今日はララの事故です。
ゼリー・イン・こんにゃくゼリー。さいの目状のこんにゃくゼリーが、ゼリーの中に入っているのです。100%こんにゃくゼリーではないので、喉つまりのリスクも低く、みずみずしいです。お年寄りでも無問題。たぶん。
お年寄り・・・。そう、お年寄りの話をしましょう。長寿の秘訣の話。
超高齢社会の日本では、百歳越えのお年寄りがたくさんいます。百歳になったお年寄りは、県知事から表彰されたりします。
その際、県知事がよく「長寿の秘訣はなんですか?」と質問しますよね。
それに対し、多くのお年寄りは、「わからん」と答えがちです。
この「わからん」という回答には、ほのぼのとした笑いが起きるのが常です。
少し物忘れが進んだお年寄りの、可愛らしい返答、というふうに受け止められるのです。一部には、長寿の秘訣が聞けなくて残念、と思ってる人もいるでしょうか。
でも僕は、長寿の秘訣がわからないというのは、当たり前のことだと思うんですよね。
だって、いくら年齢を重ねていようとも、「1回だけ」しか生きていないのですから。
百年生きているとしても、その人は、百年間の人生を1度しか体験していない。たった1度きりの人生で、長寿の秘訣などわかりようがないのです。
もし、記憶を持ったまま生まれ変わることができるなら、生まれ変わるたびにいろんな生き方を試すことができるでしょう。酒もタバコもやる生き方。大酒飲みの生き方。酒はたしなむだけの生き方。酒もタバコもやらない生き方。肉より魚を食べる生き方。
様々な生き方を試すことができれば、その中で、「この生き方は比較的長生きできるぞ」とか、「この生き方は死にやすいな」などといった傾向がわかってくるでしょう。そのためには、100回か200回くらい記憶を持ったままの生まれ変わり体験をせねばなりません。
でも、基本的に人の一生は1回限り。1回だけの人生では、生活習慣のどれが長寿の元となったかなど、わかりようがないのです。
だから、長寿の秘訣がわからないというのは、ごく当たり前の話。物忘れのせいで「わからん」と答えているわけではないのです。
お年寄りの中には、長寿の秘訣を、「毎日散歩しているから」とか、「魚をよく食べるから」などと答える人もいるでしょう。ですが、本当にそれが長寿の元になったと言えるのか。断定的なことは言えないのです。
ひょっとしたら、その人が長生きしているのは「たまたま」なのかもしれない。たまたま病気にならず、事故にも遭わず、運よく健康な体を授かっていただけなのかもしれない。
散歩したり、魚を食べたり、健康にいいとされていることを生活習慣にしていても、本当にそれが長寿をもたらしたかどうかはわからないのです。それら生活習慣とはまったく無関係に、たまたま長生きできているだけなのかもしれないのですから。
ですから、「長寿の秘訣はなんですか?」と尋ねられたお年寄りが、「わからん」と答えるのは当然のことですし、それを笑うのはおかしいと思います。そもそも、「長寿の秘訣はなんですか?」と質問すること自体がおかしいのです。
1回だけの人生で、長寿の秘訣など、わかりようがないのですから。
まあ、「長寿の秘訣はなんですか?」という質問は、百歳のお年寄りを表彰する際のお約束みたいなもの、もしくはおしゃべりのための質問であって、質問する側にしたところで、本気で秘訣を聞き出そうとしているわけではないのかもしれません。
でも、だとしても、「わからん」と答えたお年寄りを笑うのは、やっぱちょっと違うんじゃないかって思うんですよね。バカにしたかんじありますしね。
百歳越えのお年寄りに直接訊くのではなく、百歳越えのお年寄りの生活習慣のデータを取って統計を出せば、「長生きできる傾向」がわかってくると思いますが。
それにつけても「ご長寿早押しクイズ」は面白かった。少しヤラセのニオイがしたにせよ。「玉緒が行く」はワザとらしかった。
え?絶対に長生きしたいから長寿の秘訣が知りたいんだって?
じゃあオレが教えてやる!死ぬな!!
ゼリー・イン・こんにゃくゼリー。さいの目状のこんにゃくゼリーが、ゼリーの中に入っているのです。100%こんにゃくゼリーではないので、喉つまりのリスクも低く、みずみずしいです。お年寄りでも無問題。たぶん。
お年寄り・・・。そう、お年寄りの話をしましょう。長寿の秘訣の話。
超高齢社会の日本では、百歳越えのお年寄りがたくさんいます。百歳になったお年寄りは、県知事から表彰されたりします。
その際、県知事がよく「長寿の秘訣はなんですか?」と質問しますよね。
それに対し、多くのお年寄りは、「わからん」と答えがちです。
この「わからん」という回答には、ほのぼのとした笑いが起きるのが常です。
少し物忘れが進んだお年寄りの、可愛らしい返答、というふうに受け止められるのです。一部には、長寿の秘訣が聞けなくて残念、と思ってる人もいるでしょうか。
でも僕は、長寿の秘訣がわからないというのは、当たり前のことだと思うんですよね。
だって、いくら年齢を重ねていようとも、「1回だけ」しか生きていないのですから。
百年生きているとしても、その人は、百年間の人生を1度しか体験していない。たった1度きりの人生で、長寿の秘訣などわかりようがないのです。
もし、記憶を持ったまま生まれ変わることができるなら、生まれ変わるたびにいろんな生き方を試すことができるでしょう。酒もタバコもやる生き方。大酒飲みの生き方。酒はたしなむだけの生き方。酒もタバコもやらない生き方。肉より魚を食べる生き方。
様々な生き方を試すことができれば、その中で、「この生き方は比較的長生きできるぞ」とか、「この生き方は死にやすいな」などといった傾向がわかってくるでしょう。そのためには、100回か200回くらい記憶を持ったままの生まれ変わり体験をせねばなりません。
でも、基本的に人の一生は1回限り。1回だけの人生では、生活習慣のどれが長寿の元となったかなど、わかりようがないのです。
だから、長寿の秘訣がわからないというのは、ごく当たり前の話。物忘れのせいで「わからん」と答えているわけではないのです。
お年寄りの中には、長寿の秘訣を、「毎日散歩しているから」とか、「魚をよく食べるから」などと答える人もいるでしょう。ですが、本当にそれが長寿の元になったと言えるのか。断定的なことは言えないのです。
ひょっとしたら、その人が長生きしているのは「たまたま」なのかもしれない。たまたま病気にならず、事故にも遭わず、運よく健康な体を授かっていただけなのかもしれない。
散歩したり、魚を食べたり、健康にいいとされていることを生活習慣にしていても、本当にそれが長寿をもたらしたかどうかはわからないのです。それら生活習慣とはまったく無関係に、たまたま長生きできているだけなのかもしれないのですから。
ですから、「長寿の秘訣はなんですか?」と尋ねられたお年寄りが、「わからん」と答えるのは当然のことですし、それを笑うのはおかしいと思います。そもそも、「長寿の秘訣はなんですか?」と質問すること自体がおかしいのです。
1回だけの人生で、長寿の秘訣など、わかりようがないのですから。
まあ、「長寿の秘訣はなんですか?」という質問は、百歳のお年寄りを表彰する際のお約束みたいなもの、もしくはおしゃべりのための質問であって、質問する側にしたところで、本気で秘訣を聞き出そうとしているわけではないのかもしれません。
でも、だとしても、「わからん」と答えたお年寄りを笑うのは、やっぱちょっと違うんじゃないかって思うんですよね。バカにしたかんじありますしね。
百歳越えのお年寄りに直接訊くのではなく、百歳越えのお年寄りの生活習慣のデータを取って統計を出せば、「長生きできる傾向」がわかってくると思いますが。
それにつけても「ご長寿早押しクイズ」は面白かった。少しヤラセのニオイがしたにせよ。「玉緒が行く」はワザとらしかった。
え?絶対に長生きしたいから長寿の秘訣が知りたいんだって?
じゃあオレが教えてやる!死ぬな!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます