ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」の章で、無責任にも自由という考えをイエスが民衆に吹き込んだ、と大審問官は長々と責める。この章は劇中劇で、アリョーシャの兄、イワンが語った物語詩である。
ハッキリ言って、私には、なぜイエスが責められるのか、わからない。
イエスが死んでから30年以上たって、新約聖書の『マルコ福音書』、『マタイ福音書』、『ルカ福音書』が書かれた。さらに、40年たって『ヨハネ福音書』が書かれた。
下層民のイエスもイエスの弟子も字が読めず字が書けなかったから、イエスの言ったことの直接の記録はないのである。イエスが、本当のところ、何をいったのか、わからない。
史的イエスの研究者M. J. ボーグは、『イエス・ルネサンス』(教文館)で、福音書にあるイエスの言葉のほとんどは、本当にイエスの言葉か疑わしいと言う。
福音書に先立つパウロの書簡が語るように、イエスがユダヤの王としてはりつけにされ殺されたことのみが、イエスについて確実な事実である。
パウロの書簡から分かることが、もう一つある。イエスと会ったことがなく、何かの教えを直接聞いたことがない人間、パウロが、イエスの弟子を名乗り、布教して歩いたのである。
それは、下層民が、宗教的権威へ「無秩序」に反逆し始めたということである。そして、イエスは反逆の象徴になったのだ。
したがって、この「無秩序」を「イエスが無責任に自由を民衆に吹き込んだ」と大審問官が責めたいのかもしれない。
私自身は「無秩序」「反逆」こそがイエスの愛すべき点と思っている。
日本の学校教育では、ドイツの宗教革命ばかりに光があてているが、古代ギリシア、古代ローマの民主制、知の自由、科学を復活したのは、イタリア・ルネサンスである。
これを暴力で抑えたのは、スペインの軍人上がりのロヨラであり、彼の軍隊、イエズス会である。イエズス会は反宗教改革の旗をしょって、知の自由を掲げたイタリア・ルネサンスを弾圧した。
だから、ドストエフスキーは、「大審問官」の舞台として、異端者を火焙りにするセヴィリアの広場を選んだのだろう。
しかし、大審問官の罵りは、下層民の反逆の扇動者イエスに向けられているというよりは、19世紀の文化の遅れたロシアで、反逆者として生ききれなかったドストエフキー自身への罵りであると思う。
その罵り言葉が異常なのである。常軌を逸している。亀山郁夫の訳で書き抜くと
「おまえ(=イエス)は世の中に出ようとし、自由の約束とやらをたずさえたまま、手ぶらで向っている。ところが人間は生まれつき単純で、恥知らずときているから、その約束の意味がわからずに、かえって恐れおののくばかりだった。」
「確固とした古代の掟にしたがう代わりに、人間はその後、おまえの姿をたんなる自分たちの指針とするだけで、何が善で何が悪かは、自分の自由な心によって判断していかなくてはならなくなった。」
「人間にとって、良心の自由にまさる魅惑的なものはないが、しかしこれほど苦しいものもまたない。」
「おまえは忘れたというのか。人間にとっては、善悪を自由に認識できることより、安らぎや、むしろ死のほうが、大事だということを。」
「おまえはほんとうに考えなかったのか。選択の自由という恐ろしい重荷におしひしがれた人間が、ついにはお前の姿もしりぞけ、おまえの真実にも異議を唱えるようになるということを。」
「人間の自由を支配するのは、彼らの良心に安らぎを与えてやれる者だけだ。」
「自由と、地上に十分にゆきわたるパンは、両立しがたいものなのだということを。なぜなら、彼らはたとえ何があろうと、お互い同士、分け合うということを知らないからだ!そしてそこで、自分たちがけっして自由たりえないということも納得するのだ。」
「彼らが自由でいるあいだは、どんな科学もパンをもたらしてくれず、結局のところ、自分の自由をわれわれの足もとに差しだし、こう言うことになる。『いっそ奴隷にしてくれたほうがいい、でも、わたしたちを食べさせてください』」
イエスは、歴史の記憶に偶然残った下層民の反逆者である。
しかし、「良心の自由」とか「選択の自由」とか「善悪を自由に認識」とか「人間の自由を支配」とかイエスは言わなかった。
イエスに従った無学の弟子たちも、そんなことを言わなかった。
新約聖書からの言葉でない。
これらは、低文化国ロシアに生まれた臆病な知識人の言葉にすぎない。
自由とは反逆である。自由は、誰かに差しだすべきものではない。