百条委員会にパワハラで調査中の、しかも県議会で不信任決議を受け辞職した斎藤元彦が11月17日の知事選で再選を果たした。19日の朝日新聞の見出しは「共感 うねり生んだ有権者」「ネット信頼感 斎藤氏を後押し」であった。私は問題の本質を何か見落としているのではと感じる。
「うねりを生んだ有権者」というが、投票率は55・65%であって、多くの人がそもそも投票場に行っていない。斎藤が得た票は有権者の24.96%にすぎない。
事実としては、自分たちの置かれている状況に不満を潜在的に抱えている人々の一部が、不信や偏見にもとづき、「改革に強い姿勢の斎藤がマスコミにいじめられている」「公務員らは甘えている」との扇動に動いたということである。
この現象に、現代の民主主義国家の問題がある。アメリカのトランプ現象や、イギリスでの反移民暴動に通じるものがある。古くは1931年にナチスが政権を握ったときにも似ている。選挙でナチスは投票の過半数の票を得ずに、政権の座に就いた。ハンナ・アーレントは、これを政治に無関心の人々と、政治家から見捨てられている人々がいるからと述べた。
アメリカの選挙制度は事前登録制で、大統領選では有権者の6割しか登録しない。多くの人が棄権している中で、大統領が決まるのである。バイデンがトランプに勝った2020年の大統領選では、トランプが初めて大統領になった2016年の選挙より多くの票を取ったのに、バイデンの票がそれをうわまったのである。このときは民主党支持のボランティアが事前登録するよう家々を訪問して歩いたからである。今回の結果は、ガザやウクライナに対するバイデンの曖昧な姿勢に不満なボランティアが動かなかったからである。
多くの人びとが政治に関心をもって参加することが大事である。一部の人が動くだけで政治が決まるのは、民主主義からすると危険なのだ。
今年のイギリスの反移民の暴動も、26都市に広がったが、結局は数万人程度の参加者である。これに対し、反移民暴動に抗議するデモが各都市で起きた。労働党政権はこの反移民暴動に対して、ルール違反を起こしたものを裁判所に訴えた。
今回の斎藤の県知事再選での問題も、ネットの功罪を論じるだけでなく、政治への関心の低さやネットでのルール違反の行動を取り上げるべきである。斎藤県知事が内部告発者を自分への中傷として行政処分したこと、こんどの選挙中にネットでコメンテーターや議員を脅迫した者がいたことに対して、民意だなんておかしなことを言わず、裁判所に訴えるべきである。有権者の24.96%の票で、問題行動があったことをチャラにすることではない。