猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

おすすめの高橋和夫の『中東から世界が崩れる』

2022-01-30 22:36:39 | ガザ戦争・パレスチナ問題

(殺されたジャマル・カショジ)

先日、たまたま図書館で高橋和夫の『中東から世界が崩れる イランの復活、サウジアラビアの変貌』(NHK出版新書)を見つけた。ネットで本を探すのも悪くないが、図書館で偶然、本と出合うことはもっと楽しい。

彼の国際政治の講義を、10年以上前、放送大学で聴いていたが、それよりも、本書は、大胆に率直に現在のアラブ世界の実像を語っている。

高橋は、アラブ世界の政治を理解するのに、宗教というものにとらわれては、例えばシーア派とスンニ派の教義の違いなどにこだわっては、本質を見まちがうと言う。宗教の教義ではなく、歴史的ないきがかりや経済的な事情が現在のアラブ世界を作っているという。

彼は、ヨーロッパよりもずっと長い文明の歴史をもつアラブが、100年前の極東アジアがそうだったように、ヨーロッパやアメリカの工業化社会の力の前に圧倒され、どう変わっていくべきか、いま混乱しているのだという。

アラブの国々は、イラン、トルコ、エジプトを除き、第1次世界大戦後に、ヨーロッパやアメリカによって、人工的に作られた国々だという。サウジアラビアなどは「国もどき」にすぎないという。

「国もどき」というのは、国境で囲まれた中の住民が、国民の一員という意識がないということだ。国に属するというより、部族に属するという意識のほうが強いのである。

私がアラブ世界の部族主義を感じ取ったのは、2014年12月のことである。「イスラム国」(IS)を攻撃したヨルダン軍パイロットのムアーズ・カサースベ中尉がISにつかまったが、このカサースベ家は名門の部族で、ヨルダン政府に彼の解放交渉を求めるデモが、ヨルダン、イラク、トルコで起きた。国を越えて、部族が示威行動をしたのである。

サウジアラビアの政治は、たまたま得た自分たち部族の王権をいかに守るかで、動いているという。自分たちを大きく見せるために人口を3千万人と言っているが、2千万人の自国民に1千万人の外国籍労働者を加えての数である。高橋はその2千万人も「かなりのインフレ気味」であるという。

石油がとれていなければ、サウジアラビアの王族は砂漠の遊牧民にすぎないのだから、国としての実体がないのは当然だろうと私は思う。

これまで、サウジアラビアは身の丈にあった慎重な外交をしていたが、国王が代替わりし、新国王の息子のムハンマド・ビンサルマン副皇太子がイエメンを爆撃するなど、暴走をはじめたと高橋はいう。サウジアラビアが新たな不安定要素をアラブ世界につくっているという。

私の記憶に新しいところでは、副皇太子のビンサルマンは2018年、自国のジャーナリスト、ジャマル・カショジをトルコ国内の大使館で生きたまま切り刻んで殺させた。

高橋は、欧米がトルコやイランやエジプトの社会を理解せず、自分たちの国内政治の駆け引きで動き、これらの国々の思いを裏切ってきたという。せっかくの「アラブの春」でエジプトで民主的選挙が行われ、ムスリム同胞団が政権の座についたのに、アメリカは軍事クーデターを黙認し、エジプトが独裁国に戻ってしまったという。

私たちが、日ごろ、アメリカ寄りのメディア報道に騙されているアラブ理解を修正してくれる良書である。

本書は2016年の出版である。昨年6月、イスラエルで、12年ぶりに政権交代があった。8月には、バイデン政権はアフガニスタンから米軍を完全撤退させた。また、昨年末から今年に掛けて石油価格が高騰し、アメリカのバイデン政権が日本に備蓄石油の放出を要請している。

高橋によれば、ここ数年の石油の低価格は、サウジアラビアがイランやロシアやアメリカに揺さぶりをかけるために行なったことだという。じっさい、現在の石油価格の値段はそれ以前に戻っただけである。石油価格が上がったほうが、アメリカのシェール・オイル産業にとっては利益がでる。

昨年来の新しい展開のなか、『中東から世界が崩れる』の続編を、高橋和夫にぜひ出版して欲しい。


支配することと支配されること、『パージ:エクスぺリメント』を見て

2022-01-29 22:31:21 | 自由を考える

自由とは何か、人に命令されずに、自分の思いにしたがって行動することである。フロムの『自由からの逃走』という本もあるが、本来、「自由」は、少しも難しいことではない。人間は生まれたときから、周囲から切り離され、自分の脳で判断し、行動するようにできている。ところが、経験や教育を通じて、人間は自由を失っていく。

人に命令されることは嫌だという人は意外に多い。しかし、人に命令することにためらう人は意外に少ない。人に命令されることの不満をわが子にぶつけている親もいる。

支配する人びとと支配される人びとは、歴史上、いつも、支配される人びとが圧倒的に多数だった。

少数者が多数を支配するには、何かのトリックがいる。

古代ギリシアで、スパルタがこの問題に出くわしたとき、恐怖を利用した。スパルタは征服した民を、自分たち共有の奴隷(ヘイロタイ)とした。闘う以外の労働はすべて奴隷にさせた。ウィキペディアによると、約1万人のスパルタ人に対し、20万人のヘイロタイがいたという。反乱を防ぐため、支配を維持するため、スパルタ人の間では徹底的な平等をつらぬき、いっぽう、ヘイロタイに対しては恐怖で徹底的に抑え込んだ。

たとえば、若いスパルタ人がヘイロタイを度胸試しに軍事教練として殺すことを認めていた。また、1年に一度、公式にヘイロタイに向かって戦線布告をし、殺しまくった。忠誠を誓うヘイロタイを解放し自由民にするといって、申し出たヘイロタイを密かに殺したという話しも伝わっている。歴史的に確実なのは、スパルタ人共同体は、涙ぐましい努力にもかかわらず、滅びたことである。

スパルタに負けたアテナイでは、プラトンは、スパルタの影響をもろに受け、家族の廃止を含む支配者層の間の徹底的平等を著作『国家』で「理想国家」としてる。

歴史をみると、スパルタを除いて、支配者層の間の徹底的平等をつらぬいてないように見える。反乱や内戦を防ぐために、なんらかの権威が使われた。古代ローマでは法などの権威に、ヨーロッパでは血筋や神などの権威にもとづいて、少数者が多数を支配した。もちろん、恐怖は依然として利用されている。

近代において王権の権威が衰えるとともに、少数者が多数者を支配するにあたって、「能力の差」が新たな権威として使われてきた。100年前のドイツ映画『メトロポリタン』では、「頭」が「手」を使うことが当然のように描かれている。

能力差を作ることは、教育によって何とでもなると、プラトンは『国家』で言っている。

また、古代ローマの「法による秩序」も安倍晋三や中国の政権などによって使われている。「法」の権威が依然として続いている。

岸田文雄が口にする「資本主義社会」では、生産手段をにぎった者が支配者になり、他の者を賃金労働者として支配する。生産手段をにぎるにはお金がいる。だから資本主義という。賃金労働者の反乱を防ぐために、能力の差、法による秩序を錦の御旗にし、支配者層は、学校教育で子どもたちを徹底的に洗脳している。

支配者層が子どもたちを洗脳するのでなければ、国による教科書検定は不要である。

資本主義社会には、お金儲けの「自由」があるというが、それは神話で、お金儲けは「奪うこと」であり、奪わない「自由」を求める者には貧しさへの道しかない。

映画『パージ:エクスペリメント』は、少数者が多数者を支配するのは大変だから、少数者が多数者の何割かを殺して、負担を軽くしようという映画である。かなり無理があると思う。支配という構造をなくすほうが簡単だと私は思う。


貧しい人びとを良心の呵責なく社会が殺す映画『パージ:エクスペリメント』

2022-01-28 22:45:55 | 映画のなかの思想

おとといの夜、テレビで2018年公開のアメリカ映画『パージ:エクスペリメント』を見て驚いてしまった。貧しい人々は もういらない、殺してしまえばよいという考えの存在を前提にしている。

この映画の「パージ(purge)」はジェームズ・デモナコが考え出した特別の夜で、夜7時から翌朝7時までの12時間、殺人を含むすべての犯罪が合法化された夜を指す。このテーマで、5本のホラー映画や多数のテレビドラマシリーズやグッズが作られている。この集約した商売をパージフランチャイズと呼ぶらしい。

私の見た『パージ:エクスペリメント』は4作目の映画で、マンネリ化していると ヒットしなかった。脚本も映画としては整理されていないと私は思う。それでも、4作目は、1300万ドルの製作費で、全世界で1億3700万ドルを売り上げたのである。たった、3か月の撮影で仕上げたホ-ラ映画がである。パージの考えを面白がって見ている人びとがいたのである。

この4作目はパージをなぜ新政権が導入したかを説明する。新政権は、犯罪を効率的に減らすために、1年に12時間だけ、すべての犯罪を合法化すればよいと主張し、その実証実験をニューヨークの貧民街で行う。ところが、思いのほか、住民同士が殺し合わないので、政権が傭兵にお面やフードをかぶせ、住民を殺しまくり、翌朝、実験が成功したとテレビが報道するという映画である。

この映画の中で、新政権の幹部は、貧しい人々は もういらない、殺してしまえばよいという本当の目的を語り、傭兵を雇ったという事実に気づいた社会心理学者をも殺す。

これまでは、資本主義社会では失業者や貧困者は必要だというのが、経済学者の主流の意見であった。社会維持に人間の労働力が必要だが、失業者や貧困層がいれば、個々人の生存に必要最低限の賃金で労働者を雇うことができる、と彼らは主張していた。

貧困層は不要だ、みんな殺してしまえという主張は、これまで表には出てこなかった。無能だから貧困に苦しむのだと、富裕層は あざけっているだけだった。

ただ、富裕層は、選挙権を全国民に与えたばかりに、社会保障や福祉も貧困層に少しは与えないと選挙に負けると不満をこぼしていた。

政府も殺人を犯したとか、国家に反逆したとかの人を死刑にすればよかった。貧困者が増え過ぎれば、他国と戦争すれば、人口を調整できた。

ところが、経済がグローバル化した現在、国内に失業者や貧困層を抱えなくても、海外の貧困層に働いてもらえば良い、という考えが出てきた。そうすれば、国内の貧困層は役立たずの犯罪者や怠け者や不満分子で、みんな殺してしまえ という考えも出てきても不思議でない。

この映画の主題は、道徳心を痛めず、貧困層を殺すには、貧困者同志が殺しあうパージが有効だ、である。

いま、全世界の新型コロナ対策を見ていると、この機会に、貧困者や老人や病人には死んでもらおうという、深層心理が政治家や官僚や財界に働いているように思える。日本でも「経済を守る」という言葉を夕方のTBSテレビのアナウンサーは口にし、東京都都知事の小池百合子は「社会機能の維持」という言葉を口にしている。

LGBTやジェンダだけを口にすることが社会正義ではない。弱者を見捨てない、殺さないことこそが社会正義ではないか。

思うに、去年のおわり、アメリカで 一時 新型コロナがおさまったとき、貧困層が職場に復帰せず、労働者不足で賃金が高騰し、インフレになった。すべての職種は社会に貢献していたのだ。経済のグローバル化で、国内の労働者は不要だというのは、幻想である。


ウクライナから米国人の引き揚げを勧告したアメリカ大統領バイデン

2022-01-25 22:42:47 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

アメリカ大統領ジョー・バイデンの今回の決断がよくわからない。ウクライナから米国人の引き揚げを勧告したという。米軍でなく、大使館員の家族とか民間人のウクライナからの引き揚げである。

昨年の8月のアフガニスタンからの米軍の撤退までは、私はバイデンの決断を支持できる。20年近くもアフガニスタンで続けていたの戦闘をやめ、兵士を引き揚げると決断する権利が、アメリカ大統領にある。米軍のアフガニスタン侵攻とタリバン政権の打倒は、あくまで、アメリカ政府のエゴで始まったことで、アメリカ政府は、いつかは、米軍を撤退を決断する必要があった。

アメリカは、別に、ウクライナに米軍を派遣していない。ロシア軍がウクライナとの国境に集結しているからといって、ウクライナに在中する大使館の家族や民間人にアメリカ政府が引き揚げを勧告したら、ウクライナの人びとがアメリカに見捨てられた気になるのではないか。アメリカの国籍をもつ民間人がウクライナに残ることで、「人の楯」になり、ロシア侵攻を止める効果があると思う。ウクライナ大統領は、このバイデンの決断に対してテレビで苦情を言った。

確か、2003年に米軍がイラク侵攻を行う直前だと思うが、人の楯となって、米軍のイラク侵攻を止めるために、日本からイラクに渡った人びとがいた。

米軍でなく、逆に、普通のアメリカ人がウクライナに出かけて、「人の楯」になり、ロシア軍の侵攻反対を唱えても良いのではないか。また、多くのジャーナリストが目撃者としてウクライナ入りをしても良いのではないかと私は思う。


オミクロン株は大したことがないと強調するのは間違っていないか

2022-01-24 22:13:12 | 新型コロナウイルス

一部のメディアは、もしかしたら、かなりのメディアが、オミクロン株は大したことがないばかりを、伝えている。感染症は人と人との接触で広がる。オミクロン株をこわがって、人と人の接触を控えても良いのではないか。こわがるをバカにするのはやめるべきである。

2週間近く前、田園都市線急行で、隣の座席の乗客がひっきりなしに咳をするので、失礼だと思いつつも、私は席をたった。いま、考えると、急行で一駅の利用、たった4分間の区間であったから、隣の乗客が陽性者であったとしても、15分が濃厚接触の目安だから、席を立つ必要がなかった。それでも、私は、一週間が過ぎても風邪の症状が現れなかったので、ホッとした。

きょう、月曜日にNPOに出勤すると、スタッフの一人が陽性者であることが、判明したと伝えられた。この10日間、彼と会っていないので、これもまた、私は濃厚接触者でない。

私のNPOでは、2週間に1度、スタッフ全員のPCR検査を唾液の提出で行っている。きょう、また、検査があった。私たちは対面で子どもたちと接触する。知的な問題を抱えてマスクをはずす子もいる。

いま、市中の無料PCR検査所で100人、200人の行列ができているという。一部のメディアはこれもバカにしている。人と人の接触が伴う仕事をしている人びとは少なくない。人にうつさないために検査をする人がいても良いのではないか。

すべての感染者がオミクロン株というわけではない。デルタ株の人もいる。オミクロン株は単に増殖スピードが速く、感染者数の増加スピードが速いだけである。年初にはデルタ株の感染が増えていた。オミクロン株は大したことがないから、熱がでても自分で療養していれば良いとして、デルタ株で重症化したら、誰が責任を負うのか。オミクロン株のほうが感染者を急激に増加させているが、ゆっくりとデルタ株も感染者を増やしているはずだ。

1月22日、全国の新規感染者数がはじめて5万人を超えた。5万4576人である。東京都も、新規感染者は初めて1万人を超えた。すでに、昨年の第5波を大幅に越えている。

こわがる人がいて、PCR検査をしたり、不要不急の外出を控えるからこそ、ワクチン接種が感染をふせぐのに無力な現状で、感染爆発を抑えられているのではないか。

オミクロン株がたいしたことがないと、旅行したり、宴会したりする人々に共感するメディアは、少しイカレテいると私は思う。政府の感染対策が爆発的流行に追いつかないからといって、オミクロン株がたいしたことがないという屁理屈で感染対策を放棄するのは、やけくそになっているか、頭が狂っていると思う。

[追記]

現在のワクチンを接種しても、オミクロン株の感染を防げるかは疑問視されている。また、3回目接種が行われないと、免疫効果が下がっているので、デルタ株の感染も防げないと言われている。ワクチン接種が重症化を防げるのではと希望的に期待しているだけである。これが、ワクチン接種か陰性証明で行動規制から除外するパッケージを尾身茂分科会長が今回撤回した理由である。ところが、ワクチン接種すると感染しない、したがって、感染拡大を防げるとTBS『ひるおび!』で八代英輝と言っているが、これは、正しくないと思う。