猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

なぜ日本政府は韓国司法の場にでず、後でちゃぶ台をひっくり返すのか

2021-01-31 21:27:21 | 日韓関係


2日前(1月29日)に、朝日新聞『〈耕論〉韓国司法なぜ覆す』で、韓国の司法が日本企業や政府の戦前の行為を裁くことについて、小此木政夫、内田雅敏、山田哲也の3人が論じていた。

小此木政夫、内田雅敏、山田哲也の3人が、それぞれの立場から、控えめに安倍政権の対応に非を唱えていたが、私は同意するとともに、安倍晋三の非をもっと強く責めてよいと思う。安倍の国家主義的な偏狭な世界観のために、韓国人と日本人の良好な関係を築く絶好の機会を失ったと私は考える。

私は、韓国人が戦前の日本の行為に対して損害賠償を韓国の裁判所に訴え、裁判が行われることに、日本人がとやかく言う権利はないと思う。日本政府がその裁判に参加せず、また、企業に参加させないことのほうが、ずっと問題であると思う。また、判決を覆すために、あとで、日本政府が経済制裁を加えるということは、韓国の司法制度を否定することになるから、反対である。

訴訟を受けてたたないということは、はじめから、自己の罪を認めることになる。じっさい、有罪になることを日本はしてきたのであるから、罪をはっきり認めて謝り、「未来志向の韓国人と日本人の新しい関係」を裁判で訴えれば良かったと思う。そのほうが、互いに、わだかまりを生まず、現実的な判決もでてきたであろう。

加藤陽子の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)を読むと、明治時代に、韓国、清国(今の中国)にも近代化の波が押し寄せ、「立憲君主制」が目指されたとある。

〈1897年10月、朝鮮は、大朝鮮国だった国号を大韓帝国に変え、種々の近代化を目指した改革を行います。99年には憲法ともいうべき九ヵ条の大韓帝国官制を発布している。その第1条には「大韓帝国は世界万国の公認したる自由独立の帝国なり」との文句が見えます。〉p.178
〈19世紀末の1898年、戊戌の変法というのですが、清朝の開明的な一部の勢力によっていくつかの改革が進められました。〉p.187
〈韓国においても、1897年に大韓帝国ができ、99年に憲法ができている。この頃は同時代的な変化が起きていたといえます。〉p.187

このような極東の状況の中で、日本政府は1894年に日清戦争を行い、1904年に日露戦争を行い、1910年に韓国を併合する。

しかも、日清戦争直後の1895年には、日本陸軍は韓国の王妃を暗殺している。

〈朝鮮の朝廷内では、日本側に不満をもっていた勢力が閔妃(明成皇后)のもとに集まるようになります。また、朝鮮政府内にもロシアに接近しようとする親露派が多くなりました。〉p.177
〈これに驚いた日本側が行った行為はひどいものでした。講師として赴任して三浦梧楼は、もともと陸軍中将でした。三浦は大院君をふたたび擁立しようとして、公使館守備兵などに景福宮に侵入させ、なんと、閔妃暗殺事件を起こしたのですね。〉p.178

当時の維新の元老、山縣有朋、伊藤博文は、日清戦争、韓国併合に反対であったが、幕末の動乱を経験していない新時代の軍人、官僚は元老の意見を聞かず、列国に追いつけと、暴力的に領土拡張をはかる。その後、日本は、満州国建設、日中戦争、日米戦争に走る。そのなかで、属国とした韓国のひとびとを日本がなす戦争に動員する。この文脈で、韓国人の徴用工、慰安婦の問題をとらえなければならない。

昭和天皇は、戦後、日本が領土の45%を失った、先祖の天皇にどうお詫びしようと嘆く。このことは、戦前の日本は、日清戦争、日露戦争、韓国併合、第1次世界大戦、満州国建設と、武力で、国土を2倍近くに広げたのである。

2015年の戦後70年安倍談話では、「列国」がみんな他国を侵略していたから、日本もしたのだと言っているが、それが、韓国人に通用するか否か、真面目に考えれば、通用しないとわかることだ。安倍政権は、通用しないと思ったから、韓国の裁判で申し開きをしなかったのだ。20世紀にはいると、英米は武力による極東の征服をやめ、貿易を通してのソフトな収奪に変わる。日本の直接的な侵略は、欧米からの批判の対象になった。

国と国との条約が「正義」に優先するという日本政府の主張もおかしい。米ソの冷戦下で、クーデターで成立した軍事独裁政権、朴正煕が、国民を代表していたとは言えず、そのもとで結ばれた1965年の条約に、韓国の国民が縛られるとはいえない。

出さなかった手紙、悩む愛すべき君へ

2021-01-30 16:04:37 | 愛すべき子どもたち


つぎは、昔、書いたが出さなかった手紙である。
もしかしたら、いま同じように悩んでいる人がいたら、なんらかの役にたつかもしれないと思い、公開する。
   ☆      ☆      ☆
君は「統合失調症」ではない。たとえ、「統合失調症」であっても心配することではないし、それが君と私の関係を変えるわけでもないが、とにかく「統合失調症」ではない。

「統合失調症」が疑われるには、(1)妄想、(2)幻覚、(3)混乱した発語、(4)不可思議な動作、(5)情動や意欲の喪失、などの持続的症状からである。米国精神医学会の診断マニュアルDMS-5によれば、「統合失調症」はこのうち少なくとも2つの症状があり、そのうちの1つは(1)か(2)か(3)である。

決して、一時的なもの、感情の爆発や我を失ったような怒りの表情などで判断されるものではない。

だから、私は、「統合失調症」ではないと君に言う。君に「統合失調症」と言った人も本当はそう思っていなくて、単なる無意味な軽口だと思う。

今回のことは、人に言われたことを気にする君の性格に一因があるかもしれない。これまでも「自己愛型人格障害」「アスペルガー」「心臓病」と君は色々と心配してきた。
心配するのは君の個性かも知れない。無理して治そうとする必要はない。実際、君のようなタイプの人間は世の中にいっぱいいて、とにかくみんな生きている。関心を楽しいことに向けよう。

私は、人格などはその人の記憶によるものだと思っている。「こころ」は脳の記憶と脳の活動によって生まれると思っている。

最近読んだ『つながる脳科学 「心の仕組み」に迫る脳研究の最前線』(ブルーバックス)によると、ネズミも「うつ」になるそうだ。正確に言うと、この本の著者たち(理化学研究所脳科学総合研究センター)は、「うつ」が発症する脳の仕組みを研究するため、「うつ」のマウスを人為的に作っている。脳科学は非常に興味深い分野だが、人間中心の残酷な世界でもある。

どうやって「うつ」のマウスを作るかというと、そのマウスに嫌なことをいっぱいする。しっぽを縛って吊るすとか、水責めにするとか、電気ショックを与えるとか、するわけだ。そうすると、マウスは「恐怖学習」をする。例えば、一定の場所で電気ショックを与えると、その場所に置くだけでマウスは動けなくなる。学習したのである。いやなことをいっぱいされたマウスは「うつ」になる。

「学習」とは脳に神経回路して記憶されたことである。「記憶」が「うつ」を作ったのである。

マウスが「うつ」であるかは、「食欲」「睡眠」「緩慢な動作」「疲れやすい」「集中力の低下」「興味の喪失」「子育て放棄」で定量的に判定できる、という。
もちろん、著者たちは「うつ」を治す実験もしている。「楽しい」体験をさせることである。彼らが選んだ「楽しい体験」はセックスである。少なくてもマウスは一時的には「うつ」でなくなる。

著者たちは科学者である。楽しい記憶で不快な記憶が消えたかどうかも、実験した。マウスの脳に光ファイバを突っ込み、不快な体験が記憶されている部分に光で刺激信号を送る。すると、マウスはまた動けなくなった。

嫌な体験の記憶は消去されてない。ただ、「楽しい」体験の記憶と「嫌な」体験の記憶が争っていて、どちらが想起されるかであったわけだ。

君は楽しい体験をいっぱいして、何か嫌なことがあっても、それらの楽しかった体験を思い浮かべ、早く立ち直られるようになればよい。

この科学者の発見は、9年もかけて多数のマウスに苦痛を与えて得た教訓であるから、マウスたちに感謝しながら、役立てていこう。記憶から自由になろう。

新型コロナを「正しく恐れる」は難しいが、「不安」は共有した方がよい

2021-01-28 22:49:55 | 新型コロナウイルス

きょうの朝日新聞に、内田麻理香が『「正しく恐れる」が生む排除』という小論を寄稿していた。彼女によれば、1935年に寺田虎彦が「正しく恐れる」ことは むずかしいと随筆『小爆発二件』のなかで言ったという。

ネズミも人間も危険な状況に出会うと恐怖を感じる。この恐怖は記憶され、その後も危険を予知して、不安を感じる。地球物理学者の寺田虎彦は、この人間の予知した危険が、正しい予知であるか、すなわち、現実に起きうるかの科学的判断は むずかしい、と言ったのである。科学的に予測することが むずかしい危険は世の中にいっぱいある。

内田の主張は、そのことを前提として、不安におびえる人々を排除してはいけないということである。同感である。

2011年3月11日の東日本大震災は、福島第1原発のメルトダウンを引き起こした。三重水素を含んだ汚染水が、いまだに、メルトダウンでできたデブリから出てきている。ブスブスと核分裂連鎖反応が起きて中性子が飛び出ている。

このことについて不安を感じる人々を「放射脳」と呼んでののしる人がネットにいたとは知らなかった。

精神医学では、「危険・不安」で苦しみ、精神科を訪れる人を「不安症」と呼び、治療の対象とする。しかし、危険・不安は正しい危険の予知かもしれない。毎年、ストーカーによる身の危険を警察に訴え、警察は危険を共有せず、殺される人が出てくる。また、いじめで自殺をする子供もいる。また、いじめが本当の殺人に行くケースもある。

新型コロナ感染の問題も、感染が人から人へとうつることは確実だが、人と人の接触はどこまで許されるか曖昧である。良く分からないから確率で扱うしかない対象である。といっても、その確率さえ推定困難である。

菅義偉が施政方針演説で、「安心」と「希望」を目標においた。これは、まったく精神論である。「正しく恐れる」は科学としては難しいが、その努力はすべきで、それなしに、「安心」を口にすべきでない。「安心」だと思って危険な行為をされても、行政の長として困るはずだ。

おとといだったと思うが、新型コロナ感染に感染した女優が思い当たる感染経路がないとテレビで言っていた。しかし、発症の前に、チェイン店で子どもとともに食事をした、スーパーで買い物をした、と言っていた。人と人の接触による感染の確率は、感染を持った人に何人会うかに依存する。町の感染率が上がった現在、昼にチェイン店で食事しても、スーパーで買い物をしても感染するリスクは十分にあり、テーブルがアルコール消毒されているとか、店員がマスクをしているかとか、店頭にアルコール消毒が置かれているか、とは関係ない。市中感染率が上がったから、緊急事態宣言をしたわけである。

行政が推定市中感染率を発表して、「安心」ではなく、「不安」をみんなが共有したほうが良いのではないか。行政は本当のことを言うのを避けているように思える。

また、日常の人と人との接触する行動をリストアップして、危険度を点数化し、危険度の総和が一定値を超える人にPCR検査を勧める診断表をメディアやネットに発表した方がよいのではないか。

現在は、ありふれた日常の行為、外食、買い物までが、リスクあるようになっている。この時点で、感染症法や特別措置を改正して、より私権を制約し厳罰化しても不安を感じる人と不安を感じない人の分断を深め、隠れ感染者を増やすだけだと思う。

きょうも、マスクをしていない人や鼻を出している人に、何人も、町のとおりや電車の中で会った。

「正しく恐れる」ことはむずかしいが、いまは「安心」より「不安」を共有した方がよいときだと思う。

[関連ブログ]


朝日新聞『官僚の忖度いつから』より、主権者は誰か、組織が民主的かだ

2021-01-27 23:24:07 | 政治時評
 
きょうの朝日新聞に『官僚の忖度いつから』というインタビュー記事がのっていた。答えるのは京都大学の島田博子だ。
 
それによると、官僚に求める「世論」がころころの変わってきている。
 
「戦後初期には、官僚は中立・専門性を隠れみのに特権を行使した権力だ、と野党から批判されていました。それが55年体制になると、逆に野党は、官僚は政治に中立であるべきだ、と強調するようになります。」
 
「この頃(1990年代半ば)から官僚に政権への『従属』を求める主張が強まりました。官僚は族議員ではなく、政権の方を向いて仕事をせよ、と。」
 
「選挙を経た政治家こそ官僚の人事を担う中立公正を持つ、との発言が2002年に初めて出てきました。」
 
これは、表面的な揺れだと思う。「官僚とは誰のために何をする組織か」から、論じる必要がある。
 
歴史的に見れば、官僚は権力者が中央集権化をすすめためにできた組織である。優秀な人材を集めるため、権力者は官僚に特権を約束する。官僚が特権意識をもって国民に接してくるのは当然の流れである。
 
しかし、戦後、主権が天皇から国民に移った。したがって、官僚は国民にサービスする公僕である。官僚組織も昔のままではいけない。
 
問題は、国民は利害の異なる個人からなり、多様な意見がでてくる。選挙で選ばれた議員が、本当に国民の声を代弁しているだろうかの問題もある。主権者の意思が曖昧であるから、官僚組織も、昔のように効率至上では やっていけない。
 
このような実情を考えるとき、官僚組織も民主的であるべきだと私は思う。官僚はトップからの命令で一方的に動くのではなく、組織という形をとっても、組織内で上下双方向の対話があるべきだ。それで現場の声がトップに届く。
 
また、キャリアとノンキャリアを分ける公務員試験は廃止すべきだ。公務員はみんな同等だ。キャリアとノンキャリアを分けると、特権意識に酔う公務員がでてくる。
 
菅義偉が、ある官僚が自分に意見したからといって、その官僚を移動してはいけない。まず対話すべきだ。まして、「飛ばしてやった」とまわり自慢するようでは総理大臣にふさわしくない。
 
また、安倍晋三が、官僚に忖度させたことは、自分の政治責任を避けて、責任を官僚に押し付けることになり、腐敗の温床になる。
 
「官僚は中立・専門性を隠れみのに特権を行使した権力だ」という戦後初期の批判の奇異な点は「中立性」である。「中立」とは何をいうのだろうか。「中立」とは、争う党派があって、そこから中立だという意味だと思う。批判はあくまで、官僚は「国民へのサービス機関」として機能しているか否かで批判すべきである。
 
もちろん、官僚が特権的生活を送っていれば、批判の対象となってしかるべきだ。
 
「官僚は政治に中立であるべき」という批判も「官僚に政権への『従属』を求める」という主張も無意味で、「官僚が国民へのサービス機関として機能しているか」に立脚して議論されなければならない。
 
島田博子はつぎのようにいう。
 
「最近の米国の研究では、多数決原理だけでは実現できない公益がある、との指摘があります。」
 
これは、「国会が国民を代表していない」という現実を踏まえての発言であろう。また、国会が国民を代表していても、国民自体が判断を誤ることもある。
 
したがって、官僚組織の組織のなかでも、多様な意見があり、対等な立場での充分な議論がおこなわれるほうが、安全であると私は思う。行政の効率を損なっても、上下双方向の対話が行われて組織が動くほうが良いと思う。すなわち、官僚組織を徹底的に民主化して、「国民へのサービス機関」にすることがだいじだと思う。
 
メディアの官僚批判もこの視点でなされるべきである。
 
政権への官僚の従属を強めても、菅義偉の自己のメンツだけで行政が右往左往して、腐敗が入り込む余地ができるだけである。

菅義偉は劣等感から自説に固執し国策を誤っている

2021-01-26 22:44:24 | 新型コロナウイルス


きのう、世論調査で菅政権の支持率は支持しないを下回ったと報道していた。

菅義偉は、新型コロナ対策を、厚労大臣の田村憲久ではなく、どんどん、ほかの大臣、西村康稔、河野太郎にふっていく。すると、菅がトップで新型コロナ対策を指揮していることになるが、国会で自分の考えをのべず、答弁を、全部、他人にふる。どうも、田村、西村、河野を競わせて、忠誠心をためしているみたいだ。保身と陰謀だけの菅に、国の統治を任しておいて大丈夫なのか、心配になる。

菅義偉は「はなしべた」と言われる。「はなしべた」であるからといって、べつに悪いことではない。誠意があればよい。熟慮するタイプであれば、当然、口が重くなる。かつての総理大臣、大平正芳は「ウオーウオー」しか言えなかった。口がうまいだけでは、ちゃらちゃらして、国策を誤る。

菅義偉の問題は誠意がない。正直でない。劣等感が強くて、威張って見せる。自説に固執する。

菅義偉は、いまだに、日本学術会議会員任命で6人を拒否した理由を明らかにしていない。加藤陽子以外しらないと菅自身が言っているから、単に、自分に任命権があることを誇示したくて、どんな実績がある人か知らずに、拒否したと思われる。この事件が契機で、加藤陽子の著作を読んだが、任命拒否される理由がわからない。どちらかというと、彼女は保守よりの人で、統治者に優しい。

きのうの衆院予算委員会で、菅義偉は、2020年度第3次補正予算案に計上した需要喚起策「GoToキャンペーン」費用約1.1兆円について、「地域経済の下支えに貢献するものだ。しかるべき時期の事業再開に備えて計上している」と述べ、野党の組み替え要求を拒否した。補正予算だから、この3月までに使う追加予算である。

新型コロナ感染の拡大をおさえるには、みんなが免疫をもつまでは、人と人の接触を避けるしかない。三密をさけるという感染対策が有効である。それなのに、政府が、「GoToキャンペーン」で、わざわざ三密を煽るなんて、許されない。「GoToキャンペーン」を引っ込めると、自分がバカにされたと感じるから、一度言い出したことに菅は固執する。彼は劣等感のために物事を理性的に考えられない。

政府が煽らなければ、感染も地方に拡大せず、みんな静かに会食でき、飲食店の時短もなかった。

今、保健所機能や病院経営の破綻が叫ばれている。1.1兆円を回して、なんとか医療崩壊を防がないといけないのではないか。

保健所の電話受け付けや安否確認に新たな人を雇用したら良いのではないか。電話が自動的に記録されるとか、また、適切な応答がパソコンの画面に表示されるとか、コールセンターで使われている設備が導入できるのではないか。また、飲食業や接客業で職を失った人たちを一時的に雇用したて、彼らを救ったらよいのではないか。

石原信晃がすぐPCR検査が受けられ入院できたことを上級国民と非難する声があるが、国民が望めばPCR検査を受けられ、入院ができるようにするのが本筋で、1.1兆円のいくらかを回せば、解決することである。自宅待機やホテルでなく、陰圧がある病室を作ればよい。

また、変異種コロナの発生が叫ばれているが、自民党の武見敬三によると、日本では厚労省が行政検査にこだわって、国立感染研究所でしか遺伝子解析が行われていない。現在、遺伝子関係の結果がでるのに2週間かかっているという。遺伝子解析は、50年前は大変な技術であったが、いまや、普通のありふれた技術になっている。英国では、政府が38億円のお金をだして、医療機関、大学、民間研究所を横断した組織を作り、即日に遺伝子解析が終わり、データベースに登録され、治療薬やワクチンの研究開発に使われているという。ここにもお金を回すべきではないか。

菅義偉の「ふるさと納税」も、地方自治体のサービスを滅茶苦茶にしている。地方自治体が政府に代わって福祉サービスをしているのだから、その分は、人件費を含み必要経費を国が支払うべきである。

日本のどこにいても平等な福祉サービスを受けられるなら、地方から都会に人は逃げない。

返礼品で「ふるさと納税」を煽って、それを「善意の寄付」として、国税の控除対象とする。菅義偉の考えだすことは、人間のセコさを利用した思いつきである。問題の本質に立ち入らず、選挙対策の小細工にすぎない。

菅義偉は啓蒙ではなく、愚民化ばかりをおこなう。きっと、菅自身もバカなのであろう。

現在、国会で審議中の感染症法改正も、特措法改正も、政府がなにか新型コロナ対策をやっているフリをするためのもので、「厳罰化」で新型コロナ対策の成果があがるわけではない。菅義偉は、医療関係者や疫学研究者やウイルス研究者や遺伝子研究者などの助言を無視し、劣等感から自説にこだわる。

こんな菅義偉を総裁に選んだ自民党は、無知で利己的な暴力集団である。