きのうのTBS『ひるおび』で、ススキノ頭部切断事件について、コメンテーターのひとりから「復讐」という言葉が飛び出てきた。もちろん、テレビであるから、「動機」としての「復讐」への言及で、「復讐」のための人を殺すことを勧めているわけではない。
私は「復讐」という「動機」は充分ありうると思う。そして、「復讐」は必要なのかもしれない。法や警察が権力者の「生命と財産を守る」ことしかしていないとき、権力者でないと自覚した人間が「復讐」に走ることによって、「不正」を行う者への歯止めになると思う。
毎年12月になると『忠臣蔵』のドラマがテレビにあふれる。これは、武士が自分の主君の恨みを晴らす物語だが、主従関係を絶対視するものであり、こんなものを崇める日本人はバカとしか言いようがない。雇用主(主君)が自分勝手なプライドのために死んでも復讐するに値しない。
しかし、自分の愛する者になされた仕打ちに対して「復讐」をとげることには、違法か合法かによらず、私は共感できる。私の子ども時代から見ている西部劇のテーマは、すべて復讐であった。復讐によって社会が良くなるという希望をみんながもったのである。
本件では、いま、頭部切断をした娘とその父親と母親の個人情報がメディアにあふれている。娘が引きこもりだったという。そして両親が溺愛との非難が広がっている。一方で殺された62歳の男は「女装癖」があることしか、取り上げられない。警察の情報公表に非対称性が見られる。
きのう(7月27日)の朝日新聞に『娘が暴行受けトラブル』の記事がのった。「(死亡した男性から)娘が暴行を受け、家族と男性の間でトラブルになっていた」とある。この「暴行」とは「レイプ(不同意性交)」のことである。これは警察発表でなく、母親が自分の逮捕前に親族に語ったことにもとづく。MAG2NEWSによれば、62歳の男はほかにも性暴行のうわさがあるという。
親としての私は、「喧嘩両成敗」のような「トラブル」という言葉を受け入れることはできない。
さらにメディアには娘が精神異常者のように扱うひどいものもある。
STV札幌テレビの「どさんこワイド179」では、小学時代の同級生(男)の次の証言を放映した。
「(娘が)ちょっと高そうなドレスを着ていて、服を茶化したときにカッターを持ってきて教室で追いかけられて、馬乗りになられて首に突き付けられて『次言ったら刺すからな』と言われた。友達が止めてくれたので、けがはなかったんですけど」
「次言ったら刺すからな」とは脅かしだから、友達が止めるか否かによらず、男の子にけがはなかったと思う。
このようなエピソードはアメリカ映画でよくでてくるもので、女の子の勇気がたたえられる。いわれのない暴力には、「女」だって、力をもって答えるのがアメリカのディープストーリーである。
本件に対する警察、メディアの対応はフェアと言えない。
https://news.goo.ne.jp/article/jisin/nation/jisin-https_jisin.jp_p_2230024.html