猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

カマラ・ハリスの大統領候補受託演説への違和感

2024-08-26 02:34:36 | 国際政治

2日前、私は、テレビ中継で民主党大会最終日のカマラ・ハリスの大統領候補受託演説(Acceptance Speech)を聞いた。会場は非常に盛り上がっていたが、彼女のスピーチに何か引っかかるものがあった。

なんだろう。

翌日、ネット上にスピーチ原稿をみつけ、YouTubeの中継録画のスピーチを原稿を見ながら聞き直した。彼女は自信に満ちて話している。自分の苦難に満ちた生い立ちから話している。彼女は人権擁護の運動の中で育ったと言っている。アメリカの国民が豊かな生活をおくれるようにしたいと言っている。一見よくできている構成のようだった。

しかし、つぎのフレーズにぶつかると、彼女は昔の民主党の主張と何も変わっていない、という思いになる。

Because we know a strong middle class has always been critical to America’s success.

(なぜなら、強力な中産階級がアメリカの成功には常に不可欠であったことを私たちは知っているからです)

さらに彼女は私にはわからないことを言っている。

That’s why we will create what I call an opportunity economy. An opportunity economy where everyone has a chance to compete and a chance to succeed.

“opportunity economy”は“economic opportunity”とは違うようだ。「誰もが競争するチャンスと成功するチャンスを持つ」opportunity economyなのだ。

これでは、自分の生い立ちの話は、自分が成功者と自慢していることになる。弱者の味方になると言ってることにならない。世の中にはいろんな事情で努力できない人たちもいるのだ。

中間層を増やすではなく、貧困で苦しんでいる人々をなくすでしょう。競争と中間層増加をセットでは、経済格差の肯定になってしまう。

ガザでのイスラエルの暴力に対しても、プーチンのウクライナの侵略に対しても、ハリスは、どうしたいのか、わからない。誤魔化しているように見える。

現在、イスラエルは、昨年の10月のハマス襲撃に復讐しているのではない。ハマス襲撃でのイスラエル死者は約千人である。現在、イスラエル軍によるガザでの死者は4万人以上である。この不均衡は、ナチスがかって占領地域でやったドイツ人襲撃の復讐を思い起こさせる。これはイスラエルのネタニヤフ政権がハマス全員を殺すためにはガザの住人がいくら犠牲になってもかまわないと考えているからだ。

ウクラナイ侵攻でも、ハリスはロシアの侵攻の5日前にウクライナのゼレンスキー大統領に警告したと受託演説で自慢している。逆だろう。プーチンに警告して思いとどまらせるべきだろう。アメリカ人をウクライナから撤収させるべきでなかった。そうすれば侵攻を防ぎたと私は考える。

こんなことで、ハリスはトランプに勝てるのだろうか。ハリスは左派と思われることを避けるために、右派路線を意識的に主張している。これでは、真面目な若者は、ハリスについていくことに抵抗感をもつだろう。


ダメなことを叱るのではなく、よい行動を褒める奥田健次 朝日新聞

2024-08-25 01:27:17 | 教育を考える

けさの朝日新聞『be』に、「ダメなことを叱るのではなく、よい行動を褒める」教育を唱える奥田健次の紹介が載っていた。

奥田健次は言う。

「『正しいこと』ことを言うといつも殴られた。5歳から継父から殴られ、教師からは『出て行け』。同級生からもいじめられた。」

すさまじい人生である。彼は虐待を受けていた。よく心がゆがまなかったと感心する。

私が親に叱られたことがあったか、この歳になると、よく覚えていない。叱ることが教育上必要なのかどうかを私は疑っている。

私は幼稚園に行っていない。私がたぶん叱られたのは、小学校に行く寸前に、親が近所の男の子たちに私を紹介した、その日ぐらいである。

その日、子どもたちだけで遊んだ後、斜め向かいの町内会会長の子が、子どもたちを近所の瀬戸物屋の前に連れて行き、石を投げ入れた。私にとってはじめてのことで、何がなんだかわからずに、立ち尽くした。私を置いて、みんな逃げたのである。瀬戸物屋の主人は私を家に連れて行き、父親に叱られた。なんと言われたか覚えていないが、この世に非常に不当なことがあると感じた。

それ以来、近所の男の子たちと遊ばなくて、よくなった。

小学校に上がると、男の子たちが二手に分かれ、掃除の箒やはたきやバケツをもって、毎朝、先生が教室に来るまで、喧嘩をした。その一方のガキ大将が町内会会長の子だった。

私はその喧嘩に参加しなかった。私は暴力が嫌いだ。私が大人しいから、いつも女の子から遊びに誘われた。小学校高学年になるまで、友達はすべて女の子であった。

いまどきの女の子は、暴力をふるうのだろうか。

私は教師から叱れた記憶もほとんどない。

私は、中学2年のとき、教室の子たちを扇動して、年老いた女の教師の国語の授業を集団で抜け出した。そのことで、教室担任に叱られた。じつは、本当に扇動したかどうか、記憶が定かではないが、私は扇動したと教室担任に申し出た。扇動することがカッコいいと思っていたのである。女の教師に気の毒なことをした、と今は思っている。高校にはいったとき、祝いに彼女から古文の参考書を贈られた。私は彼女に好かれていたのだ。

高校にはいってからも教師に対する私の悪ふざけはつづいた。高校2年のとき、教育実習にきた学生をいじめたと国語教師に叱られた。「いじめ」と言っても暴力をふるったわけではない。質問という形で教える側の権威をからかったつもりだったが、いじめと受けとめられたのだ。もちろん叱られたと言っても、国語教師にいやみを言われただけである。しかし、それ以来、国語という教科は好きではない。

権威に逆らいたくなるのは今も続いている。

人間を含め、生き物は生き方を学習する。たぶん、奥田健次は、効率的な学習指導を提唱しているのであろう。学習を良い方向に導くのに暴力はいらない。暴力に肉体的なもの以外に言葉の暴力がある。叱ったとしても、なぜ叱られたかが伝わらければ意味がない。なぜ叱られたかがわかるには、叱られる側の一定程度の知性が熟していないといけない。褒めるほうが効果的である。

私がNPOで担当してきた「発達障害」の子どもたちの半数は知的に遅れがある。下手に叱るのは、心に歪みを生じさせるだけである。ただ、危険な行為は即座に止めるべきだ。自傷行為は、理屈を述べるよりも、直ちに止めるほうが、愛情が伝わる。もちろん、止めると同時に声掛けがあったほうが、その子に愛情として記憶される。

先日読んだ、アリス・マンローの『ディア・ライフ』(新潮社)に、80年前の教育や子育てのとんでもない暴力描写がでてくる。こんなことは、現在では見られないはずである。

「それからごっこ遊びがあり、誰かが先生になって、さまざまな違反や愚行を理由にほかの子たちの手首を叩き、相手に泣く真似をさせるのだった。」p.331

「母は納屋に行って父にわたしのこと〔口答え〕を言いつけるのだ。すると父は仕事を中断してわたしをベルトで殴らなくてはならない(当時これはごくありふれた懲罰だった)。」p.369

わたしの子ども時代には、日本の敗戦のおかげで、もはや、このような暴力は軍国主義の遺物として否定されていた。現在も指導という暴力があれば、それは犯罪である。叱ることも上から目線の行為で、暴力につながる。


アリス・マンローの『ディア・ライフ』とカナダの思い出

2024-08-20 23:09:37 | 思い出

妻の書棚のアリス・マンローの『ディア・ライフ』(新潮社)を読む。田舎町での男女や親子の心の変化を長い時間軸で描いた短編集である。彼女は、1931年に生れ、今年の5月に死んだカナダの作家である。周りの人々と距離を置きながら、すべてを受け容れて静かに生きていくという彼女の世界観が心地よい。田舎の美しい自然の記述もよい。私が30歳前後の4年間、妻子とともに住んだカナダの日常が思い出される。

私が住んだ町は、大学のある町で、トロントやバンクーバーより小さいが、彼女が短編集の舞台とした田舎町より大きかった。

町に地元の新聞社があった。誰が死んだかという町の出来事に加え、スーパーマーケットのクーポンや町の住民の中古車や家財品の売り出しの広告が新聞に載った。私が妻と2歳の息子とともに公園でボートを漕いでいるところを写真に取られ、新聞に載った。どんな記事だったか思い出せないが、拡大した写真を新聞社からもらった。

グーグルマップで私たちがいた町をみると昔とずいぶん変わっている。新聞社がなくなっている。デパートが下町にSimpsonsとEaton'sと2軒あったが、それもなくなっている。スーパーマーケットも変わっている。A&PやKmartがなくなっている。

町が少し大きくなった感じもする。自然は昔と同じだろうか。

『ディア・ライフ』は多様な移民の存在を触れていない。彼女自身はスコットランドからの移民の子孫である。中国人はチャンクという蔑称で会話の中に出てくるだけである。アイルランド系移民も、「貧しい階層のプロテスタントのアイルランド人たち」と会話のなかに出てくるだけである。

私の記憶の中では、大学の食堂のレジのおばさんはカトリック教徒のアイリッシュで、3月17日の聖パトリック・デーには緑のブローチをつけていた。フランス系の住民がケベックだけでなく、オンタリオ州にもいた。フランス系の学生や大学院生とも親しく付き合った。ギリシアからの移民のジャニター(掃除人)も私の部屋に来て話し込んでいった。ドイツ系の夫婦はキッチナーの農家での一族の集まりに招いてくれた。みんなでフォークダンスを踊った。

アリス・マンローはスコットランド系社会以外とは付き合いがなかったのかもしれない。大学での私のボス(アイリッシュ)は、アメリカでは人種が溶け合っているが、カナダはモザイクであると批判していた。人と人との間に距離を置き、個人の生活を尊重するというのは、平和共存のために良いが、人種や文化が溶け合って化学反応を起こすには時間がかかるようである。


ユングの『ヨブへの答え』がわからない、8月15日は何の日

2024-08-18 10:43:10 | こころ

C.G.ユングの『ヨブへの答え』(みすず書房)を読むのは、もう、やめた。

彼の『ヨブへの答え』を何度読んでも、彼の激しい怒りを惹き起こしたものがわからない。1950年当時の国際政治状況、思想状況を私が知らないのもあるだろう。彼の引用する『エノク書』は旧約偽典で、私のもつ聖書協会共同訳の『聖書』にのっていない。

その代わりにというか、8月15日がカトリックにとって聖母マリアの被昇天を祝う日だと、今回、はじめて知った。ユングの『ヨブへの答え』に、1950年にピオ十二世が「聖母の体も魂も天に召された」をカトリックの教義として宣言したことがでてくる。

この8月15日は、日本人にとって「終戦記念日」である。べつに祝日ではない。日本政府は、8月15日を「戦没者を追悼し平和を祈念する日」として、追悼式を主催する。

戦争が8月15日に終わったわけではない。大日本帝国軍がアメリカ軍に負けたと、軍の統帥者である昭和天皇が国民に向かっておおやけに告げた日である。海外にいる日本人を、兵隊も民間人も、如何に日本に安全に帰還させるかのなんの計画もなく、これから降参すると昭和天皇が国民に告げた日である。

激しい嘆きや怒りは、自分の力で不幸になんの対抗もできないときに、生まれるものである。旧約聖書のなかで、ヨブは神のもたらした不幸に抗議するが、神の恫喝に遭い、ヨブは全能の神ヤーヴェ(ヤハウェ)に答える。

「わたしは取るに足りない者 何を言い返せましょうか。わたしは自分の口に手を置きます」(ヨブ記40章4節)

『ヨブ記』は、全能の神におもちゃにされたヨブは神に「面従腹背」するが、全能である神はヨブの「面従腹背」に気づかないという物語である。

神は人間が作った虚構であるから、神を信じなければ良い。恐れて敬う必要などない。神の名で自分を不幸にした人間を呪えばよい。ヨブの怒りの根深さは、ヨブの友人までがヨブを非難し、神を擁護することにある。

しかし、南海トラフ地震や原爆投下や失業など、自分一人の力で対抗できないことが、この世にいっぱいある。が、ユングは、第2次世界大戦によるドイツの不幸やドイツの知識人に怒っているわけでもないようだ。

現在、イスラエル軍にガザで4万人以上が、殺されている。国際司法裁判所は、この7月19日、イスラエルによるパレスチナ占領政策は国際法に違反しているという勧告を出した。そのアメリカの議会は先週イスラエルへの軍事援助を続けると決めた。

長崎市長は、今年の8月9日の原爆犠牲者慰霊平和祈念式典にイスラエルを招待しなかった。これに抗議して、アメリカやイギリスやフランスなどの政府は、式典に代表者を送らなかった。抗議の内容は「イスラエルをプーチンのロシアと同列に置いている」というものである。市長は、イスラエル軍のガザでの残虐行為に抗議して、という理由を述べなかったが、アメリカ、イギリス、フランス政府はみずからそう判断したわけである。

原爆の被爆者が、一方的にガサの住民を傷つけ殺すイスラエルに、怒る気持ちは、わたしには十分にわかる。ユングの怒りの先がわからないまま、『ヨブへの答え』を読むのを私は止める。神はいない。宗教はいらない。


イギリス全土に急速に広がった人種差別の暴動

2024-08-14 20:44:59 | 社会時評

先月の29日に田舎町で起きた幼い少女3人の刺殺事件のあと、イギリス全土で起きた騒乱に、私は強い衝撃を受けた。この騒乱が人種的偏見にもとづいたマイノリティ迫害の形をとったこと、数日で26都市に広がったことに、私は衝撃を受けたのである。

テレビの映像を見ると、モスクに石を投げたり、インド系イギリス人のささやかな店や難民申請者が泊まっている安ホテルを襲っている。若者だけが暴れているのではなく、いい年をした中年の白人男女が騒ぎに参加している。900人近くが逮捕され、500人以上が訴訟された。

私は、19世紀から20世紀にかけての東欧に起きたポグロム(ユダヤ人迫害)や1923年の関東大震災で起きた朝鮮人虐殺を連想した。

私の祖父は、震災当時、本郷に店を構えており、震災の被害を見に神田に出かけたところ、自警団につかまり殺されそうになった。祖父は背が高かったから、朝鮮人と間違えられたのである。佐渡おけさを歌って、新潟県南蒲原郡出身だと名のり、解放してもらったと祖父は言った。

朝日新聞は、このイギリスの騒乱を、8月7日の夕刊の記事1つを除いて、報道していない。識者はこのイギリスの騒乱をどう見ているのか、私は興味津々であるのに。イギリス在中のブレイディみかこは、これをどう分析するのだろうか。

きのう、他社のTBS『報道1930』で、ようやく、ゲストを招いて、イギリスの騒乱が議論された。

急速に騒乱がイギリス全土に広がったのは、サウスポートで幼い少女3人を刺した17歳の少年をイスラム教徒の難民とするデマ情報が、インタネット上で流れたことが大きな要因だとしていた。極右のトミー・ロビンソンが国外のキプロスからこのデマ情報を流した。その背景にロシアの影もあるのではとも言う。デマ情報をリツイートしてしまうネット社会の特性、移民に対する反感がくすぶっている土壌、政治の失敗を移民の急増に責任転嫁する既成政党の態度にも問題ありとする。

私は、自分たちの不安や不満を代弁する代表を持たぬ白人層が、少なからず、イギリスにも存在するのだと思う。ハンナ・アーレントの言葉を使えば、「見捨てられた人々」である。国民の分断とかそういう問題でなく、煽る人が出てくると、代弁者を持たぬ「見捨てられた人々」が、怒りで爆発するのである。民主主義が安定して機能するには、「見捨てられた人々」を「交渉」という政治の舞台に取り込む必要がある。このために、「代議制民主主義」の実装をも再検討する必要があると私は考える。