猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

菅義偉はどこで誤ったか、何を後世の教訓とするか

2021-09-05 23:53:50 | 叩き上げの菅義偉

これは、菅義偉の墓碑である。「坊ちゃん・嬢ちゃん」の安倍晋三、麻生太郎に裏切られ、肉体的には生きているのに、政治的には死に追いやられた「叩き上げ」の男の無念さを思い、彼に代わって書く墓碑である。

   ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

昨年の8月28日に安倍晋三が健康上の理由で突然辞意を表明し、菅義偉は急に自民党総裁候補に浮上した。彼は、つづく9月14日の自民党総裁選に勝ち、9月16日に衆議院で内閣総理大臣の指名を勝ち取った。

政権発足時の世論調査では、70%を上まわる支持を菅政権が得た。マスコミを通した「叩き上げの総理」の宣伝が効を奏したようである。

その直前、昨年の9月5日のTBSテレビの『ひるおび』では、田崎史郎、伊藤惇夫、龍崎孝の3名が、菅義偉の総理としての資質について懐疑的な意見述べた。

私も、「叩き上げ」だから理由もなく良いとは思わなかった。ほとんどの人は、「坊っちゃん・嬢ちゃん」ではなく、自分で道を切り開き、自分の手の届いた範囲で満足するしかない。「叩き上げ」を自慢するのはヤクザぐらいである。

昨年の9月8日のTBSテレビ『ひるおび』では、政治ジャーナリストの田崎史郎は、安倍晋三が一昨年の9月に二階俊博を幹事長から外そうとし、二階と安倍の亀裂ができ、その間を取り持ったのが菅であると言った。昨年の8月には安倍の辞任の意思が政権内で明らかになったが、みんなで安倍を慰留していた。このとき、すでに菅は安倍後に向けて、幹事長の職に固執する二階を利用して、総裁の座を目指していたという。

この話を聞いたとき、私は、菅は、安倍と麻生の弱み(犯罪行為)を抑えているのだと思った。じっさい、岸田派、石破派以外は雪崩をうって菅支持にまわった。

   ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

残念ながら、国民の多くは、自民党内の権力闘争を時代錯誤的なものとみなさず、「叩き上げ」の菅に期待したのである。

しかし、一部の国民は、菅義偉の自民党総裁選の出馬会見のつぎの発言に驚いた。

《まず自分でできることはまず自分でやる。自分でできなくなったらまずは家族とか地域で支えてもらう。そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼のある国づくりというものを行なっていきたいと思います》

「叩き上げ」の菅は、「坊っちゃん・嬢ちゃん」でもなくても自分のように成功した人の財産などを守りたいのだ。「叩き上げ」の菅には弱者が目にはいらない。困っている弱者を助けないで何のために国があるのか。

菅は、「自助・共助・公助」の発言を撤回しなかった。

   ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

菅は、総理の初仕事として9月29日に、日本学術会議の新規会員推薦リストのうち、6名の任命を拒否した。日本学術会議の会員の任期は6年で、3年ごとに半数の会員210名が入れ替わる。日本学術会議法第7条に「会員は、第17条の規定による推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」とあり、この法案が審議されたとき、「推薦に基づいて」を「推薦のまま」と解釈することで了解されていた。当然、日本学術会議側は、拒否の理由を求めた。菅は、これに対し、任命拒否の理由を明らかにせず、また、拒否撤回もしなかった。ただ不思議なことを言った。拒否された6名のうち、「加藤陽子」をのぞいて、自分はどんな人か知らない、と菅は言った。

今年の7月になって、加藤陽子は、任命拒否の裏側をつぎのように推測した。前回の(3年前)の推薦のとき、学術会議の会長が、安倍晋三に6名多い推薦リスト非公式に見せたのにもかかわらず、自分が総理ときには定員枠通りの推薦リストしか見せないと怒ったのだ、という。だから、理由もいえない。拒否の6名の選択は官房副長官に任した。だから、たまたま知っていた加藤陽子以外は、名前さえ知らなかったのだ。

菅は自分の権威に固執するという、致命的な欠点をもっている。自分に自信がないのだ。

   ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

きのう、9月4日の朝日新聞『〈交論〉突然の首相退陣』に、御厨貴は「説明しない」政治家、江川紹子は「コミュニケーションが一方的な」政治家と菅義偉を批判していた。ただし、両名ともこれは安倍政権からと言っている。

御厨の言っていることは、記者のまとめが悪いせいもあり、怒っている割には意味不明である。

プレゼンテーションが下手であることが問題なのではない。話下手でも誠意ある態度で説明すれば、必ず誠意が通じる。問題は、菅が、総理は日本で一番偉い権力者と思っており、自分の権威ばかりに気にとられ、相手と対等になって話そうとしないことだ。

日本は代議制民主主義をとっている。政権内の自民党や公明党だけでなく、野党とも対等になって話さないといけない。そのためには、定例の国会期間だけでなく、それ以外にも、臨時国会を開いて国会議員と議論を交わすべきだった。が、しなかった。

政治家は上手に説明すればよいというものではない。説明だけが上手なら詐欺師である。御厨は古いタイプの政治学者で、統治が安定していればよい、としか考えないクソである。

江川の視点も良く分からないが、1つは国会内の対話、1つは記者との対話、1つは政府内の、特に官僚との対話、1つは国民との対話を指すものと思う。ただ、代議制民主主義では、誰がやっても、国民との直接対話は難しいので、これからの課題であろう。

御厨のもう1つの指摘は、「大量の情報集中が菅さん個人の処理を越えてしまう」時がくることを菅が理解していないということである。これで何が言いたいのかだが、私が察するに、自分の情報の処理を助ける信頼できる部下やアドバイザーをもてなかったことを言うのだと思う。

国を支配する者は良いスタッフを抱えるという昔からの政治の王道を知らないと御厨は言いたいのだろう。

結果として、菅義偉は新型コロナ対策を誤り、自分を助けると思っていた安倍晋三や麻生太郎に裏切られた。総裁選不出馬の決断2日前、自分の後ろ盾の二俊博階を切ろうとしたことからみれば、菅は騙されたと言った方が適切だろう。安倍や麻生は「坊ちゃん・嬢ちゃん」だが、陰謀だけには たけている。ただの「ぼんぼん」ではない。

   ☆    ☆    ☆    ☆    ☆

政治は、自分の野望のために行なうものではない。国民のため、人のために行なうのである。菅義偉の墓碑を書くことで、同じ誤りを繰り返さないよう願う。自民党内には、「叩き上げ」の菅より、もっと悪るい人たちが うごめいている。政権交代こそが日本で必要である。

[関連ブログ]


菅義偉は デモクラシーの社会での総理大臣として適任でない

2021-03-03 23:24:21 | 叩き上げの菅義偉


きょう、参院予算委員会での森ゆうこの質問に対しての総理大臣 菅義偉の答弁をNHKテレビ国会中継で聞いて、思わず、外出の足がとまった。

菅は大臣という職をまったく誤解している。日本は国民主権の国である。代議制民主政の国である。国会議員は国民の代わりにしゃべっているのである。大臣は国民にゆだねられて行政を監督しており、その職務について、国民の代理の議員の質問を受けているのである。

決して、大臣は殿様ではない。総理大臣は王様ではない。国民のしもべである。

ところが、自民党議員たちは、安倍晋三も菅義偉もだが、天下取りの争いをしていると思っている。政権にはいれば、殿様になった、臣下は自分の言うことを聞け、すべての政策は自分が決断したものでないといけない、と思っている。

大臣も政治家であるから、自分の意見をもつことは、悪いことではないし、当然だと思う。聞かれれば自分の意見を述べ、必要と思えば、国民を説得しようとするのが当然である。しかし、自分が決断するという形式にこだわったり、決断した理由をのべなかったりするのは、国民主権、代議制民主政に反する。

きょうの森ゆうこの質問、総務省の大きな許認可権限をどう思うかについて、菅は正面から答えなかった。質問の意図は、許認可権限が大きいために出てくる業者との癒着をどう抑えるのかである。倫理規定を守るということも大事だし、恣意性がある許認可権限を少なくすることも大事である。

ところが、先日、テレビ朝日の『羽鳥慎一モーニングショー』で、山口真由が、官庁で倫理規定が、事実上、形骸化していると言っていた。

したがって、菅が大きな許認可権限をどう思うかについて答えないので、質問が、かつて菅が政策に反対する官僚の更迭をしたことを武勇伝として自著で自慢していることに飛び火するのは、やむをえない。

ここで、菅は、大臣になったのだから、自分に反対する官僚を更迭するのは当然だという答弁をした。森ゆうこは、その官僚と話し合ったのか、と聞き返した。

トクヴィルがいっているように、デモクラシーとは、あらゆるところで、平等であることだ。昔の殿様でないから、更迭する前にその官僚と話しあったのか、ということである。大臣だからと、自分の権力を見せつけるために、更迭したのではないか、ということである。

菅の答弁を聞くと、総務大臣になったとき、NHK改革を進めるために、担当課長にNHK論説懇で政府の立場を説明させたが、課長が政府の要請を強く訴えなかったと、ある論説懇の参加者から上司の担当局長に連絡があり、それを局長からメモの形で渡された菅は、課長を更迭したらしい。改革とは受信料を下げることで、担当課長が論説懇で説明する前に、菅は大臣室で話し合ったという。

本当に議論をしたのか、指示しただけでないか。自著で自慢話として書くようなことなのか。自分の権力を誇っているだけである。

担当局長も部下の課長を守らなかったのは、情けない。自分の失敗を担当課長の責任にしたのではないか。

組織のなかのデモクラシーが壊れ、みんなが忖度するようになったから、菅の知り合いが経営している東北新社の接待を事務次官や局長が断れなくなったのではないか。まして、コネで東北新社に入社した菅の息子が接待に出てくるのでは、彼らは断れないだろう。

緊急事態宣言を継続かするか否かの、森ゆうこの質問にも、ぎりぎりまで状況をみて「自分が判断する」といっている。菅が判断するか否かは、デモクラシーの観点から重要ではない。判断をいま言えない理由、政府内で判断がわかれている理由を率直に言い、自分ではこうしたいと思っているのでご理解ください、と言えば良い。

すなわち、これも、デモクラシーの社会で、行政を監督している長のあるべき姿を菅がわかっていない例である。指示をしないと弱腰の長だと思われると勘違いしているのではないか。総理大臣は自分の意見を言っていいのだが、いっぽうで、問題点を整理して伝え、みんなの意見をまとめるように務めにないといけない。

これは、日本学術会議会員の任命拒否問題にも通じている。総理大臣の自分が誰かの任命を拒否することが、自分の権力を誇るために、必要だと菅は思っている。拒否されたのは、リベラルな歴史学者、社会学者、政治学者で、べつに、私のような左翼ではない。社会主義者でも共産主義者でもない。自由民主党の総裁が、むきになって、任命拒否するような人たちではない。いまだに拒否の説明ができないのは、たんに権力をみせびらかしたかっただけではないか。

自由民主党にデモクラシーが生きているなら、菅義偉は総理大臣から引き下ろされてもしかたがない。民主政の古代アテネなら、菅はきっと「陶片追放」になっていただろう。

菅義偉の施政方針演説は所信表明よりマシだが、細部は納得できない

2021-01-19 23:10:53 | 叩き上げの菅義偉
 
きのう(1月18日)の菅義偉の施政方針演説を官邸のホームページから読んでいるが、評価して良いのか、そうではないのか、よく分からない。総花的で項目が挙がっているが、具体的には何を意味するのか分からない。
 
確かに、世論の批判を受けて、昨年の10月26日の所信表明より変わっているところもある。本人は努力しているのだろうから、信用したい。
 
例えば、「私が目指す社会像は、『自助・共助・公助』そして『絆』です」の文面がなくなった。代わりに、彼が「四十七歳で初めて衆議院議員に当選したとき」の内閣官房長官、梶山静六からの言葉が2つ言及されている。1つは、「少子高齢化と人口減少が進み、経済はデフレとなる」から「国民に負担をお願いする政策も必要になる」である。もう1つは「資源の乏しい日本」にとって「国民の食い扶持をつくっていくのがお前の仕事だ」である。
 
所信表明の「自助・共助・公助」よりもましである。
 
また、「Go Toキャンペーン」への言及がなくなった。所信表明では、原稿のなかの見出しに、「1 新型コロナウィルス対策と経済の両立」があったが無くなった。代わりに、「新型コロナを克服した上で、世界の観光大国を再び目指します」という言葉になった。
 
施政方針演説のはじめに、「私が、一貫して追い求めてきたものは、国民の皆さんの「安心」そして「希望」です」が加わった。
 
菅義偉の演説がわかりにくいのは、「働く者の権利を守る」とか「貧富の格差をなくす」とかいう単純明快なメッセージがないことである。非正規労働者をどう守るかの言及がない。
 
いま、人材派遣会社が儲けている。人材派遣会社に対抗して、非正規労働者や失業者を臨時国家公務員にして、彼らを守ったらどうだろう。職にありつけないあいだ、国が生活費を支給する。すなわち、一種のベーシックインカムを限定された働く人たちに実施する。
 
そう思いながら、これから菅の演説の細部を吟味してみよう。
 
  ☆     ☆     ☆
 
施政方針演説に、「所得が低いひとり親世帯に追加で五万円、更に二人目以降の子どもについて、三万円ずつの支給を、昨年中に行いました」とあるが、支給したのはいいことだが、継続しなければ、助けにならない。どう考えているのだろうか。
 
「雇用調整助成金」に言及しているが、すでに解雇されている非正規労働者にその恩恵が届くのだろうか。
 
東日本大震災からの復興の所で、「原災地域十二市町村に魅力ある働く場をつくり、移住の推進を支援します」というが、「魅力ある働き場」をどのようにつくるのかわからない。「国際教育研究拠点」を作れば「働き場」ができるというのは幻想である。ウソもはなはだしい。
 
  ☆     ☆     ☆
 
我が国の長年の課題、「日本企業のダイナミズムが失われた」、「デジタル化の流れに乗り遅れ、新たな成長の原動力となる産業が見当たらない」の答えに、「グリーン社会の実現」と「デジタル改革」を挙げているが、見当違いではないか。もちろん、公務員の採用枠にデジタル職の創設に賛成だが、問題は現在の企業風土にあるのではないか。
 
「日本企業のダイナミズムが失われた」は現在の経営者に責任がある。上司が偉そうにする会社に未来がない。上司の恣意的な判断で社員を首のできるのでは、日本の企業に未来がない。社員が自由に発言する風土こそが企業のダイナミズムを導くものでないか。
 
また、「デジタル化」とはそんな難しいものではないが、そんなに役には立たない職種もいっぱいある。企業風土を変えていくことこそ、だいじなのだ。
 
「教育のデジタル化」「子どもたちの希望や発達段階に応じたオンライン教育」も見当違いである。教育で一番だいじなのは、人間を信頼する気持ちを育てることである。「オンライン」は補助的なもので、対面教育こそが重要である。
 
それより、まず、文部省の教科書検定をやめ、教育の自由化を行うべきである。また、受験とか選抜とかいう制度をしだいに廃止しないといけない。国立大学からそれを実施する。
 
「グリーン社会の実現」のため「安全最優先で原子力政策を進め」には賛成できない。「安全最優先」に技術的無理がある。無理を通せば、腐敗が生じる。
 
  ☆     ☆     ☆
 
「ポスト5G、6Gを巡る国際競争が過熱化する中、官民を挙げて研究開発を進め、通信規格の国際ルールづくりを主導し、フロントランナーを目指します」も意味不明である。そんなことは企業がすることである。それより、国は「若手研究人材」に安定した職を与えることである。
 
「最低賃金は、雇用にも配慮しながら継続的な引上げを図り、経済の好循環につなげてまいります」には賛成だが、「持続化補助金や手形払いの慣行の見直しを通じて、生産性の底上げを図り」は意味がわからない。どうして「見直し」が「生産性」の底上げになるのか、また、「生産性の底上げ」が「賃金の上昇へ」につながるのか分からない。
 
「国際金融センターをつくること」をなぜ掲げるのか、意味不明である。これは、技術の蓄積がない後進国のアイデアではないか。「日本には、良好な治安と生活環境、一千九百兆円の個人金融資産といった大きな潜在性があり、金融を突破口としてビジネスを行う場としても魅力的な国を目指します」には、まったく腹がたつ。普通の日本人はそんな高額の「個人金融資産」を持ち合わせていない。それとも、菅は、日本の富裕層を世界の金融業の餌食にしたいのだろうか。
 
  ☆     ☆     ☆
 
「農林水産業」を「地域をリードする成長産業」したいは同感であるが、「農産品の輸出」も「主食用米から高収益作物への転換、森林バンク、養殖の推進」も、その解決にならない。それよりも、農協の組織の強化ではないか。自民党は。この間の農協敵視政策をやめるべきである。
 
政府は、これ以上、「観光立国」で国民をだますべきでない。
 
「企業で経験を積んだ方々を、政府のファンドを通じて、地域の中堅・中小企業の経営人材として紹介する取組」はまったく意味がない。地元の人間が産業を興し経営するのでなければ意味がない。
 
「ふるさと納税」は即刻やめるべきである。
 
「世界に冠たる我が国の社会保障制度」は言い過ぎである。それに「世界に冠たる」はナチスの常用句である。
 
「民間企業にも、障害のある方々への合理的配慮を求めます」とあるが、政府が障害者を雇って政策企画立案に参加させることのほうが重要である。障害者は仕事を通じて自分を肯定することを求めており、形式的な雇用を求めているのではない。障害者の声を反映するため、政府や自治体は積極的に障害者を雇用すべきである。
 
「経済あっての財政との考え方の下、当面は感染症対策に全力を尽くし、経済再生に取り組むとともに、今後も改革を進めます」は意味不明。何を言いたいのか。
 
  ☆     ☆     ☆
 
外交安全保障で「WTOの改革を推進」が意味不明。「安全保障上重要な防衛施設や国境離島を含め、国土の不適切な所有、利用を防ぐための新法を制定」も意味不明。
 
「日米の抑止力を維持しつつ、沖縄の皆さんの心に寄り添い、・・・・・・、辺野古沖への移設工事を進めます」は、腹の立つ言いぐさである。
 
「より多くの国・地域と共に「自由で開かれたインド太平洋」の実現に取り組んでまいります」は、中国のインドや太平洋の進出阻止のことだろうか。「自由で開かれた」という言葉は自由主義陣営の言い換えではないか。
 
「夏の東京オリンピック・パラリンピックは、人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証として、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたいと思います。」とは、お笑い草ではないか。日本が世界の新型コロナ撲滅に貢献していない中で、この発言はまずい。
 
  ☆     ☆     ☆
 
菅義偉の施政方針演説の詳細をみると、この人はやっぱり信用できないと思う。梶山静六は菅に「お前は役人に騙される」と言ったというが、理解できる。

菅義偉は 政治が経済に優先する「革新右翼」の生き残り

2020-12-15 22:32:58 | 叩き上げの菅義偉
 
この間のコロナ対策を見て、菅義偉が戦前の「革新右翼」の流れを引き継いでいると感じたが、伊藤隆の『大政翼賛会への道 近衛新体制』(講談社学術分文庫)を読むとそれが確信になった。
 
序章で彼は、新体制確立を図った近衛文麿の考えをまとめている。つぎは、それを私が要約したものだ。
 
〈 資本主義が発達し、独占の段階に達し、自由貿易がやんで、資本主義国間の対立と闘争が激化し、また、国内的にも階級間の対立が先鋭化し、議会、選挙、政党などの立憲政治が金権政治になった。〉
 
〈 そこで、世界的傾向として国家はますます政治経済生活のあらゆる領域に干渉せざるを得なくなり、また自由放任の経済に全体的公益の立場より統制を行わざるを得なくなり、そしてそのために権力分立、牽制均衡を捨てて、むしろ強力なる国家権力の集中を図り、その集中的政治機関として執行権を強化せざるをえなくなった。〉
 
「革新右翼」の近衛は、強い政府を求めているのだ。「権力分立」とは三権分立だけでなく、「大学の自治」とか「検察権力の独立性」とかいろいろなものを含む。いまなら、「日本学術会議の独立性」や「官僚が内閣の方針に口出すこと」を含む。菅も自分に はむかうものを許せない。国民の税金を使うものは内閣総理大臣のイエスマンでないといけないと考える。
 
近衛は、そのために、大日本帝国憲法第8条、第14条,第31条,第70条などを適宜に活用すべきと言っている。
帝国憲法第8条は緊急勅令、14条は戒厳令、31条は政治における国民の権利義務の制限、70条は緊急時の勅令による財政処分に関する規定である。
 
これに呼応し、現在、自民党は憲法に「緊急事態の宣言」を加えることを提案している。
 
自民党改正案98条「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。」
 
自民党改正案99条「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。」
 
外交政策においても、近衛は、「受動的態度では、東亜の安定勢力たる帝国の任務を果たせず、むしろ、来たるべき世界秩序の建設に指導的役割を演ずるべきである」という。
 
これは、安倍晋三のいう「積極的外交」「世界の中心の日本」ではないか。
 
最後に、近衛は、「政治体制強化と統制経済体制の整備は補完関係にあり、統制経済の確立」を主張する。
 
安倍晋三は、労働組合を無視して、企業に従業員の給料を上げることを要請し、菅義偉はデジタル通信会社に携帯の通信料の値下げを要請する。
 
政府が、政治家が、正しい経営判断をできると、安倍や菅や自民党は思っているのだ。しかも、政治が経済の自立性に干渉すると、自分たちの支持者へのお金のバラマキに落ち込む危険を無視している。
 
率直に言おう。安倍や菅は日本会議に支えられている。戦前の「革新右翼」の亡霊はいまなお生きているのである。それだけでなく、日本維新の会、公明党にも戦前の「革新右翼」の亡霊が生きている。公明党と戦前の「革新右翼」と差異は、戦争に対する態度だけになっている。
 
そう考えると、菅が日本維新の会や公明党との太いパイプが納得いく。彼らは、「革新右翼」の郷愁で心情的に深く結びついているのだ。
 
伊藤隆は「革新右翼」というが、私はファシストと呼んでも いいように思う。

菅義偉は怖い、支持率低下で2週間後にGoToトラベルの全国一斉停止

2020-12-14 23:26:29 | 叩き上げの菅義偉

菅義偉は怖い人である。

菅政権の支持率低下を受けて12月28日から1月11日までGoToトラベルを「全国一斉」に一時停止すると発表した。政府の分科会は、新型コロナ感染蔓延(ステージ3)の地域から他の地域に人がウイルスを運ぶこと(GoToトラベル)をすぐに停止するよう菅に要求したのに、「全国一斉」に問題をすり替えて、GoToトラベルを2週間延長してしまった。

首都圏の人がGoToトラベルを利用して地方に移動することのほうが、その逆より、観光業への経済効果が大きい。「全国一斉」を持ち出すことで、首都圏からのGoToトラベルを2週間延長したのである。政権の支持率低下を止めるためにごまかしをしただけなのに、テレビは英断と称賛している。

まさに、世論操作にたけた、怖い人である。

怖いのはそれだけでない。政治が自由経済に横やりをいれることができるという考えを菅義偉がもっていることである。これを「統制経済」という。

安倍晋三にもその気があった。授業員の賃上げを企業に要請した。しかし、それが実現したのは大企業の正社員だけである。全体では、給料があがらない。格差が広がっただけである。

菅義偉はGoToキャンペーンを自分の政権の目玉政策として推進してきた。そのことの反省がまったくない。

GoToキャンペーンは新型コロナ感染を全国に広げるだけでなく、国の借金によって、人為的に観光や飲食の需要を一時的に高めることである。持続可能なことではない。経済にとって大事なのは一時的需要の高まりではなく、持続的な需要である。持続的でなければ、設備投資も授業員の増員もできない。

菅義偉はまたデジタル通信業者にデジタル通信の形態の料金を下げるように要請している。政治が企業に、直接、ものやサービスの値段を下げることを要請して良いのだろうか。

伊藤隆の『大政翼賛会への道』(講談社学術文庫)を読むと、戦前に革新右翼がいて、「統制経済」を主張していたという。菅義偉は、政治が経済を統制できると考えている。菅義偉は「革新右翼」の生き残りではないか、という思いが、私の頭にめぐっている。

菅義偉は怖い人だ。