です。








キャベツ太郎は僕が子供のころからあって、パッケージのうしろに書いてある「通信簿に関係なくおいしいョ!!」というメッセージも昔のまま。玉葱さんともろこし輪はあったかな・・・。わりと最近できたのかも。
コロナ関連の報道の中で、蔓延防止等重点措置、略して「まんぼう」という言葉を聞いたとき、ひたすらダサい略称だなと思うと同時に、「まんぼうシール」なるものの存在を思い出しました。
今はどうなのかわかりませんけど、以前ブックオフに売り払うことを目的とした書店での万引きが問題視されていたことがあったんですね。で、福岡の書店組合がその対策として製作したのがまんぼうシールなる代物。
魚のまんぼうのイラストのシールで、書店で新刊本を購入する際に、店員さんがこのシールを本に貼りつけるという制度を導入したのです。このシールが付いていれば本屋できちんとお金を払って入手したという証拠になるので、古本屋さんはシールの有無を目安にすれば、万引きされた本を買い取ることはない、という目論見でした。「万引き防止」の略で「まんぼう」というダジャレですね。
このシールの粘着力は非常に高く、無理に剥がそうとすれば破れたり、汚い跡が残ってしまうようになっていました。目安となるシールなので、一度貼ったら剥がせないようにそうしていたのです。
このまんぼうシール、デザインが死ぬほどくそダサいのですね。「まんぼうシール 福岡」で画像検索すれば出てきますんで、よかったら一度見てください。とにかくダサいから。
僕は当時、自分がお金払って買った大事な本に、こんなダサいシール貼られたらたまったもんじゃねーな、と思ってました。
デザインがダサいだけではありません。感のいい人はお気づきでしょうが、このシールには、ほかにも問題が山ほどあったのです。
まず、書店で購入される本は、必ずしも古本屋に持ち込まれるわけではない、ということ。個人が自分の蔵書として、一生所有することだってありますし、むしろそちらのほうが多いかもしれません。万引き防止という動機のためとはいえ、個人の所有する本に、有無を言わさずシールを貼りつける行為は、許されるのか。
また、このシールが導入されたのは2006年7月だったのですが、それ以前に書店で購入した本には、当然ながらシールは貼られていません。「まんぼうシール導入以前に購入された本」と「万引きされた本」を、どう見分けるのか。
それに、この制度は福岡県だけのものですので、県外で購入された本にもシールは貼られていません。古本屋さんは、「福岡県で購入された本」と「県外で購入された本」をどう見分けたらいいのか。福岡県外の古本屋にまんぼうシールが貼られた本を持ち込んだ場合、シールがマイナス査定となり、買い取り値が安くなったり、買い取り拒否されたりなどの弊害も予想されます。
そして、万引き防止を謳ってはいるものの、このシールが防げるのは「古本屋への売却を目的とした万引き」だけで、通常の「本を手に入れるための万引き」は防止できません。
書店員さんが1冊1冊にシールを貼らねばならないという負担も生じますし、客が「勝手に変なもん貼るな」という苦情をつけるおそれもあります。
このように、とにかく問題だらけのシールだったのです。
僕は、この制度を考えたヤツはアホなのか、と当時からあきれていました。
まんぼうシールが導入されてから、本屋さんでマンガを買ったこともありました。僕はシールが貼られそうになったら、すかさず拒絶するつもりでいました。ずっと手元に置いておくつもりのマンガでしたし、何よりダサいシールが耐え難かったのです。
ですが、マンガにシールは貼られませんでした。代わりに、店員さんはレシートの余白にシールを貼ってよこしました。それが書店の「大人の対応」だったのです。
おそらく、書店では次のようなやり取りが行われていたはずです。
「組合からまんぼうシール届いたけど、これホントに貼るの?」
「お客さんがこんなシールの付いた本買えるかっつって別の本と取り替えさせられたらどうすんの?シールが付いた本、自腹買い取りになるの?」
「万引き被害に遭ってる書店がなんでこんな負担まで引き受けなくちゃならないんだろう」
「みんな組合に不満あるけど従わざるを得ないしねぇ・・・」
そんで、表向きは組合の決め事に従ってるフリして、現場では絶対に本に貼らない、という2面対応になったのだと推測されます。
まんぼうシールはとにかく不評で、苦情も多かったらしく、約2年で廃止されたそうです。僕はよくブックオフで立ち読みしたり、マンガを買ったりすることもあるのですが、シールが貼られた本を見かけたことは一度もありません。
導入されはしたものの、実際に本にシールが貼られたことはほぼ皆無で、当然ながら万引き防止の効果は得られず、シールの製作費が無駄になっただけ、というのがことの顛末だったようです。
まったくもってバカバカしい限りではありますが、今になってみると、記念に1枚くらいはシールもらっときゃよかったかな、という気もします。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース。
行きつけの図書館が、緊急事態宣言を受けて5月12日~31日まで臨時休館になりました。2度目の臨時休館です。しかも、前回は事前に電話連絡が来たのに、今回は連絡なしで、行ったら閉まってました。もぉ~。
しかも6月以降開館するかどうかは未定だそうで、緊急事態宣言が延長されればそれに合わせて休館も伸びるかもしれないのです。前回の臨時休館は2ヵ月半くらいでしたか。今回はどうなることやら。

国分グループ本社 シーチキンコンビーフ

2021-05-14 22:37:46 | 
今日はハイブリッドな缶詰、シーチキンコンビーフです。




はごろもと国分がタッグを組みました。まさにシーチキンとコンビーフを混ぜた味。「そのまんまじゃないか」って思われるかもしれませんが、ホントにそのまんまの味なのです。そのまんまお食べください。東国原のように。
本日は第30回私が好きなマンガの話。今回取り上げるのは二ノ宮知子の『平成よっぱらい研究所』(全1巻・祥伝社)です。現在は文庫の完全版が出ています。
『のだめカンタービレ』で一躍売れっ子になった二ノ宮さんの、『のだめ』以前の佳作。お酒が大好きな二ノ宮さんが主宰するよっぱらい研究所にまつわる、飲み仲間とのお酒の席でのやらかしや、トンデモエピソードを綴ったエッセイコミックです。
作中で二ノ宮さん自身も認めているように、酔っ払いは迷惑なものです。大声で騒ぐ・絡む・話が長い・言動が意味不明・ケンカする・モノ壊す・どこでも寝る、等々。直接かかわると、ロクなことがない。
しかし直接かかわらない場所から眺めていると、動物園で檻の中に入った猛獣を見るように、その生態を気楽に楽しむことができる。本作は、言うなれば動物園感覚疑似体験マンガです。
お酒を愛する酔っ払いの面々は、ケンカや病気で血を流しながらも、文字通り命がけで飲酒を決行しており、まさにバカそのものなのですが、ある意味尊敬に値します。オウム真理教が一連の騒ぎを起こしていた95年に執筆されており、その時代を反映した描写もあります。
ちなみによっぱらい研究所は、『のだめ』ブレイク以降、忙しすぎて有名無実化しているそうです。結婚してお子さんもいらっしゃるようですから、そうそう酔っ払ってもいられないでしょうね。
僕は二ノ宮さんの作品で好きなのは本作のみで、『のだめ』も読んだことありません。なんとなくですけどフィクションを敬遠してるんですよね。そこは前回の森本さんと同じです。


ここで新型コロナウイルス関連身辺ニュース、ではなく雑感。
まだまだ中止の可能性が消えない・・・というより、その気配が濃厚になりつつある東京五輪。明確な根拠を指し示すことは僕にはできませんけど、コロナワクチンの接種の遅れと、変異種の拡がりなんかが後押ししそうな様子です。
僕は前に、政府=自民党は何がなんでもオリンピックを開催させようともくろんでおり、中止など一切考慮に入れておらず、それどころか中止を「敗北主義」ととらえている、太平洋戦争執行部の思考経路と遜色がない人たちだ、と書きました。
ですが、厳密には自民党全体がそうであるというのではなく、自民党の中の旧態依然とした勢力、「旧い自民党」がそれにあたるんですね。一口に自民党と言っても思想信条は様々で、一枚岩であるわけではありません。自民党の中にも、「旧い自民党」と対立している勢力もある。
有名どころでは石破茂、河野太郎、小泉進次郎あたりですね。彼らが今、オリンピックをめぐって「旧い自民党」と綱引きをしているのではないかと思います。いや、綱引き自体はオリンピック誘致が決まった時点から(「開催-中止」とは違うベクトルで)行われていたでしょうが、現在ではその激しさが増している、ということですね。
で、「旧い自民党」の中からも、コロナが一向に改善しない現状を見て、「何がなんでも開催とか言ってる場合じゃねーんじゃねーか」って意見がポツポツ出始めてるんじゃないでしょうか。それで綱引きが中止側に引き寄せられつつあると。推測ですよ、あくまで。
でもできるだけ早めに決定できないでしょうかね。同じ中止でも、早ければ早いだけ経済的損失は少なくて済むでしょうから。