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求聞持聡明法秘伝  秘伝のチャクラ変身法:凡人から天才への道 

2024-01-25 07:17:50 | タブレットPC
 
1. "秘伝のチャクラ変身法:凡人から天才への道"
2. "チャクラエネルギーの秘密:ムドラー・チャクラの探求"
3. "クンダリニー・ヨーガの奥義:肉体変容の驚異的な力"
 
 
1. 物質世界を超越し、時間と空間の制限を受けない。
2. ヨーガースートラによれば、自由に肉体を消失させ、ヒマラヤから東京に飛来し、一瞬でヨーロッパに去ることが可能。
3. 求聞持聡明法はクンダリニー・ヨーガのチャクラに基づき、凡人を天才に変える。
4. 特にサハスラーラーチャクラ(頭頂チャクラ)の修行が重要であり、肉髭として表れる。
5. 求聞持聡明法はチャクラエネルギーを覚醒させ、特殊なルートを通じて体の各部に送り込み、大脳の中枢に千不ルギーを集中させる。
6. 方法は二つ:一、チャクラを覚醒させて変身于不ルギーを発生させる。二、発生した于不ルギーを体の各要所に送り込み、特に大脳に集中させる。
7. ムドラー・チャクラの発見により、チャクラの中心から透明な火焔(于不ルギー)が発生し、サマーナの気を統御して身体から火焔を発することが可能になる。
8. リードビーター僧正が実証したとされ、物質化学における電気の百万ボルトに匹敵する人体電気を持つことができる。
 
 
 
 
求聞持聡明法秘伝
物質世界を超越し、時間と空間の制限を受けない。ヨーガースートラにあるよ
うに、自由に自分の肉体を消失させ、一瞬のうちにヒマラヤの奥地から東京に 飛来し、一刹那のうちにヨーロッパヘ去る。彼は、四次元世界の時間と空間の 秘密を体得しているのである。二次元(平面)世界の生物にとって、三次元 (立体)世界の生物の行動はナゾとしか思えぬように、三次元生物のわれわれ には、四次元世界に住む超人の動きは全く理解できない。インドでは、仏陀が 超人であるとして、このチャクラの完成者であることを、形を以て示してる。
それは、仏像の頭頂がまるで帽子でもかぶったように大きく盛り上がっており、 これを「肉髭」と呼ぶ。サハスラーラーチャクラの修行が完成して頭骨がこの ように発達していることを示すのである。
 さて、以上、ながながと、クンダリニー・ヨーガのチャクラについて説明した。
 なぜか?
 わたくしの開発した求聞持聡明法は、このクングリニー・ヨーガのチャクラ が持つ驚異的な変身千不ルギーを用いて、凡人を天才に変えるのだからである。
 それをひとロでいうと、わたくし独特の方法で覚醒させたチャクラエネルギー を、特殊なルートを使って、体の各要所に送りこみ、巡らせるのである。特 に、大脳の中枢部である間脳・視床下部に、この千不ルギーを集中する。これ により、肉体ぜんたいの構造を改善するとともに、大脳を変えてしまうのであ る。
 そこで、わたくしの求聞持聡明法は、大別して、二つの方法から成り立つわけである。
 一、チャクラを覚醒して、変身于不ルギーを発生させる方法。
 二、その発生した于不ルギーを、体の各要所に送りこみ、循環させる方法、
 
 
特に大脳に送りこむ方法。
である。以下これについて解説することになるのであるが、その前に、もう少し、チャクラについてのべておく必要がある。
ムドラー・チャクラの発見
 今から一七年前、一九七二年に刊行した『密教・超能力の秘密』で、わたくしは、わたくしの新しく発見したチャクラについて、つぎのように発表した。
「私は、古代ヨーガの行法と、真言密教の行法をあわせてトレーニングしているうち、たいへん奇妙なことに気がついたのだ。トレーニングを積んでかなりの力がついてきたのだけれども、かんじんのその力を発揮する方法がな
いということである。最初、私は、それだけの力がまだ自分についていないのであろうと思っていた。しかし、しだいしだいにみちてくる力を全身に感じて、私は、ついに苦しくなってきた。欝勃とみちみちてくる潮のごときこの力を思いっきり叩きつけるごとくはとばしらせてみたい。しかし、その方法をヨーガは持たぬ!
 そういえば、あなたももはや気がついたであろう。ヨーガのチャクラは。ダルマさん”である。つまり、手も足もない。あるのは頭と胴体だけだ。
 私の修行は次第にすすんで、ム上フーグ上フ、スヴア九アイターナの二つのチャクラは完全にマスターし、マニプ上フーチャクラのトレーニングに入っていた。このチャクラの修得も次第にすすみ、定に入っていると、チャクラの中心から、透明な火焔(のような于不ルギー)が漂い浮かぶのが見
えるようになった。ヨーガースートラにいう。サマーナの気を統御すれば身体から火焔を発することができる”とあるそのサマーナ気を私は克服しつつ
あった。しかし、そのサマーナの気の于不ルギーを一点に集中して対象(壇木)に点火する方法は、どの奥義書にも記してない。私は、マニープ土フーチャクラを中心に、次第に全身が大の于不ルギーで満たされることを感じつつ、その火を、現実の火として。物質化”する方法の探求に苦しんだ。
 そのころ、ヨーロッパで刊行されたC・T・クリークという人の書いた
『ヨガの実相』という本を于にする機会を得た。そのなかに、神智学の偉才、ブラバツキー女史のグループの一員であった英国のリードビーター僧正が。クンダリニー・ヨガの奥義の、クンダリニーの秘密を体得すれば、物質化学における電気の百万ボルトに匹敵する人体電気を持つことができるようになる”といい、疑問視する多くの人たちの前でその実証をしてみせたという
文章を読んだ。定に入ったりIドビーター僧正が、そこに置かれた厚いカシの板に掌をおしあて、しばらくしてはなしたあとを見ると、焼きゴテをあてたように、僧正の掌のあとが黒くくっきりとついていたというのである。
 
 
 
桐山精雄
 
 
Kyokumei Satoshi Hodenden
Transcends the physical world and is not limited by time and space. It's in Yoger Sutra
As you can see, you are free to lose your own body, and in a blink of an eye you can fly from the hinterland of the Himalayas to Tokyo and leave to Europe in a moment. He knows the secrets of time and space in the four-dimensional world. Just as the behavior of the creatures in the three-dimensional (three-dimensional) world seems strange to the creatures in the two-dimensional (two-dimensional) world, we cannot understand the movements of superhumans living in the four-dimensional world. In India, the Buddha is said to be a superhuman, and he shows that he is the perfector of this chakra.
The top of the Buddha statue is raised as if it were wearing a hat, and this is called a "flesh beard". It shows that the training of the Sakhasler ratchakra is completed and the skull is developing in this way.
Above, I explained about the Kundalini yoga chakra with Nagana.
why?
This is because the Kyokumei holding intelligent method developed by me uses the amazing transformation of Senju Rugey of this Kungrini Yoga chakra to transform an ordinary person into a genius.
In a nutshell, the chakra energy awakened in a unique way is sent to various points on the body through a special route and circulated. In particular, this Thousand Rugy is concentrated in the diencephalon, the hypothalamus, which is the central part of the cerebrum. This improves the structure of the body and changes the cerebrum.
Therefore, my method of seeking knowledge has been roughly divided into two methods.
1. A method of awakening the chakras and causing transformation into irrigation.
Ⅱ, the method to send the generated unurgy to each point of the body and circulate it,
Especially the method of sending to the cerebrum.
Is. I'll explain this below, but before that, I need to talk a little more about chakras.
Discovery of Mudra Chakra
In the "Secrets of Esoteric Buddhism/Supernatural Powers", published 17 years ago, in 1972, I made the following announcement about my newly discovered chakra.
"I learned a very strange thing while training both ancient yoga practice and Shingon esoteric practice. Although I gained a great deal of training, I learned that There is no way to exert that power of
That is true. At first, I was wondering if I had the power to do it. However, as I felt the power of gradually increasing in my whole body, I finally became painful. I'd like to let this force fly out as much as I can with the tide and the rising tide. However, yoga doesn't have the method!
Speaking of which, you may have noticed it. The yoga chakra. Dharma-san. That is, there are no hands or feet. There is only a head and a torso.
My training gradually progressed, and I completely mastered the two chakras, Mu-Fu-Fu-Fu and Suvua-Kyu Aitana, and were in training for Manip-Fu-Fu Chakra. As the learning of this chakra gradually progresses, when it is settled, a transparent flame (such as Ururugi) is seen floating from the center of the chakra.
I got it. Say to Yoger Sutra. If I can control the energy of Samana, I can release a flame from my body."
there were. However, none of the mystery books describes how to concentrate the Samana's disappointing rugy on one point and ignite the target (dangi). I feel that the whole body is gradually filled with a large amount of rugy, centering around the Manipu soil Fuchakura, and the fire becomes a real fire. I struggled to find a way to “materialize”.
At that time, written by a person called CT Creek published in Europe
I had the opportunity to publish a book called "The Real Phase of Yoga". Among them, the lead beater monk, British, who was a member of the group of Ms. Brabatsky, a great theophilosopher. "Understanding the secrets of Kundalini Yoga, the secret of Kundalini, will allow us to have human body electricity that is equivalent to a million volts of electricity in material chemistry." That he demonstrated that
I read the text. After a while, I saw Debbie Tadashi put his palm on a thick oak board placed there, and after a while, when I saw it, it was like a baked gote, It was said that it was clearly attached to black.
Kiriyama Seio
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2024年1月25日 九星  無料 今日の運命

2024-01-25 07:14:20 | タブレットPC


七赤金星の日
人より協力の依頼を受けたりする日。金運、喜び事あるも調子に乗って酒色に乱れぬよう心すべき日。小利に迷わず自他喜びを共にする心掛けも大切
凌犯期間 壊の日
自分の思うように積極的に行動する日
凌犯期間の作用により吉日となります。自信を持って物事に取り組める日です。少々の失敗は気にせず、色々なことに積極的にチャレンジしましょう。多少強引でも、自分の思ったように進めることで結果が表れます。前後の凌犯期間の不運を振り払うためにも、ポジティブに、アクティブに行動したい日です。

 
 
 
千手観音 千の手と千の目で一切の衆生を救う観音菩薩
 
 
千手観音
千の手と千の目で一切の衆生を救う観音菩薩

千手観音(せんじゅかんのん)とは?
別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。
 
観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。
ご利益
災難除け、延命、病気治癒などあらゆる現世利益を網羅し、特に夫婦円満、恋愛成就に功徳があるとされています。子年の守り本尊でもあり、子年生まれの人の開運、厄除け、祈願成就を助けるとされます。
千手観音(せんじゅかんのん)の像容
十一面四十二臂(ひ)で表されることが多く、四十二本の手のうち四十本それぞれが二十五の世界を救うことを示します。手には宝剣、髑髏杖、水瓶など実に様ざまな持物(じもつ)を持ち、多種多様な徳を表しています。
正位置・・・予期されない危険。恋愛上の不運。スキャンダル。欺く。欺かれる。迷い。裏切り。家庭、家族の不和。家族の中に出る病人。死亡した関係者にまつわる事柄。霊感。心霊現象。死者との交霊。信仰。墓地。悪霊が付く。悪魔祓い。不安のある旅立ち。転職。就職。進学。見合い結婚などで未知の世界へ飛び込むこと。先祖。先祖霊。霊界。
逆位置・・・小さな嘘。軽いスリルを味わう。少しの失敗。過去の出来事に影響される。魔女的な女性に影響される。過去の嫌な相手が現れる。恋愛上の口論。
ウェイト解説
正位置・・・隠れた敵。危険。中傷。闇。恐怖。欺き。幻想。オカルト的な力。失敗。
逆位置・・・不安定。続かないこと。沈黙。小さな欺きと失敗。



01月25日 (木曜)月齢
13.43潮汐
中潮
月名(旧暦日)
望月
(十五夜)
 
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運命の謎解き: 家族や歴史が織りなす不思議な物語

2024-01-24 16:52:28 | タブレットPC
心の奥深くに眠る歴史の影: 運命の反復とは何か
 
死者の怨念が、生きている者の無意識の意識を動かして、死者の怨念(欲状)を満足させるための行動をとらせる。それが、死者の人生と同一の道をたどらせることになる。それが運命の反復だ。そして、ここで注目しなければならぬことは、
その死者の怨念の伝達機構である。かならずしも遺伝子によらぬとしたら、いったい、なにがその怨念を伝達するのか?
答は、一種のバイブレーション、というしかないであろう。
ところで、一つの国家、民族、種族は、運命共同体であり、一つの家族である。
運命の反復理論は、そのまま、これにあてはめることが出来るであろう。その場合、
「歴史はくり返す」という現象になってあらわれる。個人の場合は、運命の反復、国、。
 
「歴shi家・社会の場合は、繰り返される歴史となってあらわれるのである。
 
 
どうしてなのか?
これはど、科学と技術が進歩し、これほど、多くの宗教や、倫理、道徳が説かれているのに、どうして、こんな野蛮な殺戮や戦争が絶えないのであろうか?
戦争をやめるために戦争がはじめられ、不正を正すために戦争がはじめられ、そしてそのために戦争が絶えたことは、一度もない。
うちつづく戦乱と闘争が、暴力、貧困、環境破壊、人間性の荒廃を、無限に拡大している。
いつか、一大破局が訪れるであろうと、多くの人びとが恐れおののいている。
 
なんとかしなければならぬと、人類の大半が憂慮し、永遠の平和を心から望み求めながら、心の底で、絶望を感じている。
どうしてなのか?
二つの原因があげられる。
多くの人びとが気がついていない二つの大きな原因があるのである。
その第一は、人間の脳の持つ構造的欠陥である。
あとでのべるように、人間は、脳に致命的欠陥を持っている。この欠陥を是正・改造せぬかぎり、人類に平和と安穏は永久に来ない。
欠陥脳が欠陥文明を生んだのだ。
今までの宗教、倫理・道徳は、「意識の改造」だけを考えてきた。「諌山」である。
つまり、「ものの考えかたを変える」ということを目ざしたのである。ものの考えかたを変える「教え」を説いたのだ。
しかし、いくら、心がけ、心がまえを変えようとしても、満足する効果をあげることは出来ないのである。なぜならば、それを受け入れる脳に欠陥があるからだ。
意識、考え、を生み出す根源の部分に存在する欠陥を除去せぬかぎり、効果を期待することは出来ない。
「ウマの耳に念仏」という俗諺がある。
いくらよい教えを説いても、人間の脳の一部に、ウマの脳があったらどうなるか?
ウマの部分を除去せぬかぎり、古いことばだが、「意馬心猿」という、けものの心が、いつなんどき動き出すか、わからないのだ。いや、ここ一番という、一番たいせつなときに限って、ウマの脳があばれ出すのだ。
そしてー、あとでのべるように、じっさいにわれわれの脳には、ウマの脳が存在しているのである。この脳を改造せぬかぎり、人類に平和と安穏は永久に来ない。教えや理くつだけでは、欠陥脳は改造できないということを、われわれは充分に認識しなければならぬのである。
第二に、心理学でいわれる反覆強迫観念による「運命の反復」現象である。
多くの人は、このことにあまりにも無知過ぎる。
人間の深層心理に目を向けた近代心理学は、まず、ジークムント・フロイトの、個人の無意識層分析から始まった。次いで、カール・グスタフ・ユングの集合的無意識層(群衆心理学)に進んだ。これに対し、リポット・ソンディは、この二つの層の中間にある「家族的無意識」という無意識の第三番目の領域を、研究対象としてとりあ
げた。
つまり、それまでの「個人」と「群衆」の中間に、「家族」を発見したわけである。
これは、無意識の特別な領域であった。ソンディは、この学説を、
 
「運命分析心理学」
 
と名づけたが、それによると、
個人の無意識層のなかに抑圧されている特殊な祖先の欲求が、子孫の、恋愛・友情・職業・疾病および、死亡の形式における無意識的選択行動となって、その運命を決定する。
というのであった。
要するに、特殊な先祖の抑圧された欲望や葛藤が、子孫の無意識の意識にはたらきかけて、子孫の恋愛(結婚)・友情・職業・病気・死にかたまで運命的に決定してしまう、というのである。
その結果あらわれる現象が、「運命の反復」である。特定の先祖の運命を、そのまま繰り返すという現象である。
 
その繰り返しは、まったくおなじ運命を繰り返すという例と、まったくおなじではなく、あるワク内での相似した運命をたどるというものと、二種類あるが、いずれも、ソンディの発見した一つの原則にしたがってその反復現象は起きるのである。(ソンディは、かず多くの例をあげて論証しているが、特に、バルザック、ドストエーフスキーの二大作家の例証は有名である.
 
どうして運命の反復が起きるのか? ソンディは、その原因を、遺伝趣性にあるとする。
しかし、わたくしが考えるのに、この運命の反復のすべての原因を、遺伝塑性のみに帰するのは無理なのである。他にも原因を考えねばならぬのだ。
というのは、義父母、義祖父母、義祖々父母、等々というように、直接の血縁関係でなく、故に、遺伝子(DNA)が遺伝しない間柄においても、明白に
 
運命の反復現
 
象が起きているからである。つまり、遺伝子によって遺伝されなくても、特殊な祖先の抑圧された欲求や葛藤は、その子孫の無意識の意識にはたらきかけて、その運命を決定してしまうのである。その実例はいくつもあげられる。
これはいったいどういうことか?
端的に言おう。
「個人の無意識層の中に抑圧されている特殊な祖先の欲求」とは、或る個人の無意風のなかに、特殊な祖先(すでに死者となっている)の欲求 (怨念)が抑圧されていて、その個人(子孫)の行動を決定する、ということにほかならない。
つまり、死者の怨念が、生きている者の無意識の意識を動かして、死者の怨念(欲状)を満足させるための行動をとらせる。それが、死者の人生と同一の道をたどらせることになる。それが運命の反復だ。そして、ここで注目しなければならぬことは、
その死者の怨念の伝達機構である。かならずしも遺伝子によらぬとしたら、いったい、なにがその怨念を伝達するのか?
答は、一種のバイブレーション、というしかないであろう。
ところで、一つの国家、民族、種族は、運命共同体であり、一つの家族である。
運命の反復理論は、そのまま、これにあてはめることが出来るであろう。その場合、
「歴史はくり返す」という現象になってあらわれる。個人の場合は、運命の反復、国、。
 
「歴shi家・社会の場合は、繰り返される歴史となってあらわれるのである。
人類の歴史は、戦争の歴史である。
戦争による死者の怨念が、生きている人間たちを、次の戦争へと駆り立てる。かくて、はてしなく戦争の歴史が繰り返されるのである。
このままでは、戦争が止むとき、それは人類が絶滅したとき、ということになろう。
宇宙は、宇宙意識によってみたされている。その宇宙意識のバイブレーションの中から、全地球を覆う死者の怨念を消滅させぬかぎり、地球に平和と安穏は、永久に訪れることがないであろう。
以上げた二つの問題をどう解決するか、また、はたして解決することが出来るのか、次に起きる戦争こそ人類絶滅の戦争であると予言されているいま、人類にとってこの上なく切実、かつ緊迫した問題ではないか。
あなたはどう思うか?
 
 
Why?
Why is this barbaric slaughter and war constant, even though science and technology have advanced and so many religions, ethics, and morals have been preached?
War has never been started to stop the war, to correct injustice, and to stop it.
The ongoing war and struggle are endlessly expanding violence, poverty, environmental destruction and the devastation of humanity.
Many people are afraid that one day a catastrophe will come.
 
Most of humanity is worried that they have to do something about it, and they feel despair from the bottom of their hearts, hoping for eternal peace.
Why?
There are two causes.
There are two major causes that many people are unaware of.
The first is the structural defect of the human brain.
As we will see later, humans have fatal defects in their brains. Unless this defect is corrected and remodeled, peace and peace will never come to humankind.
The defective brain gave birth to the defective civilization.
Until now, religion, ethics, and morality have considered only "remodeling of consciousness." It is "Iwayama".
In other words, the aim was to "change the way we think about things." He preached a "teaching" that would change the way we think about things.
However, no matter how much you try and change your mind, you will not be able to achieve a satisfactory effect. Because there is a defect in the brain that accepts it.
No effect can be expected unless the defects that exist in the root of consciousness, thought, and generation are removed.
There is a popular saying, "Nembutsu in the ears of horses."
No matter how good the teachings are, what if there is a horse brain in a part of the human brain?
Unless the horse part is removed, it is an old word, but I do not know when and how the beast's heart, "Imashinsaru", will start to move. No, the horse's brain is exposed only when it is the most important time here.
And, as we will see later, there is actually a horse's brain in our brain. Unless this brain is remodeled, peace and peace will never come to humankind. We must be fully aware that defective brains cannot be remodeled by teaching and reasoning alone.
The second is the phenomenon of "repetition of fate" due to the rebellious obsession in psychology.
Many are too ignorant of this.
Modern psychology, which focuses on the deep psychology of human beings, began with Sigmund Freud's analysis of the individual's unconscious layer. He then proceeded to Carl Gustav Jung's collective unconscious (crowd psychology). On the other hand, Lipot Sondy focuses on the third area of the unconscious, "family unconscious," which lies between these two layers.
I got it.
In other words, he discovered a "family" between the "individual" and the "crowd".
This was a special area of the unconscious. Sondy wrote this theory,
 
"Fate Analysis Psychology"
 
I named it, but according to it,
The special ancestral desires that are suppressed within the unconscious layer of the individual become the unconscious choice behaviors of the offspring in the form of romance, friendship, occupation, illness, and death, which determine their fate.
It was.
In short, the suppressed desires and conflicts of special ancestors act on the unconscious consciousness of the descendants, and the love (marriage), friendship, occupation, illness, and death of the descendants are destined to be decided. be.
The resulting phenomenon is "repetition of fate." It is a phenomenon in which the fate of a specific ancestor is repeated as it is.
 
There are two types of repetition, one is to repeat the same fate, and the other is to follow a similar fate within a certain vaccine, both of which follow one principle discovered by Sondy. Repetitive phenomena occur. (Sondy argues with many examples, but the examples of the two major writers Balzac and Dostoevsky are particularly famous.
 
Why is the repetition of fate happening? Sondy blames heredity on the cause.
However, I think it is impossible to attribute all the causes of this repetition of fate solely to genetic plasticity. We have to think about other causes.
This is because, such as step-parents, step-grandparents, step-grandparents, etc., not directly related to each other, and therefore, even in relationships where the gene (DNA) is not inherited.
 
Repetitive manifestation of fate
 
Because the elephant is awake. In other words, even if it is not inherited by a gene, the suppressed desires and conflicts of a special ancestor act on the unconscious consciousness of its offspring and determine its fate. There are many examples.
What exactly does this mean?
Let's just say it.
"The desire of a special ancestor suppressed in the unconscious layer of an individual" means that the desire (grudge) of a special ancestor (already dead) is suppressed in the unconsciousness of an individual. It is nothing but determining the behavior of the individual (descendant).
In other words, the grudges of the dead move the unconscious consciousness of the living, and take actions to satisfy the grudges (desires) of the dead. It will follow the same path as the life of the dead. That is the repetition of fate. And what you have to pay attention to here is
It is the transmission mechanism of the grudge of the dead. If it doesn't necessarily depend on genes, what exactly conveys that grudge?
The answer would be a kind of vibration.
By the way, one nation, one race, one race is a fateful community and one family.
The iterative theory of fate could be applied to this as it is. In that case,
It appears as a phenomenon that "history repeats itself". For individuals, the repetition of fate, the country ,.
 
"In the case of the history family / society, it appears as a repeating history.
The history of mankind is the history of war.
The grudges of the dead from the war drive living humans to the next war. Thus, the history of war is endlessly repeated.
At this rate, when the war stops, it will be when humankind is extinct.
The universe is seen by the consciousness of the universe. Peace and peace will never come to the earth unless the grudges of the dead that cover the whole earth are extinguished from the vibration of the cosmic consciousness.
Now that it is predicted that the next war will be the war of extinction of humankind, how to solve these two problems, and how they can be solved, it is not the most urgent and urgent problem for humankind. mosquito.
What do you think?
 
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ブッダの智慧への道: 七つの修行法と三十七のカリキュラム"

2024-01-24 16:12:21 | タブレットPC
2. "仏陀の教えを深掘り: アーガマとアビダルマの実践法"
3. "さとりへのガイド: 四念住から八正道までの仏教修行"
 
 
 
 
 
- 仏陀の教えには、神聖な智慧を得るための七つのシステムと、ニルヴァーナの智慧を獲得するための三十七の修行法が含まれている。
- アーガマの諸経典やアビダルマによって、仏陀の教法が人間存在の構造を変えるものとして紹介されている。
- 仏教の根本を発見するために、アーガマの諸経典とアビダルマを探究し、仏陀の説かれた実践法を学ぶことが提案されている。
- 四念住、四正断、四神足、五根、五力、七覚支、八正道は、仏陀がさとった法の修行法を表し、すべての比丘らが学ぶべき指針であるとされている。
- 四念住は身・受・心・法の不浄・苦・無常・無我を瞑想する四つの内観法であり、仏陀の説法における基本的な修行法とされている。
- 四正断は町附・修断・随護断・律儀断の四つの修行で、悪を断じてなくし、未来の悪に備え、既存の善を増大させ、未来の善を得ることを目指す。
- 四神足は欲神足、勤神足、心神足、観神足の四つで、超自然的な神通力を得るための修行法を表している。
- 五根は信根、精進根、念根、定根、慧根の五つで、三宝に対する信仰と、精進・念・禅定・智慧の修行を指す。
- 五力は信力、精進力、念力、定力、慧力(智力)の五つで、高度な力を得る修行であり、五根よりも進んだ段階の修行とされている。
- 七覚支は択法覚支、精進覚支、喜覚支、軽安説支、捨覚支、定説支、念説支の七つで、ニルヴァーナへ導く七つの修行法を示している。
- 八正道は初転法輪に属する教法であり、四聖諦から発展したもので、仏陀のさとりの根本とされている。
The Buddha's teachings include seven systems for attaining divine wisdom and thirty-seven practices for attaining the wisdom of Nirvana.
- The Buddha's teachings are introduced in the Agama scriptures and the Abhidharma as something that changes the structure of human existence.
- In order to discover the roots of Buddhism, it is suggested to explore the Agama scriptures and Abhidharmas and learn the practices taught by the Buddha.
- The fourfold meditation, the four right decisions, the four divine feet, the five roots, the five powers, the seven enlightenments, and the eightfold path represent the Dharma training methods learned by the Buddha, and are said to be guidelines that all bhikkhus should learn. ing.
- Four thoughts and meditations are four methods of introspection that meditate on the impurity of the body, reception, mind, dharma, suffering, impermanence, and no-self, and are considered to be the basic training method in the Buddha's sermons.
- Shiseidan is the four disciplines of Machatsuki, Shusha, Zuigodan, and Ritsugidan, and aims to completely eliminate evil, prepare for future evil, increase existing good, and obtain future good.
- The four god feet are the greedy feet, the devoted feet, the Shinshin feet, and the Kanshin feet, and they represent the training method to obtain supernatural divine power.
- The five roots are belief root, vegetarian root, nen root, fixed root, and wisdom root, which refer to faith in the Three Treasures and the training of devotion, thought, meditation, and wisdom.
- The Five Powers are faith, diligence, psychokinesis, fixed power, and wisdom (intelligence), and are training to acquire advanced powers, and are considered to be training at a more advanced stage than the Five Roots.
- The Seven Gakushu are the Seven Gakusho, the Shojin Gakusho, the Kishu Gakushu, the Light Ansshosho, the Sage Gakusho, the Sessetsusho, and the Nensetsusho, which represent the seven training methods that lead to Nirvana.
- The Eightfold Path is a teaching that belongs to the First Turning Dharma Wheel, developed from the Four Noble Truths, and is considered to be the basis of the Buddha's enlightenment.
 
 
 
 
Seven systems for acquiring sacred wisdom and thirty-seven curriculum
In the Buddhist scriptures of Akan, Nirvana was expressed.
You can even discover Nirvana's wisdom.
You can discover the root of Buddhism.
Let's look at the Buddha's teachings that change the structure of human beings with the scriptures of Argama and Abidharma.
Thirty-seven training methods leading to Satori
The Buddha's 変 え る, which alters the structure of human beings by means of the scriptures of Agama and Apidharma
Let's look at the teaching method.
あ る There is one sentence that should come to mind immediately.
.
“Here, Hioka and others, we have come to understand the law and preach to you. In other words, it's Shikinzumi, Yoshoku, Yoshoku, Gone, Gokoku, Nankaku, and Yasumasa. Therefore, all the hills will reconcile, conquer and fight.
You have to learn this without it. Yunyo ”
In other words, the practice and practice of the Buddha's law are clearly described here.
You. Moreover, it is clearly stated that all the hills must reconcile with each other and learn without conflict. Isn't there any more clear guidance?
Let's look at the practice that Buddha preached in Argama and Abidharma based on this one.
First, what are Shimenju, Shisho, Shikashi, Gone, Gokiki, Shichikaku, and Yashomichi?
七 The practice of these seven subjects taught by Argama is by Apidharma. 37 items of Nishika
Is called the 17th Bodhi method, and is described in detail as a typical training method.
It means 37 training methods (Abi Daruma Club 1 2, Vol. 25-12).
Let's explain next.
Shikinzumi rcattari sapatatthani
In the old translation, it is called the Four Nenjo. It is also called the four thoughts. There are four types of introspection and meditation methods for obtaining satori. Body
There are four types of living: memorial, accepting, mental, and honest.
Seal This body is unclean and suffering.
Your mind is insane. The law is selfless.
Thinking and meditating. That is, this body is unclean. Feeling (all) is painful. The mind is impermanent. I meditate on the idea that everything is selfless. At first, these four terms are considered separately, and then these four are united, and the body, feeling, mind, and all things (law) are unclean, bitter, and impermanent. The idea is to be selfless.
I will mention this four-part house later. I believe that this is a legalization of the Four Sacred Revenues. At least there will be some skillful involvement.)
4 straight cuts 6 cattiri sammamappadhanan D
In the old translation, it is called four full-time jobs. Four disciplines: cutting, discipline, advocacy, and cutting.
Machizuke = Practice to avoid the evil that is occurring in the curse. Repeat to refuse many times.
Rehabilitation—A practice that strives to prevent future evils from occurring.
Defiance = discipline that strives to increase this already existing good.
Ritual discipline = discipline that strives to obtain this for good that does not yet exist.
Four gods feet rcattaro idhipado
訳 す Translated as four-handed. The basis for obtaining four freedoms. Four types of training to gain supernatural mystical power.
Greed god's feet = training to hope for good meditation.
Kinkaku = Training to strive for excellent meditation.
Shinshin feet = Training to try to calm down and get excellent meditation.
Obtain good meditation by thinking and observing with the wisdom of the Kanjin shodan bureau.
God is Shinto. God is a terrible thing. A foot is a cause. That is, it means constant (meditation). It is called a god foot because it is the cause of Shintoism.
Gone Oancindryiinij
五 Five of Shine, Shojin, Nene, Sadae, and Keine. The root is the ability to work freely. It was one of the three treasures of Buddhist monks.
This is a training in which Ishin Nobu and Jingu, Nen, Zen (meditation) II, and Wisdom demonstrate high abilities toward Nirvana.
Five powers Oafica balaniD
(4) Religion, dedication, intellect, fixed ability, and wisdom (or wisdom). Training to gain five advanced powers to Nirvana
line. It is the same virtue as Gone, but it is a powerful function, but Gokoku is more like that.
It is possible to show even greater power and both can be seen to be of varying degrees.
Seven senses Csatta bojjha4aD
It refers to the seven branches of electoral sensation, sensational sensation, joyful spelling, light security sensation, discretionary sensation, stipulation, and philosophy. Seven practices of Nirvana Hemichi.
Selective law support = The practice of wisdom that chooses the truthful ones from the teaching method and discards the occasional ones. "
(4) Training to work hard and do not retreat.
= Training to live in the joy of learning and executing the teachings of the truth.
Kan'an theory = A practice where the body and mind are light and cheerful, and they are not confused or congested.
Recognition of refusal = repair that keeps the mind of hate love and does not disturb the mind or disturb the calmness of the mind.
行. It is a training that discards the bond with the target.
。 = Training that does not disturb the concentrated mind during meditation and normal behavior.
Training to flatten out your mind.
When you talk about the Yasumasado, you have to explain the new items. Because, this Yashodo is a Buddha
The so-called soda was preached only after Da fulfilled Nirvana. It is a teaching method that belongs to the “First Turn Falun”.
It is considered to be the root of the Buddha's satori. And then again, in the commentary on Yasumasado. We need to start with "Shinseigi."
 
 
 
 
神聖なる智慧を獲得するための七種類のシステムと、三十七種類のカリキュラム
ブッダの説かれた阿含の経典群の中には、ニルヴァーナを表現した
、ニルヴァーナの智慧を獲得する修行法までも、発見できるのです。
仏教の根本だ発見できるのです。
 
 アーガマの諸経典、およびアビダルマによって、人間存在の構造を変える仏陀の教法を見ていこう ではないか。
   さとりに至る三十七の修行法
 い、アーガマの諸経典およびアピダルマによって、人間存在の構造を変える仏陀の
教法を見ていこうではないかといった。
 するとすぐに念頭に浮かびあがってくるはずの文章がひとつある。
  『ここに比丘らよ、われによりて法は悟られ、汝らに説かれたり。すなわち四念住・四正断・四  神足・五根・五力・七覚支・八正道これなり。それゆえにすべての比丘らは相和し相欣び、争う
  ことなくして、これを学ばざるべからず。云々』
 すなわち、仏陀によってさとられた法の修行法、実践法があきらかにここに記されているわけであ
る。しかも、それを、すべての比丘は相和し相欣び、争うことなくして学ばなければいけないとはっ きり言明されているのだ。これ以上明確な指針はないではないか。
 ひとつこれを基本にして、アーガマとアビダルマのなかから、仏陀の説かれた実践法を見ていってみよう。
 
 まず、四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道とはなにか。
 
 アーガマに説かれたこの七科目の修行法は、アピダルマ論師によって。七科三十七道品”あるい
はご一十七菩提分法”と名づけられ、代表的な修行法としてくわしく解説されている。さとりに至る
三十七の修行法という意味である(『阿毘達磨倶1 論』巻二五-一二)。
 つぎに解説してみよう。
 
四念住rcattari satipatthanani
 
 旧訳では四念処という。四念処観ともいう。さとりを得るための四種の内観・瞑想法である。身
念住・受念住・心念住・法念住の四つである。
 印この身は不浄なり受は苦なり。
 心は無常なり。㈲法は無我なり。
 
と観念し瞑想するのである。すなわち、この身体は不浄である。(すべての)感受は苦である。心は無常である。すべての事物は無我である、と観念し瞑想する。はじめはこの四項をそれぞれ別に観念し、つぎにはそれらの四つを一つにして、身体・感受・心・そしてすべての事物(法)は不浄である、また苦である、無常である、無我であるというように観念していくのである。
 
わたくしは、この四念住はあとで述べる。四聖諦”を行法化したものであろうと思っている。すくなくとも 巧ふかいかかわりはあるであろう)
 
 
四正断6cattiri sammappadhananD
 
旧訳では四正勤という。断断・律儀断・随護断・修断の四つの修行。
 町附=いま呪に起こっている悪を断じてなくするようにはげむ修行。幾度も断ずることをくりかえす。 
 
修断―まだ起こっていない悪に対して、今後起きないように努力する修行。
 随護断=いますでに存在している善はこれをますます増大させるようにと努力する修行。
 律儀断=まだ存在しない善にたいして、これを得るように努力する修行。
 
四神足rcattaro iddhipado
 
 四如意足とも訳す。四つの自在力を得る根拠となるもの。超自然的な神通力を得るための四種の修行法。
 欲神足=すぐれた瞑想を得ようと願う修行。
 勤神足=すぐれた瞑想を得ようと努力する修行。
 心神足=心をおさめてすぐれた瞑想を得ようとする修行。
 観神足旦局い智慧をもって思惟観察してすぐれた瞑想を得ること。
 神とは神通のこと。妙用のはかりがたいことを神という。足とは因(よりどころ)のこと。すなわぢ、定(瞑想)のことをいう。神通を起こす因であるから神足と名づけるのである。
 
五根Oancindriyiinij
 
 信根・精進根・念根・定根・慧根の五つ。根とは自由にはたらく能力をいう。仏法僧の三宝にた
いする信と、精進・念・禅定(瞑想) ・智慧が、ニルヴァーナにむかって高い能力を発揮する修行。
 
五力Oafica balaniD
 
 信力・精進力・念力・定力・慧力(または智力)。ニルヴァーナに至る高度な五つの力を得る修
行。五根とおなじ徳目であるが、五根が能力的なはたらきであるのにたいし、五力はそれがいっそ
う進んでさらに大きな力を発揮することがであり、両者は程度の差と見ることができる。
 
七覚支Csatta bojjha4aD
 
択法覚支・精進覚支・喜説支・軽安覚支・捨覚支・定説支・念説支の七つをいう。ニルヴァーナヘみちびく七つの修行。
 択法覚支=教法の中から真実のものをえらび、いつわりのものを捨てる智慧の修行。」
 精進覚支=一心に努力して退転しない修行。
 喜 覚支=真実の教えを学び、実行する喜びに住する修行。
 軽安説支=身心を軽快明朗にして悟冥したり渋滞したりしない修行。
 
 
捨 覚支=取捨憎愛の念をはなれて、なにごとにも心がかたよったり、心の平静が乱されない修
     行。対象へのとらわれを捨てる修行である。
定 覚支=瞑想中も平常の行動中も集中した心を乱さない修行。
念 覚支Hおもいを平らかにする修行。
 
八正道
 
 八正道にっいてはべっに項目をあらたにして説かねばならない。なぜならば、この八正道は、仏
陀がニルヴァーナを成就してのちはじめて説法された、いわゆる。初転法輪”に属する教法であ
り、仏陀のさとりの根本であるとされているからである。そうして、また、八正道の解説には、。四聖諦”からはじめねばならない。。四聖諦〃から解説しよう。
 
 
 
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Buddha  Japan Journal
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大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 "Kongokai" expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai
 
胎蔵界曼荼羅 たいぞうかい Womb Realm Mandala Taizokai
 
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如来の予言:七覚支法が地球を救う時 Prophecy of the Tathagata: When the Seven Awakening Dharma will save the earth

2024-01-24 11:15:20 | タブレットPC
 
- お釈迦さまは「七宝経」で、如来が現れる際に七覚支法が出現することを説明しています。
- 七覚支法は念覚支、択法覚支、精進覚支、喜覚支、息覚支、定覚支、捨覚支の七つの修行法から成り立っています。
- 念覚支は念の力を強化し、空観を体得する修行。択法覚支は真実の教法を選び修行すること。
- 精進覚支は一心の努力精進によって教法を体得する修行。喜覚支は真実の教法を身につける喜びに住む修行。
- 息覚支は心身を軽快にする修行。定覚支は特殊な瞑想法を含む瞑想の修行。捨覚支は執着を捨てる修行。
- お釈迦さまは「阿含経」の中で七覚支法を説明し、それが如来の出現を予言していると考えています。
- 世界が危機的状態にあり、如来の出現が必要であるとし、それが阿含宗によって広まりつつあると主張しています。
- お釈迦さまの成仏法・七科三十七道品が阿含宗によって広められ、世界を救う手段として存在すると述べています。
- 作者は「阿含経」を通じて、現代において如来が出現する予言であり、それを阿含宗が具現化していると解釈しています。
- 世界を救う役割を果たすのは阿含宗であり、お釈迦さまの成仏法を広める努力が如来の出現に繋がると認識しています。
In the Seven Treasure Sutras, Buddha explains that when the Tathagata appears, the Seven Awakenings will appear.
- The Shichigakushō method consists of seven training methods: Nen Gakusho, Shoho Gakusho, Shojin Gakusho, Kikakusho, Breath Gakusho, Jo Gakusho, and Sakugakusho.
- Nen Gakushu is a training that strengthens the power of Nen and masters the idea of space. Choho-kakushu means choosing the true teaching method and practicing it.
- Shojin Gakusho is a training that involves mastering the teaching method through single-minded effort and dedication. Kikakushi is a practice that dwells in the joy of acquiring the true teaching method.
- Breathing is a practice that lightens the mind and body. Jogakusho is a meditation practice that includes special meditation techniques. Sakukushi is the practice of abandoning attachment.
- Shakyamuni Buddha explained the Seven Kakusho in the Agon Sutra, and believes that it predicts the appearance of the Tathagata.
- He claims that the world is in a state of crisis and that the appearance of the Tathagata is necessary, and that this is being spread by the Agon sect.
- It states that Buddha's method of attaining Buddhahood, the Thirty-Seven Ways of the Seven Sciences, was spread by the Agon sect and exists as a means to save the world.
- The author interprets this as a prophecy that the Tathagata will appear in modern times through the Agon Sutra, and that the Agon sect is the embodiment of this prophecy.
- It is the Agon sect that plays the role of saving the world, and we recognize that efforts to spread the Buddha's method of attaining Buddhahood will lead to the emergence of the Tathagata.
 
 
七宝です。 如来・無所著・等正覚がこの世に出現する時には、この七覚支(法という) 宝がこの世 に出現するのです」
以上のように仏さまは説かれました。もろもろの比丘たちは仏さまの説法を承り、歓喜して修 行に励みました。
お釈迦さまは転輪王の七宝になぞらえて、 七覚支法は如来の七宝であるとおっしゃっているわ けです。「是の如く」とは、それと同じようにということです。如来・無所著・等正覚が世に出 現される時も同様に、七覚支法という七宝が出現するわけです。如来とは真如の世界から来られ たお方という意味で、仏さまのことです。無所著も仏さまの別名です。仏さまは一切のものに執著執着しないので、無所著というわけです。あらゆるものの執着から離れたお方ですから、 仏さまのことを無所著といいます。等正覚もやはり仏さまの別名ですが、比類のない最高の正し 悟りを得られたお方という意味です。 如来も無所著も等正覚も、仏さまのことです。
仏さまがこの世に出現される時には、転輪王が七つの宝を得られるように、七つの宝ともいう べき七つの法が世間に出現するのです。
それでは、仏陀の七宝である七覚支法とは、どういう法なのでしょうか?
これは、念覚支択法覚支・精進覚支・喜覚支・息(軽安・猗)覚支・定覚支・捨覚支の七 つからなる修行法です。
七覚支法の詳しい説明は、拙著「輪廻する葦」(平河出版社)で説明しておりますが(二八四 三二四頁参照)、念のために簡単に説明すると、
1念覚支......念の力を強化し、その力によって空観を体得する行
2択法覚支..世の中にたくさんある宗教・信仰・哲学の中から、真実の教法を選ぶ修行
3精定...一心の努力精進によって、自分が選んだ教法を体得する修行
4喜覚覚支・・・・真実の教法を身につける喜びに住する修行
5息覚支・・・・ 心身を軽快にする修行
6定進覚... 「滅尽定」「四禅定」を含む、特殊な瞑想法
7捨覚支・・・・(執著)する心を捨てる修行 ものごとにとらわれて執着
転輪王という偉大な王さまが出現される時には、 輪宝をはじめとした七つの宝が世の中に出て、 転輪王はそれを得て世界を統一し、立派な世の中を建設します。 同様に、如来が出現される時に は七つの法、七覚支法が現われ、如来はその法をもって世の中を救うのだ、とお釈迦さまはおっ しゃっているのです。
わたくしは、このお経は一種の予言であると思います。 このお経を目にした時、これは予言経 だなと直感しました。
どのような予言でしょうか?
現代に、まさに如来が出現するという予言です。わたくしたちが生きている、今この時代に如 来が現われるぞ、という予言であるとわたくしは思うのです。
なぜ、そういうことがいえるのでしょうか?
わたくしは、二つの理由を挙げることができます。
まず第一に、今この時代に如来が現われなければ、この世界は絶滅するということです。もし も今、如来が出現されなかったならば、この世界は壊滅します。 エントロピーの法則というもの がありますが、この法則に照らし合わせても、地球の壊滅は遠くない将来であるといわざるを得 ません。 どうしても今、如来が出現されなければならないのです。
第二の理由は、現在、わたくしたちの手によって、七覚支法が世に出ているからです。 今まで の日本は仏教国とはいいながら、七覚支法など目にしたこともなければ、聞いたこともなかった 人がほとんどでした。 「阿含経」の中にすでに説かれているものの、その「阿含経」自体が小乗 経典とけなされて、まったく顧みられなかったために、七覚支法をはじめとしたお釈迦さまの成 仏法・七科三十七道品のすべてが、だれにも修行されることなく、埋もれたままになっていたの です。
ところが阿含宗が登場して、 七科三十七道品の存在が世の中に広まってきました。七覚支法も わたくしが「輪廻する』を書いて、初めて世に出たといっても過言ではありません。 諸君がお
釈迦さまの成仏法・七科三十七道品の存在を知ったのは、わたくしの本を読んでからか、あるい は阿含宗に入行してからのはずです。
しかし、それは諸君だけではありません。 在家であるあなた方だけではないのです。 非常に著 名な大乗仏教の僧侶や学僧でさえも、わたくしの著書を読んでお釈迦さまの成仏法七科三十七 道品の存在を初めて知った、という人がほとんどです。
阿含宗が登場するまでは、「阿含経」を学んだことのない学者や学僧が大半を占めていました。 彼らの多くは大乗経典の研究者だったのです。大きな書店の宗教書のコーナーに行っても、「阿 「含経」の解説書など、皆無に等しい状態でした。もっとも、「阿含経」の研究書を出版しても、 だれも買わなかったと思いますが。
ところがわたくしが阿含宗を立て、「阿含経」を世の中に広め出してからは、大きな書店の宗 教書のコーナーに、「阿含経」に関する書籍が次々と並ぶようになったわけです。
世界を救う如来の出現
  • 中阿含経・七宝
そこでいえるのは、七覚支法という成仏法は阿含宗が登場して初めて、世の中に出現したとい うことです。それまでも存在はしていましたが、広く世間に知られていませんでした。しかし、 阿含宗の登場によって「阿含経」も、そこに説かれる七覚支法も、世間の知るところとなったの
前述のように、
「如来が出現される時には、七覚支法が世間に現われる」
お釈迦さまは『七宝経』で説かれておりました。阿含宗によって七覚支法が世間に知られる
ようになったのは、決して偶然とは思えません。
それが如来なのです。
今、この世は危機的状態の中にあり、その危機を救うためには、どうしても仏陀が出現されな ければなりません。 如来が現われなければならないのです。そうでなければ、この世界は壊滅す るとわたくしは思います。
しかしながら、この世界がそう簡単に壊滅するとは思えません。 とすると、なにかが出現し、 だれかが現われて、この世界を破滅から救うということになるでしょう。だれがこの世を救うの でしょうか?
それでは、その如来とはだれでしょうか?
その如来とは、阿含宗なのだとわたくしは思います。 如来とは、 わたくしであり、あなた方な のです。お釈迦さまの成仏法・七科三十七道品を広めているわたくしや諸君が、この世を救う如 来である、とわたくしは考えています。 成仏法を世に出す努力をする人たち、その人たちがすな わち如来なのです。お釈迦さまの成仏法を世に出すということは、お釈迦さまを世に出すことに ほかなりません。さらに、お釈迦さまを世に出すということは、自分自身が如来となることでは ありませんか。
自分自身が如来となり、お釈迦さまの成仏法をこの世に広めることによって、世界は壊滅から 救われる。わたくしはこのお経を、そのような予言経であると解釈しております。
『七宝経』は短いお経でありますが、内容はじつに意味深長です。 わたくしたちは一生懸命に努 力して、この予言を現実のものにしなければいけません。お釈迦さまの成仏法を身につけ、成仏 法を世に出していくのです。その功徳によってわたくしたちも成仏し、名実ともに如来になるの です。お釈迦さまは、
「おまえたちすべてが如来になりなさい。その時、世界は救われるのだ」
というお気持ちを込めて、このお経をお説きになられたのだとわたくしは感じます。
このように大切なことが説かれている「阿含経」が、日本では千数百年以上も顧みられること もなく埋もれていました。そのことを考えますと、心の底からつくづく嘆息せざるを得ません。 しかしながら、考えようによると、これまでの世界は「阿含経」をさほど必要とすることのな い、比較的によい時代であったのかもしれません。昔は、人間の力で地球を破壊することなど、 とうてい不可能でした。ところが今は違います。 地球を何回も破壊して、それでもまだ余りある ほどの核を人類は保有しています。そのような破滅に瀕した地球を救うためにこそ、「阿含経」 は温存されてきたのかもしれません。非常時のために、大切にしまわれてきたとも考えられます。 それをわたくしたちが発見して、世界を救うために世に出しつつあるのです。これ以上の梵行は ありません。
わたくしたちは手を握り合って、この活動を宗教運動というような小さな枠内だけではなく、 大きな大きな社会運動にまで盛り上げていき、この地球の壊滅を救うように努力しなければいけ 中阿含経・七宝
ません。その時期がまさに今、到来したのです。
孤独のあった森林(ジェータヴァナ) の別訳 小部経典 南方上座部の聖典・バーリ五部の一つで、 十五分からなる。 パーリ五部の他の四部「長部経』 中部経典 部経典」 「増支部経典」は、それぞれ漢訳」「中阿含経」「阿含経」 「増一阿含経』にほぼ対応するが、『小部経典」 に含まれるお経のいくつかは単として漢訳され、「小阿含経」というものはされなかった。『小部経典」の集成が他の四部 に比べて遅れたためと考えられるが、このことと経典の内容の新古とは別問題とされる。単として訳された「小部経典』所 収の経典には、「法句経」「法句経」「義経」 などがあるが、いずれもお釈迦さまの口の説法を知るための重要な経典と して、学問的にも重要視される
人のバラモンのうち、いちばん若いバラモンであるアンニャー・コンダンニャだけが、シッダッダ太子が必 出され、仏陀となられることを予言した。また彼は、シャダッタ太子の出家に随行した、いわゆる五比丘の一人で、仏弟子 として最初にを得た人物でもある
*4エントロピーの法則 熱力学第二法則。「物質とエネルギーは一方向のみに変化する。 すなわち使用可能なものから使用不 可能なものへ、あるいは利用可能なものから利用不可能なものへ、あるいはまた秩序化されたものから無秩序なものへ変化す る」こと。Jリフキン著の『エントロピーの法則』(祥伝社)によって、一般によく知られるようになった
 
 
It's Shippo. When the Tathagata, Mushosho, and Toshogi Awakening appear in this world, this treasure of the Seven Awakenings (Dharma) will appear in this world.
The Buddha preached as above. The various bhikkhus listened to the Buddha's sermons, rejoiced, and devoted themselves to their training.
The Buddha compares it to the seven treasures of the wheel-turning king, and says that the Seven Awakenings are the seven treasures of the Tathagata. “As is” means in the same way. Similarly, when the Tathagata, Mushosho, and Toshogaku appear in the world, the Seven Treasures known as the Seven Awakenings will also appear. Tathagata means a person who came from the world of Shinnyo, and is a Buddha. Mushosho is also another name for Buddha. Since the Buddha is not attached to anything, he is said to have no place. The Buddha is said to be free from all attachments because he is free from all attachments. Tosei Awakening is also another name for Buddha, but it means someone who has achieved the unparalleled highest level of righteous enlightenment. The Tathagata, Mushosho, and Toshogaku are all Buddhas.
When the Buddha appears in this world, just as the wheel-turning king obtains the seven treasures, the seven dharma, also known as the seven treasures, will appear in the world.
So, what kind of Dharma is the Buddha's Seven Treasures, the Seven Gakushu Dharma?
This is a method of training that consists of seven parts: Gakusho Gakusho, Shojin Gakusho, Ki Gakusho, Breathing Gakusho, Jyo Gakusho, and Saku Gakusho.
A detailed explanation of Shichikakushoho is given in my book "Reincarnating Reeds" (Hirakawa Publishing) (see pages 284 and 324), but just in case, I will briefly explain it.
1. Nen Gakusho...The process of strengthening the power of Nen and using that power to gain a sense of space.
Two-choice teaching method...The practice of choosing the true teaching method from among the many religions, beliefs, and philosophies in the world.
3 Seisei...Training to master the teaching method of your choice through single-minded effort and dedication.
4 Kikaku Kakusho: Training to dwell in the joy of acquiring the true teaching method
5 breathing exercises...Training to lighten the mind and body
6 Determined Awakening...Special meditation methods including "extinction" and "four jhanas"
7. Sakukakusho...The practice of letting go of the mind of being obsessed with things and being attached to them.
When a great king called the wheel-turning king appears, seven treasures, including the wheel-treasure, will appear in the world, and the wheel-turning king will use them to unify the world and build a fine world. In the same way, the Buddha said that when the Tathagata appears, the seven dharma, the seven enlightenment laws, will appear, and the Tathagata will save the world with these dharma.
I think this sutra is a kind of prophecy. When I saw this sutra, I had an intuition that it was a prophetic sutra.
What kind of prophecy?
This is a prophecy that the Tathagata will appear in our modern times. I believe that this is a prophecy that the Tathagata will appear in this era in which we live.
Why is this true?
I can give two reasons.
First of all, if the Tathagata does not appear in this era, this world will become extinct. If the Tathagata did not appear now, this world would be destroyed. There is a law of entropy, and even in light of this law, it must be said that the destruction of the earth is in the not-too-distant future. The Tathagata must appear now.
The second reason is that Shichikakusho is now being released into the world through our own hands. Up until now, Japan has been known as a Buddhist country, but most people had never seen or even heard of the Shichikakusho. Although it was already explained in the ``Agon Sutra'', the ``Agon Sutra'' itself was dismissed as a Hinayana sutra and was completely ignored, so the Buddha's attainment of Buddhism, including the Shichikakusho, was explained. All of the 17 Ways had remained buried, with no one practicing them.
However, with the advent of the Agon sect, the existence of the 37 sects of the Seven Schools spread throughout the world. It is no exaggeration to say that he first appeared in the world after I wrote ``Reincarnation.''
He must have learned about the existence of Shakyamuni Buddha's method of attaining Buddhahood, the Seven Courses and Thirty-Seven Ways, after reading my book, or perhaps after he entered the Agon sect.
But it's not just you guys. It's not just you who are laypeople. Even among the very famous Mahayana Buddhist monks and scholars, most of them learned for the first time about the existence of Shakyamuni Buddha's Seven Courses of Buddhahood after reading my book.
Before the advent of the Agon sect, most of the people were scholars and learned monks who had never studied the Agon Sutra. Many of them were researchers of the Mahayana scriptures. Even when I went to the religious book section of a large bookstore, I found that there were almost no explanatory books on the ``A ``Sutra.'' However, even if I published a research book on the Agon Sutra, I don't think anyone would buy it.
However, after I established the Agon sect and began to spread the ``Agon Sutra'' throughout the world, books related to the ``Agon Sutra'' began to be lined up one after another in the religious books section of large bookstores.
Appearance of Tathagata who saves the world
Nakaagon Sutra/Cloisonné
What we can say is that the method of attaining Buddhahood called Shichikakushoho did not appear in the world until after the appearance of the Agon sect. Although it had existed until then, it was not widely known to the public. However, with the emergence of the Agon sect, both the Agon Sutra and the Shichikakusho taught there became known to the public.
As aforementioned,
“When the Tathagata appears, the Seven Awakenings will appear in the world.”
Buddha preached in the Seven Treasure Sutras. Shichikakusho became known to the world through the Agon sect.
I don't think it's a coincidence that this happened.
That is the Tathagata.
The world is currently in a state of crisis, and in order to save it from this crisis, the Buddha must appear. The Tathagata must appear. Otherwise, I believe this world will be destroyed.
However, I don't think this world will be destroyed so easily. If so, something will appear, someone will appear and save this world from destruction. Who will save this world?
So who is this Tathagata?
I believe that the Tathagata is of the Agon sect. The Tathagata is me and you. I believe that I and all of you who are spreading the Buddha's method of attaining Buddhahood, the Seven Courses and Thirty-Seven Ways, are the Tathagata who will save this world. Those who strive to bring the Dharma of attaining Buddhahood to the world are the Tathagata. Bringing the Buddha's method of attaining Buddhahood to the world is nothing less than bringing the Buddha into the world. Moreover, by bringing the Buddha into the world, isn't he also becoming the Tathagata himself?
The world can be saved from destruction by becoming the Tathagata and spreading the Buddha's method of attaining Buddhahood to this world. I interpret this sutra as such a prophetic sutra.
Although the ``Shippo Sutra'' is a short sutra, its content is deeply meaningful. We must work hard to make this prophecy a reality. We must acquire the Buddha's method of attaining Buddhahood and bring it out into the world. Through these merits, we too can attain Buddhahood and become Tathagata in both name and reality. The Buddha is
"All of you should become the Tathagata. Then the world will be saved."
I feel that He preached this sutra with these feelings in mind.
The Agon Sutra, which teaches such important things, remained buried in Japan without being looked at for over a thousand years. When I think about this, I can't help but sigh from the bottom of my heart. However, if you think about it, the world up until now may have been in a relatively good era, where the ``Agon Sutra'' was not so necessary. In the past, it would have been impossible for humans to destroy the Earth. But now it's different. Even though we have destroyed the Earth many times, humanity still has as many cores as hers. The Agon Sutra may have been preserved precisely in order to save the earth from such a catastrophe. It is also thought that it was carefully stored away in case of an emergency. We have discovered this and are bringing it into the world to save the world. There is no greater Brahma practice than this for him.
We must join hands and make this movement not only within the small framework of a religious movement, but also a large social movement, and strive to save this earth from destruction. - Tsune NakaAgon ・Shippo
not. That time has now arrived.
Another translation of The Lonely Forest (Jetavana) Small Sutra This is one of the five parts of Bari, the southern Theravada scripture, and consists of 15 minutes. The other four parts of the five Pali parts, ``Nagabe Sutra,'' Chubu Sutra, Bu Sutra, and ``Maso Branch Sutra,'' roughly correspond to the Chinese translation, ``Naka Agon Sutra,'' ``Agon Sutra,'' and ``Masuichi Agon Sutra,'' respectively. Some of the sutras included in the ``Shobe Sutra'' were simply translated into Chinese, and the ``Sho Agon Sutra'' was not translated. This is thought to be because the collection of the ``Small Sutras'' was delayed compared to the other four parts, but this is a different matter from whether the contents of the sutras were new or ancient. The sutras included in the ``Kobe Sutra'', which have been translated as simple translations, include the ``Dharmakaya Sutra'', the ``Dharmakaya Sutra'', and the ``Yoshitsune'', all of which are important sutras for understanding the Buddha's oral sermons. and is considered academically important.
Among the human Brahmins, only Anya Kondanya, the youngest Brahmana, prophesied that Prince Siddadda would emerge and become a Buddha. He was also one of the so-called Five Bhikkhus who accompanied Prince Shadatta to his ordination, and was the first person to become a disciple of the Buddha.
*4 Law of entropy Second law of thermodynamics. “Matter and energy change in only one direction: from usable to unusable, or from usable to unusable, or from ordered to disordered. "to change." It became well known to the general public due to ``The Law of Entropy'' (Shodensha) written by J. Rifkin.
 
 
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食と環境:充実した修行生活のコツ  瞑想  六    法を調える    Food and the environment: tips for a fulfilling training life

2024-01-24 10:49:13 | タブレットPC
心地よい修行環境の作り方
 
1. 環境の調整
- 自然の景観が良い場所が理想的(山岳、森林、海浜)
- 都会の場合は静かで清潔な室内が望ましい
- 室内は簡素で、植物を配置すると良い
- 光線は明るすぎず、うすみどり色やうすいブルーが適している
- 適切な気温と湿度に注意し、空気の流通にも気を配る
2. 生活環境全体の環境づくり
- 求聞持法の修行を続けられる生活環境を構築する
- 生活を規制して、修行を続けやすい環境を整える(例: 酒や喫煙の制限)
3. 食事の調整
- 食事は身体と心の養いのために行うべき
- 適切な量と質の食事が必要
- 過剰な食事は集中力の低下や疲労を招く
- 不足した食事は根気の低下や思考力の減退を引き起こす
- 食べ物の清潔さと質に注意し、けがれたものや刺激物は避ける
- 食物は修行者にとって非常に重要であり、注意深く選ぶ必要がある
 
1. Adjust the environment
- Ideal location with good natural scenery (mountains, forests, beaches)
- If you live in a city, a quiet and clean room is desirable.
- It is good to keep the room simple and place plants.
- The light is not too bright, and a pale green or pale blue color is suitable.
- Pay attention to appropriate temperature and humidity, and pay attention to air circulation.
2. Creating an overall living environment
- Build a living environment where you can continue practicing Gyomonjiho
- Regulate your lifestyle to create an environment that makes it easy to continue your training (e.g., restricting alcohol and smoking)
3. Adjusting your diet
- Eating should be done to nourish the body and mind.
- Requires adequate quantity and quality of food
- Excessive eating can lead to decreased concentration and fatigue
- Insufficient meals cause a decline in perseverance and thinking ability
- Pay attention to the cleanliness and quality of food and avoid unclean and irritating foods.
- Food is very important for practitioners and must be chosen carefully.
 
 
求聞持聡明法秘伝
 
まず、六法を調える。
六法とは、一、環境(場所)を調える。二、飲食を調節すること。三、睡眠を調える。四、身を調えること。五、気息を調えること。六、心を調えることである。
第一に、環境を調えることが大切である。
最もよいのは、山岳、森林、海浜など、自然の景観がすぐれ、空気の澄んだところである。
山ならば、滝のあるところなど、最も理想的である。
都会ならば、部屋はなるべく静かで清潔な所が望ましい。室内の調度・家具
など、簡素なけどよろしい。植物などを置くとなおよい。
光線は、あまり明るすぎない方がよい。力上アンを用いる場合は、うすみどり色か、うすいブルーがよい。室内の調度と窓外の眺めのバランスをとり、視神経にソフトな調和をはかるべきである。
気温は、あまり暑すぎたり、寒すぎたり、湿度の高いのもよくない。暑くても、なるべくクーラーや扇風機をかけないこと。そして、空気の流通によく注意しなければいけない。
以上は、「訓練の場所」という狭い意味での。環境”といったのであるが、
広い意味でいうならば、この求聞持法の修行を続けていくことのできる生活環境をつくり出すことである。いくら自分がその気になっても環境がそれを許~ない、ということのないよう、環境づくりをすることである。大酒を飲まない、
喫煙をひかえる、というように、生活を規制することも大切な環境づくりの
第二に、食を調えるというのは、つぎのようなことである。
食事は本来、・身心の養いのためにするものであり、健康をたもち、充実した精神生活をするためのものである。
そのためには、適度の量と、からだのたすけになる質の良いものと、この二
つがそろわなければならない。
量が多すぎて食べすぎると、心はぼんやりとして集中力を失い、からだがだるく、心もとざされがちとなる。
もしまた、食べることが少なすぎたり、からだが要求するだけの質が足りないと、からだは疲れ、根気がつづかず、思うことも考えることも不十分のものとなる。以上は、いずれも修行の成就を得る道ではない。
また、もしけがれたものやよごれたものを食べていると、ひとの心を暗くし迷いやすくする。からだによくない刺激物を食べていると、病気を招くことになる。
このように、食物は、修行者にとって非常に大切なものである。もちろん、修行者だけではなく、一般の人びとにとってもそうであるが、求聞持聡明法の
修行は、人間の限界ギリギリまでの訓練をして超人に変身するのであるから、その于不ルギーを生み出すために、食事には細心の注意が必要なのだ。
人間が健康を保って生きてゆくためには、四〇種類の必須栄養素を必要とする。
栄養学者は、これを、「生命の鎖」と呼んでいる。四〇個の輪でできた鎖で、どの輪が一つでも欠けたり、あるいは細くもろかったりしたら、その鎖はそこから弱くなるため、他の輪がどんなに太く丈夫であっても、鎖としての役目を
果たさなくなる。どの輪も、一つ一つが、同じように丈夫でなくてはならない。
必須栄養素は、どれ一つ欠けても、あるいは、必要量に足りなくても必ず健康に響いてくる。
その四〇種の必須栄養素は、八種の必須アミノ酸、一〇種類のミネラル、して十数種のビタミンから成っている。
それらが、必須-つまり。ぜったい必要不可欠でと呼ばれるのは、それら
 
は体内で合成できないからである。なんとしても、食事から摂るより方法がないからなのだ。それらが十分に摂られてさえいれば、体内で必要となるあらゆ
る物質は合成され得るのである。したがって、わたくしたちは、この四〇種の必須栄養素がぜったい不足せぬよう、十分、食事に注意しなければいけない。
それがそのようになされない場合、どんな影響をわれわれにあたえるか、ノーベル賞受賞者で世界的に著名な栄養学者ロジャー・ウィリアムズ博士は、そ
の著書の中で、つぎのようにのべている。
 
食べものは人間の性格まで変える
 
ロンドンにある救世宣で、十一歳から十王歳までの十七人の少女遠の食事が改善された時、彼女らの怠慢な行動と態度が著しく改善された。この少女たち
は、白いパンとマーガリンと安いジャムと多量の甘い紅茶、それにいくらかの詰や加工した肉を常食としていた。彼女たちは、日常互いによくけんかや口論をし、権威者に反抗した。また、彼女たちは、ものうげで怠惰に見えた。あり
るとき、彼女たちの食事のメニューが一変した。いろいろな種類の新鮮な野菜と果物、精製しない小麦でつくっ七パノ、乳製品、そして新鮮力隊を含む物に変えられた。すると、彼女たちは一変したのである。彼女たちは「マイーフェ
アーレディ」のイライザードウリットルのような変容をした。二半ビはなくなり、頬はバラ色になり、態度は非常に快活になって、口論もすくなくなった。退屈し、ものうげで弱々しい代わりに、まわりの世の中のことに興味をもち、自分自身の生活のプランを立て始めたのである。
また、イギリスで行なわれたラットを使った実験は、動物研究に於て、可能な限り厳密に管理された状態のもとで、次のような研究結果を得たのである。 この実験では、二〇匹のラットを一つの大きなカゴの中に入れ、栄養のある
食べ物を与えた。彼らは皆、元気でツヤがよく、健康に成長し、かなりの時間を毛づくろいに費やした。
別に他の二〇匹のラットをもう一つの大きなカゴに入れて飼育した。そして
前記の怠惰な少女たち刀最切り食拝ジー耳ビして‘尹’乙゛こつりこり″j。こ、ちに、ラットの毛は、光沢を失いけじめ、ぼさぼさになった。また、非常になり、互いに噛み合い、カゴの付属物を噛むようになった。その内、殺
害がふつうのことになり、三匹が仲間に殺され食べられてしまった。終いには、お互いの身を守ってやるために一匹ずつ別のかごに移さなければならなくなったのであ。
 
菜食主義の欠陥
宗教関係の修行者は、肉食を避けて菜食主義をとることが多い。それはそれで結構なことであるが、それにも重大な欠陥があって、注意しないと、修行の成就どころか、とりかえしのつかないところまで健康を害してしまうおそれがあるから、注意せねばならない。
著名な栄養学者、正常分子医学会の副会長リチャードーカニン博士は、つぎのように警告を発している。
〔菜食主義の欠点〕
野菜類に豊富な粗センイや微量栄養素の価値が高く評価されている今日、濃厚でセンイ質に乏しい肉類や乳製品に、批判的な目を向けはじめる人の数は、どんどん多くなっている。
しかし、一方で、植物性食品のタンパク質の価値が、動物性食品よりも劣るということは明白である。量的に劣るというだけでなく、質的にも劣っている。
野菜のタンパク質には、すべての動物の生命に必要な八つの必須アミノ酸類の含有量が少ないのだ。野菜類はこれらのアミノ酸を、無機質、チッ素、二酸
化炭素及び水からしか製造できないが、これらの物質は、動物の肉の中に蓄積されているのである。
だから、げんみつに菜食主義をとり、同一の食事で八種類すべてが適量含まれるように、アミノ酸の補充を計って食物が組合わされていない場合、体は残りのアミノ酸も使えなくなってしまう。たとえば、小麦には、アミノ酸リジンが不足しているが、豆類には、メチオニンが不足している。摂取される必須アい結合”から可能な分だけの組織しか形成できないのである。
この点は、非常に重要である。私(リチャードーカニン)は、このように食物の組合わせがうまくいっていない菜食主義者を多数見てきた。
彼らは、概して体調がよく、動物性と植物性の両方から或る完全な食餌をとっている時よりもむしろ調子がいい位だが、しばらくすると、アミノ酸を自分身り本勺肘哉徊らとることを余儀なくされ、その結果、筋肉と皮膚が衰えてくる。
体内でタンパク質の燃焼が起こっているが、無傷のまま残った脂肪のために、そうと分からないことが往々にしてある。次にアバラ骨が外から見えるようになると、これはもう明らかにタンパク質不足である。
だから、最も健康な菜食主義者には、卵・乳をとり入れた菜食主義をとっている者が多い。つまり、肉類はとらないようにしながらも、食事に卵と乳製品をとり入れるのである。卵と牛乳は、最も質の高いタンパク質を提供するのである。これらは、アミノ酸を完全な形で含む見本のようなものである。
私は、これに加えてより完全な栄養を確保するために、菜食主義者のライフスタイルに少量の魚と、時には肉類の臓物をとり入れることをすすめている。
ビタミンB12は、菜食していると最も不足しがちな栄養素である。 また、メチオニンが不足する。
 
修行を助ける食事をとらねばいけない
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2024年1月24日 九星  無料 今日の運命

2024-01-24 10:41:06 | タブレットPC
 
 
六白金星の日
新しい企画を持った人との接触あり。気が高ぶり争いが起りやすい。負けるは勝ち。怒ったら損、自己を誇るなかれ。心豊かにほのぼのと
凌犯期間 成の日 (甘露日)
焦らずに受け身に徹する日
凌犯期間の作用により凶日となります。焦って結果を求めたり、失敗をフォローしようとしても上手くいきません。何をやっても結果を出せない日なので、受け身に徹しましょう。意中の人への告白やプロポーズもこの日は避けてください
 
 
 
弥陀如来
 
命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く
 
 
阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?
無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。
 
阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。
ご利益
極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。
阿弥陀如来(あみだにょらい)の像容
釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。
 
特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。
 
司祭長(法王)
正位置・・・人生の転換。心の転換。思いやり。愛情の深まり。愛情面の不可能を可能にする。宗教(密教的なもの)。オカルト。儀式。結婚式。幸福への援助がえられる。よき相談相手。忠告。教え。勇気と功名を与える人物。宗教的な慰め。
逆位置・・・異端。慈悲や思いやりに欠ける。援助が打ち切られる。誤った情報。ゆがめられた真実。情報をつかむことによって得られた権力。宣伝。歪める。悪意のある忠告。
ウェイト解説
正位置・・・結婚。同盟。拘束。別の意味では、恵みと有徳。直感。質問者が頼りとする人物。
逆位置・・・社会。良い理解。調和。過剰な親切。弱さ。
 
 
 
01月24日 (水曜)月齢
12.57潮汐
中潮
月名(旧暦日)
小望月
 
 
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ソンディの心理学の旅: 未知の迷路を解明する  Sondhi's psychological journey: Unraveling the maze of the unknown

2024-01-23 07:52:37 | タブレットPC
心の迷宮を解く:ソンディの実践心理学の旅」
 
 
 
- レオポルド・ソンディは1893年にハンガリー領で生まれ、精神科医として活動した。
- 幼少時代の貧困と複雑な家庭環境が彼の家族の問題に対する過敏さを形成した。
- 医学部を卒業後、実験心理学研究所で助手として働き、記憶実験や知能測定を学んだ。
- ソンディは遺伝学への興味を持ち、精神病理学や精神療法に携わった。
- ナチの迫害により公職追放されるまで、精神病理学教室の講師および精神療法クリニックの医長を務めた。
- ソンディは衝動心理学を創始し、選択テストや衝動病理学を通じて思考精神医学の進化に貢献した。
- 彼の遺伝子記号に基づく「遺伝子の力動過程」を視覚化し、運命分析療法を創始した。
- ソンディは深層心理学を統一し、無意識の層として個人的無意識、集合的無意識、家族的無意識を指摘した。
- ソンディ・テストの結果により、精神分析的解釈、象徴分析的解釈、運命分析的解釈が同時に得られる構造を提唱した。
- 本書はソンディの遺産と方法を心理学徒やカウンセリング学習者に実用的な形で伝えている。
- Leopold Sondy was born in Hungary in 1893 and worked as a psychiatrist.
-His childhood poverty and complicated family environment shaped his sensitivity to family problems.
- After graduating from medical school, he worked as an assistant at the Institute of Experimental Psychology, where he learned memory experiments and intelligence measurement.
- Sondhi developed an interest in genetics and became involved in psychopathology and psychotherapy.
-He served as lecturer in the Department of Psychopathology and medical director of a psychotherapy clinic until he was forced out of his public office due to Nazi persecution.
- Sondhi founded drive psychology and contributed to the evolution of thought psychiatry through choice testing and drive pathology.
-He visualized the "dynamic process of genes" based on his genetic symbol and created fate analysis therapy.
- Sondhi unified deep psychology and pointed out the personal unconscious, collective unconscious, and family unconscious as the unconscious layers.
-Based on the results of the Sondhi test, he proposed a structure in which psychoanalytical, symbolic analytical, and fate analytical interpretations could be obtained simultaneously.
- This book conveys Sondhi's legacy and methods in a practical way to psychologists and counseling students.
 
 
[caption id="attachment_2886" align="aligncenter" width="147"] 110306_2305[/caption]
  • レオポルド・ソンディは、1893年、当時のハンガリー領(現チェコスロハキヤ領)のニイトラという町で生まれる。父はユダヤ系ハンガリー人で、靴加工職人であった。彼は12人の同胞中、第12子で、かつ後妻の子であった。4歳の時、プタペストにいる異母兄にひきとられ成育した。その後1944年にナチのユダヤ追放の悲運に会うまでの47年間は、この地にあり、教育もこの地で受けたが、幼少時代からの貧困で複雑な家庭環境は、とりわけ異母兄夫婦のいさかいを見るにつけ、彼をして家族の問題に過敏にさせる素地を形成していった。
  • 1911年に高校を卒業と同時に、医科進学のための国家試験に合格。1919年ブタペスト大学医学部より学位を取得している。
  • 大戦後は、プタペスト大学のランシュブルグ教授が主宰する実験心理学研究所の助手にもなり、記憶実験や知能測定の実際を学んだ。最初の公刊論文は、この助手時代の成果である『欠陥知能』であった。
  • 1927年、プタベストの治療教育大学の精神病理学教室の講師に任ぜられ、同時に精神療法クリニックの医長も兼務し、1941年、ナチの追害による公職追放にあうまで、この地位にあった。この14年間は、ハンガリー時代における精神科医としての、もっとも充実した活動の期間でもあった。ことに精神薄弱児の治療と教育に関連しての体質学への関心は、遺伝学への興味となり、ミュンヘン大学のルーディン一派の家系研究に傾倒した。やがて無意識の遺伝学として、配偶者選択や職業選択のあり方に注目させ、ソンディをして生涯のテーマである運命分析学の臨床家たらしめることになった。
 
 
1. ソンディはフロイトの精神分析の本質である「無意識の抑圧と防衛の力動過程」の構造を,思考や観念ではなく目に見える形で表現する選択テストを創案すると同時に,その理論として衝動の選択心理学を創始した.そして,その認識方法を,精神の治療面と診断面で実用化する衝動病理学,衝動診断学を展開し,それによって思考精神医学の退路を遮断,実用精神医学への道を開いた.選択は運命であるゆえ,それは運命分析へと発展したのである.
2. フロイトがいろいろな局面で言及し,立ち止まらざるを得なかった原因,つまり分析を困難ならしめる「素因的なもの」というのは,「いろいろな無意識層のうち特に祖先から伝わり現在その個人の精神に成り変わって自演している厄介な衝動の振る舞い」にほかならなかった.これはソンディ心理学において8個の遺伝子記号の様態で表現される.この「遺伝子の力動過程」を,構造的に視覚化する方法,およびその認識を治療面で実用する運命分析療法を創始し,「終わりなき分析」を終結させる方法を完成した.
要約すれば,ソンディは,フロィトが1905年以来,本能と明確に区別して追求した「衝動 1)」のふるまいを研究し,次のような衝動学の全体系を完成させたのである.
衝動心理学--------「衝動ファクタ・ペクタの心理学」および「実験的症候群論」
衝動測定学--------「ソンディ・テスト」器具,方法,一般的解釈法
衝動診断学--------「実験衝動診断学」および「リンネ式表」,特別な解釈法
衝動病理学--------「衝動病理学A,B」および「自我分析」
衝動分析学--------「運命分析」
衝動治療学--------「運命分析療法」
彼が,多くの流派に分裂した深層心理学を統一しようと考えていたことは,フロイトの真の後継者として当然であった.彼が深層心理学研究の主流と考えた無意識の層は,フロイトの個人的無意識,ユングの集合的無意識,そして彼自身の家族的無意識の3つの層である.
それゆえ,ソンディ・テストの結果得られる前景・理論背景・実験背景の3つの人格プロフィルは,それぞれの無意識層が表現される.すなわち
精神分析的解釈(S.Freud)
象徴分析的解釈(C.G.Jung)
運命分析的解釈(L.Szondi)
の3通りの解釈が同時に実現し,了解され,説明される構造になっている.
本書は,ソンディがフロイトの遺言を完全に引き受け,延長し,無意識の遺伝学と診断・治療学を完成した事実と方法を,心理学徒やカウンセリングを学ぶ人にとって,すぐ役に立つ実用的な形で記載したものである.原稿を書くにあたって先人の訳業も充分に活用したが,重要部分は必ず原著に当たるとともに,ソンディに会って直接確かめた事項に基づき,新たな解釈を付け加えた部分も多い.
本書の各項にちりばめられているソンディの学説は,以下にあげる主要原著から得られたものである.
「運命分析」(1944,1948,1964)
「ソンディテスト」(1946)
「衝動病理学A,B」(1951)
「自我分析」(1956)
「衝動リンネ式表」(1960)
「実験衝動診断法」(1960)
「運命分析療法」(1963)
「衝動統合を失った人々」(1979)
 
Leopold Sondi was born in 1893 in the town of Nyitra in what was then Hungary (now Czechoslovakia). His father was a Hungarian Jew and a shoemaker. He was the twelfth child of twelve brethren, and the son of his second wife. When he was four years old, he was taken in by his half-brother in Ptapest to grow up. After that, he lived here for 47 years until he met the fate of the Nazis' expulsion of the Jews in 1944, and was educated there, but his family was poor and had a complicated family environment from an early age, especially when there were conflicts between his half-brother and his wife. The more I watched him, the more I developed a tendency to make him sensitive to family problems.
Upon graduating from high school in 1911, he passed the national exam to enter medicine. He received his degree from Budapest University Faculty of Medicine in 1919.
After the war, he also became an assistant at the Institute of Experimental Psychology headed by Professor Ranschburg at the University of Putapest, where he learned the practicalities of memory experiments and intelligence measurement. His first published paper was ``Defective Intelligence,'' which was the result of his time as an assistant.
In 1927, he was appointed lecturer in the Department of Psychopathology at the University of Therapeutic Education in Ptavest, and at the same time served as medical director of the psychotherapeutic clinic, a position he held until 1941, when he was expelled from public office due to Nazi persecution. . These 14 years were also the most fulfilling period of his career as a psychiatrist during his Hungarian years. His interest in constitutional science, especially in relation to the treatment and education of mentally retarded children, led to his interest in genetics and to the genealogical studies of the Rudin family at the University of Munich. Eventually, he drew attention to the way we choose our spouse and career as a result of unconscious genetics, and made Sondhi a clinician in fate analysis, which was the theme of his life.
 
 
 
1. Sondhi created a multiple-choice test that expressed the structure of the ``dynamic process of unconscious repression and defense,'' which is the essence of Freud's psychoanalysis, in a visible form rather than through thoughts or ideas. Founded choice psychology. He developed impulse pathology and impulse diagnosis to put his cognitive methods into practical use in the therapeutic and diagnostic aspects of the psyche, thereby blocking the retreat of thinking psychiatry and paving the way for practical psychiatry. . Since choice is fate, it evolved into fate analysis.
2. The ``predispositional factors,'' which Freud mentioned in various situations and which he had no choice but to stop at, that make analysis difficult, are ``particularly the various unconscious layers that have been passed down from ancestors and are currently present in the individual.'' It was nothing but the behavior of troublesome impulses acting out themselves in the guise of a spirit. This is expressed in the form of eight genetic symbols in Sondhi psychology. He created a method to structurally visualize this ``genetic dynamic process,'' and a fate analysis therapy that puts this recognition into practical use in treatment, and completed a method to end ``endless analysis.''
In summary, Sondhi studied the behavior of ``drives 1),'' which Freud had pursued since 1905, clearly distinguishing them from instincts, and completed the following overall system of drive theory.
Impulse Psychology -------- "Psychology of Impulse Factors and Pectas" and "Experimental Syndrome Theory"
Impulse measurement---------"Sondhi test" instruments, methods, and general interpretation methods
Impulse diagnosis -------- "Experimental impulse diagnosis" and "Linnaean table", special interpretation method
Impulse pathology -------- "Impulsive pathology A, B" and "Ego analysis"
Impulse analysis -------- "Fate analysis"
Impulse therapy -------- "Fate analysis therapy"
As Freud's true successor, it was only natural that he wanted to unify depth psychology, which was divided into many schools. The three layers of the unconscious that he considered to be the mainstream of deep psychological research were Freud's personal unconscious, Jung's collective unconscious, and his own familial unconscious.
Therefore, the three personality profiles obtained as a result of the Sondhi test - foreground, theoretical background, and experimental background - express each unconscious layer. i.e.
Psychoanalytic interpretation (S.Freud)
Symbolic analysis interpretation (C.G.Jung)
Fate analytical interpretation (L.Szondi)
The structure is such that three interpretations can be realized, understood, and explained at the same time.
This book describes the facts and methods by which Sondhi fully accepted and extended Freud's will and perfected the genetics of the unconscious and diagnosis and treatment in a practical format that is immediately useful for psychologists and those studying counseling. This is what I did. In writing the manuscript, I made full use of the translation work of my predecessors, but while important parts are always based on the original work, there are also many parts where I have added new interpretations based on what I have personally confirmed by meeting Sondhi.
Sondhi's theories, which are scattered throughout each section of this book, are derived from the main original works listed below.
"Fate Analysis" (1944,1948,1964)
"Sondi Test" (1946)
"Impulsive Pathology A, B" (1951)
"Ego Analysis" (1956)
"Impulsive Linnaean Table" (1960)
"Experimental Impulse Diagnosis" (1960)
"Fate analysis therapy" (1963)
“People who have lost impulse integration” (1
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四神足の冒険: 釈尊の不思議な修練と体験 

2024-01-23 07:42:09 | タブレットPC
"心の浄化と解脱: 釈尊の四神足法に学ぶ"
 
 
- 四神足の修練により、豊かならしめると神通力が身に宿り、空中を行き来し、水中を歩き、梵天の世界を支配することが可能になる。
- 修練が進むと、清浄で超人的な天の耳を持ち、遠近の声を聞くことができ、他者の心を理解するようになる。
- 豊かにされた四神足の修行により、過去の生涯や宇宙の成立破壊期を見る能力が発展し、多様な過去の生涯を思い起こす。
- 清浄で超人的な天眼を持ち、生存者の死と再生を観察し、その業によって異なる結果が生じることを知る。
- 修練された四神足により、煩悩の汚れがほろぼされ、汚れのない心の解脱・知慧の解脱が現証され、最終的にはニルヴァーナに到達する。
- Through the training of the four divine feet, once you become rich, you will be endowed with supernatural power, and you will be able to move in the air, walk in the water, and rule the world of Brahma.
- As your training progresses, you will have pure and superhuman heavenly ears, be able to hear voices from far and near, and understand the hearts of others.
- Through the enriched training of the Four Gods, one develops the ability to see past lives and the periods of creation and destruction of the universe, and remembers a variety of past lives.
- Possesses a pure and superhuman heavenly eye, he observes the death and rebirth of survivors, and learns that different outcomes occur depending on their karma.
- Through the trained feet of the Four Gods, the stains of earthly desires are destroyed, the liberation of the pure mind and the liberation of wisdom is demonstrated, and finally Nirvana is achieved.
 
四神足の修練によってニルヴァーナへ
さらに、輪廻転生瞑想法の原典である釈尊の成仏法、その真髄たる四神足法 修練していくとどうなるのか?
釈尊の体験を見てみよう。
パーリ文 「スッタニパータ」を、中村元先生の訳によって載せてみる。
このように四神足を修練し、豊かならしめたならば、多様なる神変を身 に受ける。 一身にして多身となり、多身にして一身となり、あるいは現わ れ、あるいは隠れ、牆壁や山岳をよぎって、礙げなく、行くこと空中にお けるがごとく、地中に出没すること水中におけるがごとく、水中を行きて られざること地上におけるがごとく、虚空においても結跏趺坐してそぞ 歩きすることは飛鳥のごとく、このように大神通・大威徳あるこの日月 を手でとらえて揉んでしまい、梵天の世界にいたるまでも身をもって支配 する。
このように四神足を修練し豊かならしめたならば、清浄にして超人的な 天の耳の本性をもって、遠近にある天的なまた人間的な声をともに聞く。 このように四神足を修練し豊かならしめたならば、他の生存者、他の
人々の心をば心によって了解して知る。 貪りある心を貪りある心であると 知り、貪りを離れた心を貪りを離れた心であると知り、また怒りある心を 怒りある心であると知り、怒りを離れた心を怒りを離れた心であると知 迷妄ある心を迷妄ある心であると知り、迷妄を離れた心を迷妄を離れ 心であると知り、収縮した心を収縮した心であると知り、散乱した心を 散乱した心であると知り、偉大な心を偉大な心であると知り、偉大ならざ 心を偉大ならざる心であると知り、ある心を上ある心であると知り、 無上の心を無上の心であると知り、定にあらざる心を定にあらざる心であ ると知り、定のうちにある心を定のうちにある心であると知り、解説して いない心を解説していない心であると知り、解脱している心を解説してい 心であると知る。
 
このように四神足が修練され豊かにされたときに、種々なる過去の生涯 を想いおこした、すなわち一つの生涯、二つの生涯、三つの生涯 四 つの生涯、五つの生涯、十の生涯、 二十の生涯、三十の生涯、四十の生.五十の生涯、百の生涯、千の生涯 百千の生涯を、またいくたの宇宙 成立期、いくたの宇宙破壊期、いくたの宇宙成立破壊期を。 「われはそこに おいて、これこれの名であり、これこれの姓 (gotta) であり、 これこれの カースト (vanna) であり、これこれの食をとり、これこれの苦楽を感受 これこれの死にかたをした。そこで死んでから、かしこに生まれた」 と。このようにかたちや名称とともに種々なる過去の生涯を想いおこした のである。
このように四神足が修練され豊かにされたときに、清浄で超人的な天眼 をもって、もろもろの生存者が死にまた生まれるのを見た。すなわち卑賤 なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なも そしてもろもろの生存者がそれぞれの業にしたがっているのを明らか 知った
「じつにこれらの生存者は身に悪行をなし、ことばに悪行をなし、 こころ に悪行をなし、もろもろの聖者をそしり、邪った見解をいだき、邪った見解にもとづく行為をなす。かれらは身体が破壊して死んだあとで、悪しき ところ、堕ちたところ、地獄に生まれた。また他のこれらの生存者は、身 善行をなし、ことばに善行をなし、こころに善行をなし、もろもろの聖 者をそしらず、正しい見解をいだき、正しい見解にもとづく行為をなす。 かれらは身体が破壊して死んだあと、善いところ、天の世界に生まれた」
このように清浄で超人的な天眼をもって、もろもろの生存者が死にまた 生まれるのを見た。すなわち卑賤なるものと高貴なるもの、美しいものと 醜いもの、幸福なものと不幸なもの、そしてもろもろの生存者がそれぞれ の葉にしたがっているのを〔明らかに知った。
そうして最後につぎのように結んでいる。
このように四神足が修練され豊かにされたときに、もろもろの煩悩の汚れがほろぼされることによって、汚れなき心の解脱・知慧の解脱をこの世 において、みずから証知し、現証し、具現して住する。
けっきょく、四神足の修行によって、釈尊は解脱を得たというのである。つ まり、四神足の修練によって、ニルヴァーナに到達したというのだ。
ニルヴァーナにまで到達するのは、至難の業である。わたくしといえども、 そこまで修行者を導く自信はない。しかし、準・ニルヴァーナにまで到達させ
る自信はあるのだ。すべては、修行者の努力と熱意しだいだが―。
 
Achieve Nirvana through the training of the Four Divine Feet
Furthermore, what happens when you practice Shakyamuni Buddha's Buddhism method, which is the original source of the reincarnation meditation method, and its essence, the Four God Foot Methods?
Let's look at Buddha's experience.
I will post the Pali text ``Suttanipatha'' as translated by Hajime Nakamura.
If you cultivate the four divine feet in this way and become rich, you will receive a variety of divine transformations. To be one body and many bodies, to be many bodies and one body, to appear or to hide, to cross walls and mountains, and to go without hesitation; To appear in the earth, as in the air; To appear in the ground, as in the air. Just as it is impossible to walk in the water as if on earth, in the void it is possible to sit on one's knees and walk like a flying bird.In this way, grasping this sun and moon of great divine wisdom and great virtue in one's hands. He massages them and even dominates them even in the world of Brahma.
Once you have cultivated and enriched your four divine feet in this way, you will listen to both heavenly and human voices both near and far, with the pure and superhuman nature of your heavenly ears. Once you have cultivated the four divine feet in this way and become rich, you will be able to help other survivors and others.
Understand and know people's hearts. Know that a greedy heart is a greedy heart, know that a greedy heart is a greedy heart, know that an angry heart is an angry heart, know that a greedy heart is a greedy heart, know that a greedy heart is a greedy heart, know that an angry heart is an angry heart, and know that a greedy heart is a greedy heart, a greedy heart that is free from greed, and an angry heart that is angry, Knowing that a delusional mind is a delusional mind, knowing that a delusional mind is a delusional mind, knowing that a shrunken heart is a shrunken mind, knowing that a shrunken heart is a shrunken mind, and a scattered heart. Knowing that a great heart is a great heart, knowing that a heart is not great, knowing that a certain heart is a superior mind, Know that the mind that is not fixed is the mind that is not fixed, know that the mind that is in the fixed is the mind that is in the fixed, and explain the mind that is not explained. We know that it is the mind that is not liberated, and we understand that it is the mind that is liberated.
 
When the four divine feet were cultivated and enriched in this way, various past lives were recalled, namely, one lifetime, two lifetimes, three lifetimes, four lifetimes, five lifetimes, ten lifetimes, and two. Ten lives, thirty lives, forty lives, fifty lives, a hundred lives, a thousand lives, a thousand lifetimes, a period of the creation of the universe, a period of destruction of the universe, a period of the destruction of the universe. A period of destruction during the creation of the universe. ``We set him there, with such and such a name, with such and such a surname (gotta), with such and such a caste (vanna), who ate such and such food, experienced such and such pleasures, and suffered such and such death. He died there and was born somewhere else." In this way, he recalled various past lives with shapes and names.
When the Four Divine Feet were cultivated and enriched in this way, with the pure and superhuman Celestial Eye, I saw the various survivors die and be reborn. The lowly and the noble, the beautiful and the ugly, the happy and the unhappy.
“Indeed, these survivors do evil in their bodies, evil in their words, evil in their hearts, slander the saints, hold evil opinions, and act on evil opinions. After their bodies were destroyed and they died, they were born into an evil place, a fallen place, and hell.The rest of these survivors did good deeds, did good deeds in their words, did good deeds in their hearts, and did all sorts of things. They do not disparage the saints of God, but they hold right opinions and act in accordance with right opinions. After their bodies were destroyed and they died, they were born into a good place, the heavenly world."
With such a pure and superhuman heavenly eye, I saw various survivors die and be reborn. That is, the lowly and the noble, the beautiful and the ugly, the happy and the unhappy, and the various survivors following their own leaves.
Finally, it concludes as follows.
When the four divine feet are cultivated and enriched in this way, the stains of various earthly desires are destroyed, and one can personally testify, demonstrate, and embody the liberation of an immaculate heart and the liberation of wisdom in this world. I live there.
After all, it is said that Shakyamuni attained liberation through the training of the Four Gods. It is said that he was able to reach Nirvana by practicing the four divine feet.
Reaching Nirvana is an extremely difficult task. Even I don't have the confidence to lead the practitioners to that extent. However, reaching quasi-nirvana
I have confidence that I will. Everything depends on the effort and enthusiasm of the practitioner.
 
 
 
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大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 "Kongokai" expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai
 
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- 修練が進むと、清浄で超人的な天の耳を持ち、遠近の声を聞くことができ、他者の心を理解するようになる。
- 豊かにされた四神足の修行により、過去の生涯や宇宙の成立破壊期を見る能力が発展し、多様な過去の生涯を思い起こす。
- 清浄で超人的な天眼を持ち、生存者の死と再生を観察し、その業によって異なる結果が生じることを知る。
- 修練された四神足により、煩悩の汚れがほろぼされ、汚れのない心の解脱・知慧の解脱が現証され、最終的にはニルヴァーナに到達する。
- Through the training of the four divine feet, once you become rich, you will be endowed with supernatural power, and you will be able to move in the air, walk in the water, and rule the world of Brahma.
- As your training progresses, you will have pure and superhuman heavenly ears, be able to hear voices from far and near, and understand the hearts of others.
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- Possesses a pure and superhuman heavenly eye, he observes the death and rebirth of survivors, and learns that different outcomes occur depending on their karma.
- Through the trained feet of the Four Gods, the stains of earthly desires are destroyed, the liberation of the pure mind and the liberation of wisdom is demonstrated, and finally Nirvana is achieved.
 
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パーリ文 「スッタニパータ」を、中村元先生の訳によって載せてみる。
このように四神足を修練し、豊かならしめたならば、多様なる神変を身 に受ける。 一身にして多身となり、多身にして一身となり、あるいは現わ れ、あるいは隠れ、牆壁や山岳をよぎって、礙げなく、行くこと空中にお けるがごとく、地中に出没すること水中におけるがごとく、水中を行きて られざること地上におけるがごとく、虚空においても結跏趺坐してそぞ 歩きすることは飛鳥のごとく、このように大神通・大威徳あるこの日月 を手でとらえて揉んでしまい、梵天の世界にいたるまでも身をもって支配 する。
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人々の心をば心によって了解して知る。 貪りある心を貪りある心であると 知り、貪りを離れた心を貪りを離れた心であると知り、また怒りある心を 怒りある心であると知り、怒りを離れた心を怒りを離れた心であると知 迷妄ある心を迷妄ある心であると知り、迷妄を離れた心を迷妄を離れ 心であると知り、収縮した心を収縮した心であると知り、散乱した心を 散乱した心であると知り、偉大な心を偉大な心であると知り、偉大ならざ 心を偉大ならざる心であると知り、ある心を上ある心であると知り、 無上の心を無上の心であると知り、定にあらざる心を定にあらざる心であ ると知り、定のうちにある心を定のうちにある心であると知り、解説して いない心を解説していない心であると知り、解脱している心を解説してい 心であると知る。
 
このように四神足が修練され豊かにされたときに、種々なる過去の生涯 を想いおこした、すなわち一つの生涯、二つの生涯、三つの生涯 四 つの生涯、五つの生涯、十の生涯、 二十の生涯、三十の生涯、四十の生.五十の生涯、百の生涯、千の生涯 百千の生涯を、またいくたの宇宙 成立期、いくたの宇宙破壊期、いくたの宇宙成立破壊期を。 「われはそこに おいて、これこれの名であり、これこれの姓 (gotta) であり、 これこれの カースト (vanna) であり、これこれの食をとり、これこれの苦楽を感受 これこれの死にかたをした。そこで死んでから、かしこに生まれた」 と。このようにかたちや名称とともに種々なる過去の生涯を想いおこした のである。
このように四神足が修練され豊かにされたときに、清浄で超人的な天眼 をもって、もろもろの生存者が死にまた生まれるのを見た。すなわち卑賤 なるものと高貴なるもの、美しいものと醜いもの、幸福なものと不幸なも そしてもろもろの生存者がそれぞれの業にしたがっているのを明らか 知った
「じつにこれらの生存者は身に悪行をなし、ことばに悪行をなし、 こころ に悪行をなし、もろもろの聖者をそしり、邪った見解をいだき、邪った見解にもとづく行為をなす。かれらは身体が破壊して死んだあとで、悪しき ところ、堕ちたところ、地獄に生まれた。また他のこれらの生存者は、身 善行をなし、ことばに善行をなし、こころに善行をなし、もろもろの聖 者をそしらず、正しい見解をいだき、正しい見解にもとづく行為をなす。 かれらは身体が破壊して死んだあと、善いところ、天の世界に生まれた」
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そうして最後につぎのように結んでいる。
このように四神足が修練され豊かにされたときに、もろもろの煩悩の汚れがほろぼされることによって、汚れなき心の解脱・知慧の解脱をこの世 において、みずから証知し、現証し、具現して住する。
けっきょく、四神足の修行によって、釈尊は解脱を得たというのである。つ まり、四神足の修練によって、ニルヴァーナに到達したというのだ。
ニルヴァーナにまで到達するのは、至難の業である。わたくしといえども、 そこまで修行者を導く自信はない。しかし、準・ニルヴァーナにまで到達させ
る自信はあるのだ。すべては、修行者の努力と熱意しだいだが―。
 
Achieve Nirvana through the training of the Four Divine Feet
Furthermore, what happens when you practice Shakyamuni Buddha's Buddhism method, which is the original source of the reincarnation meditation method, and its essence, the Four God Foot Methods?
Let's look at Buddha's experience.
I will post the Pali text ``Suttanipatha'' as translated by Hajime Nakamura.
If you cultivate the four divine feet in this way and become rich, you will receive a variety of divine transformations. To be one body and many bodies, to be many bodies and one body, to appear or to hide, to cross walls and mountains, and to go without hesitation; To appear in the earth, as in the air; To appear in the ground, as in the air. Just as it is impossible to walk in the water as if on earth, in the void it is possible to sit on one's knees and walk like a flying bird.In this way, grasping this sun and moon of great divine wisdom and great virtue in one's hands. He massages them and even dominates them even in the world of Brahma.
Once you have cultivated and enriched your four divine feet in this way, you will listen to both heavenly and human voices both near and far, with the pure and superhuman nature of your heavenly ears. Once you have cultivated the four divine feet in this way and become rich, you will be able to help other survivors and others.
Understand and know people's hearts. Know that a greedy heart is a greedy heart, know that a greedy heart is a greedy heart, know that an angry heart is an angry heart, know that a greedy heart is a greedy heart, know that a greedy heart is a greedy heart, know that an angry heart is an angry heart, and know that a greedy heart is a greedy heart, a greedy heart that is free from greed, and an angry heart that is angry, Knowing that a delusional mind is a delusional mind, knowing that a delusional mind is a delusional mind, knowing that a shrunken heart is a shrunken mind, knowing that a shrunken heart is a shrunken mind, and a scattered heart. Knowing that a great heart is a great heart, knowing that a heart is not great, knowing that a certain heart is a superior mind, Know that the mind that is not fixed is the mind that is not fixed, know that the mind that is in the fixed is the mind that is in the fixed, and explain the mind that is not explained. We know that it is the mind that is not liberated, and we understand that it is the mind that is liberated.
 
When the four divine feet were cultivated and enriched in this way, various past lives were recalled, namely, one lifetime, two lifetimes, three lifetimes, four lifetimes, five lifetimes, ten lifetimes, and two. Ten lives, thirty lives, forty lives, fifty lives, a hundred lives, a thousand lives, a thousand lifetimes, a period of the creation of the universe, a period of destruction of the universe, a period of the destruction of the universe. A period of destruction during the creation of the universe. ``We set him there, with such and such a name, with such and such a surname (gotta), with such and such a caste (vanna), who ate such and such food, experienced such and such pleasures, and suffered such and such death. He died there and was born somewhere else." In this way, he recalled various past lives with shapes and names.
When the Four Divine Feet were cultivated and enriched in this way, with the pure and superhuman Celestial Eye, I saw the various survivors die and be reborn. The lowly and the noble, the beautiful and the ugly, the happy and the unhappy.
“Indeed, these survivors do evil in their bodies, evil in their words, evil in their hearts, slander the saints, hold evil opinions, and act on evil opinions. After their bodies were destroyed and they died, they were born into an evil place, a fallen place, and hell.The rest of these survivors did good deeds, did good deeds in their words, did good deeds in their hearts, and did all sorts of things. They do not disparage the saints of God, but they hold right opinions and act in accordance with right opinions. After their bodies were destroyed and they died, they were born into a good place, the heavenly world."
With such a pure and superhuman heavenly eye, I saw various survivors die and be reborn. That is, the lowly and the noble, the beautiful and the ugly, the happy and the unhappy, and the various survivors following their own leaves.
Finally, it concludes as follows.
When the four divine feet are cultivated and enriched in this way, the stains of various earthly desires are destroyed, and one can personally testify, demonstrate, and embody the liberation of an immaculate heart and the liberation of wisdom in this world. I live there.
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2024年1月23日 九星  無料 今日の運命

2024-01-23 07:34:41 | タブレットPC



 
 
 
五黄土星の日
小さな自我は破れやすい。絶望的な思いの人の来訪を受けたりする。名利を離れ天を相手にの心境を養え。
凌犯期間 危の日
周囲との調和を心がける日
健康面は好調で、気分が上向き精力的に活動できる日です。反対に仕事運と対人運は不調です。周囲と衝突したり、孤立してしまうことがありそうです。自信を持って積極的な行動をおすすめしますが、自分の考えに固執したりせず周りとの調和を心がけてください。

 
 
阿弥陀如来
 
命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く
 
 
 
阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?
無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。
 
阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。
ご利益
極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。
阿弥陀如来(あみだにょらい)の像容
釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。
 
特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。
 
魔術師
正位置・・・希望。創造。巧み。熟練。創業。修行を始める。恋愛や交際の始まり。入学。ものごとの始まり。聖地。聖者。宗教上の本山などへの参詣。結婚式。新婚旅行。
逆位置・・・優柔不断。不適当。弱さ。不安定。神経の不足。創造力の不足。未来の計画に対する臆病さ。無理にすすめられる結婚や結婚式。技量不足で低迷する恋愛。
ウェイト解説
正位置・・・手腕。外交。手際。巧妙。病。苦痛。損失。災害。敵の罠。自信。意志。男性の質問者。
逆位置・・・医者。賢者。精神病。不名誉。不安。





01月23日 (火曜)月齢
11.44潮汐
若潮
月名(旧暦日)
十三夜月
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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霊的なる道への一歩:四つの階梯と修行者の旅

2024-01-22 18:17:05 | タブレットPC
 
1. 四つの階梯:
- 1つ目: srota äpanna-(須陀きよめられた聖者)
- 2つ目: sakrd-agamin-(阿那)
- 3つ目: anāgamin-(阿羅漢)
- 4つ目: arhat-(斯陀含)
2. 修行者の進化:
- 高められた聖者
- 飛躍した聖者(次元を超える)
- 完成した聖者(仏陀)
3. 大脳辺縁系・新皮質脳の修行:
- 大脳辺縁系・新皮質脳を一時的に閉ざし、間脳を開発することで問脳を開発。
- 問脳開発後、新皮質脳が新たに活性化し、超人的なインスピレーションと創造力を得る。
4. 成仏法:
- 七つのシステムと三十七のカリキュラムから成る方法と体系。
- グル(聖師)の存在が不可欠であり、霊性開顕の仏道修行において大きな役割を果たす。
5. グルへの畏敬と憧憬:
- グルは仏陀そのものであり、無限の昔から輪廻の旅を続ける弟子にとって尊い存在。
- グルに心から尊敬し、指導に従うことが霊的成長への鍵。
6. 受け入れの秘儀:
- 凝視の方法とアージュニャー・チャクラへのメッセージ伝達による入門得度。
- グルが弟子の霊的障害や指導方法を凝視し、それに基づいて指導を行う。
7. 霊感伝授受け入れの秘儀:
- 最高の霊法をもとに、脳の深部の霊性の場に強力な霊力を送り込む高度な秘儀。
- 熱心に修行した成仏法を受け入れられる弟子にのみ開示される。
1. Four stairs:
- 1st: srota äpanna- (purified saint of Suda)
- Second: sakrd-agamin- (Ana)
- Third: anāgamin- (Arhat)
- Fourth: arhat- (including 斯陀)
2. Evolution of the practitioner:
- Exalted Saint
- The Saint Who Leaped (Beyond Dimensions)
- Perfected Sage (Buddha)
3. Limbic system/neocortical brain training:
- Developing the interbrain by temporarily closing the limbic system and neocortical brain and developing the diencephalon.
- After brain development, the neocortical brain becomes newly activated and gains superhuman inspiration and creativity.
4. Buddhahood Dharma:
- A method and system consisting of seven systems and thirty-seven curricula.
- The existence of a guru is essential and plays a major role in Buddhist training for spiritual enlightenment.
5. Reverence and admiration for Guru:
- The Guru is the Buddha himself, and has been a precious existence for the disciples who have continued their journey of reincarnation since time immemorial.
- Truly respecting your guru and following his guidance is the key to spiritual growth.
6. The Mystery of Acceptance:
- An introduction to the method of gazing and conveying messages to the ajna chakra.
- The guru closely monitors the disciple's spiritual obstacles and teaching methods, and provides guidance based on that.
7. The Mystery of Receiving Inspiration:
- An advanced mystery that sends powerful spiritual power to the deep spiritual field of the brain, based on the highest spiritual methods.
- It is only disclosed to disciples who have practiced diligently and are able to accept the Buddhahood Dharma.
 
四つの階梯とは、
そこで、この四つの階梯について、のべてみよう。
1 srota äpanna-
二、 sakrd-agamin-
三、 anāgamin-
四arhat-
である。
説明すると
須陀きよめられた聖者
 
阿那含
阿羅漢
斯陀含
高められた聖者
阿那
飛躍した聖者 (次元を)
阿羅漢
次元を超越し、完成した聖者、「仏陀」ともいう。
インスピレーション
では、この四つの階梯を、修行者はどのようにして歩んでいくのだろうか。
大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行
それはひと口にいって、大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行である。
大脳辺縁系と新皮質脳を殺さなければ、 間脳は作動せず、第三の目は開かな いのである。
ただし、誤解してはいけない。 大脳辺縁系・新皮質脳を殺すということは、 究極において、大脳辺縁系、 ことに新皮質脳を生かすということなのである。新 皮質脳は「創造の座」であるといわれる。しかし、ほんとうの創造の座は間脳に あるのである。 間脳はこれまでくり返し説いてきたように、霊性の場であり、
感のなのである。ここが開発されることにより、ほんとうのインスピ レーションが発生するのである。
ただし、問脳を開発するためには、しばらくの間、大脳辺縁系と新皮質脳を 閉ざさなければならないのである。 間脳が開発されたとき、新皮質脳は新しく よみがえる。新しくよみがえった新皮質脳こそ、霊性を基盤とした超人的なイ ンスピレーションと創造力を持つ頭脳となるのである
 
賢明な読者はすでにお気づきであったろう。これが、チベット密教のいう 「思念による王者の相承」であることを。 思念による王者の相承とは、じつ に、霊的バイブレーションによる伝達だったのである。
 
わたくしは、これによって、解説に至る四つの階梯のうちの、第三の境地に 達したことを自覚したのであるが、これは、 間脳開発の練行tapasを成就してい なかったら、絶対に得られなかったものである。 内なる受容の態勢がととのっ て初めて、外よりの王者の相承が発せられるのである。
解脱に至る四つの階梯
バイブレーション
いま、わたくしは、「解説に至る四つの階梯」といった。
 
だれでも、解脱に至るためには、この四つの段階を経なければならない。そ
してこの四つの階梯を、すぐれた聖師にしたがって歩んでいくならば、だれでも 解説に到達できるのである。もちろん、あなたにしてもそのとおりだ。
四つの階梯とは、
そこで、この四つの階梯について、のべてみよう。
1 srota äpanna-
二、 sakrd-agamin-
三、 anāgamin-
四arhat-
である。
説明すると
須陀きよめられた聖者
 
阿那含
阿羅漢
斯陀含
高められた聖者
阿那
飛躍した聖者 (次元を)
阿羅漢
次元を超越し、完成した聖者、「仏陀」ともいう。
インスピレーション
では、この四つの階梯を、修行者はどのようにして歩んでいくのだろうか。
大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行
それはひと口にいって、大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行である。
大脳辺縁系と新皮質脳を殺さなければ、 間脳は作動せず、第三の目は開かな いのである。
ただし、誤解してはいけない。 大脳辺縁系・新皮質脳を殺すということは、 究極において、大脳辺縁系、 ことに新皮質脳を生かすということなのである。新 皮質脳は「創造の座」であるといわれる。しかし、ほんとうの創造の座は間脳に あるのである。 間脳はこれまでくり返し説いてきたように、霊性の場であり、
感のなのである。ここが開発されることにより、ほんとうのインスピ レーションが発生するのである。
ただし、問脳を開発するためには、しばらくの間、大脳辺縁系と新皮質脳を 閉ざさなければならないのである。 間脳が開発されたとき、新皮質脳は新しく よみがえる。新しくよみがえった新皮質脳こそ、霊性を基盤とした超人的なイ ンスピレーションと創造力を持つ頭脳となるのである。
ではそれはどんな修行か?
霊性完成の方法と体系
釈尊が残した霊性完成の修行法がそれである。 これを、わたくしは、 「成仏 「法」とよんでいる。成仏とは霊性を完成したことをいい、それを成就した人を
「仏陀」とよぶ。だからわたくしはその方法を、「成仏法」とよぶのである。 くわしくは、「輪廻転生瞑想法II」 でのべたとおりであるが、それは七つのシ ステムと三十七種のカリキュラムから成る成仏のための方法と体系である。これ
阿含経では「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」 とよぶのであ る。この二つの名称は、わたくしが勝手につけたのではない。古来からの仏教用 語である。
わたくしが、阿含経以外のお経法華経、阿弥陀経をはじめすべてのお経 いささか激しい表現で批判するのは、阿含経以外のお経には、どの経典に も、この成仏法がないからである。釈尊がじっさい説かれたのは阿含経だけで あるという歴史的な事実のほかに、阿含経以外には、この「成仏法」がないか わたくしはそういうのである。 「成仏法」のない経典など、わたくしは真実 仏教経典と認めることはできないのである。もちろん、それなりの存在意義 なり存在価値はあろうが、本流ではない。傍流というべきである。このことに 関しては、わたくしの他の著書を読んでいただきたい。
七科三十七道品とはつぎのようなものである。
 
四法
身念住法 受念法
心念住法。
法念住法
以上である。
四正断法 断断法修断法 随護断法 律儀断法
四神足法 神足法 勤神足法 心神足法 観神足法
五根法 信根法 精進根法 念根法定根法 慧根法
五力法 ―信力法 精進力法 念力法定力法 慧力法
七党支法 一択法覚支法 精進覚支法 喜覚支法 軽安覚支法 捨覚支法 定覚支法念覚支法
八正道法正見法 正思惟法 正語法 正業法 正命法 正精進法 法定法
この七科目、三十七種のカリキュラムは、
う。
 
に分類できる。
四念法・五根法は、瞑想である。
霊性の洗礼
四正断法・五力法・七覚支法・八正道法は、実践と瞑想である。
四神足法は、特殊な練行tapas である。
神足とは、神通力(超能力)のことで、この四神足法は、 超自然の神通力を得 るための四種の修行法である。 前にのべたわたくしの練行tapas はこれに属する
この七つの科目のうち、 練行tapasを中心に、瞑想と実践の科目をとり入れて 修行するのである。どの科目をどうとり入れて、どのように訓練するかは、 聖師が決定する。修行者それぞれ、みな素質と因縁がちがうので、それを見 て、グルが決めるのである。
この修行において、グルの果たす役目は大きい。グルについて、少しのべよ
まず、間違いなく霊性を開顕したグルを見つけて、そのグルに受け入れても らうことである。それができたら、この修行は八分どおり成功したといっていい くらいである。それくらい重要なことであり、かつ、むずかしいということで ある。
グルなくして、正しい霊性開顕の仏道修行は不可能である。ふつうの仏教信 心とはちがうのである。 信心のしかたや、信仰のしかた、経典の講義や解釈を教 わるという程度のものならばとにかく、霊性開顕の仏道修行は、強力な霊的能力 を持つグルの助けなくしては、絶対といっていいほど、できないのである。
たとえば、インド近代の聖者ラーマナ・マハリシが、入門者に対して、「凝視 の方法」で受け入れの儀式をおこなったとき、彼の両眼の輝きと力が相手の心 をつらぬいて、その雑念の流れを断ち切ってしまったといわれる。ときとして は、まるで電流が身の内に流れ込んだように相手は感じたともいわれる。
こういう霊的体験によって、弟子はまず心をきよめられ、霊的なものに対す あこがれ、霊的向上心をいだくようになるのである。霊性の洗礼である。その 人の素質にもよるけれども、一度、霊的な洗礼を受けた者は、霊的感覚がひら かれ、霊的世界への憧憬が芽ばえる。いままでとちがう高い次元の存在が、感覚 されるのである。霊性開顕への第一歩で、これが非常に大切なのである。わた くしなども、弟子に対し、 わたくし独自の受け入れの方法をおこなうが、ただ問 題は、ほんとうに霊性開顕したグルは非常に稀だということである。 にせもの グルや、未熟なグルにかかわり合うと、とり返しのつかぬことになる。まず、 間違いなく霊性を開顕したグルを見つけること、つぎにそのグルに受け入れても らうことだ。グルはなかなか弟子を受け入れないものである。
さいわいに、受け入れてもらった弟子の心がまえについて、のべておこう。 グルに受け入れてもらったら、弟子は、そのグルに心からしたがうことであ る。心から尊び敬わなければならない。
グルは弟子にとって仏陀そのものなのである。グルは弟子にとって、過去に
へんげしん
出現した仏陀たちの変化身であり、未来の仏陀たちが生まれ出る母であり、い まここに仏陀を体現している尊い存在なのである。
グルは、弟子にとって、この世の中のいかなるものよりも尊い、かけがえの ない存在であるといわねばならない。なぜならば、弟子は無限の昔から輪廻の旅 をつづけて、いまここに至っている。 これからも苦しい輪廻の旅を無限につづけ ていかなければならない。過去、いままでの生)にどれだけ多くの仏陀たちが 輪廻の鎖を断ち切ってニルヴァーナに至るようよびかけたことであろうか。し かし、煩悩と悪行に心曇らせていたために、弟子は、それらの仏陀たちの招き にこたえることができなかった。それがいま、ここに、無量の慈悲心をもって ニルヴァーナに導いてくれる師があらわれ、その方と縁が結ばれた。グルこそ 仏陀そのものなのである。その深い畏敬と憧憬の心をもってグルにしたがった とき、グルは全身全霊の力をもって、弟子を導いてくれるであろう。グルは、 弟子と仏陀とを結ぶかけがえのない水路であり、この水路を通じて仏陀の霊性 霊的パワーが弟子の心に流れ込んでくるのである。最終的な霊性の開顕は、
グルからの霊的パワーの感応なのである。 感応道交といい、画龍点睛という言葉があるが、すべての技法の最後の仕上げは、グルからの霊的感応なのであ る。そしてそれは、師と弟子と、純一無雑に心が融け合わねばなしえないもの なのである。
受け入れの秘儀
ここで、わたくしがおこなってきた独自の「受け入れの秘儀」についてお話 ししておこう。
わたくしのおこなう、「受け入れの秘儀」とは、凝視のしかたと、 それから、 わたくしの指導によるアージュニャー・チャクラへのメッセージ伝達から成っ ている。
この凝視のしかたをおこなう聖者は、ほんのわずかであるが、わたくし以外 にもおられる。しかし、これは、クンダリニー・ヨーガを完成した聖者でなけれ ばできない。
このことは、前出の『密教・超能力の秘密」に書いているが、このころ、わ たくしは「受け入れの秘儀」に凝視のしかたで臨むということを、 すでに決め ていた。しかし、残念ながら、当時、わたくしの弟子として受け入れることので きる人は、まったくといっていいほどいなかった。 最近になってようやく、熱心 に修行している弟子の中から出てきて、実現できたのである。
「受け入れの秘儀」は、いわば仏教の入門得度にあたる。だから、弟子のことを いつも心にかけ、その一人一人に応じたしかたで指導していく。凝視したとき に、 「今後、どのように指導していったらよいか。 どういう霊障を持っているの か」がすべてわかってしまうので、それに応じて指導していくのである。
そして、アージュニャー・チャクラへのタッチも、おこなう。 弟子へのメッ セージを伝えるのである。それには三種類あるが、いずれも、潜在意識に直に 伝える。これは、前述の「思念による王者の相承」の一部にもなっているので ある。
さらに高度な「霊感伝授受け入れの秘儀」へ
既刊「輪廻転生瞑想法I」でのべたとおり、阿含宗は、すでに南伝、北伝、 東伝の三つの仏教体系を統合した世界で唯一の完全仏教教団であったが、先 年、ブータン仏教から強力な霊力を持つ、世界最高の霊法を伝えられたことに より、霊力の面でも完璧となり、名実ともに世界的な完全仏教となった。
わたくしは、この世界最高の霊法をもって、前述の「受け入れの秘儀」を発 させた、さらに高度な秘儀、「霊感伝授受け入れの秘儀」をはじめることにし た。
なぜ霊感伝授”なのか?
さきほどわたくしは、
インスピレーション
間脳はこれまでくり返し説いてきたように、霊性の場であり、霊感の座 なのである」
とのべた。
霊感伝授〟としたのは、この秘儀が、霊感の座である間脳にアプローチする 秘儀だからである。
「受け入れの秘儀」は、凝視のしかたとアージュニャー・チャクラへのタッチ であったが、この「霊感伝授受け入れの秘儀」は、さらに脳の深部の霊性の場 二、強力な霊力を送り込む。
高度の秘儀であるので、そうとうに熱心に修行して、ある程度霊性を開顕し 弟子しか受けることができない。 しかし、弟子たちは、この「霊感伝授受け 入れの秘儀」を受けることで、成仏法を完全に受け入れることができる、ひと つの思念の力を受けとるのである。
 
Astute readers may have already noticed this. This is what Tibetan Esoteric Buddhism calls ``succession of the king through thought.'' The succession of kings through thought was actually communication through spiritual vibrations.
 
Through this, I realized that I had reached the third state of the four steps leading to explanation, but this is because I had achieved tapas, an exercise in the development of the diencephalon. It was something I could never have gotten. It is only when the inner state of acceptance is established that the mutual acceptance of the king from the outside can be expressed.
Four steps leading to liberation
vibration
Now, I call it ``four steps leading to explanation.''
 
Anyone must pass through these four stages in order to attain liberation. So
Anyone can reach the explanation by walking through these four steps according to the guidance of an excellent sage. Of course, the same is true for you.
What are the four stairs?
So, let's talk about these four steps.
1 srota äpanna-
2. sakrd-agamin-
3. anāgamin-
Four arhat-
It is.
To explain
Suda Purified Saint
 
Anagome
Arhat
Includes Sida
exalted saint
Ana
The Saint Who Leaped (Dimension)
Arhat
A saint who has transcended dimensions and achieved perfection, also known as the ``Buddha''.
Inspiration
So, how does a practitioner walk through these four stages?
Training to kill the limbic system and neocortical brain
Simply put, it is a training that kills the limbic system and neocortical brain.
Unless the limbic system and neocortical brain are killed, the diencephalon will not function and the third eye will not open.
However, don't get me wrong. Killing the limbic system and the neocortical brain ultimately means keeping the limbic system, especially the neocortical brain, alive. The neocortical brain is said to be the ``seat of creativity.'' However, the true seat of creation is in the diencephalon. As I have repeatedly explained, the diencephalon is a place of spirituality,
It's a feeling. It is through this development that true inspiration occurs.
However, in order to develop the brain, the limbic system and neocortical brain must be shut down for a while. When the diencephalon is developed, the neocortical brain is reborn. The newly revived neocortical brain becomes a brain with superhuman inspiration and creativity based on spirituality.
So what kind of training is that?
Method and system of spiritual perfection
This is the training method for spiritual perfection left behind by Shakyamuni Buddha. I call this the ``dharma'' of attaining Buddhahood. Buddhahood refers to the completion of spirituality, and refers to the person who has achieved this.
It is called "Buddha". That is why I call this method ``the method of attaining Buddhahood.'' In detail, as mentioned in ``Reincarnation Meditation Method II,'' it is a method and system for attaining Buddhahood that consists of seven systems and a curriculum of 37 types. this
In the Agon Sutra, it is called ``Seven Sciences, Thirty-Seven Ways,'' or ``Thirty-seven Bodhisattvas.'' I did not choose these two names arbitrarily. It is an ancient Buddhist term.
The reason why I criticize all the sutras other than the Agon Sutra, including the Lotus Sutra and the Amida Sutra, in rather harsh terms is because none of the sutras other than the Agon Sutra do not have this method of attaining Buddhahood. In addition to the historical fact that Shakyamuni Buddha actually preached only the Agon Sutra, there is no other ``Dharma for attaining Buddhahood'' other than the Agon Sutra. I cannot accept any sutra without the ``Dharma of Buddhahood'' as a true Buddhist sutra. Of course, it has some significance and value, but it is not mainstream. It should be called a side stream. Please read my other books on this subject.
The thirty-seven disciplines of the seven disciplines are as follows.
 
four laws
Mind-judgment method Acceptance method
Mind meditation method.
Hoenjuho
That's all.
Shisei Danho, Danshaho, Modification Law, Zuigodanho, Ritsugidanho
Four God Foot Laws, God Foot Law, Shinshin Foot Law, Shinshin Foot Law, Kanshin Foot Law
Five-radical method, Shin-kon method, Shojin-kon method, Nekkon-ho root method, Kei-gen method
Five power methods - Faith method, Devoted power method, Psychokinesis law, Eiryoku method
Seven-Party Branch Method One-Choice Method Gaku-Chi Method Shojin Gaku-Chi Method Ki-Kaku-Chi Method Light An-Kaku-Chi Method Saku-Gaku-Chi Method Jo-Gaku-Chi Method Nen Gaku-Chi Method
The Eightfold Path, the Law of Right View, the Law of Right Thought, the Law of True Words, the Law of Right Work, the Law of True Life, the Law of True Shojin Law, the Law of Statutory Law
These seven subjects and 37 types of curriculum are:
cormorant.
 
It can be classified into
.
The Four Thought Laws and the Five Root Laws are meditations.
baptism of spirituality
The Fourfold Dharma, the Five Powers, the Seven Awakenings and the Eightfold Path are practices and meditations.
Shigami Ashiho is a special practice of tapas.
Kamiashi refers to divine power (superpower), and these four divine foot methods are four types of training methods to obtain supernatural power. My practice tapas that I mentioned earlier belongs to this category.
Among these seven subjects, training focuses on tapas, meditation, and practice. The priest decides which subjects to incorporate and how to train them. Each practitioner has different qualities and connections, so the guru decides based on this.
The guru plays an important role in this training. Tell me a little about Guru.
First of all, find a guru who has definitely revealed spirituality, and even if you are accepted by that guru, he will not accept you. If he can do that, he can say that this training has been 80% successful. He says it's that important and difficult.
Without a guru, proper Buddhist training for spiritual enlightenment is impossible. This is different from ordinary Buddhist devotion. Even if it is just a matter of being taught how to have faith, how to have faith, and how to lecture and interpret scriptures, Buddhist training for spiritual enlightenment is absolutely impossible without the help of a guru with powerful spiritual abilities. Suffice to say, it can't be done.
For example, when Ramana Maharishi, a modern Indian sage, used the ``method of gaze'' to perform an acceptance ritual for initiates, the brilliance and power of his eyes penetrated the hearts of the initiates, clearing them of their thoughts. It is said that the flow has been cut off. It is said that at times he felt as if an electric current had flowed into them.
Through this kind of spiritual experience, the disciple's heart is first purified, and he develops a longing for spiritual things and a desire for spiritual improvement. It is a baptism of spirituality. Although it depends on the person's caliber, once a person has undergone spiritual baptism, their spiritual senses are enlightened and their yearning for the spiritual world begins to bloom. The existence of a higher dimension than before can be sensed. This is the first step towards spiritual enlightenment and is extremely important. I, his comb, etc., use my own method of acceptance for my disciples, but the problem is that there are very few gurus who have truly achieved spiritual enlightenment. If you get involved with a fake guru or an immature guru, you will be irreversible. First, find a guru who has definitely revealed spirituality, and secondly, if you are accepted by that guru, he will not accept you. Gurus do not easily accept disciples.
I would like to say this about the heart of the disciple who was fortunate enough to be accepted. Once a disciple is accepted by a guru, he becomes a disciple by following the guru wholeheartedly. It must be respected and respected from the heart.
The guru is the Buddha for his disciples. The guru is the past for the disciple.
Hengeshin
She is the incarnation of the Buddhas who have appeared, the mother from whom future Buddhas will be born, and she is a precious being who truly embodies the Buddhas.
It must be said that for the disciple, the guru is an irreplaceable person, more precious than anything else in this world. This is because the disciple has been on a journey of reincarnation since time immemorial and has now reached this point. From now on, he must continue his painful journey of reincarnation. How many Buddhas have called upon us in our past lives to break the chains of reincarnation and reach Nirvana? However, because his mind was clouded by his worries, desires, and evil deeds, the disciple was unable to respond to the invitations of these Buddhas. Now, here, a teacher appeared who guided him to Nirvana with infinite compassion, and he formed a bond with that person. The Guru is the Buddha himself. When he follows his guru with deep reverence and admiration, the guru will guide him with all his strength. The guru is an irreplaceable waterway that connects the disciple and the Buddha, and it is through this waterway that the Buddha's spiritual power flows into the heart of the disciple. The final manifestation of spirituality is
It is a response of spiritual power from the Guru. There is a term called sensō doko (sensation path training), and the final touch of all techniques is spiritual sensitivity from the guru. And this is something that can only happen if the hearts of master and disciple are united in a simple and pure way.
the secret of acceptance
Here, I would like to talk about the unique ``Mystery of Acceptance'' that I have been practicing.
The ``Mystery of Reception'' that I perform consists of a method of gazing and then, under my guidance, transmitting a message to the ajna chakra.
There are only a few saints other than myself who use this method of gazing. However, this can only be done by a saint who has perfected Kundalini Yoga.
I wrote about this in the aforementioned ``Secrets of Esoteric Buddhism and Psychic Powers,'' but around this time he had already decided that he would approach the ``Mystery of Acceptance'' with a fixed gaze. Ta. Unfortunately, at that time, there were very few people who were willing to accept me as my disciple. It was only recently that he came out among the disciples who were diligently practicing and was able to realize it.
The ``Mystery of Acceptance'' is, so to speak, an introduction to Buddhism. Therefore, he always cares about his disciples and instructs them in a way that suits each one of them. When he stares at him, he knows everything about how to guide him in the future.
Also, touch the ajna chakra. He conveys his message to his disciples. There are three types of it, all of which convey information directly to the subconscious mind. This is because it is part of the aforementioned ``succession of the king through thought''.
Towards a more advanced “Mystery of receiving inspirational transmissions”
As mentioned in the previously published book ``Reincarnation Meditation Method I'', the Agon sect was already the only complete Buddhist sect in the world that integrated the three Buddhist systems of Southern Buddhism, Northern Buddhism, and Eastern Buddhism. By transmitting the world's best spiritual law with powerful spiritual power, Buddhism became perfect in terms of spiritual power and became a world-famous complete Buddhism in both name and reality.
Using the world's highest spiritual law, I decided to begin an even more advanced mystery, the ``Mystery of Inspirational Initiation Acceptance,'' which had given rise to the aforementioned ``Mystery of Acceptance.''
Why “inspirational transmission”?
A while ago, I
Inspiration
As I have repeatedly explained, the diencephalon is a place of spirituality and a seat of inspiration.
He said.
The reason why it was called "Inspirational Initiation" is because this mystery approaches the diencephalon, which is the seat of inspiration.
The ``Mystery of Acceptance'' involved gazing and touching the ajna chakra, but this ``Mystery of Inspirational Initiation Acceptance'' further explores the deep spiritual places in the brain and the powerful spiritual power. Send it in.
Since it is a highly esoteric ritual, only disciples who have practiced it diligently and have revealed their spirituality to a certain extent can receive it. However, by receiving this ``Mystery of Inspirational Transmission and Reception,'' disciples receive the power of a single thought that enables them to fully accept the Buddhahood Dharma.
 
http://cyber-price.com/buddha/
Buddha  Japan Journal
Buddha Japan journal
日本の仏教を発信しますSend Japanese Buddhis
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仏舎利と密教の奇蹟   仏舎利と守護仏法の不思議な世界   

2024-01-22 17:42:45 | タブレットPC
 
 
 
- 仏教の仏舎利は、釈迦仏の遺骨や遺物を指し、信者にとって非常に重要な存在です。
- 仏舎利は、釈迦仏の遺骨を細かく砕いて作られ、異なる地域の寺院に分布されました。
- 信者は寺院や舎利堂で仏舎利を参拝し、供養を行います。
- 仏舎利は信仰の対象としてだけでなく、仏教の歴史や伝統の一部としても重要視されます。
- 仏舎利は美術的価値もあり、一部は美術品として評価されています。
- 阿含宗では、釈迦仏の聖霊が宿る「真正仏舎利尊」が本尊として崇拝されています。
- 密教では、「変化法身の釈迦」が生身のシャカの本体とされ、三重の釈迦が存在すると説かれています。
- 密教において、「駄都法」と「如意宝珠法」は最奥の秘法とされ、修法において重要な位置を占めています。
- 修法の中で、「如意宝珠立」は本尊を如意宝珠の三昧に引入れて修する法を指します。
- 信者が真正仏舎利を持ち、修法し祈ることで奇蹟的な霊験が生じるとされています。
- 信者は真正仏舎利をいただき、それを本尊にして祈りを捧げることで奇蹟が起きるとされています。
- In Buddhism, sariras refer to the remains and relics of Shakyamuni Buddha, and are of great importance to believers.
- Buddha's ashes were made by crushing the remains of Buddha Shakyamuni into small pieces and distributed to temples in different regions.
- Believers visit the Buddha's ashes and make offerings at temples and reliquaries.
- Buddha's ashes are valued not only as objects of worship but also as part of Buddhist history and tradition.
- Buddha's ashes also have artistic value, and some are valued as works of art.
- In the Agon sect, the ``Genuine Buddha Sharison'', in which the holy spirit of Shakyamuni Buddha dwells, is worshiped as the principal image.
- In esoteric Buddhism, the ``Shakyamuni of the changing Dharmakaya'' is considered to be the real body of Shaka, and it is said that there are three Buddhas.
- In esoteric Buddhism, ``Datoho'' and ``Nyoi Hojuho'' are considered to be the deepest secrets and occupy an important position in training.
- Among the practices, ``Nyoihojuri'' refers to the method of cultivating the principal image by bringing it into the Samadhi of Nyoihoju.
- It is said that miraculous experiences will occur when believers hold authentic Buddha's ashes, practice Dharma, and pray.
- It is said that miracles will occur when believers receive authentic Buddha's ashes and offer prayers using them as their principal image.
仏教の仏舎利(ぶっしゃり)は、仏教徒にとって非常に重要な寺院や仏教寺院における聖なる遺物です。仏舎利は、釈迦(しゃか)仏の遺骨や遺物、あるいはその一部を指すことが一般的です。
釈迦仏が入滅(にゅうじゅう)した後、彼の遺骨は細かく砕かれ、多くの仏舎利が作られました。これらの仏舎利は、仏教の教えを広めるために異なる地域に分布され、多くの寺院に安置されました。
仏舎利は、信仰の対象として大切にされ、仏教徒はそれに敬意を払います。寺院や仏教寺院では、仏舎利を保管するための特別な舎利堂が建てられ、信者はそこで参拝や供養を行います。また、仏舎利は仏教の信仰の中で、功徳を得るために寄進や寄贈されることもあります。
仏舎利は、信仰心の象徴としてだけでなく、仏教の歴史や伝統の一部としても重要視されています。一部の仏舎利は、歴史的な価値や美術的価値を持ち、美術品としても評価されています。
仏教の仏舎利は、信者にとっては聖なる存在であり、信仰の対象として大切にされています。それらは、仏教の教えや価値観を具体的に表すものとして、多くの人々にとって心の支えとなっています。
 

その宗旨における信仰の絶対対象である仏を「本尊」と呼びます。阿含宗の本尊は、釈迦の聖霊(せいれい)が宿る聖物(せいもつ)として、昔から仏教徒の間で深く尊崇されている「真身舎利(しんじんしゃり)」です。
阿含宗では、これを「真正仏舎利尊(しんせいぶっしゃりそん)」と呼んでいます。
仏教徒にとって、ゴータマ・ブッダ=お釈迦さまのご聖骨である真正仏舎利は「生いける釈迦」そのものであり、仏教では唯一最高の本尊です。
想像や概念上の仏ではなく、木像や図像の仏でもなく、ブッダとして実在した釈迦の聖骨であり、仏教における最高の本尊です。
Buddhist relics are sacred relics in temples and Buddhist temples of great importance to Buddhists. Butsushari generally refers to the remains or relics of Shakyamuni Buddha, or parts thereof.
After Shakyamuni Buddha passed away, his bones were broken into small pieces and many Buddha ashes were made. These Buddha relics were distributed in different regions and enshrined in many temples to spread the teachings of Buddhism.
Buddha relics are treasured as objects of faith, and Buddhists pay respect to them. In temples and Buddhist temples, special reliquary halls are built to store the relics of the Buddha, and devotees visit and hold memorial services there. In addition, Buddhist relics are sometimes donated or donated to obtain merit in the Buddhist faith.
Buddha's ashes are considered important not only as a symbol of faith, but also as part of the history and tradition of Buddhism. Some Buddhist relics have historical and artistic value, and are also valued as works of art.
Buddhist reliquary is a sacred existence for believers and is valued as an object of faith. They serve as emotional support for many people as they concretely represent the teachings and values of Buddhism.
 
Buddha
The Buddha, which is the absolute object of faith in that sect, is called the 'honzon'. The principal image of the Agon sect is the "Shinjinshari", which has been deeply revered by Buddhists since ancient times as a sacred object in which the Holy Spirit of Shakyamuni resides.
In the Agon sect, this is called "Shinsei Bussharison".
For Buddhists, the Gautama Buddha, which is the sacred bones of Buddha, is the “living Buddha” itself, and is the only and highest principal image of Buddha in Buddhism.
It is not an imaginary or conceptual Buddha, nor a wooden or iconographic Buddha, but the sacred bones of Shakyamuni who actually existed as Buddha, and is the supreme principal image of Buddhism.
三重の釈迦。
密教では、シャカの御遺骨、御遺身を「変化法身の釈迦」といって、生身のシャカ の本体とするのである。 遺骨、御身が生きているシャカの本体なのである。
仏の本質を緻密に芸術化し、象化して表現する点で、密教はもっともすぐれてその密教では、シャカに三重あることを説いている。これを「三重の釈迦」とい
第一重のシャカは、胎蔵界マンダラ中台にまつられている四仏の一つで
鼓雷音仏」という名前でまつられている。
 
この名前は、涅槃の智慧を、天(雷) のような法音をもって衆生にさとらせる仏という意味で、つまりシャカの説いた教法を、仏として表現したのである。
自性身の仏ともいう。
 
第二重のシャカは、胎蔵界マンダラ釈迦院のシャカで、これが、生身のシャカの本体とされる。本尊としてえがかれているのが、如来、如来舌など、生身のシャカの ゆいにつ御遺骨、御身である。
第三重のシャカは、ボードガヤの菩提樹の下でさとりをひらかれ、仏陀になられた説いている教義と関係なく、突然、仏舎利の霊験功徳が飛び出してきたりする。思う に、これは、その霊験功徳の偉大さに感激して思わずそういうかたちでほとばしり出 たものとみてよいのではなかろうか。
 
経論のほかに、奇蹟的な体験談もかず多く残されている。 それを集めたら、それだ
けで大部の書物ができあがるほどである。
それらのなかから、代表的なお経を一、二のせてみよう。
 
「宝悉地成仏陀羅尼経』唐・不空訳 (抄)
その時仏は、金剛手虚空蔵等の大菩薩に、つぎのようにおっしゃった。
「あらゆる人々と如来とは、ともに法において平等に法身である。 ところが多く
の衆生は妄執にとらわれて、相依相関に依る縁起の世界を、実存の世界と誤り考えてしまう。そのために、常に、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・・天の六のい ずれかの、貧しく賤しい家に生まれ、法に親しむ善き友には近づかず、真理を説 智慧ある人には親しまず、悪い行いを犯して迷いの世界に漂流し、さとりを得られず、永遠に迷いの世界を脱することができないのである。
私はこれらの人々をさとりに至らせるために、大宝陀羅を説こうと思う。
 
これを、法身駄都如意宝珠甘露薬王金剛精進 常住真如宝王太郎という。 末法のこの世界の人々が、仏舎利の一粒を手に入れて信仰し奉持するならば、 その人こそ本当の仏の弟子である。 なぜならば、この舎利は法身釈迦牟尼如来の 常住不変の本体だからである。
そのようにして仏舎利を持し信仰してこの大宝陀羅尼を一心に唱えれば、大 なる智慧を得て、すべてに巧みなる菩薩となることができるであろう。 また、人が、この真言をとなえ、仏性を求めて仏舎利を礼拝すれば、妊戒・盗・大妄語戒を破る四重罪と、五逆罪、仏法を誹謗した越三昧耶の罪な
どあらゆる重罪はことごとく消滅し、よき望みごとがすべて達成されるであろ
貧乏や病気に苦しみ、あるいはさまざまな不運不幸に見舞われて、地獄のよう絶望の世界をさまよう者は、前世における悪い行為を懺悔し、仏法僧の三もしも仏舎利を得たら、その浄穢を論ぜず、そのまま一心に礼拝供養せよ。 そして心の底から仏の徳を念じてやまなければ、その身そのままに仏の清浄心を得て、金剛頂に住するであろう。この人を、仏身を持する者、金剛(のさとり)をれである。
 
持するもの、宝法を持する者というのである。すなわちこの人こそ大菩薩摩訶 なのである。
『大般涅槃経』後分唐・若那跋陀羅訳
天界に住む神々と、僧侶、在家の仏教徒は、仏舎利を得たら七つの宝でできて いる瓶に盛り、これを都城の内なる道地において、七宝でできている塔を建立し 仏舎利を供養するならば、生きとし生ける一切衆生に大いなる功徳をもたら し、三界に生存する三有の苦しみを離脱し、涅槃の安楽にいたらせるであろう。 仏舎利を供養するということは、まさに生ける仏を供養することなのである。
以上のこれらの経論と、わたくし自身の得たる霊験奇蹟により、わたくしは、仏舎
利を守護仏とおよびするのである。守護仏とは、仏舎利のことなのである。 それは当然のことで、仏教の始祖たる仏陀シャカこそ、すべての仏教徒の一心の祈 りにこたえて、救いの手をさしのべてくださる守護仏なのである。
密教最極最奥の秘法-
-「駄都法」「如意宝珠法」
さて、わたくしは、さきの章で、密教が、盛大な仏舎利信仰をマンダラにとり入れ たとのべたが、密教が仏舎利信仰をとり入れたのは、マンダラだけではなかったので ある。
密教にとってもっとも重要な修法の上にもとり入れたのである。
「駄都法」 「如意宝珠法」と名づける、密教において最極最奥とされる深秘の法がそ
つまり、インドの仏教徒たちが得た霊験功徳を修法としてとり入れたわけだ。
 
Mie Buddha.
"
 
 
 
In esoteric Buddhism, Shaka's bones and body are called ``Shakyamuni's body of transmutation,'' and are regarded as the body of the living Shaka. Remains, you are the body of the living Shaka.
Esoteric Buddhism is the best in articulating and symbolizing the essence of Buddha, and it preaches that there are three types of Shaka. This is called "Mie no Shaka"
The first layer, Shaka, is one of the four Buddhas enshrined in the Womb Realm Mandala Chudai.
It is enshrined under the name Koraionbutsu.
 
This name means a Buddha who awakens the wisdom of Nirvana to sentient beings with a dharma sound like heaven (thunder), in other words, it expresses the Dharma taught by Shaka as a Buddha.
It is also known as the Buddha of the Self.
 
The second Shaka is the Shaka of the Womb Realm Mandala Shaka-in Temple, which is considered to be the main body of the Shaka in the flesh. The main object of worship is the remains of a living Shaka, such as Nyorai and Nyoraitongue, which are related to him.
The third-level shaka is enlightened under the bodhi tree of Bodgaya and becomes a Buddha. In my opinion, it is possible to regard this as something that burst out involuntarily in such a way as a result of being deeply moved by the greatness of the miraculous merit.
 
In addition to his treatises, there are also many accounts of his miraculous experiences. Collect it and that's it
A large number of books can be completed in just one.
Let's list one or two representative sutras from among them.
 
"Treasure of the Land of Buddha Dharani Sutra" Translated by Tang Fuku (excerpt)
At that time, the Buddha said to the great bodhisattvas, such as Kongote Kokuzo, as follows.
“Both all people and Tathagatas are equal Dharma Bodies in the Dharma.
The sentient beings are obsessed with delusions and mistakenly think of the world of dependent origination, which depends on interdependence, as the world of existence. For this reason, one must always be born into a poor and humble family in one of the six realms of Heaven: Hell, Hungry Ghosts, Beasts, Asuras, etc., and stay away from good friends who are familiar with the Dharma, and away from those who preach the truth and are wise. , committing bad deeds and drifting into a world of delusion, unable to attain enlightenment, and forever unable to escape from the world of delusion.
In order to bring these people to enlightenment, I will preach Daihodara.
 
This is called Hoshindato Nyoi Hoju Honeydew Medicine King Kongo Shojin Joju Shinnyohou Taro. If people in this world of the Latter Day of the Dharma acquire a piece of Buddha's ashes and believe in it and hold it, that person is a true disciple of the Buddha. This is because this reliquary is the eternal and unchanging body of the Dhamma Shakyamuni Tathagata.
If you hold the sarira in this way, believe in it, and chant this Great Hodharani with all your heart, you will gain great wisdom and become a bodhisattva who is adept at all things. In addition, if a person recites this mantra and worships the Buddha's ashes in pursuit of the Buddha nature, he will commit the four serious offenses of violating the precepts of pregnancy, theft, and blasphemy, the five treasonous offenses, and the crime of slandering Buddhism.
May all felonies be extinguished, and all good wishes fulfilled.
Those who suffer from poverty and illness, or suffer from various misfortunes, and wander in a hellish world of despair, should repent of their bad deeds in their previous lives, and discuss the purification of the Buddha's ashes. Instead, let us devote ourselves wholeheartedly to the worship service. And if one does not cease to meditate on the Buddha's virtue from the bottom of one's heart, one will acquire the Buddha's pure mind and live at the top of Vajra. This person is the one who has the body of Buddha, the vajra (no satori).
 
Those who have it, those who have the treasure law. In other words, this person is the Great Bodhisattva Maka.
"Great Prairie Nirvana Sutra" Translated by Wakana Tang
When the gods, monks, and lay Buddhists who live in the heavens obtain the Buddha's ashes, they place them in jars made of the Seven Treasures, and build a pagoda made of seven treasures in the inner road of the city to place the Buddha's ashes. If it is offered, it will bring great merit to all living beings, free them from the suffering of the three beings living in the three worlds, and bring them to the comfort of nirvana. To hold a memorial service for the relics of the Buddha is to hold a memorial service for the living Buddha.
Based on these sutras and the miraculous miracles that I myself have experienced, I am able to
Tori is regarded as a guardian buddha. Guardian Buddha is the relic of Buddha. It is only natural that Buddha Shaka, the founder of Buddhism, is the guardian Buddha who answers the single-minded prayers of all Buddhists and extends a helping hand.
Esoteric Buddhism's deepest secret method-
- "Datoho" "Nyoihojuho"
Now, in the previous chapter, I said that Esoteric Buddhism incorporated the great worship of Buddhist relics into mandalas.
It was incorporated into the most important rituals of esoteric Buddhism.
The most profound and most secret method of esoteric Buddhism, called “Dadoho” and “Nyoihojuho”
In other words, they adopted the miraculous merits obtained by Indian Buddhists as training.
 
如意宝珠立
これを発見して、これを修行し、成仏法として、ほぼ完成した。霊障を発したホ トケを成仏させ得るのは、この「釈尊の成仏法」しかないのである。
もちろん、「如 意宝珠法」自体のなかに、成仏法が入っているが、 霊障まで発しているホトケを完全 成仏させるためには、「釈尊の成仏法」を併修して、万全を期すべきだと考えたので ある。霊障が少しでもあると、福徳宝生の徳は得られず、たとえ得ても、かえって自 分をきずつけることになるからである。
そして、それは、わたくしの考えた通りの結 果を得ることになったのである。
修法のしかた
「如意宝珠立」というのである。わたくしが勝手にいっていると思われては困るの で、『密教大辞典』を見ていただこう。こうある。
略して宝珠立ともいう、所修の本尊を如意宝珠の三昧に引入れて修する法を如 意宝珠立の法という。
わたくしの場合は、すこし違うが、こういう修法のしかたが、密教にはあるのであ
さて、生身の釈迦如来である真正仏舎利を本尊に、「如意宝珠法」と「成仏法」を 併修する。この法を、わたくしは「守護仏法」と名づけたのである。
なぜかというと、この法こそ、わたくしは、全仏教徒の総守り本尊を生み出す法で あると考えたからである。
この守護仏法をもって修法し、守護仏となった仏舎利尊を宝塔に奉安して、信徒にこのご宝塔を前に、一心に祈りをささげるとき、奇蹟的霊験が生ずるのは当然であそういうと、真正仏舎利がそんなにたくさんあるのか、おかしいじゃないか、とい
なぜ奇蹟が続出するのか?
われるかもしれない。そうではないのである。 「駄都法」の口伝によると、真正仏舎 利を本尊として、仏舎利をかたどった霊石・霊木に法を修するとき、これら霊石・霊 木は、ただちに真正仏舎利と同等になるのである。(ただし、本尊はかならず真正の 仏舎利でなければならない)
信徒は、ひとりひとり、真正仏舎利をいただいて祈るのである。 本尊・法、ともに 最高のものである。奇蹟が起きてあたりまえ、
「私」がいっさいないからだ。すべて、本尊・法、ともに、仏さまの御意志によ って成ったものだからである。 どこにも、「私」がないのだ。すべて「仏意」によ って成ったのである。
奇蹟ということばを使うならば、まず第一に、阿含宗が真正仏舎利を奉戴すること になったそもそものはじまりから、奇蹟が起きていたのである。
この真正仏舎利は、さきにちょっとのべたように、スリランカ国から拝受したので あるが、これは、わたくしのほうからお願いしたのではないのである。 スリランカ国 のほうから、お申し出があったのである。 最初、わたくしは信じなかった。 いや、信 じられなかった。 一笑にふしたのである。 それまで、わたくしは、スリランカにはいかなる知己もなかったのだ。寝耳に水、 一笑にふした。 しかし、真実と知って呆然と し、次いで、狂喜した。真実と知ってからも、何度か疑った。 どうして、こういうこ とになったのだろうか? ふしぎでふしぎでならなかった。
しばらくして、その事情らしいものを耳にして、なるほどと思った。 くわしくは知 おわらないが、最初、ある思惑を持った大教団が関係し、さいごにその思惑が外れて結 局、阿含宗がいただくことになったということらしいのだ。それを聞いた刹那、 わた くしは、「仏意だ」と感じた。いろいろなことがあったようだが、その経緯に、仏さ まのご意志を感じたのである。 わが教団に真正仏舎利がおまつりされるようにとの すべて仏さまのご配慮であると思った。
第二の奇蹟は、さきにのべた小田慈舟大僧正猊下の、「如意宝珠法」伝授である。
 
守護仏とはどういう仏か?
 
 
Nyoi Hoju Stand
I discovered this, practiced this, and almost completed it as a Buddhist law. It is only this ``Shakyamuni Buddha's law'' that can make his toke, who has given off spiritual obstacles, attain Buddhahood.
Of course, the ``Nyoi Hojuho'' itself contains the method for attaining Buddhahood, but in order to completely attain Buddhahood even for those who are even suffering from spiritual disturbances, it is necessary to take all possible measures by simultaneously practicing the ``Shakyamuni Buddha's method for attaining Buddhahood.'' I thought he was. This is because if one has even the slightest psychic disorder, one cannot obtain the virtues of happiness and good fortune, and even if one does, it will only harm oneself.
And it turned out to be exactly what I had envisioned.
How to repair
It is called 'Nyoi Hojuryu'. I don't want him to think that I'm saying this on my own, so let's take a look at the "Esoteric Buddhism Encyclopedia". There is this.
It is also called Hojuryu for short.
My case is a little different, but there is this way of training in Esoteric Buddhism.
By the way, we will practice ``Nyoihojuho'' and ``Jobutsuho'' at the same time, with the true Buddha reliquary, which is the living Shaka Nyorai, as the principal image. I named this law "Protective Buddhism".
The reason for this is that this is the law that he believes is the one that creates the total guardian deity of all Buddhists.
It is only natural that miraculous miracles will occur when believers pray in front of this treasured pagoda, enshrining the Buddha Sharison, who has become a guardian Buddha, in a treasured pagoda. I wondered if it was strange that there were so many Buddha relics.
Why do miracles keep happening?
may be It is not so. According to oral traditions of the Dadoho, when the Buddha's reliquary is the principal object of worship and a sacred stone or tree resembling the Buddha's reliquary is used to perform the ritual, these relic stones or trees will immediately become equivalent to the genuine Buddha's relic. . (However, the principal image must be a genuine Buddhist reliquary.)
Each believer receives a genuine Buddha relic and prays. Both the honzon and the Dharma are the highest. Miracles happen naturally,
Because there is no "I". This is because both the principal image and the Dharma were created by the will of the Buddha. There is no "I" anywhere. Everything was created by the “Buddhist intention.”
If we use the word miracle, first of all, miracles have been occurring from the very beginning when the Agon sect came to enshrine genuine Buddha relics.
As I mentioned earlier, he received this genuine Buddha reliquary from Sri Lanka, but I did not ask for it. There was an offer from Sri Lanka. At first I didn't believe it. I couldn't believe it. I laughed at it. Until then, I had no acquaintances in Sri Lanka. I fell asleep and burst into laughter. But when he learned the truth, he was stunned, and then he was overjoyed. Even after knowing the truth, I doubted it several times. How did he end up like this?
After a while, I heard something that seemed to be the circumstances, and I thought I see. I don't know the details, but it seems that at first it was related to a large cult with a certain purpose, but in the end, that purpose was lost, and in the end, the Agon sect was awarded. The moment I heard it, I felt that it was the Buddha's intention. It seems that many things happened, but in the circumstances, I felt the will of the Buddha. He thought that it was all the consideration of the Buddha to have a genuine Buddha enshrined in our sect.
The second miracle is the teaching of the Nyoihoju method by His High Priest Jishū Oda, mentioned earlier.
 
What kind of Buddha is the guardian Buddha?
 
 
 
 
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Buddha  Japan Journal
Buddha Japan journal
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大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 "Kongokai" expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai
 
胎蔵界曼荼羅 たいぞうかい Womb Realm Mandala Taizokai
 
瞑想のcyber--price
 
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力をあたえる五力法と七覚支法

2024-01-22 12:51:17 | タブレットPC
力をあたえる五力法と七覚支法

  1. 修行者は七科目、三十七教程の成仏法を完璧に修行する必要はなく、導師が最適な教程を選ぶ。
  2. 代表的な修行法には「五力法」と「七覚支法」があり、五力法は基礎訓練に利用される。
  3. 五力法には信念力法、精進力法、念力法、定力法があり、これにより信念が強化され、念力が発達する。
  4. 念力の強化によりクンダリニー・ヨーガの課程に進み、異常なほどの念の力を身につける。
  5. 七覚支法はクンダリニー・ヨーガと組み合わせて行われ、高度な智慧や法覚、力法の訓練が含まれる。
  6. 修行の最終段階では、仏陀釈尊の成仏法に辿り着くために、クンダリニー・ヨーガが必要であることを発見。
  7. 「択法覚支」から高い智慧を身につけ、念力法や念覚支法を通じて予知力や予感を得る。
  8. 修行者は軽安党支や捨覚支を通じて心の平静を保ち、定方法により感覚器官を増幅し、超人的な能力を得る。
  9. 修行の極限では不可視光線や超音波を感知し、天災地変を予知することが可能となる。
  10. 念力法や念覚支法を修行した者は、仏陀の弟子たちのように信じられないような念の力を持つ。
  11. これが真実の仏教であり、創作経典ではないことに注意が必要。

The Five Powers and Seven Gakushuho that give you strength
 
Practitioners do not have to perfect the seven subjects and thirty-seven courses of the Dharma for Buddhahood; the master chooses the most suitable course.
Typical training methods include ``Gorikiho'' and ``Shichikakushoho'', and Gorikiho is used for basic training.
The five power methods include the belief power method, the diligent power method, the psychokinesis method, and the fixed power method, which strengthen one's beliefs and develop psychokinesis.
By strengthening his mental powers, he progresses to the course of Kundalini Yoga, and acquires an extraordinary amount of mental power.
The Seven Awakening Dharma is practiced in combination with Kundalini Yoga and includes training in advanced wisdom, dharma awareness, and force.
At the final stage of his training, he discovered that Kundalini Yoga was necessary in order to reach Buddha Shakyamuni's Buddhahood Dharma.
He acquires high wisdom through ``choho-gakusho'' and obtains precognitive powers and premonitions through psychokinesis and nen-kakusho.
Practitioners maintain calmness of mind through Light Antouchi and Sakugakusho, amplify their sense organs through established methods, and gain superhuman abilities.
At the ultimate level of training, it becomes possible to detect invisible light and ultrasonic waves and predict natural disasters.
Those who have practiced the psychokinesis method or the nenkakusho method have incredible mental powers, just like the Buddha's disciples.
It is important to note that this is true Buddhism and not an invented scripture.
 
、さきに、七科目、三十七教程の成仏法を紹介た。
しかし、修行者は、これを全部、修行しなければならないわけではない。
導師が教示してくれた主要な一科目を中心に、いくつかの教程を併合したものを修行して ゆくのである。
弟子によって、みな、素質・能力・環境等 (総称して、“因縁”という)が違うので、導師 がそれらを勘案して、最も適切な教程を作製してさずけるのである代表的な修行法を、つぎに示そう。
これは、さきにのべた成仏法の中の「七覚支法」と「五力法」を合わせて作製したもので
この場合、五力法は、だいたい基礎訓練に用いる。
五力法とは、つぎのようなものである。
この訓練によって、信念の力が極度に発達し、いかなる困難に遭っても屈することなく、信念を曲げることがなくなる。
精進力法
念力法
定力法
困難に遭えば遭うほど、目的に集中し、努力する能力と性格を持つようになる。
異常なほど念力が強化される。
太陽光をレンズに集中して発火させるほどの念の力が養成される。
この法で強化された念の力は、信じられないほどの力を発揮する。
この法の訓練から、クンダリニー・ヨーガの課程に入る。
強化された念の力で、高度の瞑想や、特殊な練行を行う。
この訓練で、人間ばなれした力が身にそなわりはじめる。
クンダリニー・ヨーガの特殊訓練がはじまる。
法覚
力法 (智力法ともいう)
高度の智慧を身につける訓練である。
私は、求聞持聡明法の修行から始めさせる。
七覚法
以上の五力法を、基礎訓練とし、この五力法の上に立って、つぎの本格訓練に入ってゆく。
七覚支法は、すべて、クンダリニー・ヨーガの訓練と併合しておこなわれる。
これは、私の発見である。
最初、私は、仏陀の成仏法に挑戦して、まったく歯が立たなかった。手も足も出なかった。 なんとか手がかりをつかもうと、四苦八苦しているうちに、阿含の文献の中に、「ゴータマ・
ブッダは、ヨーガの達人"と呼ばれる」という文章を発見した。
この事を考えているうちに、この“ヨーガ" は、ラージャヨーガと、クンダリニー・ヨーガに違いないと、思いあたった。
精進党支
たんちょ
それを端緒にして、十数年かかって、私は仏陀の成仏法の秘密を解いた。
まさに、仏陀釈尊は、クンダリニー・ヨーガの達人だったのである。
クンダリニー・ヨーガの体得なくして、仏陀の成仏法には一指もふれることができないで
「択」とは 「えらぶ」という意味で、あらゆるもの(法)の中から真実のものをえらび出し、 真実ならざるものは捨て去る智慧の獲得である。
さきにのべた「事物の明確な認識と予知」の力は、この択法覚支から得られるのである。
軽 安党支
捨覚支
定党支
精進努力し、能力が増加、あるいはあたらしい能力を身につけることに喜びを感じます ます訓練に精勤するようになる。 どんなにきびしい修行でも、喜びをもって受け入れるよう
それは、クンダリニー・ヨーガのチャクラを動かすことにより、訓練が楽しくなるホルモ ンを湧出させるからである。
常に、身心を軽快明朗にして、心が悟冥 (暗く濁る)したり、渋滞したりしない修行。 喜覚支をさらに進めたもので、クンダリニー・ヨーガと併合した、特殊な訓練で得られる 能力である。
聖者特有の、のびやかな姿体と、平安で穏やかな人相となってくる。
取捨僧愛の念をはなれて、なにごとにも心がかたよったり、心の平静が乱されなくなる。
対象へのとらわれを捨てる修行である。
軽安覚支につづいて、聖者としての心がそなわってくるのである。
定方法につづいて、超人としての能力が飛躍的に強化される。
徹底的な定力(精神統一)の強化により、感覚器官が増幅される。
この修行の極限は、 不可視光線(赤外線、紫外線)を見ることができ、超音波を聞くこと ができるようになる。その結果、天災地変も予知することが可能となる。 そこまで到達する ことは容易ではない。この修行によって、聖者たちは、大なり小なり、この能力を身につけ るのである。
初心者でも、予感や予知力が身にそなわる。 どんな初心者でも、とにかく「カン」が冴 えてくることはまちがいない。
いかがであろうか?
この修行を完成した超人の力は、ふつうの人の「常識」を越え、常識を破壊してしまうだ ろう。たとえば、
これは、一つの例えであるが、かれの思念の力は、他人の内臓の中にできた腫瘍(ガンな ど)を、その念の集中力で、破壊、あるいは溶かしてしまうことも可能である。 仏陀やその 弟子たちは、そのようにして、病人を癒したものである。(ただ、この場合、ガンを破壊して も、破壊されたガン細胞が他に転移するおそれがあるので、ガン細胞そのものを死滅させる ほどの念の力が伴わなければ危険であり、軽々しくこれを行うことはできない。それほどの 力は、仏陀ご自身でなければ持てないのかもしれない。一つの可能性の例として、あげたわ けである
そんな力は例外としても、念力法、念覚支法を修行した場合、中等程度の者でも、常人の 信じられないような念の力を持つようになる。
これが、仏陀釈尊の、弟子たちに教えた「仏法」なのである。
これが、真実の仏教なのだ。 あなたがこれまで常識として考えていた仏教とは、大分ちが うのではなかろうか?
多くの人が仏教だと思っている『法華経』とか『阿弥陀経』は、仏陀釈尊がお説きになっ たものではないのである。これら「大乗経典」とよばれる経典は、仏陀がお亡くなりになっ 二、三百年もたってから、無名の人たちによって創作されたものである。だから、これら の経典は、学問的には「創作経典」とよばれているのである。
創作経典の中には、「成仏法」は全く欠落している。一行も書かれていない。当然であろう。 「成仏法」は、仏陀釈尊しか教えることが不可能だからだ。無名の人たちが勝手に創作した大 乗経典に「仏陀の成仏法」が全くないのは、当然至極というべきだろう。
日本の仏教は「大乗仏教」である。つまり、「創作仏教」であって、「仏陀の仏教」ではな い。従って、「仏陀の成仏法」は全くない、というわけである。
日本の仏教徒が、仏陀の成仏法を全く知らない、というのは、ここに原因があるのである。 私は、このことが心から残念でならないのだ。

First, I introduced the method of attaining Buddhahood, which consists of seven subjects and 37 teachings.
However, practitioners do not have to practice all of this.
He goes on to train by combining several courses, focusing on one main subject taught by his master.
Since each disciple has a different quality, ability, environment, etc. (collectively referred to as ``fate and fate''), the guru takes these into account and creates the most appropriate curriculum for the disciple.This is a typical training course. Let me show you the law next.
This is a combination of the ``Shichikakushoho'' and ``Gorikiho'' of the Buddhist attainment methods I mentioned earlier.
In this case, the Five Power Method is generally used for basic training.
The five powers are as follows.
Through this training, the power of belief will be developed to the extreme, and no matter what difficulties you encounter, you will not give in and will not compromise your beliefs.
diligence method
psychokinesis method
constant force method
The more difficulties you encounter, the more you will have the ability and character to concentrate on your goals and work hard.
His psychokinesis is abnormally strengthened.
He develops enough mental power to concentrate sunlight on a lens and ignite it.
The power of Nen strengthened by this method exhibits incredible power.
From this Dharma training, one enters the course of Kundalini Yoga.
With the power of strengthened Nen, he performs advanced meditation and special training.
Through this training, he begins to acquire powers that are incomparable to humans.
Special training in Kundalini Yoga begins.
Dharmakaya
Rikiho (also called Chiriho)
This is training to acquire advanced wisdom.
I will have you begin with the training of the Gumonjisomeiho.
Seven enlightenment methods
The above five power methods are used as basic training, and by building on this five power method, we move on to the next full-scale training.
All of the Seven Awakening Methods are combined with Kundalini Yoga training.
This is my discovery.
At first, when I tried the Buddha's method of attaining Buddhahood, I was completely disappointed. I couldn't use my arms or legs. While I was struggling to find a clue, I discovered in Agon's literature, ``Gotama...
I found a text that says, "Buddha is called the Master of Yoga."
As I was thinking about this, it occurred to me that this "yoga" must be raja yoga and kundalini yoga.
Shojinto branch
Tancho
Starting from that, it took me over ten years to uncover the secret of Buddha's method of attaining Buddhahood.
Indeed, Buddha Shakyamuni was a master of Kundalini Yoga.
Without mastering Kundalini Yoga, you will not be able to touch the Buddha's method of attaining Buddhahood.
``Choose'' means ``choose,'' and it is the acquisition of wisdom that selects what is true from all things (dharma) and discards what is not true.
The power of ``clear recognition and foreknowledge of things'' that I mentioned earlier is obtained from this awareness of options.
Light Antai branch
sacrificial knowledge
established party branch
They work hard and feel joy when their abilities increase or acquire new abilities.They become more diligent in their training. No matter how tough the training, accept it with joy.
This is because by moving the Kundalini Yoga chakra, hormones that make training enjoyable are released.
Practice to always keep your body and mind light and clear, so that your mind does not become dark or cloudy or become congested. It is a further development of Kikakushi, and is an ability obtained through special training combined with Kundalini Yoga.
He develops an easy-going figure and a peaceful and calm face characteristic of a saint.
Once you are free from the thought of love for the monk, your heart will no longer be disturbed by anything, and your peace of mind will no longer be disturbed.
It is a training to let go of attachment to the object.
Following Karan Gakushu, the heart of a saint will emerge.
Following the regular method, his abilities as a superhuman are dramatically strengthened.
By thoroughly strengthening your fixed power (mental unity), your sense organs will be amplified.
The ultimate in this training is the ability to see invisible light (infrared, ultraviolet) and hear ultrasound. As a result, it becomes possible to predict natural disasters. It's not easy for him to get to that point. Through this training, saints acquire this ability, to a greater or lesser degree.
Even beginners can have premonitions and precognitive abilities. No matter how much you are a beginner, there is no doubt that your ``kan'' will become sharper.
What do you think?
The power of a superhuman who has completed this training will exceed the "common sense" of an ordinary person and destroy common sense. for example,
This is just an example, but the power of his thoughts can destroy or even dissolve a tumor that has formed inside someone else's internal organs (such as his cancer) with the concentration of his thoughts. It is. That's how Buddha and his disciples healed the sick. (However, in this case, even if the cancer is destroyed, there is a risk that the destroyed cancer cells will metastasize to other places, so it is dangerous if the power of mind is not strong enough to kill the cancer cells themselves. It is impossible to do this. Such power may only be possessed by the Buddha himself. I have given this as an example of one possibility.
Although such powers are an exception, if one practices psychokinesis or nenkakusho, even a moderately skilled person will be able to possess the power of nen that is unbelievable to an ordinary person.
This is the ``Buddhist Dharma'' that Buddha Shakyamuni taught to his disciples.
This is true Buddhism. Isn't there a big difference between Buddhism and what you used to think of as common sense?
The Lotus Sutra and the Amida Sutra, which many people think of as Buddhist, were preached by Buddha Shakyamuni and are not his own works. These sutras, called ``Mahayana sutras,'' were created by anonymous people two or three hundred years after the Buddha's death. Therefore, academically, these sutras are called ``creative sutras.''
The ``Dharma of attaining Buddhahood'' is completely absent from the created sutras. Not a single line was written. Of course. This is because the ``Dharma of attaining Buddhahood'' can only be taught by Buddha Shakyamuni. It is of course extremely important that there is no ``Buddha's method of attaining Buddhahood'' in the Mahayana sutras created by anonymous people.
Japanese Buddhism is ``Mahayana Buddhism.'' In other words, it is ``creative Buddhism,'' not ``Buddha's Buddhism.'' Therefore, there is no ``Buddha's method of attaining Buddhahood'' at all.
This is the reason why Japanese Buddhists have no knowledge of the Buddha's method of attaining Buddhahood. I am truly sorry about this.
 
 
 
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力をあたえる五力法と七覚支法

2024-01-22 12:51:17 | タブレットPC
力をあたえる五力法と七覚支法
  1. 修行者は七科目、三十七教程の成仏法を完璧に修行する必要はなく、導師が最適な教程を選ぶ。
  2. 代表的な修行法には「五力法」と「七覚支法」があり、五力法は基礎訓練に利用される。
  3. 五力法には信念力法、精進力法、念力法、定力法があり、これにより信念が強化され、念力が発達する。
  4. 念力の強化によりクンダリニー・ヨーガの課程に進み、異常なほどの念の力を身につける。
  5. 七覚支法はクンダリニー・ヨーガと組み合わせて行われ、高度な智慧や法覚、力法の訓練が含まれる。
  6. 修行の最終段階では、仏陀釈尊の成仏法に辿り着くために、クンダリニー・ヨーガが必要であることを発見。
  7. 「択法覚支」から高い智慧を身につけ、念力法や念覚支法を通じて予知力や予感を得る。
  8. 修行者は軽安党支や捨覚支を通じて心の平静を保ち、定方法により感覚器官を増幅し、超人的な能力を得る。
  9. 修行の極限では不可視光線や超音波を感知し、天災地変を予知することが可能となる。
  10. 念力法や念覚支法を修行した者は、仏陀の弟子たちのように信じられないような念の力を持つ。
  11. これが真実の仏教であり、創作経典ではないことに注意が必要。
The Five Powers and Seven Gakushuho that give you strength
 
Practitioners do not have to perfect the seven subjects and thirty-seven courses of the Dharma for Buddhahood; the master chooses the most suitable course.
Typical training methods include ``Gorikiho'' and ``Shichikakushoho'', and Gorikiho is used for basic training.
The five power methods include the belief power method, the diligent power method, the psychokinesis method, and the fixed power method, which strengthen one's beliefs and develop psychokinesis.
By strengthening his mental powers, he progresses to the course of Kundalini Yoga, and acquires an extraordinary amount of mental power.
The Seven Awakening Dharma is practiced in combination with Kundalini Yoga and includes training in advanced wisdom, dharma awareness, and force.
At the final stage of his training, he discovered that Kundalini Yoga was necessary in order to reach Buddha Shakyamuni's Buddhahood Dharma.
He acquires high wisdom through ``choho-gakusho'' and obtains precognitive powers and premonitions through psychokinesis and nen-kakusho.
Practitioners maintain calmness of mind through Light Antouchi and Sakugakusho, amplify their sense organs through established methods, and gain superhuman abilities.
At the ultimate level of training, it becomes possible to detect invisible light and ultrasonic waves and predict natural disasters.
Those who have practiced the psychokinesis method or the nenkakusho method have incredible mental powers, just like the Buddha's disciples.
It is important to note that this is true Buddhism and not an invented scripture.
 
、さきに、七科目、三十七教程の成仏法を紹介た。
しかし、修行者は、これを全部、修行しなければならないわけではない。
導師が教示してくれた主要な一科目を中心に、いくつかの教程を併合したものを修行して ゆくのである。
弟子によって、みな、素質・能力・環境等 (総称して、“因縁”という)が違うので、導師 がそれらを勘案して、最も適切な教程を作製してさずけるのである代表的な修行法を、つぎに示そう。
これは、さきにのべた成仏法の中の「七覚支法」と「五力法」を合わせて作製したもので
この場合、五力法は、だいたい基礎訓練に用いる。
五力法とは、つぎのようなものである。
この訓練によって、信念の力が極度に発達し、いかなる困難に遭っても屈することなく、信念を曲げることがなくなる。
精進力法
念力法
定力法
困難に遭えば遭うほど、目的に集中し、努力する能力と性格を持つようになる。
異常なほど念力が強化される。
太陽光をレンズに集中して発火させるほどの念の力が養成される。
この法で強化された念の力は、信じられないほどの力を発揮する。
この法の訓練から、クンダリニー・ヨーガの課程に入る。
強化された念の力で、高度の瞑想や、特殊な練行を行う。
この訓練で、人間ばなれした力が身にそなわりはじめる。
クンダリニー・ヨーガの特殊訓練がはじまる。
法覚
力法 (智力法ともいう)
高度の智慧を身につける訓練である。
私は、求聞持聡明法の修行から始めさせる。
七覚法
以上の五力法を、基礎訓練とし、この五力法の上に立って、つぎの本格訓練に入ってゆく。
七覚支法は、すべて、クンダリニー・ヨーガの訓練と併合しておこなわれる。
これは、私の発見である。
最初、私は、仏陀の成仏法に挑戦して、まったく歯が立たなかった。手も足も出なかった。 なんとか手がかりをつかもうと、四苦八苦しているうちに、阿含の文献の中に、「ゴータマ・
ブッダは、ヨーガの達人"と呼ばれる」という文章を発見した。
この事を考えているうちに、この“ヨーガ" は、ラージャヨーガと、クンダリニー・ヨーガに違いないと、思いあたった。
精進党支
たんちょ
それを端緒にして、十数年かかって、私は仏陀の成仏法の秘密を解いた。
まさに、仏陀釈尊は、クンダリニー・ヨーガの達人だったのである。
クンダリニー・ヨーガの体得なくして、仏陀の成仏法には一指もふれることができないで
「択」とは 「えらぶ」という意味で、あらゆるもの(法)の中から真実のものをえらび出し、 真実ならざるものは捨て去る智慧の獲得である。
さきにのべた「事物の明確な認識と予知」の力は、この択法覚支から得られるのである。
軽 安党支
捨覚支
定党支
精進努力し、能力が増加、あるいはあたらしい能力を身につけることに喜びを感じます ます訓練に精勤するようになる。 どんなにきびしい修行でも、喜びをもって受け入れるよう
それは、クンダリニー・ヨーガのチャクラを動かすことにより、訓練が楽しくなるホルモ ンを湧出させるからである。
常に、身心を軽快明朗にして、心が悟冥 (暗く濁る)したり、渋滞したりしない修行。 喜覚支をさらに進めたもので、クンダリニー・ヨーガと併合した、特殊な訓練で得られる 能力である。
聖者特有の、のびやかな姿体と、平安で穏やかな人相となってくる。
取捨僧愛の念をはなれて、なにごとにも心がかたよったり、心の平静が乱されなくなる。
対象へのとらわれを捨てる修行である。
軽安覚支につづいて、聖者としての心がそなわってくるのである。
定方法につづいて、超人としての能力が飛躍的に強化される。
徹底的な定力(精神統一)の強化により、感覚器官が増幅される。
この修行の極限は、 不可視光線(赤外線、紫外線)を見ることができ、超音波を聞くこと ができるようになる。その結果、天災地変も予知することが可能となる。 そこまで到達する ことは容易ではない。この修行によって、聖者たちは、大なり小なり、この能力を身につけ るのである。
初心者でも、予感や予知力が身にそなわる。 どんな初心者でも、とにかく「カン」が冴 えてくることはまちがいない。
いかがであろうか?
この修行を完成した超人の力は、ふつうの人の「常識」を越え、常識を破壊してしまうだ ろう。たとえば、
これは、一つの例えであるが、かれの思念の力は、他人の内臓の中にできた腫瘍(ガンな ど)を、その念の集中力で、破壊、あるいは溶かしてしまうことも可能である。 仏陀やその 弟子たちは、そのようにして、病人を癒したものである。(ただ、この場合、ガンを破壊して も、破壊されたガン細胞が他に転移するおそれがあるので、ガン細胞そのものを死滅させる ほどの念の力が伴わなければ危険であり、軽々しくこれを行うことはできない。それほどの 力は、仏陀ご自身でなければ持てないのかもしれない。一つの可能性の例として、あげたわ けである
そんな力は例外としても、念力法、念覚支法を修行した場合、中等程度の者でも、常人の 信じられないような念の力を持つようになる。
これが、仏陀釈尊の、弟子たちに教えた「仏法」なのである。
これが、真実の仏教なのだ。 あなたがこれまで常識として考えていた仏教とは、大分ちが うのではなかろうか?
多くの人が仏教だと思っている『法華経』とか『阿弥陀経』は、仏陀釈尊がお説きになっ たものではないのである。これら「大乗経典」とよばれる経典は、仏陀がお亡くなりになっ 二、三百年もたってから、無名の人たちによって創作されたものである。だから、これら の経典は、学問的には「創作経典」とよばれているのである。
創作経典の中には、「成仏法」は全く欠落している。一行も書かれていない。当然であろう。 「成仏法」は、仏陀釈尊しか教えることが不可能だからだ。無名の人たちが勝手に創作した大 乗経典に「仏陀の成仏法」が全くないのは、当然至極というべきだろう。
日本の仏教は「大乗仏教」である。つまり、「創作仏教」であって、「仏陀の仏教」ではな い。従って、「仏陀の成仏法」は全くない、というわけである。
日本の仏教徒が、仏陀の成仏法を全く知らない、というのは、ここに原因があるのである。 私は、このことが心から残念でならないのだ。
First, I introduced the method of attaining Buddhahood, which consists of seven subjects and 37 teachings.
However, practitioners do not have to practice all of this.
He goes on to train by combining several courses, focusing on one main subject taught by his master.
Since each disciple has a different quality, ability, environment, etc. (collectively referred to as ``fate and fate''), the guru takes these into account and creates the most appropriate curriculum for the disciple.This is a typical training course. Let me show you the law next.
This is a combination of the ``Shichikakushoho'' and ``Gorikiho'' of the Buddhist attainment methods I mentioned earlier.
In this case, the Five Power Method is generally used for basic training.
The five powers are as follows.
Through this training, the power of belief will be developed to the extreme, and no matter what difficulties you encounter, you will not give in and will not compromise your beliefs.
diligence method
psychokinesis method
constant force method
The more difficulties you encounter, the more you will have the ability and character to concentrate on your goals and work hard.
His psychokinesis is abnormally strengthened.
He develops enough mental power to concentrate sunlight on a lens and ignite it.
The power of Nen strengthened by this method exhibits incredible power.
From this Dharma training, one enters the course of Kundalini Yoga.
With the power of strengthened Nen, he performs advanced meditation and special training.
Through this training, he begins to acquire powers that are incomparable to humans.
Special training in Kundalini Yoga begins.
Dharmakaya
Rikiho (also called Chiriho)
This is training to acquire advanced wisdom.
I will have you begin with the training of the Gumonjisomeiho.
Seven enlightenment methods
The above five power methods are used as basic training, and by building on this five power method, we move on to the next full-scale training.
All of the Seven Awakening Methods are combined with Kundalini Yoga training.
This is my discovery.
At first, when I tried the Buddha's method of attaining Buddhahood, I was completely disappointed. I couldn't use my arms or legs. While I was struggling to find a clue, I discovered in Agon's literature, ``Gotama...
I found a text that says, "Buddha is called the Master of Yoga."
As I was thinking about this, it occurred to me that this "yoga" must be raja yoga and kundalini yoga.
Shojinto branch
Tancho
Starting from that, it took me over ten years to uncover the secret of Buddha's method of attaining Buddhahood.
Indeed, Buddha Shakyamuni was a master of Kundalini Yoga.
Without mastering Kundalini Yoga, you will not be able to touch the Buddha's method of attaining Buddhahood.
``Choose'' means ``choose,'' and it is the acquisition of wisdom that selects what is true from all things (dharma) and discards what is not true.
The power of ``clear recognition and foreknowledge of things'' that I mentioned earlier is obtained from this awareness of options.
Light Antai branch
sacrificial knowledge
established party branch
They work hard and feel joy when their abilities increase or acquire new abilities.They become more diligent in their training. No matter how tough the training, accept it with joy.
This is because by moving the Kundalini Yoga chakra, hormones that make training enjoyable are released.
Practice to always keep your body and mind light and clear, so that your mind does not become dark or cloudy or become congested. It is a further development of Kikakushi, and is an ability obtained through special training combined with Kundalini Yoga.
He develops an easy-going figure and a peaceful and calm face characteristic of a saint.
Once you are free from the thought of love for the monk, your heart will no longer be disturbed by anything, and your peace of mind will no longer be disturbed.
It is a training to let go of attachment to the object.
Following Karan Gakushu, the heart of a saint will emerge.
Following the regular method, his abilities as a superhuman are dramatically strengthened.
By thoroughly strengthening your fixed power (mental unity), your sense organs will be amplified.
The ultimate in this training is the ability to see invisible light (infrared, ultraviolet) and hear ultrasound. As a result, it becomes possible to predict natural disasters. It's not easy for him to get to that point. Through this training, saints acquire this ability, to a greater or lesser degree.
Even beginners can have premonitions and precognitive abilities. No matter how much you are a beginner, there is no doubt that your ``kan'' will become sharper.
What do you think?
The power of a superhuman who has completed this training will exceed the "common sense" of an ordinary person and destroy common sense. for example,
This is just an example, but the power of his thoughts can destroy or even dissolve a tumor that has formed inside someone else's internal organs (such as his cancer) with the concentration of his thoughts. It is. That's how Buddha and his disciples healed the sick. (However, in this case, even if the cancer is destroyed, there is a risk that the destroyed cancer cells will metastasize to other places, so it is dangerous if the power of mind is not strong enough to kill the cancer cells themselves. It is impossible to do this. Such power may only be possessed by the Buddha himself. I have given this as an example of one possibility.
Although such powers are an exception, if one practices psychokinesis or nenkakusho, even a moderately skilled person will be able to possess the power of nen that is unbelievable to an ordinary person.
This is the ``Buddhist Dharma'' that Buddha Shakyamuni taught to his disciples.
This is true Buddhism. Isn't there a big difference between Buddhism and what you used to think of as common sense?
The Lotus Sutra and the Amida Sutra, which many people think of as Buddhist, were preached by Buddha Shakyamuni and are not his own works. These sutras, called ``Mahayana sutras,'' were created by anonymous people two or three hundred years after the Buddha's death. Therefore, academically, these sutras are called ``creative sutras.''
The ``Dharma of attaining Buddhahood'' is completely absent from the created sutras. Not a single line was written. Of course. This is because the ``Dharma of attaining Buddhahood'' can only be taught by Buddha Shakyamuni. It is of course extremely important that there is no ``Buddha's method of attaining Buddhahood'' in the Mahayana sutras created by anonymous people.
Japanese Buddhism is ``Mahayana Buddhism.'' In other words, it is ``creative Buddhism,'' not ``Buddha's Buddhism.'' Therefore, there is no ``Buddha's method of attaining Buddhahood'' at all.
This is the reason why Japanese Buddhists have no knowledge of the Buddha's method of attaining Buddhahood. I am truly sorry about this.
 
 
 
http://cyber-price.com/buddha/
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