徳丸無明のブログ

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自己責任論の二重の罠

2016-11-08 21:15:48 | 雑文
ちょっと前に放送されたNHKの番組「私たちの、これから」を観た。テーマは健康格差。収入や職種や地域によって健康の格差が生じている、という話であった。
その中で、「健康問題は自己責任か、社会全体の責任か」で討論する部分があった。
小生はまず、「収入が低かろうと暴飲暴食や偏食を避けることはできるわけだから、自己管理の問題だよな」と思い、すぐに「いや、でも個人の努力の及ぶ範囲外で健康を害することだってあるわけだし、そこは社会(国)に保障してもらわなきゃ困るぞ」と考え直した。
で、しばらく考えた末に、「そもそも健康問題を「自己責任」か「社会の責任」かの二者択一で判断しようとすることが間違っている。自主的な心掛けも、社会的な保障も、両方必要だからだ。基本的に自己管理で何とかできる部分は個人で対処し、個人ではどうにもできない部分は社会が補わなくてはならない。だが、二択でどちらか選べと言うならば、敢えて「社会の責任」のほうを選ぼう。なぜなら、「自己責任」のほうを選ぶと、自分の力ではどうにもならない部分に関しても「自己責任で何とかしろ」と切り捨ててしまうことになるからだ。自己責任論者からしたら、「本人の勝手な不摂生まで社会で面倒をみねばならないのか」と不満に感じるかもしれないが、弱者を切り捨てるよりは怠惰な者を甘やかすほうが遥かにマシだ」という結論に達した。
「うん、おそらくこれが正解だろうな」と一人で満足していたのだが、また更に少ししてから、「このように重要な社会問題に関して二者択一で判断を迫るのは、自己責任論よりも問題が多いのではないだろうか」という考えが浮かんだのである。
思い返せば、自己責任を巡る議論は、常にこのパターンを踏襲していたような気がする。
「自己責任と言うのは弱者切り捨てだ」という批判に対して、自己責任論者は、「なぜ本人が勝手にやったことを社会が尻拭いせねばならないのだ」と反論してきた。両陣営に共通しているのが、100か0か、白か黒かの二者択一でしか考えていない、という点であった。独力で何とかできる範囲は自分で、それが不可能な範囲は社会が面倒をみる、という使い分けの視点が欠落しているのである。
この「白か黒か」しかない両陣営のみで社会問題の帰趨を決するとなると、お互い歩み寄って落としどころを見付けるのではなく、最終的に多数決によってどちらが是かを選ぶことになってしまう。そうすると、「自己責任100」の「社会保障0」か、あるいはその逆かの決定が下されてしまうだろう。
重要な社会問題に関しては、二者択一で考えてはいけないのだ。
一体、いつからこんなことになってしまったのだろう。
なんだか、この二者択一で決する思考法自体が、自己責任論の罠のような気がしてきた。
二者択一はどちらか片方を切り捨てる思考法なわけだが、なんとなれば自己責任論もまた弱者という存在を切り捨てるものであるからだ。二者択一に慣れ親しんでしまえば、同じ「切り捨てる」思考法の自己責任論とも親和的になる。つまり、二者択一で考える習慣が続けば続くほど、自己責任論に傾く人が増えていくことになる・・・・・・。
いや、これは考えすぎだろうか。
しかし、小生は最初に「健康問題は自己責任かな」と考えてしまったのである。元々は弱肉強食の世界をもたらさんかのごとき自己責任論を苦々しく思っていたのだが、それにもかかわらず、不意に自己責任論に傾きかけてしまったのである。
個人的な体験だけで社会全体の理論の証明とするのは不適切だし、それにこれはただ単に小生がアホなだけなのかもしれない。なので、この「二者択一議論は自己責任論の罠」という仮説には留保をつけねばならない。
それに、このように主張すれば、またぞろ陰謀論を導いてしまう。
「悪辣なる支配者階級が、自己の利益のためだけに弱者を騙って陥れようとしているのだ」と。
小生は、陰謀論には与しない。というのも、この世界の人為的な災厄というのは、その大半が「頭の良い悪意」ではなく「頭の悪い善意」によって引き起こされていると考えているからだ(この「頭の悪い善意」についてはまた改めて書くこともあると思うが、ここでは詳述しない)。
自己責任論にしたところで、「飴と鞭では鞭でもって応じた方が世のため人のためになる」という判断によるものなわけで、主観ではそれは善意なのである。
この国の年間自殺者が約3万人という社会的事実を、彼等も知らない筈はないのだが、それでも「自己責任だ」と言うのである。自殺の理由は様々なので一概には言えないのだが、そのうちの何割かは手厚い社会保障があれば自ら命を絶つことはなかった人達なのである。
やはり、悪意ではなく善意を問題にせねばならない。
うーん、でも・・・またこんな結論で申し訳ないのだが、具体的な対応策が思い浮かばない。
ま、とりあえず一つだけ言えることは、二者択一を迫られたら、「本当にこの二つしかないの?」と疑ってかかる習慣をつけるべき、ってことだろうか。二択の中間の選択肢、もしくは第三の道はないのだろうか、と考えること。そのような営為の積み重ねによって現状を打破していくしかないのではないか・・・ってことですね。
凡庸な結論ですみません。