悪党は戦略的に辛抱強く悪事を進める、と今さら思ったのが、田崎史郎の『安倍官邸の正体』(講談社現代新書)を読んでである。
田崎は自民党を応援する政治ジャーナリストである。彼をつぎのように安倍晋三をほめたたえている。
《安倍の現実主義とは何か。自分の方針を打ち出し、各政党や世論の動向を冷静に見て、押し通せるなら押し通す。分厚い壁にぶち当たったなら、「ゼロか100という勝負ではなく、30でも40でも徐々に積み上げていこう」》
《特定機密保護法をやって、国民からさほど支持が得られないと、じゃあ違うことをやって、少し国民に理解してもらおうとか、戦略的に物事を進めている。》
すなわち、国民の油断させながら、国民が経済界に従順になり、左翼勢力を撲滅させ、戦略的に戦争のできる国へ法の整備を進めてきた。
東北弁を気にする正直者の菅義偉は「安倍路線を引き継ぐ」と言ったが、不正直者の岸田文雄はぺらぺらと「新しい資本主義」と「分配と成長」と言いながら、じっさいには安倍路線を引き継いでいる。路線を引き継ぐばかりか、安倍政権下の腐敗に関して何も問わない。
安倍路線を引き継ぐとは、経済界の利益を守るということである。
田中拓道の『リベラルとは何か』(中公新書)を元に、日本の政治が、いかに、悪党どもに戦略的に支配されてきたか、をまとめる。
2年前に渋沢栄一が新1万円札の顔となり、そのあと引き継いで、NHKの大河ドラマの主人公となった。
貧農から勉強して村のために働いた二宮金次郎とは違い、渋沢栄一は豪農の息子として生まれ、江戸幕府に仕え、明治政府に仕え、財政を担当する。そして、明治政府にしたがって、「殖産興業」に参加しただけの男にすぎない。
その間のことを、田中拓道はつぎのように書く。
《868年に明治新政府が樹立されると、政府は上からの「殖産興業」政策を進めた。》
《1880年代に入ると、官営工場の払い下げによって、三井、三菱などの大財閥が形成される。これらの財閥、すなわち大ブルジョワジーは、政治権力からの自立を求めて自由主義の担い手となったのではなく、政府の庇護のもとで経済発展を追求した。》
渋沢栄一は国民的英雄でもなんでもない。単に、明治政府と彼らに裏金を収める成り上がり財閥の橋渡しをしただけである。
日本が第2次世界大戦で負けて、財閥が解体されても、財閥の実務の担い手たちがが経営者になっただけである。もちろん、この混乱期にソニーやホンダのように新しい産業の担い手が登場してきた。
戦後の政治状況について、田中は書く。
《日本では、リベラルな理念を介して労働者と経営者の間に協力関係が作られたというよりも、経営者団体の優越した権力のもとで、経済成長を最優先する政治が行われた。1960年前後に成立する福祉国家も、こうした権力関係を反映したものとなった。》
《保守政党が福祉政策を推進した目的は、革新政権の樹立を阻止することだった。》
《1959年には岸信介内閣の下で国民権法保険、1961年には池田隼人内閣のもとで国民年金が導入される。》
日本の制度では、年金は、税とは別の国民の積み立てた基金にもとづいて支払われる。だから、年金を支える労働人口が減れば、老人に支払われる年金が減る。これでは社会保障ではない。
このときの池田が宏池会を創設し、それを幾代かへて引き継いだの岸田派である。決して岸田派がリベラルなのではない。
また、1970年代から田中角栄内閣は地方の土建屋などに公共事業費をばらまく。
《1960年代まで3割台にとどまっていた地方農村部の自民党支持は、70年代に6割台にまで上昇する。地方は自民党の固い基盤となっていった。》
自民党の経済政策はつぎのようなものだった。
《第1は、企業の活力を最優先し、とりわけ国際競争に直面した民間企業の経営者、労働者の利益に沿った政策を行うことである。》
《第2は、地方農村部と中小零細企業に対する保護や規制である。》
《第3は、「男性稼ぎ主」型の家族がモデル家族として制度組み込まれたことである。》
海外市場しか念頭にない国際競争路線によって、日本はアメリカから敵視され、1980年代に、円高で、国内市場を開拓するよう迫られる。政府が金利を緩めたので、個人が豊かになるのではなく、企業が有り余ったお金を株や土地買い占めに走り、バブルを起こした。自民党は無能であったのである。
田中はバブル崩壊後の政治状況をつぎのように書く。
《1990年代初頭にバブル経済が崩壊し、日本は「失われた20年」と呼ばれる長期の経済停滞に陥る。さらに国外からの自由化圧力が強まると、「日本型福祉社会」を構成する諸要素は1つ1つ掘り崩されていった。》
《第1は、地方や中小零細業・自営業に対する保護・規制の縮小である。》
《第2は、労働市場のインサイダー(正規雇用)とアウトサイダー(非正規雇用)の二分化である。》
《一方、同じ時期に自営業者や家族従業者は減少の一途をたどり、これらの人びとは非正規の職に吸収された。20代の若者の間でも非正規職に就くものが増えた。》
《第3は、家族の変容である。2000年代に入ると、男性が外で働き、女性が家事に専念するという「男性稼ぎ主型」家族は少数となり、共稼ぎ世帯のほうが多数になった。》
この路線の仕上げが、橋本龍太郎、小泉純一郎の「新自由主義」である。「自由主義陣営」に対抗する「共産主義陣営」が自滅し、気兼ねなく政治の効率化、経済成長の障害となる規制の廃止、労働法の改悪、社会保障の縮小を進めたのである。
これに対する反動が、2009年の民主党政権の成立である。このとき、マスコミを使って、自民党は、政治が効率的でない、官僚を使いこなしていないと民主党を攻撃した。
この結果、成立したのが2013年の自民・公明連立の安倍政権である。安倍政権は、経済を政府がひっぱっていくスタイルをとった。政府による経済統制である。これがアベノミクスである。円安を誘導し、年金基金や日銀買い入れで株価を上昇させた。しかし、日本の国民総生産(GNP)は増えず、被雇用者の賃金も増えなかった。
田中よれば
《安倍自身が「私がやっていることは(国際基準では)かなりリベラルだ」と語っていた》
じっさい、安倍は経済界に賃金を上げるよう要請している。経済界は要請されたからと言って賃金を上げるはずがない。単にポーズである。このポーズを岸田がまた行っている。日本の経済界にっとて、自由経済であるか、統制経済であるかはどうでもよく、雇われている者が経営者に従順であれば、良いのである。
この30年間、日本の平均賃はあがっていない。企業の経営者は、勤め人から奪うことが当たり前になっている。自民党の政策は、いつも、見せかけだけで、いつも、経営者の利益優先で動いてきたのである。
雇う者のための経済政策か、雇われる者、働く者のための経済政策か、という根本的な点で、野党は自民党と争わないといけない。