去年の9月に図書館に予約していたクリス・ミラーの『半導体戦争』(ダイヤモンド社)がこの金曜日に届いた。私は血尿が止まったあと、今度は腰痛が始まり、痛みに苦しみながらも、本書を読みふけってしまった。
予想していたより、ずっと真面目な本である。新しい技術と新しい市場に挑むベンチャーたちの戦いの物語である。技術や市場の変革のミラーの要約が、本質をついているのに驚く。謝辞にあるように彼が膨大な取材活動に行なったからだが、彼にそれを分析し、再構成する能力があったからだとも思う。
『半導体戦争』の原題は、”Chip War”である。チップは「集積回路(IC)」の別名である。テーマは「半導体」ではなく「集積回路」をめぐる戦いである。数センチ四方のシリコンチップの上に集積回路が載せられることで、はじめて、大きな産業に成長する礎になったのである。
「戦争」も国家間の戦いではなく、個人間あるいは企業間の戦いである。日本語版の副題『世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』はダイヤモンド社が勝手につけた副題でミスリーディングである。英語の副題は"The Fight for the World's Most Critical Technology“で、「世界でもっとも根本的な技術への戦い」としか言っていない。
アメリカの企業では企業間の競争に軍事用語を使う。warもそうだが、strategyやmissionもよく使う。
ミラーの考え方は、金儲けという人間の欲望がテクノロジーイノベーションと新しい市場の出現とビジネスチャンスを惹き起こすとするものである。じつにアメリカ的な資本主義バンザイの立場で、テクノロジー競争に国家が介入しろというものではない。したがって、トランプ元大統領やバイデン大統領の経済安保の姿勢には批判的である。
集積回路の市場は軍事兵器や大型コンピュータの市場だけではまだ小さいのである。パソコンとネットワークが出てきて、市場が広がり、新しい勝者が出てきたのだ。
それが、携帯電話、iPhone, スマートフォン、サーバービジネスが出てきて、また、市場が広がって、新しい勝者が生まれたのである。この時点で、チップの製造とチップの設計の分離が起きたという。ここまでが、私も同時代的に体験した変化である。
そして、現在もっともホットなのは、並列処理を可能とする超高密度のチップであるとミラーは言う。動画やゲームのために画像を並列に処理できるチップGPUが出てきた。GPUを使って、AIの高速処理をおこなう者が出てきた。すると、並列処理のマーケットがAIにも拡大すると期待されるようになった。
チップの設計を行うエヌビディア(NVIDIA)は市場を広げるため、並列処理するためのプログラミング言語の標準化を進めている。また、AIを開発する側でも、AIのマーケットを広げるための標準化をはかっている。新しい市場が本当に生まれ、新しい勝者がでてくると思われる。
並列処理は科学計算や技術計算でも本当は有用なのだが、マーケットが小さいとして、これまで無視されてきた。場の量子論の最先端は、解析的に解けない世界で、格子近似で数値的に解くしかないが、スーパコンピュータを使っても、大変な計算である。それが、並列処理をするチップが安くなれば、スーパコンピュータが不要になり、また、計算にかかる電気代も格段に安くなる。
期待される市場はAIだけではないかもしれない。そして、これまでの高額なだけで並列処理ができないスーパコンピュータは無用の長物になるだろう。