徳丸無明のブログ

雑文、マンガ、イラスト、その他

亀田製菓 おばあちゃんのぽたぽた焼 秘伝さとうじょうゆ味

2024-05-31 23:48:34 | 
今日は液垂れせんべいです。




実際にぽたぽた焼を作れるおばあちゃんは、この世に何人くらいいるのでしょうか。
発売以来、ずっと同じパッケージだったのが、最近絵本作家・ヨシタケシンスケさんのイラストに変わりました。あまじょっぱおせんべい。
おばあちゃん・・・、そうですね、おばあちゃんの話でもしましょうか。介護の話。
僕は以前、介護施設で働いていました。グループホームです。
グループホームに入所していらっしゃるお年寄りは、みんな認知症です。それゆえ、コミュニケーションを取るのが難しかったりする。
1日の時間の流れの中で、食事をしてもらったり、お風呂に入ってもらったりしなければならないのですが、拒否されることもあり、スムーズに誘導できなかったりするのです。
そんなとき、僕が認知症の方とどのように接してきたか。それをお話しいたします。
90代の女性、Hさんは、たまに幻覚を見たりする、自力では歩けない方でした。歩けないので、基本的に車椅子で移動してもらっていました。
排泄も自分でコントロールできないため、つねにオムツを着用し、決まった時間にトイレにお連れするようにしていました。
ある日、僕ともうひとりの職員の2人で介助していたときのことです。Hさんを、トイレにお連れしました。
車椅子から便座に移すため、まずは立ってもらわないといけません。しかしそのとき、Hさんは見えない何かを拾い集めていました。
ゴミなのか、タネなのか、何か小さい物をひとつひとつ右手でつまみ、左手に集めていたのです。
拾い集めは、なかなか終わりそうにありませんでした。車椅子から便座に移るには一度立ち上がってもらわねばならず、立ち上がるには手すりにつかまってもらわねばならないのですが、このままだと、それをしてもらえそうにありません。
しばらく待ってみましたが、拾い集めは終わりませんでした。
もうひとりの職員がじれて、「もう、何もないから」と、腕をつかんで強引にやめさせようとしました。
僕は、「それじゃダメだろ」と思いましたが、案の定、「何もないやあるかい!」と反発され、拾い集めをやめさせることはできませんでした。
僕は考えました。幻覚であれなんであれ、Hさんには何かが見えていることは間違いない。じゃあ、それに合わせた接し方をすればいい。
どうやったら、拾い集めをやめさせることができるか。手を空にすればいいのではないか。
僕は自分の手を差し出して、「それ、僕が持っとこうか」と言ってみました。するとHさんは、左手に集めた何かを、僕の手にトントンと移し替えてくれました。
これでHさんの手は空になったわけです。トイレへの誘導は無事に行えました。
この接し方を見てわかってもらえたかと思いますけど、僕は基本的に、介護というのは「受け身」だと思っています。
相手の見えている世界、感じている情報を受け入れ、それに合わせた接し方をする。自分の世界、つまり「健常者の世界」の感覚で接するのではなく、「認知症者の世界」に入り込んで接するのです。

もうひとり、70代の女性、Yさんのケースも紹介します。この方は、記憶を維持することができないという以外はしっかりされており、普通にコミュニケーションも取れるし、足腰も丈夫な方でした。
なので、お世話する必要の少ない方ではあったのですが、対応に困ることもありました。よくお風呂を拒否されていたのです。
お風呂の時間は日中、午後の昼間に行っていたのですが、Yさんは、介護施設に入所していると自覚してはおらず、「昼の間ここに遊びに来ているだけ。夜になったら自宅に帰る」というふうに思い込んでいらっしゃったのです(面白いことに、夜になったら介護施設を自宅ととらえていました)。認知症の方はよく、自分は正常であると――ボケてないし、老人ホームにも入っていないと――自分に言い聞かせるため、このような思い込みを無意識で作り上げるのです。
なので、Yさんをお風呂に誘うと、だいたい「お風呂は家に帰ってから入る。今はいい」という答えが返ってきていたのです。
ここが相手によって違う対応を求められる介護の難しいところで、先のHさんであれば、車椅子を脱衣所まで押していけばいいので、比較的ラクなんですよね。車椅子だと、脱衣所まで連れていくための「説得」はいりませんから。
自分の意思を示す方(つまり拒否することもある方)で、自力で歩くこともできる方だと、「説得」が必要になる。自分で脱衣所に向かってもらわないといけない。
そして、認知症者相手の説得は、なかなか難しかったりする。
Yさんは、「お風呂は家に帰ってから入る」と答えました。これを反証するのは難しい。
Yさんはずっとここで暮らしているのであり、自宅に帰ることはないのですが、認知症の方にそれを説明し、納得してもらうのは困難なのです。
なので、Yさんのその思い込みに向き合うのはやめました。別のやり方を模索することにしたのです。
Yさんは、「お風呂」と言われると、拒絶しやすいように見えました。なので、「お風呂」という言葉を使わずにお風呂に誘えないかと考えました。
僕はまず、「洗濯物が乾いたよ」と言って、Yさんの個室に連れていくことにしました。Yさんは、この言葉には素直に応じてくれました。
個室に来たら、次は「あ、まだ洗濯機から取り出してなかったみたい」と言って、脱衣所のほうに誘導しました。これもうまくいき、脱衣所までついてきてもらえました。脱衣所より個室のほうが足が向きやすいから、いきなり脱衣所に誘わず、いったん個室を挟んだのです。
脱衣所に着くと、僕はあえて黙り込みました。脱衣所の奥の扉は半分開いており、お湯を張った湯舟が見えています。
Yさんはその雰囲気を察して、「お風呂に入るの?」と訊いてきました。大成功です。そのまま入浴してもらいました。
こちらからは反発されやすい「お風呂」という単語を出さず、自分からお風呂に入ろうという気になるよう誘導する。狙いは見事当たったのです。Yさんは記憶を維持できないため、個室から脱衣所に移動するわずかな間に、洗濯物のことは忘れてしまうのです。

認知症者であれ、自我というものがあり、自分の考えがあります。なので、それぞれのありかたで介護を拒否することもある。
しかし、こちらとしては、食事も入浴もトイレもキチンと済ませてもらわないといけない。拒否された場合、どのように説得して受け入れてもらうか。そこが介護職員の腕の見せ所であったりします。(上の2つの例を見て、僕をスゴ腕の介護士と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、参考になるよう、成功例だけを紹介したのであって、失敗もたくさんしてきました)
僕は基本的に、認知症者の見ている世界を否定したりしませんでした。幻覚であれ、幻聴であれ、本人にとっては間違いなく存在しているものです。それを否定しては始まらない。
なので、それに合わせた接し方をする。こちらも、相手が見ている世界の住人になって接する。そうするとスムーズにいくのです。
介護とは、「受け身」です。

伊藤園 リラックスジャスミンティー

2024-05-25 23:14:27 | 
今日は脱力茶です。




ジャスミンティーでリラックス。リラックスしたくなくてもジャスミンティー。
うそくせー話をします。うそくせー、なーんかうそくせーって話。
レストランや喫茶店に滞在していると、普通の飲食利用者じゃないお客さんを見かけることがありますよね。商談や保険の説明などのビジネス関係や、勉強目的で長時間滞在してる人とかね。
ごくまれに、うさんくさい話をしている人がいたりします。ネズミ講とか、宗教の勧誘とかです。僕も見かけたことがあります。
あるとき、競馬の儲け話をしている人がいました。30代くらいの男の人が、同じく30代くらいの男の人を勧誘していたのです。
なんでも、「自分の仲間が必ず当てる方法をあみだした」「オッズが下がるといけないから、限られた人にしか教えない」のだそうで。つまり、とっておきの競馬必勝法があるけど、それは広く知られてはいけないから秘密にしてある。いくらかのお金を支払えば明らかにできる、という話でした。
あまりにもうさんくさい、いかにも詐欺という話なのですが、勧誘されてる側の人はすっかり信じちゃってて、「おぉ~」とか言ってたんですよね。紹介料、キッチリだまし取られてしまったのでしょうか。
なんか、なんとなくですけど、こーゆーのって、だます側の手口が狡猾かどうかよりも、だまされる側が単純かどうかが重要なんじゃないかって気になる出来事でした。

あと、勧誘とは違うのかもしれませんが、オカルトっぽい話をしていた人もいました。20代くらいの男女が、やはり20代くらいの女の人に話していたのです。
なんでも、自分たち(あるいは、自分たちの仲間)は陰陽師のようなもので、超能力みたいなのを使えると。それで、鬼を飼っていると。鬼は、使い魔みたいなものなのだと。
そして、未来を見ることもできるのだと言っていました。仲間のひとりが、その能力を信じなくなったら、悪霊に苦しめられるようになった。信じるようになったら治まったと。
こちらも、話を聞いていた女の人は全面的に信じているようでした。しかしこれ、何が目的かわかりません。
自分たちは特別な能力を持っているのだと信じ込ませておいて、操ろうとしているのか。金銭を要求するための布石としてそのような話をしていたのか。
でもひょっとしたら、全部本当の話で、純粋におしゃべりを楽しんでいただけなのかもしれません。だとしたら、一度鬼を見せてもらいたいものです。

うそくせー話、書いてみたら意外と短かったので、喫茶店絡みでもうひとつ。
近所の喫茶店に滞在していたときの話です。僕の隣の、2人がけの席に、50代くらいのおばさんが座っていました。
最初はひとりで資料の整理みたいなことをしていたのですが、途中で20代くらいの女の人がやってきました。するとおばさんは、タロット占いを始めました。
占いはひと通り、30分くらい行われ、終わると、女の人は帰っていきました。
女の人が帰った後も、おばさんはそのまま残っていました。するとしばらくして、次は30代くらいの女の人がやってきました。
おばさんは、またタロット占いを始めました。途中、「私いつもここでやってるから」というセリフが聞こえてきました。
どうやら、自分の店舗を持たないタイプの占い師さんだったようです。今はネットやSNSで客を募集できます。依頼がきたら、「どこそこの喫茶店で何時から」と予約を入れる。占ってもらう側の人は、まずはひとりで入店して、普通に注文する。予約時間になったら占い師さんの席に移る。占いが終わったら自分の席に戻る。このような流れになっていたようです。
これならテナント料はかかりませんから、経費が安く上がります。うまいこと考えたものです。ネットとSNSが普及した時代ならではだと思いました。
ただ、その後何度かその店を訪れたのですが、その占い師さん、2度と見かけることはありませんでした。
「いつもここでやってる」というのは、ウソだったのでしょうか。お店の人から、「ここで商売をしないでくれ」と閉め出されたのでしょうか。あるいは、ほかの喫茶店に移ったのでしょうか。
喫茶店をねじろとする占い師。明日はあなたの町に現れるかもしれません。
ヒーッヒッヒッヒ。

坂の上の竜馬――昭和のアイコン

2024-05-22 23:26:32 | 雑考
東浩紀の『訂正する力』(朝日新書)を読んだ。
これは、政治や経済など、様々な分野で行き詰まりが見られる現代の日本では、すべてをチャラにするリセット願望が高まりつつあるが、それとは違う道筋として「訂正」というありかたを、東が哲学者の立場から提唱した、提言の書である。東の言う訂正とは、おもに過去を読み換えること(解釈を変えること)であり、その読み換えによって、より良き未来を目指すための指針とする、というものである。そのひとつの例として、小説家の司馬遼太郎の功績が挙げられている。


幻想と言えば、いわゆる司馬史観と呼ばれるものがあります。作家の司馬遼太郎によって提示され、広く普及している歴史観のことです。ひとことで言えば「明治の日本はよかったが、昭和に入ってだめになった」という歴史観です。
その司馬が有名にした人物のひとりに、坂本竜馬がいます。竜馬の一般的なイメージは、対立する人間をなだめて結びつける平和主義者であり、開国主義者です。ところが今日では、これは司馬によって創作されたものだと指摘されています。
最近の研究によれば、竜馬は船中八策も書いていないし、亀山社中もつくっていないし、勝海舟と会って弟子になったという有名なエピソードも誇張ということになっているようです。(中略)
となってくると、考えるべきは、なぜそんな竜馬のイメージがここまで広がったのかということです。
ぼくが推測するに、それは昭和の人々が、そこに彼ら自身の理想像を見出したからではないでしょうか。司馬が描いた竜馬は商人でもありました。海援隊を結成して物資を運び、貿易で利益を出して敵対勢力を結びつけ、平和を築いていく。それはまさに、武力を放棄し、経済力による平和の達成を夢見た戦後の理想に一致します。
司馬は、そういう人々の無意識を敏感に感じ取り、起源を維新の志士に求めるというアクロバットをやってのけたのではないか。竜馬がいることで、戦後日本の商業国家路線は、じつは明治維新のときに可能性として胚胎していたものだという歴史がつくられる。占領軍に押しつけられたものではなくなる。
その歴史は幻想ですが、単純に非難されるべきものではありません。司馬はそのような作業を通して、近代日本の自画像そのものをアップデートしようとしたのです。(中略)それはまさに昭和の日本人が必要としていたことでした。


なんだか「プロジェクトX」を彷彿とさせる話だ。中島みゆきが聴こえてくる。
年配の男性の中には熱狂的な竜馬ファンがいて、その心酔ぶりは原理主義者のようでもある。著名人では武田鉄矢がまさにそうだが、その入れ込みようが、僕には不思議であった。なぜそれほど高く持ち上げるのかと。武田鉄矢は以前ソフトバンクのCMに出演した際、「男はみんな竜馬好きです」と言っており、いくらCMのセリフとはいえ、よくもそこまで断言できるものだと呆れた記憶がある。
だが、昭和の一時期、高度経済成長を担ってきた男たちが、精神的支柱とするために竜馬を自分と重ね合わせてきた、ということなら頷ける。戦後復興を成し遂げたことを慰撫する意味合いもあったのかもしれない。(以下、昭和と記す場合、『竜馬がゆく』が発表された38年(1963年)以降の昭和を指し、それより前は含まないものとする)
最近では竜馬の功績の見直しが進み、これまで称賛されてきたほどの人物ではないという評価が定まりつつあり、歴史教科書の記述からも外されているそうだが、それが正しい人物評価なのだろう。これまでが神格化されすぎていたのだ。
僕も子供の頃は、それこそ武田鉄矢が原作者を務める小山ゆうのマンガ『お~い!竜馬』を愛読していたのだが、あまりにも理想化されたその竜馬像に、鼻白んでもいた。マンガの竜馬は、あまりにもカッコよすぎで、完全無欠の人物として描かれていたのだ。一応「クモが苦手」という描写はあったものの、それだって「弱点もある愛すべき男」という、親しみを持たせるための短所であって、優れた人物像をなんら毀損するものではなかった。
なんでも、竜馬は剣の達人ではなかった、という説もある。『お~い!竜馬』では、江戸の千葉道場に入門し、北辰一刀流の免許皆伝を得たことになっているのだが、それは事実ではない、という説だ。竜馬は、武士だから帯刀してはいたものの、その人生で一度も人を斬ったことがないらしい。それはどうやら史実のようで、武田鉄矢はそのことを、「人命を尊重した博愛精神の表れ」と評している。だが、竜馬が剣の達人ではなかったのだとすると、「人を斬らなかった」のではなく、「そもそも斬る腕がなかった」ということになる。このような細部にも、竜馬を盲目的に崇拝する人の陥穽が潜んでいる。
ちなみに、共に文芸評論家の坪内祐三と福田和也は、対談本『革命的飲酒主義宣言――ノンストップ時評50選!』(扶桑社)の中で、竜馬について、次のように語っている(初出は2009年11月)。


坪内 そういえばさ、来年のNHK大河ドラマは『龍馬伝』なんでしょ。原作は特にないらしいけど、司馬遼太郎が『竜馬がゆく』(’63~’66年)を書くまで、坂本龍馬って別に人気者じゃなかったよね。地味な存在だった。
福田 『竜馬がゆく』は、ほぼ全部、フィクションだからね。あれは、伊藤痴遊(明治~昭和初期の講談師、政治家)が面白おかしく作った坂本龍馬の講談が元ネタでしょう。
(中略)
福田 要するに、龍馬の手柄とされていることの9割9分は、本当は、横井小楠(熊本藩士。私塾「四時軒」を開き、龍馬など維新の志士が出入りしていた)のアイデアでしょう。船中八策とか海援隊とか。横井小楠の偉さに比べれば、龍馬なんて微々たるもんですよ。勝海舟が、自分が会ってデカいと思ったのは、西郷隆盛と横井小楠の二人だけだと言っている。飛鳥井雅道とか本筋の学者はちゃんと横井小楠の研究をしてるけど、一般の書き手は誰も書かない。
(中略)
福田 夏に『週刊文春』で歴史上の偉人を選ぶ読者3000人アンケートがあって、坂本龍馬は3位に入ってたね。結果を見ながら半藤一利さんたちと鼎談したんだけど、半藤さんが言うには――「『竜馬がゆく』と違うことを言うと、読者から文句が来る」と。「あれは史実と違う、小説だ」と説明してもダメなんだって。しかもそのアンケート、坂本龍馬を尊敬する理由として読者が挙げるのが、「饅頭屋で饅頭をたくさん食ったのが偉かった」みたいな。
坪内 それは司馬さんの作り話じゃん。
福田 もう本当に、今やジジィも何も、全然教養がないよ。まぁ、それだけ信じ込ませる司馬さんは偉いんだけど。
坪内 伊藤痴遊の講談があったり、「立川文庫」(大正時代の講談本)があったりして、いわゆる講談的素養が大衆文学を生み出し、それが司馬さんに続いていくわけだけど――その種の素養というか教養が断絶したのに、今になって、また司馬さん人気が復活しているのが、不思議だな。例えば、坂本龍馬と中岡慎太郎って、土佐藩士で同レベルの知名度で、伊藤痴遊も「慎太郎と龍馬」って講談をやってたでしょ。もし司馬さんが慎太郎にスポットを当ててたら、慎太郎が英雄になってたよ。


つまり、世の竜馬好きは、過去に実在していた本物の坂本竜馬ではなく、過度に装飾された虚像の坂本竜馬のほうに熱視線を送っていたということである。そして恐らくは、虚像を虚像と認識することができないほどの強固な思い込みが、時代の力として働いていたのだ。昭和の男たちには、その思い込みが必要だったわけだ。歴史教科書のような、実証性を旨とする媒体ですら「虚像の竜馬」を取り扱ってきたという事実は、その思い込みがいかに集団的、かつ広範的であったかの表れと言えよう。
また、東の解釈の通りだとすると、竜馬は男性人気は高いものの、女性のファンが少ない理由もよくわかる。昭和の男たちは、「プロジェクトX」に象徴されるように、家庭を顧みず、身を粉にして働いてきた。そんな男たちこそが竜馬の支持者だった。対して、顧みられない家庭を守っていた女たちは、竜馬に憧れなかった。モデルにはならないし、自分と同一視もできないからだ。昭和の女たちは、竜馬を、家庭を顧みない夫と重ね合わせ、冷やかな目で眺めていたのかもしれない。
近年になって竜馬像が見直され、その評価が下落しつつあるということ。それは、すでに竜馬は、日本人男性が理想とすべき人物ではなくなっている、ということである。言い換えれば、今までは理想であったから竜馬の人物像は聖化され、評価を下げる歴史研究は受け付けられなかったのだ。その手の研究は、あったとしても、無視されてきた。今はもう理想像ではないから、これまでの評価を下げる(と言うより、正確な評価を与えるということだが)歴史研究が受け入れられるようになってきたのだ。
恐らく時代はもう戻らない。高度経済成長と同様、もしくはそれに類する時代は、もう訪れない。だから竜馬も、再び理想像とされることは、多分ない。
昭和の男たちは、さぞや寂しいことだろう。高知の空港に竜馬の名前が冠されたことを喜び、一万円札に竜馬の肖像の起用を呼びかけていた男たち。だが、彼らの時代はもう戻らない。竜馬を神聖視する時代もまた、戻ることはない。
せめて彼らに、感謝を述べよう。彼らの献身的な努力によって、現在の繁栄がある。今の日本の経済的豊かさは、彼らの働きのおかげだ。
彼らが社会の中心として活躍した時代も、竜馬が英雄として崇めたてられた時代も、もう過去のものだ。もはや現代は、あなたたちを必要としてはいない。でも、あなたたちがあって、今がある。
だから、昭和の男たちよ、ありがとう。昭和の男を支えてくれた竜馬よ、ありがとう。高度経済成長が2度と訪れないように、「坂の上」も、もう存在しない。そこに立っていた、我々が仰ぎ見ていた偉人は、もういない。歴史的役目を終え、どこかへ行ってしまったのだ。
さようなら、竜馬。あなたがもたらした繁栄は、今もこの国を支えている。