ミスター円の榊原英資の本に『財務省』(新潮新書)がある。先日、たまたま図書館で借りた。2012年されたのであるが、誰も読んでいないようで、きれいなままである。じっさい、大蔵省の人脈を自慢しているだけのつまらない本である。期待外れの本である。
ただ、いま、参議院選挙の最中であり、この本のまえがきに榊原が書いていた、つぎをぜひここで披露したい。
<実は、日本が先進国中で飛びぬけて高いのが、議員の歳費です。国家議員の歳費は年間2000万円を超え、アメリカ等を上回り世界のトップクラス。さらに問題なのは地方議員です。「構想日本」が2006年に発表した調査では、都道府県議会議員の平均年収は2119万円。これはアメリカの州議会議員の5倍以上です。>
どうして、榊原がこんなことを書いているのかいうと、民主党政権が生まれる直前に、官僚批判が日本全土に広がっていたからである。榊原は、つづけてつぎのように言う。
<こうして見ると、公務員の給与削減言う前に、必要なのは政治家、特に地方議員の歳費カットなのです。一般的に言って日本の公務員は、そこそこの給与でよく働いています。>
民主党政権時、官僚側の反転攻勢があって、官僚は優秀である、民主党政権は官僚を使いこなせてない などの声がメディアをにぎやかした。榊原の本は、大蔵省OBの反転攻勢のなかの1つかもしれない。
私は別に官僚をけなすつもりも持ち上げるつもりもない。官僚にも色々いるからだ。
私の友だちに、工学部の土木科を出て、国家公務員試験を受け、公務員として、港湾や河川の現場で働いてきた男がいる。同じ中学を出ていて、高校で親しくなった。私のほうで押しかけたところもある。彼は川の土手にある屋根の低い長屋に住んでいた。暑い夏の日、その川での花火大会を見るために、嫌がる彼を無視して、彼の住まいに押しかけた。そのとき、勉強机に使っているという、みかん箱を見せられた。
大学を卒業して、私は大学院に行き、彼は建設省に務めた。大学を卒業するとき、彼は大学院に行きたかったと泣いた。彼はアグレッシブのところがないので、その後、ずっと私は気になっていたのだが、10年前に、同窓会の名簿に彼の名前を見つけ、また、押しかけで付き合いをはじめている。彼は自分の人生と折り合いをつけ、よい男になっていた。ただ病気もちである。
私の友だちに政治家がいない。政治家になった人もいるはずだが、思い浮かばない。
榊原は地方議員を攻撃しているが、国会議員のほうが年収が高い。それに、国会議員は歳費以外に色々な名目で領収証がなくても経費を受け取っている。それだけなく、賄賂をとっている人までいる。
榊原は、日本の国会議員は、地方議員出身者が一番多く、専門家が多い欧米の国会議員と対照的だと批判する。給料が高すぎるとの批判には同意できるが、国会議員が専門家である必要はないと私は思う。国会議員に学歴も不要である。
軍事の専門家が、開戦を決める国では困る。それでは、国民の代表ではない。
国会議員は国民を代表して、国の政治を行うのである。上から目線で国民を見るのでは困る。国民と結びついていなければならない。そして、何が正しいのかを的確に判断し、それを国民に説明しなければならない。権威ぶって話すのでは困る。
いま、ロシアのウクライナ侵攻で、急に、軍事費2倍、敵基地攻撃能力を言い出す国会議員候補には票を入れたくない。
外交は軍事に裏づけられてあると軍事専門家や自衛隊幹部はいう。
日本国憲法第9条に「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とある。立派な理想である。「軍事に裏づけられた外交」とは「武力による威嚇」による「国際紛争を解決」であって、理想を否定するものである。自分の言い分を通すために「武力による威嚇」を使うのは外交の否定である。戦争への道をたどることになる。
「外交」とは妥協によって紛争を避けることである。それが理解できない党に票を入れるわけにいかない。戦争は人を殺すことであって、敵国を決めて、敵基地攻撃能力をもとうというのは もってのほかだ。