猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

新型コロナ感染の危機意識の国民的分断に菅義偉に責任がある

2021-04-30 22:44:11 | 新型コロナウイルス


新型コロナ緊急事態宣言が4月25日に「発出」されて5日間がすぎた。今のところ、公共交通機関の混雑は普段と変わらない。危機意識が共有されていないのではないか。いっぽうで、ワクチン接種の申し込みの受付がパンクの状態である。国民は分断されている。

私は、政府や自治体やメディア自体が、新型コロナはただの風邪、安全安心、それより経済だ、旅行だ、カラオケだという人と、重症になって苦しい思いをする、後遺症が残る、死ぬかもしれないという人に、分かれているからだと思う。人は、自分の思いに合致した見解を信じるものだ。そして、両極端に分かれた主張を頭から否定できない。したがって、新型コロナに関する科学的な見解については白黒はっきりさせたほうが良い。すなわち、ただの風邪と同じなのかどうかは、科学の問題だと思う。また、医療崩壊も現実に起きることである。

普通の風邪も高熱がでると苦しい。しかし、放置しても2,3日で自然と治る。咳が尾を引くぐらいである。しかし、現在、入院できず、自宅やホテルで療養している新型コロナの患者が、死にかけたり、死んだりしている。この重症化率は、普通の風邪より高いのか。それとも、絶対的感染者数が多いから、重症になる人の数が多く、医療を圧迫しているのか、統計的に分からないものだろうか。

重症化率が普通の風邪と同じくても、新型コロナの、特に変異株の感染力が強く、感染者数の急増が医療崩壊に導くものであれば、社会は危機意識をもつべきだと私は思う。

約百年前、スペイン風邪(インフルエンザ)のとき、若者の重症化率が高くて、大騒ぎになった。いま、新型コロナは、重症化率の高いのが老人だから、若者は感染予防に非協力的なのではないか、と疑う。

そうすると、責任ある立場のひとは、自粛疲れがわかるなんて言わないほうが良いと思う。迷惑だから、新型コロナの感染を広めるような行為はしてくれるな、と率直に言ったほうがよい。場合によっては、若者が重症になっても、人工呼吸器やECMO(エクモ)の優先度を下げるぞ、言った方がよい。

菅義偉は、4月25日緊急事態宣言に先立って、「人流」を抑える施策(自粛要請)を国民に謝罪したが、そんな必要はなかった。謝罪すべきは「GoToキャンペン」を行ったことや
 変異株に関する監視体制の強化、
 感染拡大の予兆をつかむための戦略的な検査の実施、
 安全・迅速なワクチン接種、
 次の感染拡大に備えた医療体制の強化、
を実行しなかったことである。

小池百合子のように、はっきりと「(爆発的感染地)の東京に来ないでください、東京から出ないでください」と菅に訴えて欲しかった。

政府が東京オリンピック・パラリンピックを行うとしているのも、現在の医療崩壊の状況と矛盾する。政府が、医療崩壊は起きていません、大量の医師や看護士をオリンピック・パラリンピック選手や関係者のために派遣します、と言っているようでは、国民に安心安全の幻想をふりまくことになる。

ワクチンを接種する医療従事者が足りないと言っているのに、オリンピックやパラリンピックに人をさくことが無理なのは明らかだろう。

ワクチン接種の裏付けのないスケジュールは、国民に安全安心の幻想をふりまいている。私がNPOで指導している二十歳過ぎの若者は、夏前にワクチン接種が終わって、家族旅行ができると思いこんでいた。私が顔色を変えて否定したら、ウソつきと言われた。

新型コロナをめぐる国民の分断は、菅義偉の危機意識のなさによると私は思う。

トリチウム汚染水の海洋放出も40年超えの原発の稼働もすべきでない

2021-04-29 22:38:44 | 原発を考える
 
きょうの新聞によれば、いよいよ、運転をはじめて40年を超えた原発が再稼働するという。原発はもともと20年が寿命として設計され、稼働したが、その寿命が30年、40年と延長され、60年まで延長できるようになった。
 
建設時に寿命が設定された理由は、原子炉のなかでの核分裂連鎖反応で放出される中性子線が金属やコンクリートを劣化させ、原子炉が崩壊する危険を考慮してのことである。劣化した金属は急冷によってひび割れする危険があるからである。
 
このために、原子炉内には原子炉を構成するのと同じ鋼鉄を炉内部におさめ、劣化をテストすることになっていた。そのテスト用の鋼鉄サンプルも尽きてしまったと聞く。どうやって冷却の安全性を保障するのか、私にはわからない。もしかしたら、非常時に冷却することをやめ、福島第1原発事故のように、放射性物質を含む水素ガスや水蒸気を外部に放出することに規定が変わったのかもしれない。
 
しばらく前、新聞のインタビューで元原子力規制委員は、委員会がチェックできるのは法にしたがっているか、どうかで、合法なら認可しないわけにいかない、安倍首相にかってに「世界で一番厳しい基準で審査しているから安全だ」と、責任を委員会に押し付けるようなことを言われても困るといっていた。
 
原子力規制委員会は、本来、内部に安全の研究機関を持たなければ、書類審査で終わってしまう。
 
トリチウム汚染水の海洋放出も風評対策で終わってしまって、ことの重要性がみすごされている。明らかな環境破壊である。
 
今回、政府は、トリチウムの海洋放出基準を1リットルにつき1500ベクレルと言っている。自然界の水1リットルにつき0.118ベクレルのトリチウムだから、その1万倍以上になっている。
 
他の原発がトリチウム汚染水を放出しているから、いいでしょうという論理はおかしい。現在、原発の存在のため、大気のトリチウムの存在比が、自然界の5倍になっている。確実に自然環境を破壊している。
 
私が疑問に思っているのは、東電と政府が出してくる世界のトリチウム海洋放出量をどこで手に入れたのかである。いまだに出典を確認できていない。原発はトリチウムを外部に放出しないように内部に閉じこめている。だから、トリチウムが大量に放出されるのは、使用済核燃料の再処理工場である。トリチウムの放出を抑えるために、最近は再処理せず、そのまま使用済核燃料を保管するようになっている。
 
日本政府の再処理工場を青森で稼働するという方針は、時代の趨勢に反している。
 
政府のトリチウムの海洋放出基準、1リットルにつき1500ベクレルは、福島第1原発事故後、サブトレインの雨水の放出基準である。サブトレインは原子炉建屋のまわりにある溝のことである。政府資料では2017年度では1日220トン放出したとある。
 
今回、毎年約22兆ベクレルのトリチウムをこの濃度基準で放出するとなると、毎日4万トンの希釈されたトリチウム水が放出される。(政府の試算では毎日5万トンが放出される。)
 
これは、これまでのサブトレインの雨水放出より、桁違いに大量のトリチウム水が放出されることになる。
 
また、年間約22兆ベクレルというのは、事故前の管理目標値であって、政府資料によれば、事故前は、実際には年間2兆ベクレルしか放出されていなかった。これまでの10倍以上のトリチウムが放出されるのである。これは重大な環境破壊ではないか。
 
さらに私が不信になるのは、2018年に政府が公聴会に出した資料では、毎年55兆ベクレルのトリチウム水が発生し、55兆ベクレルのトリチウム水をどこかに放出しないといけないと書いている。この資料はインタネット上の政府のサイトにある。
 
いつから、年間22兆ベクレルになったのか。何か、その場しのぎのために、ウソの数値を言っているのではないか。
 
2016年の政府資料によると、原子炉建屋とタンクに残っている総トリチウムは約2600兆ベクレルで、760兆ベクトルがタンクにあるという。トリチウムの半分が4500日(12.32年)でベータ線をだしてヘリウムに変化する。大ざっぱにいって、現在約2000兆ベクレルが福島第1原発内にあることになる。
 
毎年22兆ベクレルのトリチウム水を放出するとして、いつまでかかるのかは、つぎの微分方程式を解いて得られる。
 
 dq/dt=-(a+q/λ)
 
ここで、qは残っている総トリチウムの量で、a=22兆ベクレル、λ= 12.32 / log2 である。
これより、すべて放出するに必要な期間は、
 
 T=λ log(1+Q/λa)
 
で与えられる。ここで、Qは現在の残っている総トリチウム量、2000兆ベクレルである。
 
放出期間は約32年になる。したがって、総トリチウム量があたっていれば、政府の試算通り、30,40年で放出が終わる。が、これまでの毎年の放出量の10倍以上を放出だから、異常なトリチウム水放出に変わりがない。
 
2018年の公聴会資料では、費用の見積もりが海洋放出で17から34億円、地層注入で177から180億円となっている。地層注入では2500メートルの深さの砂岩層が仮定されている、
 
地層注入の方が、環境破壊が少ないのではないか、と私は思う。そんなに高額な費用ではない。
 
福島第1原発事故の教訓とし、老朽化した原発を稼働することは、やめるべきである。自民党政権は、なぜ、安全性をいつも無視するのだろう。

葛飾北斎浮世絵で海洋放出のメイドイン日本パロディを作ろう

2021-04-28 23:24:42 | 原発を考える

きのう、中国報道官が日本のトリチウム汚染水の海洋放出を皮肉った絵をツィッターに投稿したという。それを日本政府が抗議したという。

葛飾北斎の浮世絵「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を使って、海洋放出をパロディ化したものだ。発想が面白い。どうして、日本人が先に、海洋放出のパロディを作らなかったのだろう。日本の誰かがこれを作っても、日本政府は抗議したのだろうか。

本来、日本政府が風刺にいちいち抗議するようなことではない。風刺は表現の自由の範囲だ。私が恐れるのは、トリチウム汚染水の海洋放出に反対する者は非国民だという風土を作るのために、わざと政府が抗議している、と感じるからだ。そうでなければ、何を抗議しているのか、わからない。著作権侵害にあたらない。

今回、葛飾北斎の波しぶきに、骸骨や赤ん坊や奇怪な生き物を埋め込んだのは、秀逸だと思う。よくできている。

不満なところは、北斎が富士山の上高く描いた人のような入道雲を、十字架のような雲にしたことだ。これは面白くない。もっと、人間のようで妖怪のような雲にすべきだった。

富士山を原発に置き換えたが、この原発はスリーマイル島原発で、福島第1原発と形が異なる。といっても、福島第1原発の原子炉建屋は四角い箱型なので、それでは造形的に面白くない。壊れた原子炉建屋にクレーンを描くの良いのではないか。あとは、むき出しの原子炉を描くのもある。

あと、防護服が黄土色になっていたのが、福島第1原発の事故処理では、白の防護服を使っている。

誰か、メイドイン日本のトリチウム汚染水の海洋放出パロディを作ってみませんか。

「リケジョ」が「リケジョ」でなくなる日、これは みんなの問題

2021-04-27 23:17:11 | 科学と技術


きょう、はじめて、朝日新聞の『「リケジョ」がなくなる日』という連載に気づいた。『「リケジョ」がなくなる日』という連載名の意味がわからなかったので、これまでの連載を読もうとした。

私は、紙の朝日新聞を毎月25日に回収に出す。したがって、全文を読んだのは、この5回目が初めてだ。これまでの4回のレポートは、ネットでは鍵がかかっていて、各回の半分しか読めない。

読める範囲で私の理解をいうと、「リケジョ」とは「理数系が好きな女子」ではなく、「理数系の研究者をめざす女子」を意味し、「リケジョ」という言葉に差別の気持ちがこもっているということのようだ

連載の各レポートの内容は、男性中心社会のために、「リケジョ」の出産・育児と研究の両立の困難さを周りが理解していない、というふうに読める。

今回のレポートは、全部読めるため、「リケジョ」の問題は「男性中心社会」だけではなく、「研究職」が「極端な競争的職業」であることがわかる。研究職が安定した雇用ではなく、雇用期間内に成果を出さないとつぎの雇用がないという不安に落とされる。そして、雇用先が絶対的に少ないために、結婚しても、出産しても、夫婦が別居という問題が生じる。

私が、まだ、若いとき、40年以上前の話だが、フランスでの化学の学会講演に呼ばれたが、そのとき、フランスの研究者の2割から3割が女性だったと記憶している。理系の学問は攻撃的である必要はなく、しぶといことがだいじだなので、女性に向いていると私は思う。

いっぽうで、高校、大学、大学院を私と同窓の女性は、地元の大学に職を得たにもかかわらず、離婚して、子どもを残して自殺した。一人住まいのアパートでガス爆発を起こしたというが、高校のときの友だちは、あれはガス自殺だという。自殺するほど、苦しんでいたことを知っていれば、会って止めたのにと悔やむ。

「リケジョ」の問題に戻ると、「研究職」でなくても「研究者」であることができるのがあるべき姿ではないか、と思う。大学や研究所に「研究者」でありたい人がいつでも訪れて研究できるのが良いと思う。研究は「しぶとく」「しつこく」続けるのがいい。

短期間に競争して結果を出そうとしても、それは、予想された結果を得ることにしかならない。「研究者」が「研究者」であり続けることができれば、研究のすそ野が広がり、お金をかけなくても、スケールのより大きいな研究成果がでてくる。男女差別だけの問題ではない。

   ☆    ☆    ☆

『「リケジョ」がなくなる日』5回目のレポートを下記に要約した。

《京都大で太陽の研究をしていた》彼女は、《将来を嘱望されていたころ、大学の同級生と結婚した。》

《計画通り》出産、《産後3カ月で博士論文の審査に合格した。「履歴書上は、いつ子どもを産んだかわからないくらい。当時は、『自分ってスゴイ』と思っていました」》

《任期付きの研究職(ポスドク)となり》、《話しかけてくる子どもに「今はやめて」とあたってしまうこともあった。》

《心療内科で「うつ病」と診断された。研究者を辞めようか、とも考えたが、大学から出るのは「負け犬」で、研究室にいないと自分の価値はないと信じていた。》

《研究への野心は残っていたが、「大学には残れる」と思い》、《研究活動を後方から支援する》URAに《転職した》。

《夫が岡山大の助教の職を得》て、わかれて一人で京都に残ったが、いっぱいいっぱいになり、《娘を夫に託し、1人で京都に帰った。》

昔、学校の先生になることが夢だったことを思い出し、岡山の中学・高校の非常勤の教師になって、いまは夫と一緒に暮らす。

《研究に対する未練もなくはない。世界のトップ研究者と肩を並べる自分にも誇りを持っていた。》

《研究職しか考えられなかった当時の自分から見たら、今は「負け犬」かもしれない。でも、この道も楽しい。》

政治対決が鮮明でなければ、新型コロナ下の衆院選挙は盛り上がらない

2021-04-26 22:36:44 | 政治時評


きのうの衆院・参院の補欠および再選挙の投票率が低かったことへの言及と分析が、きょうの朝日新聞にみられない。名古屋市長選に関しては、1面に投票率の報道があるのにだ。名古屋市長選の投票率は42.1%で、前回の36.9%より、約5%投票率が上がっている。

参院広島選挙区再選、衆院北海道2区の補選、参院長野選挙区の補選の投票率はそれぞれ33.61%、30.46%、44.40%と低調だった。前回とくらべ、広島再選は約11%ポイント下回り、北海道補選は約27%下回り、長野補選は約10%下回った。盛り上がらなかったのである。

政治不信というより、新型コロナ下で選挙戦が地味であったことが大きな要因であったと思う。北海道補選の投票率低下が他よりも大きいのは、さらに、自民党が候補者をださなかったことだ。

それにしても、投票率が低い。

今年、衆院選挙が全国で展開されるが、依然として、新型コロナが猛威を振るっていると思われる。

昨年のアメリカ大統領選挙では、トランプとバイデンの対決で盛り上がり、新型コロナ下にもかかわらず、これまでにない多くの人が投票した。アメリカでは、自分で登録しなければ投票権が与えらない国なので、投票率というものがない。しかし、大統領のトランプが前回当選したときよりも多くの票を集めたのに、バイデンが勝った。

すなわち、前回よりも多くの人びとが新型コロナの猛威のなかで投票したということだ。

日本も、与党と野党が対決し、有権者に選択肢をはっきりと示すことで、新型コロナ下でも盛り上がると思う。野党は与党をぼろくそに言っていいのだ。そうでないと面白くない。投票率もあがらない。

是々非々などバカげたこという維新の会や公明党は、もう いらない。対決しなければ、選択ができない。対決がなければ、お金や付き合いで投票するか、棄権することになる。