猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

物語としての「主の契約の箱」

2021-02-17 22:27:35 | 聖書物語

旧約聖書の『ヨシュア記』、『サムエル記』、『列王記』によれば、イスラエルの民は「主の契約の箱」(ארון ברית־יהוה、アロウン・ベリット・ヤハウェ)を担いで戦争に行ったとある。

主の契約の箱とは、文字のかかれた石の板を入れた箱のことである。戦争なんて人を殺すわけだから、楽しくもなく、残酷で凄惨なだけである。しかし、この重たい石板を入れた箱を数人がかりで担いで戦争にいったという話しは、何か、滑稽である。どう考えても、実際の戦争を経験したことのない老人が、昔話として、火のそばで孫たちに話す、おとぎ話のように聞こえる。

『ヨシュア記』6章には、「主の契約の箱」を担いで、エリコの町を包囲した話がある。

「ヨシュアが民に命じ終わると、7人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携え、それを吹き鳴らしながら主の前を行き、主の契約の箱はその後を進んだ。武装兵は、角笛を吹き鳴らす祭司たちの前衛として進み、また後衛として神の箱に従った。行進中、角笛は鳴り渡っていた。」(『ヨシュア記』6章8、9節 新共同訳)

英雄ヨシュアは、イスラエルの民に 7日間「契約の箱」を担いで町の周りをまわらせるが、はじめの6日間は角笛を吹くだけで声をたてさせず、最後の日に、ときの声を上げさせた。すると、町の城壁が崩れ、イスラエルの武装兵が町になだれ込み、内通していたものを除き、皆殺しにし、略奪の限りを尽くした、と『ヨシュア記』は書く。

最後は、桃太郎伝説と同じく、暴力をふるって敵を殺し、略奪して終わりである。

しかし、この伝説から、レビ人とは、祭司とは、古代イスラエル人の最下層に位置づけられていた人たちだ、とわかる。私は、大名行列の先頭を歩く足軽を思い起こす。足軽は、尻をだして、「下に下に」と声かけながら、踊るように歩くのである。

私は、6章を読むと、英雄ヨシュアに命じられて、7人の祭司が尻を出して踊りながら角笛を吹き、4人のレビ人が 重い石の箱を よろめきながら 運んでいる姿を思い浮かび、笑ってしまう。

『ヨシュア記』は、もとは『申命記』のつづきとして書かれたもので、バビロン捕囚から解放され、エレサレムに帰還の後の紀元前6世紀から4世紀にかけて書かれたものである。『申命記』が、モーセがイスラエル人を奴隷の家エジプトから解放し、カナンの地を目前とし、死ぬ物語なら、『ヨシュア記』は、ヨシュアがモーセの意志をつぎ、カナンの地を奪う物語である。

現実のイスラエル人は、ペルシア帝国の政策の一環として、バビロン捕囚から解放されたが、自分たちの国を建設することもできず、エレサレムを宗教都市として再建するなかで、想像力で自分たちの無力さを覆い隠していたのである。『ヨシュア記』を含む『モーセ六書』は、強かった祖先を想像して心を慰めるものであったのだろう。

さて、「契約の箱」のなかの石板には、モーセが神から受け取った十戒が書かれていたとされる。E.オットーは、『モーセ 歴史と伝説』(教文館)で、『出エジプト記』の十戒と『申命記』の十戒とが異なる、と指摘している。

それより、私は、「契約の箱」の伝説を書き記した人たちは、どんな文字で十戒を石に刻んだと考えたか、興味を抱く。彼らが想定したモーセの時代には、フェニキア文字もヘブライ文字もない。あるのは楔文字かエジプト文字である。楔文字を石に刻むのは大変であっただろう。

変なのは、契約の箱から石板を取り出して、祭司が十戒をみんなの前で朗読したとかの記述がないのである。『ヨシュア記』や『サムエル記』や『列王記』では、戦争のとき、あたかも、軍旗のように重い箱を運んだ、あるいは、敵に奪われたの話しか、ないのである。

だから、ハリウッド映画、『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』では、主人公インディ・ジョーンズとナチスとが地上最強の兵器「契約の箱」をめぐって争うというトンデモナイ物語になってしまう。

『列王記上』8章6節に、ソロモン王が神殿の奥に「契約の箱」をしまい込んだとある。旧約聖書には、それ以降、「契約の箱」の記述はない。なお、『列王記下』12章に、ヨアシュ王の時代、祭司ヨヤダが「契約の箱」のかわりに、さい銭箱を神殿の入り口に置いたとある。

☆☆☆ これで おしまい。

神の呼び方がヘブライ語聖書の編集痕跡の指標になる?

2021-01-02 00:06:29 | 聖書物語

私には、細部にこだわる習性がある。E.オットーの『モーセ 歴史と伝説』(教文館)を読んで以来、神をどう呼んでいるかが気になって、ヘブライ語聖書をしらみつぶしに調べ始めた。

ヘブライ語聖書は39文書からなるが、それぞれは、イスラエル王国、ユダ王国が滅んだあと、政治的意図をもって、異なる集団によって、異なる時代に、書かれたものである。

神をどう呼んでいるかをしらべると、どういう集団がいつ関与したか、少しわかるのではと思ったからである。

ヘブライ語聖書(旧約聖書)で神を表わす語は3系統に分けられる。エル(אל)、エロヒム(אלהים)、ヤハウェ(יהוה)に分けられる。ヘブライ文字に母音記号ができたのは、紀元後10世紀なので、紀元前にどう発音していたかは、本当はわからない。

これらの語が組み合わせられてヘブライ語聖書にあらわれる。しかも、文書によって組み合わせ方が偏ってあらわれるので、ヘブライ語聖書の成立過程解明の助けになるかもしれない。

われながら、こだわりが強いと思うが、とにかく、時間をかけて一通り調べ終わった。私が調べた結果は、8285事例になった。もちろん、手違いがあると思うが。

エル、エロヒムは普通名詞なので、先頭に冠詞ハ(ה)がついたり、語尾に所有を表わす人称代名詞がついたりできる。ヤハウェは神の名(固有名詞)なので、冠詞や人称代名詞がつかない。(私が調べた結果では、ヤハウェに冠詞がついた語が『エレミヤ書』8章19節に1例あった。)

ヘブライ語のヤハウェを「主」と訳すのは、誤訳というより、確信犯的違訳である。「主人」にはヘブライ語のアドウン(אדון)が別にある。

「エロヒム」は複数形だが、ヤハウェを指していると思われるときは「神」と訳し、そうでないときは「神々」と訳するのが、日本語聖書の慣例である。「エロヒム」の単数形はエロウハ(אלוה)で、『ヨブ記』に集中的に現われる。

ヘブライ語聖書には、単語単位でカウントすれば、「ヤハウェ」が一番多く、6218カ所にあらわれる。しかし、ヤハウェもエルもエロヒムなども現れない文書が2つある。『雅歌』(ソロモンの歌)と『エステル記』である。

神が現れない文書が2つもあるとは、ヘブライ語聖書は宗教書というより、アレクサンダー大王の遠征以来の地中海時代に、ユダヤ人が自分たちの文化と歴史の古さを誇るための書であったと考えられる。

『コヒレトの言葉』では「ヤハウェ」という単語が現れない。

モーセの五書の『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』はそれぞれ特徴ある神の呼び名が現れる。

ヘブライ語の最初に置かれる『創世記』では、神がいろいろな言葉で呼ばれる。これは、『創世記』が作られる過程で、いろいろな集団によって書き加えられたことを示唆していると思う。

よく知られている通り、『創世記』には2つの人間創造の物語がある。1章1節から2章3節までは、神は単に「エロヒム(אלהים)」と記され、2章4節から3章23節まで「ヤハウェ・エロヒム(יהוה אלהים)」が使われる。ただし、3章1-5節にふたたび「エロヒム」が使われる。「ヤハウェ・エロヒム」は、モーセの五書では『出エジプト記』の1例を除いては、上記の範囲にしか現れない。

『出エジプト記』9章30節に「ヤハウェ・エロヒム」が現れるが、その前後では単に「ヤハウェ」と神を呼んでいるから、9章30節は後からの挿入である。

「ヤハウェ・エロヒム」は『サムエル記下』、『列王記下』、『エレミヤ書』、『ヨナ書』でそれぞれ1例づつ、『詩編』で3例、『歴代誌上』、『歴代誌下』でそれぞれ4例づつである。「ヤハウェ・エロヒム」は一般的な神の呼び名ではない。

『申命記』では「わたしの神ヤハウェ」「あなたの神ヤハウェ」「我々の神の神ヤハウェ」「あなたがたの神ヤハウェ」が頻繁に現われる。ヘブライ語で順番にしるすと、つぎのようになる。
 ヤハウェ・エロハイ(יהוה אלהי)
 ヤハウェ・エロヘカ(יהוה אלהיך)
 ヤハウェ・エロヘヌゥ(יהוה אלהינו)
 ヤハウェ・エロヘケム(יהוה אלהיכם)
『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』ではこれらの言葉が現れない。

冠詞ハ(ה)が一般名詞の神につく表現は、『創世記』『出エジプト記』『士師記』『列王記』『歴代誌』『コヘレトの言葉』によく現れる。

特徴的なのは、日本語で「万軍の主」と訳される「ヤハウェ・ツァバオウト(יהוה צבאות)」である。これは、モーセの五書には出てこないが、『イザヤ書』『エレミヤ書』や十二小預言書に頻繁にでてくる言葉である。モーセ五書とその他を区分する語となる。

「ツァバオウト(יצבאות)」は兵士の集まり、軍隊という意味である。モーセの五書を創作・編集した人たちは、ヤハウェを戦争の神と見られることを望んでいなかったかもしれない。

「アドナイ・ヤハウェ(אדני יהוה)」も特徴的で、『エゼキエル書』に集中的現れる。『出エジプト記』『レビ記』『民数記』には現れない。「アドナイ」は「私のアドウン」で、「ヤハウェ、私の主」という意味である。

モーセの五書は祭司の妄想の書である、オットー

2020-11-02 23:22:48 | 聖書物語


いま、ヘブライ語聖書の迷路に入り込んでいる。事の起こりは、加藤隆の『集中講義旧約聖書 「一神教」の根源を見る』(別冊NHK100分de名著)を読んだことである。

そこで、加藤隆は、複雑きわまりない旧約聖書をまとめる代表的なテキストして、『申命記』6章4-5節の

〈イスラエルの民よ、聞け。我らの神、ヤハウェは唯一のヤハウェである。 
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、ヤハウェを愛しなさい。〉

を引用していた。これが、なぜ、旧約聖書を代表するのか、理解に苦しんで、E.オットーの『モーセ 歴史と伝説』(教文館)を読みだし、さらなる迷路に はまったのである。

新約聖書では、田川建三が指摘しているように、旧約聖書の引用の多くは、イエスキリストや洗礼者ヨハネの出現と死が予言されていたとするためのものである。そうでない数少ない引用は、『レビ記』19章18節の「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」で、マタイ、マルコ、ルカ福音書にもパウロの「ローマ人への手紙」にも出てくる。(「隣人」は翻訳の誤りで、『レビ記』19章18節ではたんに「相手」と書かれている。)

モーセに、自分の神ヤハウェを愛せよと、一方的に言われても困るだけである。これは理由もない強要だ。現代でいうと、信仰の自由の否定である。

オットーは『申命記』などのモーセの五書は祭司の著作だとする。

言われてみれば、あたりまえのことである。『申命記』の著者は、王についている祭司である。王の権威に裏づけられて、イスラエルの民に、ヤハウェを愛せと寝ぼけたことを言っているのだ。

エーリック・フロムは、モーセに導かれてエジプトを脱出したイスラエル民がヤハウェやモーセに不平不満を言っていることに着目した。民衆の反抗が『出エジプト記』『民数記』に繰り返し現れるのだ。ジークムント・フロイトは、これより、モーセはイスラエルの民に殺され、ヨルダン川を渡って、約束の地に行けなかったと推測する。

オットーは、そもそも、モーセがイスラエル人のエジプト脱出を指導したとは思っていない。さらに、エジプトの建設現場にいたベドウィンが逃亡したという可能性があるが、エジプトから部族連合体のイスラエルの民が脱出としたという大規模な逃亡劇はありえないと、考える。

オットーは、イスラエル王国が滅亡し、ユダ王国がアッシリア帝国の属国になったときの、ユダヤの民の不平不満をエジプト脱出という架空の物語に書きこんだと言う。

私は、エズラに引き入れられてのバビロン捕囚からの帰還でのユダヤ人の不平不満が書きこまれたのではないか、と思っていた。

『出エジプト記』の19章5-6節に、次のヤハウェの言葉がある。

〈今、もしわたしの声に聞き従い/わたしの契約を守るならば/あなたたちはすべての民の間にあって/わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。 
あなたたちは、わたしにとって/祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエルの人々に語るべき言葉である。〉

「祭司の王国」は、ヘブライ語原文では「祭司がおさめる国」と書かれている。「祭司」の「王国」は言葉の衝突であって、新共同訳の翻訳のレベルの低さを物語っている。

ここの言葉は、ユダ王国がバビロニアに征服され、王が権力を失い、王に代わって祭司が捕囚の民をまとめたからと思う。すなわち、バビロン捕囚期を思いうかべて『出エジプト記』が書かれたのだろう。

『出エジプト記』32章25-29節に次の話がある。

モーセはイスラエル民が勝手なふるまいをしたことに怒り、「ヤハウェにつく者は、わたしのもとに集まれ」と言い、レビ人が全員集まると、「イスラエルの神、主が『おのおの、剣を帯び、宿営を入り口から入り口まで行き巡って、おのおの自分の兄弟、友、隣人を殺せ』と言われる」と命じ、およそ三千人のイスラエルの民を殺させた。
そして、モーセは「おのおの自分の子や兄弟に逆らったから、今日、あなたたちはヤハウェの祭司職に任命された。あなたたちは今日、祝福を受ける」といった。

これもすごい話である。フロイトはレビ人をモーセの護衛兵と推測した。もしかしたら、歴史的事実として、祭司たちは、自分たちにしたがわない人たちを、護衛兵に殺させていたのかもしれない。

まとめると、モーセの五書は祭司の妄想で書かれたもので、歴史的事実ではない。
そして、モーセの五書はヘブライ語聖書の一部にすぎない。
妄想によって書かれた『申命記』6章4-5節を加藤隆がヘブライ語聖書の代表とするのは、承諾しがたい。

オットーの『モーセ』を読み、ヘブライ語聖書のAI分析を夢みる

2020-11-01 23:00:45 | 聖書物語


E.オットーの『モーセ 歴史と伝説』(教文館)を1週間前から読んでいるが、いまだに読み終えられない。比較的薄い本であるが、モーセの五書あるいはモーセの五書にまつわる話を13章にわたって書いており、各章の内容が心にひっかかり前に読み進まない。

本書の内容は、ヘブライ語聖書の中のモーセ五書がいかに形成されたか というテーマと、モーセ五書が近代人にいかに受け入れられたか、あるいは拒否されていたか というテーマとからなる。

後者のテーマには、精神分析を創始したフロイトの説、モーセはエジプト人で、ヨルダン川を渡る前にイスラエル人に殺されたとか、歴史学者アスマンの紹介したエジプトの伝承、モーセは逃亡らい病患者集団の指導者とか、トーマス・マンのモーセの受容とかが含まれる。

本書はこのように欲張りすぎている。

「モーセの五書」は、ヘブライ語聖書の『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』を指す。これに『ヨシュア記』を加えて、「モーセの六書」と呼ぶ。

第3章では、19―20世紀の学問的研究の結果を、すなわち、モーセの五書の文書批判的な読みの結論を、その方法論の説明もなく、「モーセの五書」は歴史書でないと、簡単に述べる。

〈五書の物語群が示すのは、個々にいわば1つの文学的な山塊があり、そこには膨大で多種多様な主題や法的素材が堆積していて、……このモーセという人物像は、それらの雑多な素材群を1つに束ねる留め金としての文学的機能を果たしているのである。〉

〈ヴェルハウゼンは、モーセの時代のヤハウェを単なる純粋な自然神かつ戦争神と見なし、モアブ人やアンモン人などの周辺民族の神々と何ら違いはなかった、と論じる。〉

オットーに80年以上先だつ旧約学者マルティン・ノートは『モーセ五書伝承史』 (日本基督教団出版局)で、モーセの五書を物語と考え、テーマの連続性に着目し、挿入部分をより分け、雑多な素材群に分割した。ノートはJ、E、G、P、Dにモーセの五書を章節のレベルより細かく分類している。

例えば、『創世記』の2章4節は、「これが天地創造の由来である」と「主なる神が地と天を造られたとき」と分割され、前半までがPの物語で、後半がJの物語である。

じつは、用語法から見ると、前半の「天地」と後半の「地と天」は、「天」「地」の語順が違う。ヘブライ語聖書の原文に当たってもそうである。さらに、後半のJでは、「地」も「天」も冠詞がついているが、ノートはその違いに言及しない。

オットーは、さらに、ノートが物語の連続性に着目してモーセの五書をJ、E、G、P、Dに分割したことに、言及しない。したがって、次章からのオットーの五書形成の分析は、ノートとの成果とどういう関係にあるのかは、わからない。

第4章から第9章までのオットーの分析手法は、モーセの五書の作成・編集に携わった人たちを動機でグループ分けし、モーセの五書の形成過程を推定するというものである。

モーセの五書に直接関与したものを、オットーはツァドク系祭司、アロン系祭司にわける。ツァドク系祭司は、ユダヤ国の王の権威によって、権威付けられていたとし、王国の崩壊によって、バビロンの捕囚期(紀元前586年から前539年)に、アロン系祭司が分かれて出てきた。

オットーはツァドク系祭司の書いた『申命記』の部分にモーセの五書の原型があるとする。『ヨシュア記』はツァドク系祭司の著作である。アロン系祭司は、アロンをモーセの兄とする物語を加えることで、自分たちの系統の正当化を図ったという。『創世記』の1章から『レビ記』の9章までがアロン系の祭司の著作となる。

どうも、Dがツァドク系、それ以外をアロン系に帰しているようである。

オットーによれば、祭司グループの対抗者、預言者グループが別にいて、それにより、ツァドク系祭司とアロン系祭司とが共同戦線を張るようになり、モーセの五書に両者の著作が入り混じるようになった、と考える。ヘブライ語聖書の中で、モーセの六書以外、ほとんどモーセの名が出てこないのは、預言者と祭司の対立があったからとする。また、『出エジプト記』に十戒が唐突に挿入されたのも、両祭司の著作がまとめられたからであるとする。

オットーは、ヘブライ語聖書全体の形成過程について論じていない。ここでは、ユダヤ人対非ユダヤ人の利害の対立が、祭司と預言者の対立する著作を1つにまとめる必要を起こしたはずである。じっさい、イエスの時代にはいっても、ヘブライ語聖書の編集(書き直し)が行われている。

オットーは、ヘブライ語聖書を単純に宗教書とも文学書とも見ることができず、政治的闘いの痕跡あるいは堆積物であると言っているように思える。

オットーは新しい視点をヘブライ語聖書の読みに加えた。非常に新鮮な視点であるが、ステークホルダーはツァドク系祭司、アロン系祭司、預言者だけではないだろう。

ヘブライ語聖書には知恵の書もあろう。さらに、北のイスラエル王国が崩壊してきたとき、ユダ王国に逃げてきた知識人もいる。

さらに、『士師記』『サムエル記』『列王記』『歴代誌』も歴史的事実ではなく、虚構の可能性がある。例えば長谷川修一はサウル、ダビデ、ソロモンの統一イスラエル王国はなかったと言う。

やたらと長いヘブライ語聖書の構造の理解には、著作者たちの動機分析に先立って、用語法分析や事物(安息日、十分の一税など)を徹底的にやり、客観的な指標が必要と思う。そのためには、AIを使ったコンピューター分析が有効だと思う。

加藤隆のいうように聖書全体を読んでメッセージを受けとるべきか

2020-10-15 23:28:46 | 聖書物語


きょうは、2016年の加藤隆の『集中講義旧約聖書 「一神教」の根源を見る』(別冊NHK 100分de名著)を取り上げる。

その書の最後の段落に、加藤は

〈「聖書」は、その全体に権威があるとされます。聖書を読むのならば、聖書全体が何を主張しようとしているのかという立場を尊重しなければ、聖書に取り組む作業が、聖書全体の意義の前で無意味なものになってしまいます。〉

と書く。いっぽう、第4講には、

〈旧約聖書は複雑きわまりない書物で、全体をまとめるのは困難です。敢えてそこから代表的な短いテキストを1つだけ示せということになると〉

として、『申命記』6章4-5節を引用している。

〈聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。 
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。〉(ここで「主」は「ヤハウェ」の日本語訳である。)

あいかわらず、彼の「神学」で旧約聖書をムリヤリ読み込んでいると言える。

聖書協会共同訳で、旧約聖書は1478ページ、新約聖書は467ページである。全体を読まないと、加藤の神学に反論できないのであれば、いつまでも、私は反論できないことになる。

20世紀前後から、ドイツのプロテスタント系聖書学者が「モーセの五書」は史実でなく、物語であると指摘した。天地や人類の創造が神話であることは、誰でも気づくことだろう。だが、アブラハムやイサクやヤコブの物語、モーセの率いた出エジプト物語も創作である。

(ただ、私はドイツ語でこの主張を直接読んでいない。ドイツ語の “Geschichte”には「歴史」と「物語」の両方の意味があり、区別があいまいだ。だから、どのように当時の人を説き伏せたかは興味ある。)

「モーセの五書」は、5つの文書『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』からなる。

長谷川修一は、「モーセの五書」だけが物語であるのではなく、『ヨシュア記』『士師記』『サムエル記』『列王記』にも虚構があるとする。個々のエピソードにフィクションがあるのはあたりまえだが、長谷川修一の指摘するもっとも大きな虚構は、イスラエル統一国家の存在である。そんなものはなかったというのである。はじめて、これを読んだとき、驚いたが、いまは、納得できる。

旧約聖書では、サウル、ダビデ、ソロモンの3代の王によるイスラエル統一国家があり、ソロモンの死後、北のイスラエル王国と南のユダヤ王国に分かれたことになっている。長谷川修一によると、はじめからそうだった。アッシリアによってイスラエル王国が滅亡し、人々がユダヤ王国に逃げてきて、その融和のために、イスラエル統一国家の時代が昔あって繁栄したという、ウソの物語が必要になり、神話が出来上がったという。

北のイスラエル王国は気候に恵まれ、豊かな農業地帯で、10部族が住んでいる。南のユダヤ王国は荒れ地で、2部族しか住んでいない。しかし、旧約聖書では、統一王国の王は南の2部族出身で、首都も南のユダヤ王国にある。国力に大きな差があるのに、南が北を支配できたとは、そもそも不自然な話である。

ところで、加藤は『創世記』を知恵者ソロモンへの神学的批判であるという。彼は、カインの罪は「神のようになろうとした」ことだという。このカインはソロモンであるという。ここで、おもわず、エーリック・フロムの『自由であるということ―旧約聖書を読む』(河出書房新社)の原題が “You shall be as gods”であることを思い出して笑ってしまった。

ユダヤ教徒の子に生まれたフロムは「人が神のようになること」が人類の進歩であると信じている。約250年前に、カントは、神の助けを借りずとも、自分で物事を判断できるようになることを「啓蒙」と言っている。いっぽう、加藤はそれを人間のおごりだという。

そういえば、8年ほど昔、プロテスタント系の発達障害児教育パンフレットに「知ることは罪だ」と書いていた。

聖書は昔の雑多な考えを閉じ込めたタイム・カプセルである。全体を読まなくてもよい。全部を読もうとしても、時間を無駄にするだけで、意味がない。しかし、誰かさんの神学を押しつけられるいわれは全くない。

加藤は、「モーセの五書」は、ペルシア帝国の高級官僚のユダヤ人、エズラによって編纂されたという。だから、ペルシア帝国によって権威づけられているという。

私は、「モーセの五書」は時間をかけてばらばらに編纂されたのではと思う。最初に編纂されたのは、もっとも退屈な『レビ記』でないかと思う。『レビ記』は物語ではなく、古代の掟と儀式規則の集まりである。

しかし、新約聖書がもっとも頻繁に引用する言葉「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」は、『レビ記』19章18節に出てくる。そして、ほかの旧約聖書のどこにもでてこない。

じっさい、『レビ記』の19章全体が、退屈な他の章に比較して秀逸である。たとえば、19章9-10節に

〈穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。 
ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。〉

とある。また、19章14節には

〈耳の聞こえぬ者を悪く言ったり、目の見えぬ者の前に障害物を置いてはならない。〉

とある。加藤が旧約聖書を代表すると言う『申命記』6章4-5節より、ずっとマシである。

しかし、それ以外の章は退屈である。古代の儀式に興味がなければ、飛ばして読んでいいと思う。聖書には多数のばらばらの物語があり、文学作品として読むので良いのだ、神学は不要である。