5月3日の朝日新聞は憲法関連の記事が1面、2面、6面、9面、14面、15面、23面、26面と紙面を埋めていた。憲法が守られることへの朝日新聞社の危機感が伺えた。
現在の日本国憲法には問題がある。しかし、それは、憲法第9条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」に問題があるのではない。
問題は、憲法第2条の「皇位は、世襲のものであつて」と戦前の天皇制を維持していることである。ヨーロッパでも象徴として王をかかえる国があるが、血統にこだわらず、他国から新王を持ってくることができる。「象徴」は血統による必要はない。憲法第14条「すべて国民は、法の下に平等であつて、(中略)華族その他の貴族の制度は、これを認めない」と天皇制は矛盾する。
憲法第9条の国際紛争を解決する手段として「武力による威嚇又は武力の行使」をしないというのは、すばらしい理念であり、日本国憲法のブランド・イメージを高めてきた。このブランド・イメージを、敵基地攻撃力のミサイルを配備することで、岸田文雄は破壊しようとしている。朝日新聞社が危機感をもつのは当然だと思う。
岸田政権は5年間で総額43兆円の軍事費を計画している。そんなにお金をつぎ込んで何が守られるのだろうか。軍事費を増やせばそれだけ国民の生活は困窮する。1億3千万人の日本が、13億人の中国と張り合って軍事費を増やす必要があるのか。中国を敵視して軍事費を増やせば、中国も呼応して軍事費を増やし、軍拡競争に堕ちってしまう。防衛費なら身の丈にあったささやかなもので十分である。事の成り行きでは、日本が降伏して中国に占領されたって良い。戦争をして国民が死ぬより降伏するほうが良い。生命が守られる。
軍備を拡張すれば本当の戦争になることを知っておかないといけない。
82年前の日米戦争開始は、日本の海軍がアメリカを敵国に規定して軍備を強化していたからだ。その点を陸軍から指摘されたから、海軍みずからアメリカとの戦争を天皇に奏上(提案)せざるを得なくなった。近代日本史学の加藤陽子は、国力の劣る日本が1941年12月8日にアメリカとなぜ開戦したかをそう説明している。
5月3日の朝日新聞で、憲法学者の樋口陽一は「万が一、米中が戦争を起こしたら、どうなりますか。両国はお互いにそれぞれの本土をいきなり攻撃はしないでしょう。日本で米中の両方の弾が飛び交うことになる」と警告している。
私も樋口と同じ推測をする。日本政府が軍備拡大に進めば、アメリカ政府は日本がアメリカの手先として戦うことを期待する。米中とも自国内に核爆弾が打ち込まれるのを防ぐため、その間に位置する手先の国に核爆弾を落とす。そして、その悲惨な実態を確認することで、米中が和解する。戦争とは駆け引きで、当事者は損な立ち回りをさける。
日本が損な立ち回りをしないために、日本国憲法の第9条を高く掲げ、アメリカの手先になることを断るべきだ。
朝日新聞社の危機感を私は共有する。